ジュバ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
1 一度目の旅(2007.12-2008.1)<br />一度目に「南スーダン」を訪問したのは2007年。当時、南スーダンの独立は決まり高度な自治を与えられてはいたが、正式にはスーダンから独立してはいないという微妙な時期だった。私はウガンダ北部の街グルGuluから乗合タクシーでニムレNimule国境を越え、南スーダンの首都Jubaジュバに向かった。直線距離にすれば300㎞だが未舗装の道で、国境での検査や手続にも時間を取られるので1日がかりだ。この国境周辺は、霊媒師・少年兵・性奴隷等おどろおどろしい話しか聞かない「神の抵抗軍LRA」の活動の中心地となった地域だ(過去形にしたが、Wikiによるとまだ終わっていないようだ)。大きな街は途中になく、ショップが立ち並ぶような国境の町もなかった。きれいに均されたひなびた赤茶色の道が続くだけ。時々薪を頭に乗せた女性や、大きな角を生やした牛がすれ違うだけで、対向車もほとんどない。<br />国境のポストは、南スーダン国旗のみで(北)スーダンの国旗は見なかった。すでに(北)スーダンの管理下になく、南スーダン自治政府が管理しているようだった。事前に取得してきたスーダンのビザは意味がないのか、南スーダン「ビザ代」を現金で50USDで支払わされて、入国スタンプをもらう。スタンプは「Numule, South Sudan,入国日」だけのシンプルなもので、何日間滞在できるのかなどは不明だった(私の写真、S-8の上方)。引き続き赤茶色の未舗装の道を延々と行き、首都のJubaが近づく。赤茶色に錆びた鉄橋を超えると、道脇にこれまた赤茶色に錆びた戦車の残骸があった。神の抵抗軍(ウガンダ)のものか、それとも、(北)スーダンと南スーダンの戦争の跡か。戦車のひしゃげたタイヤに、やっとこの地に訪れた平和を見た気がした。<br /><br />2 2度目の訪問(2016.2-)<br />2011年7月、南スーダンはスーダンから正式に独立し、同月国連およびアフリカ連合にも加入した。独立当初のお祭りムードは長くは続かず、(北)スーダンとの国境問題に加え、南スーダンの諸民族が抗争をはじめ内戦状態に。2016年の訪問時も政権が極めて不安定で地方に中央の支配は事実上及ばず、首都Jubaですら治安が保たれていなかった。2007年の時は市場などに行けたが歩いて行けたが街中を散歩するのも危険な状態になっていた。空港から歩いて街まで行こうとした私に空港のタクシー運転手たち(と言っても路線ミニバスが白タクになる)はとんでもないという。おとなしくチャーターして安全な中級ホテルまで載せて行ってもらうことにした。丸顔のドライバーは、Jと名乗った。私のキリスト教名(キリスト教圏でのニックネーム)と同じだ。南スーダンはキリスト教徒が多いとは言え、つい数年までイスラム教国スーダンの一部だった。「ムスリム名も持っているのでしょ」、と聞くと、「J」だという。私のムスリム名(イスラム教圏でのニックネーム)と同じだ。二人で大笑いして一気に親しみがわく。連れて行ってもらった町の中心部は2007年の時とは変わりすぎてどこだか分からなかった。20<br />USDくらいに見えるホテルをいくつか回るが、示し合わせたように100USDだという。どのホテルもマジックミラーで中が見えないようになっており、緊張が走る。受付のお兄さんは、高身長で名高いDinkaディンカ族。正面に立つ私の目線は、身長は2m以上ある彼の鳩尾レベルにしか届かず、見上げないと顔が見えない。忘れかけていた子供の頃の感覚がよみがえるようだった。<br /><br />

South Sudan

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2016/12/30 - 2017/01/02

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km777

km777さん

1 一度目の旅(2007.12-2008.1)
一度目に「南スーダン」を訪問したのは2007年。当時、南スーダンの独立は決まり高度な自治を与えられてはいたが、正式にはスーダンから独立してはいないという微妙な時期だった。私はウガンダ北部の街グルGuluから乗合タクシーでニムレNimule国境を越え、南スーダンの首都Jubaジュバに向かった。直線距離にすれば300㎞だが未舗装の道で、国境での検査や手続にも時間を取られるので1日がかりだ。この国境周辺は、霊媒師・少年兵・性奴隷等おどろおどろしい話しか聞かない「神の抵抗軍LRA」の活動の中心地となった地域だ(過去形にしたが、Wikiによるとまだ終わっていないようだ)。大きな街は途中になく、ショップが立ち並ぶような国境の町もなかった。きれいに均されたひなびた赤茶色の道が続くだけ。時々薪を頭に乗せた女性や、大きな角を生やした牛がすれ違うだけで、対向車もほとんどない。
国境のポストは、南スーダン国旗のみで(北)スーダンの国旗は見なかった。すでに(北)スーダンの管理下になく、南スーダン自治政府が管理しているようだった。事前に取得してきたスーダンのビザは意味がないのか、南スーダン「ビザ代」を現金で50USDで支払わされて、入国スタンプをもらう。スタンプは「Numule, South Sudan,入国日」だけのシンプルなもので、何日間滞在できるのかなどは不明だった(私の写真、S-8の上方)。引き続き赤茶色の未舗装の道を延々と行き、首都のJubaが近づく。赤茶色に錆びた鉄橋を超えると、道脇にこれまた赤茶色に錆びた戦車の残骸があった。神の抵抗軍(ウガンダ)のものか、それとも、(北)スーダンと南スーダンの戦争の跡か。戦車のひしゃげたタイヤに、やっとこの地に訪れた平和を見た気がした。

2 2度目の訪問(2016.2-)
2011年7月、南スーダンはスーダンから正式に独立し、同月国連およびアフリカ連合にも加入した。独立当初のお祭りムードは長くは続かず、(北)スーダンとの国境問題に加え、南スーダンの諸民族が抗争をはじめ内戦状態に。2016年の訪問時も政権が極めて不安定で地方に中央の支配は事実上及ばず、首都Jubaですら治安が保たれていなかった。2007年の時は市場などに行けたが歩いて行けたが街中を散歩するのも危険な状態になっていた。空港から歩いて街まで行こうとした私に空港のタクシー運転手たち(と言っても路線ミニバスが白タクになる)はとんでもないという。おとなしくチャーターして安全な中級ホテルまで載せて行ってもらうことにした。丸顔のドライバーは、Jと名乗った。私のキリスト教名(キリスト教圏でのニックネーム)と同じだ。南スーダンはキリスト教徒が多いとは言え、つい数年までイスラム教国スーダンの一部だった。「ムスリム名も持っているのでしょ」、と聞くと、「J」だという。私のムスリム名(イスラム教圏でのニックネーム)と同じだ。二人で大笑いして一気に親しみがわく。連れて行ってもらった町の中心部は2007年の時とは変わりすぎてどこだか分からなかった。20
USDくらいに見えるホテルをいくつか回るが、示し合わせたように100USDだという。どのホテルもマジックミラーで中が見えないようになっており、緊張が走る。受付のお兄さんは、高身長で名高いDinkaディンカ族。正面に立つ私の目線は、身長は2m以上ある彼の鳩尾レベルにしか届かず、見上げないと顔が見えない。忘れかけていた子供の頃の感覚がよみがえるようだった。

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