2019/12/21 - 2019/12/23
177位(同エリア447件中)
髭のび太さん
東京の寒い日常を抜けだし、小笠原海運催行の「歴史探訪と感動の小笠原6日間」で南国気分を味わった。
南島には入島禁止期間が毎年11月上旬~2月上旬まで(年末年始を除く)あるので、海に入る事は念頭になく、森や山を歩く観光とした。
あの? 江戸幕府が海軍創設のためオランダに発注し、勝海舟が艦長となり、日本人の操縦で初めて太平洋を横断した軍艦の墓地があるとは、全くの予想外だった。
写真は、咸臨丸墓地の案内板
文久元年(1861)、咸臨丸は幕命により小笠原諸島に派遣され、小笠原島を探検・調査させた。その咸臨丸で亡くなった乗組員を葬った墓地の説明文と
二見港入港咸臨丸の図「小笠原嶋真景図」より
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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09:50 竹芝客船ターミナルに到着
チケット売り場でチケットを搭乗券と引換
10:20 B1ゲートオープンしたので、おがさわら丸に乗船
船内では、大きな鯨の尾が迎えてくれた。竹芝客船ターミナル 乗り物
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10:44 おがさわら丸船内を散策
甲板では、荷物や貨物を積載していた。竹芝客船ターミナル 乗り物
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10:48 おがさわら丸 Deck 6 屋外デッキ と 隅田川河口の眺め
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レインボーブリッジ
羽田の気象状況 8.4℃ 北風 6m/s と曇因りとした空模様で寒かった。レインボーブリッジ 名所・史跡
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11:08 おがさわら丸出航 竹芝桟橋を離岸する様子
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11:10 工事中の豊洲市場
竹芝桟橋を出港後、東京湾内を航行。
外部デッキから東京湾内の遊覧を楽しんだ。豊洲市場 市場・商店街
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11:13 Rainbow Bridge & フジテレビ
1993年竣工の吊橋。橋げたの高さは、52mレインボーブリッジ 名所・史跡
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11:14 品川第六台場跡
1853(嘉永6)年のペリー来航に危機感を持った幕府が築造した海上砲台。 -
12:00 展望ラウンジがオープンしたので中に入るとシロイルカ像がお迎えしてくれた。
出港後、ラウンジを利用するのには、ラウンジ整理券が必要だった。
船内散策時に入口にあった整理券を手に入れた。
7Fにある給湯器を利用して、カップラーメンに湯を入れ食べた。 -
12:37 明治22年に建設が始まり、大正3年に完成した第二海堡
19世紀後半から20世紀前半まで、首都防衛のために築かれた洋上要塞です。
現在は、船の火災を想定した消防訓練施設として利用されている。
歴史的建造物が続々と見られて良かった。 -
13:24 遠くに金谷方面が見えた。
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13:24 鋸山付近
取り敢えず東京湾を見治めたら、シャワーを浴びてベッドで一休みした。
船内では、小笠原講座やクリスマス籤抽選会が行われていた。
夕食は、4Fの電子レンジを利用し、持参したカレーライスを食べた。
船内では、持ち込んだ酒類や摘みで盛り上がっている人達も居た。 -
2日目
展望ラウンジで朝食を摂った。
08:43 聟島が見えて来た。 -
10:05 漸く父島も見えて来た。
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10:42 父島 野羊山
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10:43 父島 烏帽子岩
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10:43 父島 要岩
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10:43 父島 境浦
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10:44 父島 境浦 戦時中に座礁した濱江丸が見えた。
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10:44 父島 製氷海岸
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10:45 父島 二見港入港 クルーズ船を係留するブイ
10:50 おがさわら丸の下船口の前には行列が出来ていた。 -
10:43 おがさわら丸は、父島 二見港ターミナルに接岸した後、下船した。
父島の気象状況 26.2℃ 南風 6.1m/s 晴れ 春を通り過ぎて夏だった。
送迎車両でホテルへ移動
11:10 ホテルに チェックインした。 -
11:53 ホテルで一休みをした後、早速外に出てみると、小笠原村の「親子のイルカとサンゴ」マンホールを見付けた。
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11:56 ホテルの直ぐ傍に小笠原世界遺産センターがあったので展示品を見学した。
展示してあった ハハジマメグロの剥製小笠原世界遺産センター 名所・史跡
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アカガシラカラスバトの剥製
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西之島の石
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アホウドリ
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昆虫とグリーンアノール
外来種捕獲の取組を学んだ -
ランチを探している時に見付けた弁当屋さん
12:20 アイランドデリアイランド・デリ グルメ・レストラン
