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 コロナによる緊急事態宣言の為、予定していたイベントは全て中止、身体をもてあましています。<br />健康維持の為3日に1回位は散歩に出掛ますが、今日は隣の大田区池上に来ました。<br /> 一番の目的は池上梅園なのですが、梅園の位置が本門寺の外れにある為、往復とも本門寺の境内を通過します。<br />本門寺参詣は4~5年ぶり、先ず境内をそぞろ歩きます。<br /> 次いで梅園、梅は丁度見頃、緊急事態の割には人出は多め、でも目の保養と健康維持に役立ちました。<br /> <br />      表紙は池上梅園医薬門 <br />  <br />(参考)本門寺について<br /> 日蓮宗の宗祖日蓮上人は鎌倉幕府8代執権北条時宗と時代を同じくし、蒙古襲来も経験しています。<br /> その間各種の苦難を乗り越えて日蓮宗を起こし、身延山に道場(久遠寺)を開きます(1274年)。<br />しかしその9年後病を得て常陸の湯に湯治に向いますが、ようやく池上迄到着した段階で病厚く亡くなります、61才でした。弘安5年(1282)の事です。<br /> その折宿を務めた池上の郷主池上宋仲は、日蓮臨終の屋敷を含めて約7万坪の土地を寄進、それを受け宗門として建立したのが本門寺なのです。(1288)<br /> それ以降、日蓮上人入滅の地として、久遠寺と共に日蓮宗二大霊場となります、しかし戦災により殆どの堂宇を焼失、戦後再建したのが現寺です。 <br /> <br />     <br />

池上梅園と池上本門寺

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2021/02/24 - 2021/02/24

51位(同エリア93件中)

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愛吉

愛吉さん

 コロナによる緊急事態宣言の為、予定していたイベントは全て中止、身体をもてあましています。
健康維持の為3日に1回位は散歩に出掛ますが、今日は隣の大田区池上に来ました。
 一番の目的は池上梅園なのですが、梅園の位置が本門寺の外れにある為、往復とも本門寺の境内を通過します。
本門寺参詣は4~5年ぶり、先ず境内をそぞろ歩きます。
 次いで梅園、梅は丁度見頃、緊急事態の割には人出は多め、でも目の保養と健康維持に役立ちました。
 
      表紙は池上梅園医薬門 
  
(参考)本門寺について
 日蓮宗の宗祖日蓮上人は鎌倉幕府8代執権北条時宗と時代を同じくし、蒙古襲来も経験しています。
 その間各種の苦難を乗り越えて日蓮宗を起こし、身延山に道場(久遠寺)を開きます(1274年)。
しかしその9年後病を得て常陸の湯に湯治に向いますが、ようやく池上迄到着した段階で病厚く亡くなります、61才でした。弘安5年(1282)の事です。
 その折宿を務めた池上の郷主池上宋仲は、日蓮臨終の屋敷を含めて約7万坪の土地を寄進、それを受け宗門として建立したのが本門寺なのです。(1288)
それ以降、日蓮上人入滅の地として、久遠寺と共に日蓮宗二大霊場となります、しかし戦災により殆どの堂宇を焼失、戦後再建したのが現寺です。 
 
     

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄
  •  池上で電車を降りると、駅前から本門寺通りが始まります。

     池上で電車を降りると、駅前から本門寺通りが始まります。

  •  道なりに進むと、本門寺山門に到着。<br /> この山門は元禄年間に建てられたもの、又扁額は江戸初期の芸術家本阿弥光悦の書を写したもので、1627年光悦自らが寺に納めました。<br />大田区の文化財に指定されています。

     道なりに進むと、本門寺山門に到着。
     この山門は元禄年間に建てられたもの、又扁額は江戸初期の芸術家本阿弥光悦の書を写したもので、1627年光悦自らが寺に納めました。
    大田区の文化財に指定されています。

