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 午後4時半になると「赤とんぼ」の曲が市内に流れます。<br /> 音楽家の山田耕筰(明治19年~昭和40年)は、茅ヶ崎に大正15年、40歳の時から6年間居住し、茅ヶ崎市南湖の居での手記には、「晴朗な湘南茅ヶ崎の大気その晴朗な大気と愛児らの素純。それこそは私の胸底に徒らなる永き眠りを強いられていた「歌」に朗かな暁の光を点じたのであります。」と作曲意欲が高揚し、赤とんぼ、この道、砂山、すかんぽの咲く頃、あわて床屋等、童謡百曲を作曲したそうです。<br /> 赤とんぼ(赤蜻蛉) 作詞:三木露風 作曲:山田耕筰<br />  夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か<br /><br />  山の畑の、桑(くわ)の実を 小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか<br /><br />  十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き お里のたよりも、絶えはてた<br /><br />  夕焼小焼の、赤とんぼ とまっているよ、竿(さお)の先<br /><br /> そして、パワースポットのある第六天神社へ。

赤とんぼ作曲の地とパワースポットのある第六天神社へ

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2021/01/23 - 2021/01/23

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tenipon

teniponさん

 午後4時半になると「赤とんぼ」の曲が市内に流れます。
 音楽家の山田耕筰(明治19年~昭和40年)は、茅ヶ崎に大正15年、40歳の時から6年間居住し、茅ヶ崎市南湖の居での手記には、「晴朗な湘南茅ヶ崎の大気その晴朗な大気と愛児らの素純。それこそは私の胸底に徒らなる永き眠りを強いられていた「歌」に朗かな暁の光を点じたのであります。」と作曲意欲が高揚し、赤とんぼ、この道、砂山、すかんぽの咲く頃、あわて床屋等、童謡百曲を作曲したそうです。
 赤とんぼ(赤蜻蛉) 作詞:三木露風 作曲:山田耕筰
  夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か

  山の畑の、桑(くわ)の実を 小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか

  十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き お里のたよりも、絶えはてた

  夕焼小焼の、赤とんぼ とまっているよ、竿(さお)の先

 そして、パワースポットのある第六天神社へ。

旅行の満足度
5.0
交通手段
徒歩
  •  説明書きです。

     説明書きです。

  • あっちだって(笑)

    あっちだって(笑)

  •  この辺りかな...<br /> この先は行き止まりです。

     この辺りかな...
     この先は行き止まりです。

  •  国道一号線沿いから撮りました。

     国道一号線沿いから撮りました。

  •  日本橋まで十五里二町六間、約60キロメートルらしいです。

     日本橋まで十五里二町六間、約60キロメートルらしいです。

  •  江戸時代初期の創建といわれていますが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には当地である「十間坂」の地名が記されており、元弘3年(1332年)に新田義貞が鎌倉攻めを行った際にその兵火の祝融にあったとも伝わっていることから鎌倉時代の創建とも考えられています。<br /> 江戸時代までは、金剛院(現在、茅ヶ崎市南湖に所在)の守護神とされてきましたが、明治5年の神仏分離によって茅ヶ崎市十間坂の鎮守になりました。<br /> その際に祭神は、他の多くの第六天神社と同じく第六天魔王(他化自在天)から変更され、現在の淤母陀琉神・訶志古泥神になりました。<br /> 祭神が第六天魔王の頃は、身体壮健や不老長寿、また旧東海道を旅していた人々の道中安全の守護神として崇められていました。<br />

     江戸時代初期の創建といわれていますが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には当地である「十間坂」の地名が記されており、元弘3年(1332年)に新田義貞が鎌倉攻めを行った際にその兵火の祝融にあったとも伝わっていることから鎌倉時代の創建とも考えられています。
     江戸時代までは、金剛院(現在、茅ヶ崎市南湖に所在)の守護神とされてきましたが、明治5年の神仏分離によって茅ヶ崎市十間坂の鎮守になりました。
     その際に祭神は、他の多くの第六天神社と同じく第六天魔王(他化自在天)から変更され、現在の淤母陀琉神・訶志古泥神になりました。
     祭神が第六天魔王の頃は、身体壮健や不老長寿、また旧東海道を旅していた人々の道中安全の守護神として崇められていました。

  •  しめ縄と大きな鈴がお気に入りです。

     しめ縄と大きな鈴がお気に入りです。

  •  八坂神社もあります。

     八坂神社もあります。

  •  六地蔵や庚申塔、道祖神などが安置されています。<br /> 庚申(こうしん)塔の建立が広く行われるようになったのは江戸時代初期(寛永期以降)からで、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。<br /> 庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多く、庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習だそうです。コワイコワイ

     六地蔵や庚申塔、道祖神などが安置されています。
     庚申(こうしん)塔の建立が広く行われるようになったのは江戸時代初期(寛永期以降)からで、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。
     庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多く、庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習だそうです。コワイコワイ

  •  庚申塔、道祖神などです。

     庚申塔、道祖神などです。

  •  パワースポットのご紹介です。

     パワースポットのご紹介です。

  •  パワースポットの黒松(樹齢200年位)上部は落雷で折れましたが、黒松に落雷したため神社を火災から守ったと言われています。<br /> 昔は、黒松が海上の船の目印になっていたそうです。<br /> 今では、目印のことを「山立て」と言い、陸地にある山や鉄塔などを目印にして船を漁礁等のポイントに入れるための操船技術とされています。私も船を保有していた当時は、山立てを活用しました。

     パワースポットの黒松(樹齢200年位)上部は落雷で折れましたが、黒松に落雷したため神社を火災から守ったと言われています。
     昔は、黒松が海上の船の目印になっていたそうです。
     今では、目印のことを「山立て」と言い、陸地にある山や鉄塔などを目印にして船を漁礁等のポイントに入れるための操船技術とされています。私も船を保有していた当時は、山立てを活用しました。

  •  喫煙所あります。<br /> 最近、木のベンチが置かれました。

     喫煙所あります。
     最近、木のベンチが置かれました。

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