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12:20 アイランドデリ バランス弁当 \780
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12:28 湾岸通りのガジュマル
アイランドヒストリーツアーの集合場所の二見港船客待合所を目指して歩いた。 -
12:34 二見港船客待合所には、大きな クジラのモニュメント が建っていた。
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12:41 二見港船客待合所周辺を散策していたら、椰子の根元に小笠原固有種のキノボリカタマイマイを見付けた。
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12:41 椰子の木に設置された外来種生物捕獲用トラップが仕掛けてあった。
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小笠原二見港船客待合所から三日月山を望む
13:00 アイランドヒストリーツアーに参加
手続きや説明が長かった。
ワゴン車でスタートした。二見港船客待合所 乗り物
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車に乗って港町を通り、家並みが途切れて山に入って行くのかなと思ったら到着した。
13:33 咸臨丸墓地道路標識 -
墓標の様な物が見えて来た。
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13:22 咸臨丸墓地案内板の記述は、以下の通り。
咸臨丸は、日米修好通商条約批准のため、随伴艦として太平洋を横断してアメリカへ行き、万延元年(1860)5月に帰国した。
文久元年(1861)、咸臨丸(約300トン)は、幕命により小笠原諸島に派遣され12月19日、二見港に入港した。
当時、小笠原には、欧米系の人々だけが居住していたので、これらの人々と話し合い、日本に所属することや、日本が開拓することについての了承を得た。そこで、「全島取締規則」や「港規則」を決め、父島や母島の探検・調査を行い、文久2年(1862)3月9日、二見港を出帆し帰途についた。
朝陽丸は、咸臨丸と行き違って、文久2年3月17日、二見港に入港。8月26日には、八丈島からの農業移住者38名を乗せて再び入港し、その後も7回にわたって来航した。
千秋丸は、咸臨丸への食糧運搬船であったが、咸臨丸の在島中には到着出来ず、文久2年4月2日に入港した。 -
13:22 咸臨丸墓地
この墓地には、咸臨丸の乗組員(軍艦操錬所・稽古人)で、文久2年1月27日に死去した「西川倍太郎」の墓の他、次の墓碑がある。
朝陽丸の水夫「三代吉、金右衛門、忠蔵」の墓
文久2年3月25日入港した平野船乗組員「金田醇蔵」の墓(平野廉三の従弟) -
13:22 漂流者冥福碑
文久2年に、幕府によって建立された、寛文9年(1669)から、京保年間(1716~1735)及び、元文年間(1735~1740)にかけて、小笠原に漂着し、漂流中に死亡したと思われる人々の霊を慰めるための「冥福の碑」。
阿州浅川浦船頭・勘左衛門。船頭・左太夫。水主・善三。喜三郎。八太夫。遠州荒井・権五郎。善太郎。八兵衛・豆州岩地村水主・権兵衛。奥州南部便船人・孫四郎。遠州荒井船主・佐太夫。不審生国水主・七助。不審名者・6人 -
13:22 漂流者冥福碑案内板
文久元年12月(1862年1月)、江戸幕府は小笠原島回収・開拓のため、外国奉行水野筑後守忠徳率いる一行を幕府軍艦咸臨丸で派遣し、小笠原島を調査させた。
翌年の文久2年8月(1862年9月)、八丈島の移民を乗せた幕府軍艦朝陽丸で、この碑を運搬し奥村の地に建立した。小笠原島に漂流し亡くなった と思われる者の霊を慰めるためである。
この碑は、同時期に建てられた小笠原新治碑(父島字扇浦)とともに、小笠原島が日本の古くからの領土である証拠の一つとなるようにとの意味もあって建てられたものである。
平成5年(1993)、小笠原村が土砂に埋もれていたこの碑を掘り起こし、他の墓石と共に周辺より一段高くして、土砂に埋もれないよう整備した。 -
13:22 柳生久丘之墓
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13:22 藤森圖高之墓
明治9年(1876)、小花作助と共に、内務省出張所に勤務し、明治13年(1880)、小笠原が東京都に移管された時、初代の東京府出張所長となった「藤森圖高」の墓 -
1332 グリーンアノールらしい
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13:39 二見岩
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13:39 赤灯台
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13:41 父島接岸中のおがさわら丸
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13:45 青灯台
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1353 父島の崖っぷちにいた野ヤギ
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13:53 父島の野ヤギ ズームイン
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13:53 境浦海岸への降り口とバス停
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13:53 JAXA 小笠原追跡所が見えた
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13:58 座礁したままの濱江丸
以下は、父島基地分遣隊HP https://www.mod.go.jp/msdf/cjbf/hinkoumaru.html 掲載の「濱江丸」解説を引用した
旧満州国の「濱江省」という省名より名付けられた濱江丸は、陸軍から徴用され、南方方面の軍需物資の輸送に使用されました。昭和19年6月12日、本土よりサイパン島に向け船団航行中、サイパン島北方洋上において、米機動部隊の激しい爆撃と銃撃を受け、航行不能となりました。幸いにも沈没はまぬがれたので、応急処置を行い航行中、7月末頃、父島近海において再び米機動部隊の攻撃を受けました。魚雷が数発命中し、船は、漂流の後、現在の地に座礁しました。 -