  •  案内板です。

     案内板です。

  •  正面の石段、96段あります。<br />加藤清正が寄進しました、此経難持坂と呼ばれます。

     正面の石段、96段あります。
    加藤清正が寄進しました、此経難持坂と呼ばれます。

  •  頂上に到着。 <br />

     頂上に到着。 

  •  説明板。

     説明板。

  •  右手の広場に日蓮上人説法像。

     右手の広場に日蓮上人説法像。

  •  広場の前を右に進みます、境内の外れから順番に見学、先ずは妙見堂。<br />この堂は、日蓮宗池上三院家の一つ昭栄院の堂で妙見大菩薩を祀ります。(1664年築)<br />昭栄院本堂は山ノ下です。

     広場の前を右に進みます、境内の外れから順番に見学、先ずは妙見堂。
    この堂は、日蓮宗池上三院家の一つ昭栄院の堂で妙見大菩薩を祀ります。(1664年築)
    昭栄院本堂は山ノ下です。

  •  妙見堂の隣は、本門寺最大の墓、鳥取池田家芳心院の墓。通称万両塚。

     妙見堂の隣は、本門寺最大の墓、鳥取池田家芳心院の墓。通称万両塚。

  •  境内に戻ると五重塔。(重文)<br />1608年2代将軍秀忠が寄進。戦災でも焼け残り、関東に残る五重塔では最古。

     境内に戻ると五重塔。(重文)
    1608年2代将軍秀忠が寄進。戦災でも焼け残り、関東に残る五重塔では最古。

  •  階段上迄戻って来ました、正面には仁王門。昭和53年の再建。

     階段上迄戻って来ました、正面には仁王門。昭和53年の再建。

  •  仁王門を潜ると正面に祖師堂。昭和39年の再建。<br />中央に1288年制作の日蓮上人尊像(重文)、左に第二祖日朗上人、右に第三祖日輪上人像を安置します。

     仁王門を潜ると正面に祖師堂。昭和39年の再建。
    中央に1288年制作の日蓮上人尊像(重文)、左に第二祖日朗上人、右に第三祖日輪上人像を安置します。

  • 祖師堂と並んで経堂、1784年の再建。<br />

    祖師堂と並んで経堂、1784年の再建。

  •  祖師堂の切妻。

     祖師堂の切妻。

  •  奥に本殿(釈迦堂)。昭和44年の建立。

     奥に本殿(釈迦堂)。昭和44年の建立。

  •  本殿内部に仁王像があります。<br />円鍔勝三氏作。

     本殿内部に仁王像があります。
    円鍔勝三氏作。

  • 同上

    同上

  •  最奥は日蓮上人御廟所。昭和61年再建。

     最奥は日蓮上人御廟所。昭和61年再建。

  •  御廟所。<br />中央が日蓮上人、左は第二祖日朗上人、右は第三祖日輪上人。

     御廟所。
    中央が日蓮上人、左は第二祖日朗上人、右は第三祖日輪上人。

  • 一段山を下った中腹に多宝塔(通称)が立っています。<br />ここは日蓮上人御荼毘所跡。<br />塔は1831年の日蓮上人五百遠忌を記念して建てられた供養塔。<br /> (屋外に建つ木造の宝塔形式供養塔では日本唯一、国の重文)<br />内部には日蓮上人遺愛の水晶の数珠が納められています。

    一段山を下った中腹に多宝塔(通称)が立っています。
    ここは日蓮上人御荼毘所跡。
    塔は1831年の日蓮上人五百遠忌を記念して建てられた供養塔。
     (屋外に建つ木造の宝塔形式供養塔では日本唯一、国の重文)
    内部には日蓮上人遺愛の水晶の数珠が納められています。

  •  多宝塔に隣接して建つ大名墓。<br />紀州徳川家の女性達を葬った墓所です。

     多宝塔に隣接して建つ大名墓。
    紀州徳川家の女性達を葬った墓所です。

  •  山を下りきった処が本坊大行寺。<br />池上氏館跡、日蓮御臨終の処です。<br />1282年10月13日日蓮上人はここで生涯を終えます。

     山を下りきった処が本坊大行寺。
    池上氏館跡、日蓮御臨終の処です。
    1282年10月13日日蓮上人はここで生涯を終えます。

  •  それでは山門を潜り境内に入りましょう。

     それでは山門を潜り境内に入りましょう。

  •  本堂。

     本堂。

  •  本堂の横には小さな殿社が並んでいます。<br />宗祖御灰骨堂。<br /> 火葬した時の遺灰を納めました。(遺骨も少々入っています)<br />尚遺骨は遺言により身延山久遠寺に葬りました。

