2021/02/12 - 2021/02/13
915位(同エリア2954件中)
杏仁豆腐さん
仙台2日目。
ホテルビスタ仙台で朝食をいただき、ホテルを後にし、まず残っていた用事を済ませました。
仙台駅に戻り、タクシーで瑞鳳殿へ。まず、瑞鳳寺を訪れ、その後瑞鳳殿をゆっくり見て回りました。
仙台駅に戻り、お土産と駅弁を買い、帰宅しました。
帰宅した夜に地震が起きました。東北地方で最大震度6強でした。
瑞鳳殿では、およそ100基の石灯籠が倒れるなどの被害が出ました。
瑞鳳殿は安全を確認するため14日から臨時休館しています。
仙台市は、青葉区の市博物館、仙台国際センターなど23カ所の市有施設を臨時休館や利用休止にしたと発表しました。
復旧の日が来ることを願っています。
☆前半はこちら
2月の仙台①☆黒毛和牛一頭切り 伊達哉☆2021/02/12
https://4travel.jp/travelogue/11677703
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー 新幹線 徒歩
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ホテルビスタ仙台の部屋からの眺め。
今日もいい天気です。 -
レストラン『VISTA CAFÉ』で朝食。
バイキング形式からセットメニューでの提供に変更されています。
皆さん、会話のない静かな朝食会場でした。
受験生とお父さん、又はお母さんの姿が目立ちました。 -
午前中早めに用事を済ませ、仙台駅からタクシーで瑞鳳殿へ。
瑞鳳殿に隣接する瑞鳳寺に入ります。臨済宗妙心寺派の仏教寺院です。
山門です。 -
鐘楼
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寛永14年(1637)
梵鐘は伊達忠宗公が工匠に命じて鋳造したものです。 -
本堂には初代政宗、二代忠宗、三代綱宗の位牌が安置されています。
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大正十五年(1926)に本堂が落成。
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冠木門
三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあったものを移築。通称は高尾門。 -
茶室瑞新軒
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想姥仙
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花塚
本源流武田朴陽と門下生がたてた花の供養碑
花塚の2大字は斉藤実、裏の詩は土井晩翠 -
お地蔵さんが並んでいます。
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経塔
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龍頭があります。
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瑞鳳寺を後にし、瑞鳳殿に向かいます。
坂道を上ります。 -
霊廟の碑
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霊廟の碑の説明
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さらに石段を上ります。
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観覧券を買い、中に入りました。
手水舎 -
涅槃門
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瑞鳳殿の正面門は「涅槃門」と呼ばれています。
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樹齢数百年の青森桧葉を用いて再建されています。
正面扉上部の蟇股(かえるまた)には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」などの彫刻が施されています。
とても豪華で立派です。 -
涅槃門を入ると石段があります。
石段の両脇に灯籠が奉納されています。 -
灯籠が石段の両脇に並びます。
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唐門です。
瑞鳳殿は「霊屋」(たまや、おたまや)と呼ばれる霊廟です。
政宗は寛永13(1636)年5月24日、江戸で70歳の生涯を終えると、仙台に送られ、ここ経ヶ峯に葬られました。 -
政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くために経ヶ峯に登り、同行の家臣に死後ここに墓所を造るように命じていたということらしいです。
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左は青銅製龍頭彫刻瓦。
旧瑞鳳殿屋根隅棟に据え付けられていた瓦。
右は銅製九曜紋鬼瓦。
1979年、瑞鳳殿再建の際に据え付けられた鬼瓦。九曜紋は伊達家の家紋のひとつだそうです。 -
瑞鳳殿本殿
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陸奥仙台藩祖・政宗廟。
木造三間四方、蟇股に瑞鳥、花頭窓に鳳凰、隅柱に獅子頭など彫刻が施されました。霊屋内部には須弥壇が設けられ、政宗の尊像(御木像(おもくぞう))が安置されており、壁や天井には仏画や鳳凰などが描かれていました。
瑞鳳殿は1931年に国宝に指定されましたが、1945年の戦災により焼失してしまいます。1979年に再建されました。 -
政宗公は地下に眠っています。
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本殿は、政宗の命日(5月24日)、新年の拝礼式など特別な場合には開帳されます。
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本殿から見唐門
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満海上人供養碑
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満海上人供養碑の説明
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資料館
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臥龍梅
地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達政宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせた後、隠居所であった若林城(仙台市古城)に移植したものといわれています。
この臥龍梅は、古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭1979年、瑞鳳殿再建を記念して植樹されたものです。 -
戊辰戦争弔魂碑
戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1,260人の慰霊碑です。 -
善応殿、感仙殿、妙雲界廟。
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石段を上ります。
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涅槃門
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板碑
感仙殿より出土したものです。 -
善応殿
三代藩主伊達綱宗公霊屋。 -
伊達綱宗公は忠宗公の第6子として寛永17年(1640)に生まれ、万治元年(1658)忠宗公の死去により19歳で三代藩主となりました。
しかし、わずか2年で隠居を命じられ、江戸の品川下屋敷で余生を送りました。
正徳元年(1711)71歳で没し、霊屋善応殿が5年後に完成しています。 -
無縫塔 擬殉者の墓
殉死禁止令により殉死者はなかったのですが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行いました。うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬されました。 -
感仙殿
二代藩主・忠宗廟。 -
忠宗は錬成された人格と法治主義により、仙台藩の実質的な基礎を確立しました。万治元年(1658)仙台城にて没し、この経ヶ峯の地に埋葬されました。
霊屋感仙殿は、寛文四年(1664)四代・綱村の時代に竣工しました。感仙殿は1931年に瑞鳳殿とともに国宝に指定されましたが、1945年の戦災により焼失、1985年に再建されました。 -
本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並びます。
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9代藩主伊達周宗の石塔
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11代藩主伊達斉義の石塔
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11代藩主伊達斉義夫人芝姫の石塔
感仙殿北側の土塁で囲まれた一画には9代藩主周宗公、11代藩主斉義公とその夫人芝姫の墓があり、総称して妙雲界廟と言います。 -
訪れる人も少なく、とても静かです。
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西討戦没之碑(西南の役旧仙台藩士戦没者弔魂碑)
西南の役で殉職した旧仙台藩の 142 人の弔魂碑です。 -
御子様御廟
正徳3年(1713)以降に設けられた廟所で、5代吉村以降6代宗村、7代重村、11代斉義、13代慶邦までの歴代仙台藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されています。
21基の笠塔婆の墓と80基を超える石燈籠が現存するほか、藩主側室や老女の墓7基もおかれています。 -
瑞鳳殿を訪れ、帰宅した日の夜に地震がありました。
ニュースで御子様御廟の石灯篭が倒れ、悲惨な光景を見ることになってしまいました。
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瑞鳳殿を後にし、地下鉄東西線の大町西公園駅をめざします。途中、広瀬川を渡ります。
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仙台駅でお土産と駅弁を買い、新幹線に乗りました。
購入した駅弁、カニ水産カニ味噌ごはん。 -
甲羅にカニ味噌が乗っています。
甲羅の上に乗ったご飯と下のご飯と違った味が楽しめます。
豪華な駅弁です。
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