14:00 境浦海岸 東京都最東端のバス停
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14:00 濱江橋 鯨のレリーフ
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14:06 扇浦 小花作助之碑
台東区史跡・名所 谷中 https://www.culture.city.taito.lg.jp/bunkatanbou/landscape/japanese/yanaka_02.html によると、
小花作助(1829~1901)は江戸時代の幕臣で、はじめ作之助と称し、明治に入って作助と改めている。
幕末の文久元年(1861)11月には小笠原島開拓御用を命ぜられ渡航し、1年半にわたり現地にとどまり、その支配にあたっていた。明治維新後は新政府に仕え、明治9年(1876)12月には小笠原島内務省出張所の初代所長を命ぜられ着任。以後、3年にわたり在島し、小笠原の初期島治に尽力した。
彼は小笠原諸島の歴史を正しく理解する上で欠くことのできない人物の一人
産経新聞の【忘れ難き偉人伝】以下を参照してください。
小花作助(上)小笠原を日本に奪い返した官吏 https://www.sankei.com/life/news/130420/lif1304200017-n1.html -
14:07 歩道にあったデザインタイル「ハンマーヘッド」
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14:10 参道の途中にあった方向案内指示標識
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14:14 扇浦 小笠原開拓の碑
産経新聞の【忘れ難き偉人伝】以下を参照してください。
小花作助(下)大久保の「而盡」削る豪胆さ https://www.sankei.com/life/news/130427/lif1304270028-n1.html -
14:14 扇浦 小笠原開拓の碑 案内板
明治政府は維新後、小笠原諸島の本格的な開拓を進めた。このような状況下で、小笠原開拓碑が明治10年に東京で制作され、船で小笠原に運ばれ建立された。
撰文と篆額は、内務卿大久保利通(1830-1878)が担当した。 -
14:14 扇浦 にほへの碑 & 説明板
1862年9月(文久2年8月)、江戸幕府は幕府軍艦朝陽丸で、八丈島から島民30名を父島に開拓移住させ、その内の子供に幕府役人が読み書き手習いを教えた。この碑は、使い終えた筆を供養するための筆塚として文久2年の冬に建てられた。 -
14:15 扇浦 新治の碑
小笠原が日本の領土であるということを示すために建てられた石碑(都文化財指定) -
14:16 タコの木
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14:21 小笠原神社傍の 監視壕
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14:21 小笠原神社傍の トーチカ出入口
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14:21 小笠原神社
小笠原諸島を発見したと伝えられる小笠原貞頼を祀った神社で、社殿は返還後に再建。父島の歴史を観光するなら、小笠原神社から始めよう by 髭のび太さん小笠原神社 寺・神社・教会
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14:22 小笠原氏部少鋪貞頼 無人島発見之碑
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小笠原氏部少鋪貞頼 無人島発見之碑
無人嶋大小八十余山之図 -
14:23 夫婦石 石場宮
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14:25 二見湾を望む
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14:35 洲崎の浜
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1436 洲崎の飛行場跡は資材置場になっていた。
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14:53 扇浦海岸
扇浦 ビーチ
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ズームして見ると シュノーケリングをする人達がいた。
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15:04 福田篤泰先生胸像
小笠原村日本復帰、強制疎開による引揚げ島民の窮状救済や復帰後の復興にも尽力した当時の衆議院議員の銅像が、父島の二見湾が一望できる場所に建っていた。
確かにビューポイントだった。 -
15:04 三日月山を望む
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15:04 父島 二見港ターミナル付近
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15:06 父島市街 & パパス・アイランドリゾート付近
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15:15 父島の中心にあった大神山公園 お祭り広場まで戻って来た。
大神山公園 公園・植物園
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オオハマギキョウ
「小笠原植物誌」http://www.ogasawara-syokubutusi.com/oohamagikyou.htm から抜粋
主に東島、母島とその属島に自生するキキョウ科の固有植物です。他の植物が生えないような海岸近くの崖や日当たりの良い草地に好んで生えます。
多年生草本ながら、見かけは木本のように太い茎があり、樹高も2~3m程になります。 -
15:15 お祭り広場に吊るしてあった羽を広げたオオコウモリのレプリカ
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15:20 ウミガメの像もいた
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15:22 ラドフォードスクール跡 お祭り広場
米国の統治時代にあったラドフォード提督学校の跡地を示すレリーフラドフォードスクール跡地 名所・史跡