     本堂の横には小さな殿社が並んでいます。
    宗祖御灰骨堂。
     火葬した時の遺灰を納めました。(遺骨も少々入っています)
    尚遺骨は遺言により身延山久遠寺に葬りました。

  •  日蓮上人の旅着を納めた処。<br />交通安全の祈祷所になっています。

     日蓮上人の旅着を納めた処。
    交通安全の祈祷所になっています。

  •  御硯井戸。<br />日蓮上人到着時に使用した井戸。

     御硯井戸。
    日蓮上人到着時に使用した井戸。

  •  境内の佇まい。

     境内の佇まい。

  •  本門寺の境内に戻ります。<br />鐘楼。昭和39年の再建。梵鐘は人間国宝香取正彦氏作。

     本門寺の境内に戻ります。
    鐘楼。昭和39年の再建。梵鐘は人間国宝香取正彦氏作。

  • 鐘楼の隣は、日朝堂。日朝上人像を奉安します。<br /> 日朝上人は日蓮宗十一世宗主で中興の祖と仰がれる人、人間五感の内特に目を大事にした事から、眼病を直すといわれます。<br /> お題目修行の場として昭和48年に再建。

    鐘楼の隣は、日朝堂。日朝上人像を奉安します。
     日朝上人は日蓮宗十一世宗主で中興の祖と仰がれる人、人間五感の内特に目を大事にした事から、眼病を直すといわれます。
     お題目修行の場として昭和48年に再建。

  •  淨行菩薩。<br />菩薩像を洗い清める事により、自身の心を清めます。

     淨行菩薩。
    菩薩像を洗い清める事により、自身の心を清めます。

  •  一般墓地の入口に力道山の墓と書いた矢印が立っています。<br />矢印に従い力道山の墓にも詣でます。<br />日本プロレスのパイオニヤです。

     一般墓地の入口に力道山の墓と書いた矢印が立っています。
    矢印に従い力道山の墓にも詣でます。
    日本プロレスのパイオニヤです。

  •  多くの子院の間を抜け、池上梅園に向います。

     多くの子院の間を抜け、池上梅園に向います。

  • 寺院と梅、よく似合います。

    寺院と梅、よく似合います。

  •  池上梅園に到着しました、入園料を払い入園します。<br />満開の様です。

     池上梅園に到着しました、入園料を払い入園します。
    満開の様です。

  •  案内板。

     案内板。

  •  地図もあります、回遊式庭園ですね、一巡しましょう。

     地図もあります、回遊式庭園ですね、一巡しましょう。

  •  丘陵を利用した梅林で紅梅220本、白梅150本、計370本の梅があります

    丘陵を利用した梅林で紅梅220本、白梅150本、計370本の梅があります

  •  梅の花も今を盛りと咲誇ります。

     梅の花も今を盛りと咲誇ります。

  •  紅梅

     紅梅

  • 白梅

    白梅

  •  古木もあります。

     古木もあります。

  •  紅梅が多いと華やかですね。

     紅梅が多いと華やかですね。

  •  園内には茶室が三っもあります。

     園内には茶室が三っもあります。

  •  盆栽を植えたような並木道。

     盆栽を植えたような並木道。

  •  園内を一巡したようです。

     園内を一巡したようです。

  •  名残を惜しみながら梅園を後にします、再び本門寺境内を通り池上の駅に向います。<br />ご覧いただき有難う御座いました。<br />                 終

     名残を惜しみながら梅園を後にします、再び本門寺境内を通り池上の駅に向います。
    ご覧いただき有難う御座いました。
                     終

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