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15:22 お祭り広場
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15:25 小笠原村役場
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15:28 お祭り広場に建っていた「昭和天皇行幸碑」
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15:33 デザインタイル「小笠原村 返還20周年記念」
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15:34 小笠原村商工観光会館 B-しっぷ前では、鯉のぼりではなく「鯨のぼり」が泳いでいた。
B-しっぷ(商工観光会館) 名所・史跡
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15:51 小笠原村の「親子のイルカとサンゴ」デザインマンホール
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15:52 以下の地点等までの距離と方向と距離を表示したものが、小笠原村役場前にあった。
母島 59Km 、硫黄島 310Km、沖ノ鳥島 968Km、東京 979Km、兄島/弟島 4/8Km、パラオ 2,342Km、グアム 1,538Km、聟島/嫁島 60/45Km、ハワイ 6,059Km -
15:55 小笠原ビジターセンターエントランスゾーン アオウミガメの剥製が出迎えてくれた。
小笠原諸島が海洋島として誕生してからの歴史、美しい海、珍しい動植物やクジラ・イルカの情報や、貴重な自然の保護・保全活動やエコツーリズムの取り組み等を紹介していた。小笠原ビジターセンター 美術館・博物館
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15:57 小笠原ビジターセンター展示室2:歴史文化系展示 捕鯨船のミニチュア
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15:58 小笠原ビジターセンター 外人の顔と外輪船のミニチュア
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16:00 小笠原ビジターセンターの屋外に展示してあった「クジラの骸骨像」
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16:01 小笠原ビジターセンター 展示室3:自然科学系展示「Rare Animals」動物標本
旅行2日目
小笠原の初日の観光は終わり、ホテルに戻った。 -
旅行3日目
小笠原2日目 07:29 ホテルで朝食を摂った。
食後、景観&戦跡観光ツアーに出発した。 -
08:46 中央山入口付近
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08:46 中央山山頂入口付近の 山羊用進入防止柵
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08:51 ムニンシラガゴケ 中央山
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08:54 メジロを見付けた。
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母島メグロではなく、メジロの様だ。
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09:01 兄島 東島 が望めた。
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09:04 中央山山頂 電探(レーダー)架台跡
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09:05 中央山山頂 標高319m
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09:09 中央山山頂からの眺め
碇泊中の「おがさわら丸」が見えた。 -
09:09 中央山中央山見晴台からの眺め拡大
瓢箪島付近 -
09:09 中央山見晴台からの眺め
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09:10 中央山見晴台の方位盤
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09:17 オガサワラトカゲ
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09:22 防空壕 中央山
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09:22 シマオオタニワタリ
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09:23 マルハチ
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09:25 ノネコ捕獲箱
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09:25 黒柘植
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09:25 ムニンフトモモ
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09:50 掩体壕跡
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09:56 一升瓶
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10:05 貯水槽跡
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10:05 貯水槽跡の蛇口
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10:06 釜炊き跡
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発電所跡の内部
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発電所跡内の窓
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10:09 高射砲の砲台跡
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10:12 高射砲台の火薬庫跡
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10:13 高射砲砲台跡の大日本麦酒空瓶 & 薬莢
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高射砲砲台の通り道跡
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10:24 夜明山戦跡 高射砲台跡から見えた見晴らし
境浦海岸 -
10:28 夜明山掩体壕内に残っていた 88式7糎野戦高射砲
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10:31 壕の内部通路の様子
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10:31 夜明山掩体壕内にあったパイプ管
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10:34 夜明山には掩体壕用のトロッコ列車が走っていた様で、線路や車輪等の資材が放置して有った。
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10:44 NTT無線鉄塔があった。
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10:44 NTT無線局舎
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10:49 四一式山砲跡
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10:51 四一式山砲跡の裏側から
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四一式山砲跡を見た後、近くにもっと大きな洞窟があった。
11:00 旧海軍通信隊地下本部跡内の通路
通信隊食料庫?でもあったらしい。 -
通路の壁には、電線が張ってあった様で「碍子」の跡が見られた。
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旧海軍通信隊地下本部跡内から外に出る通路があった。
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旧海軍通信隊地下本部跡内にあった貯水用?の大型ドラム缶
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大型ドラム缶の内側
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大型ドラム缶の傍からは、水が湧き出していた。
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旧海軍通信隊地下本部跡を出て、夜明山駐車場の前を通過した先に、爆発で穴が空いた建物が見えて来た。
11:11 夜明山・海軍通信隊跡 -
爆発で空いた穴を海軍通信隊跡の内側から見た
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建物の内部に入ると、発電機の設置台跡の名残があっただけだった。
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11:14 海軍通信隊送信所跡
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11:14 初寝浦展望台からの眺め
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11:16 初寝浦海岸
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戦跡を見終わって、車両の移動の際、駐車場の傍に建っているのを見る事が出来た。
11:29 首無し尊徳像 -
11:36 枕状溶岩 Pillow Lava
今から2000~6000万年前、小笠原諸島一帯では激しい海底火山爆発がおきていました。粘性が低い溶岩は海水で急速に冷やされ周囲に黒色ガラス質の核を形成しつつ枕のような形をして海底に堆積し、次々と積み重なりました。その後、隆起し海面上に姿を現すようになり、枕を積み重ねたように見えることから枕状溶岩と名付けられました。この露頭は枕状溶岩の断面をよく観察できるところです。 -
11:36 枕状溶岩峠
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11:37 長崎展望台 野戦トラック掩体石積み跡
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11:41 長崎展望台からの眺め
右側からはウォッチングを終えたクルーズ船が帰港するのが見えた。
左下に停泊しているのボートは、近くでシュノーケリングをしている様だ。 -
兄島瀬戸の眺め
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11:47 長崎展望台付近の植物の周りでは蝶が舞っていた。
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午前中の観光を終えて、僅かな時間の中でランチを摂った。 食事処 羽衣
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父島 デザインマンホール「クジラのブリーチング」
父島観光の半分を終了
旅行記「2019年末 寒い東京を抜けだし 小笠原で南国気分を味わえた -中半-」 に続く
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この旅行記へのコメント (1)
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- ateruiさん 2021/02/08 21:44:14
- ありがとうございます
- 髭のび太さん こんばんわ
小笠原の戦跡みました
かなり多い数の建物や穴が残っていること
それに自然にまだ入れそうなところが多いのに驚きました
aterui
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