2017/04/07 - 2017/04/08
30位(同エリア37件中)
旅四郎さん
バラコアからバスでサンチャゴ・デ・クーバに戻った。前に旧市街の観光をしたので、今回は郊外にある絶景スポットのモロ要塞などの観光地をタクシーで巡ることにした。
4月7日(金)バラコアからバスで午後に出発。夕方サンチャゴ・デ・クーバに到着。ホテルにチェックインして、旧市街で夕食。
8日(土)朝食後、ホテルでチャーターしたタクシーでコブレの聖母寺、革命広場、モロ要塞を巡って見学。昼にホテルに戻ってタクシーを下車。旧市街で昼食して、市内バスでサン・ファンの丘公園に行き散策。旧市街で夕食。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4月7日(金)バラコアのバスターミナルに行くと、外の壁に写真の標語のようなものが貼られていた。「道徳の巨人 それは毎日もっと成長する」と書かれていた。バスは午後2時に出発。セントラル・デ・キューバ自動車道を走る。
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シエラ・デル・プリアル山脈の山道を走りアルト・デ・コティラに近づくと崖にはアガベが生え、巨大なマンゴーやヤシの木が群生している。
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山道を下りてイミアスの町に近づくと、テーブルマウンテンのユンケ山が目の前に見えてくる。
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バスは海岸沿いに走っていると、写真のグアンタナモの町に到着。ハイチからやって来たフランス人の農園主たちが1819年に建設した町で、フランス様式の建物な残っている。町の南にあるグアンタナモ湾には今も米軍基地があり、テロ容疑者を収容するグアンタナモ収容所が置かれている。キューバ政府は基地の返還を求めている。
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午後7時15分にサンチャゴ・デ・クーバのバスターミナルに到着。ホスタル・カサ・コンフォートにチェックイン。旧市街のラス・エンラマドスで豚肉のグリルとビールの夕食。料金はCUC7だった。
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生演奏が楽しめるテラス席で食事。
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4月8日(土)ホスタル・カサ・コンフォートの2階のテラスで朝食。サンチャゴ・デ・クーバの郊外は公共交通の便が悪いので、効率的に回るためにホテルでタクシーをチャーターして遠出することにした。
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ホテルを午前9時頃にタクシーで出発。旧市街から西に約18㎞にあるコブレの聖母寺に午前9時40分に到着。参道にはたくさんの土産物を売る露店が並んでいる。赤レンガのドームで覆われた中央の鐘楼と、2つの側面の塔が見える。メインファサードは、エレガントなゴシック様式のバラ窓がある。歩いてくると254段の階段を上らなければならない。
コブレの聖母寺 寺院・教会
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内部には3つの身廊があり、祭壇は大理石と純度の高い銀でできており、非常に価値のある装飾物で飾られている。1998年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問した。
コブレの聖母寺 寺院・教会
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祭壇の上部にキューバの守護神であるカリダーと呼ばれる36㎝の褐色の聖母像が安置されている。像は子どものイエスを腕に抱き、十字架を背負った聖母マリアを表している。
コブレの聖母寺 寺院・教会
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聖母のドレッシングルームの前には奇跡の礼拝堂があり、毎日何百人もの人々が訪れ、金の宝飾品や宝石、チェーン、衣装、松葉杖など信者のさまざまな奉納物が小さな囲いに預けられている。アーネスト・ヘミングウェイのノーベル文学賞のメダルも奉納された。
コブレの聖母寺 寺院・教会
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コブレはスペイン語で銅のこと、コブレの聖母寺の裏の駐車場から銅採掘場の跡が見える。コブレ鉱山はラテンアメリカで最も古い銅山。露天掘り鉱山は1544年から1998年まで操業していた。スペイン人は奴隷労働と鉱山労働者を使って鉱山を運営していた。ここを午前10時過ぎに出発。
コブレの聖母寺 寺院・教会
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コブレの聖母寺を出発して30分ほどで、旧市街の北にある革命広場に到着。アントニオ・マセオ広場とも呼ばれ、キューバ独立軍の副司令官として第2次独立戦争を戦った革命家アントニオ・マセオの名前を冠している。広場にはキューバを代表する彫刻家アルベルト・レスケイの製作したマセオが馬に乗った像が1991年に設置された。鋸状のマチェーテと呼ばれる巨大な鉈が像の周りを囲んでいる。
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革命広場は二階建てになっていて、像の下にはプラザ・デ・ラ革命博物館がある。内部にはマセオの私物の写真、図面、通信の断片などを展示している。タクシーが駐車する場所がないので、見学が終わるまで近くで待ってもらった。
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広場の近くの建物の壁にキューバ革命の重要人物のファン・アルメイダ・ボスエの肖像が描かれている。国家評議会副議長に職に着き、2009年に亡くなった。革命広場を午前10時30分に出発。
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モロ要塞の駐車場に午前11時に到着。駐車場に戻る大体の時間をドライバーに告げて散策開始。要塞に行く途中には土産物、手工芸品、衣料品、安い葉巻、飲み物などを売る屋台やレストランが小さな通りいっぱいに並んでいた。
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要塞に行く途中にはモロ灯台もある。灯台はサンティアゴ・デ・クーバ湾の入り口の東部にあり、1842年にモロ要塞内に建設された。灯台は小さいが、強烈な光で航行している船を難破から守る役割を果たし、キューバでは2番目に建てられた。
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石畳の小道を辿って行くと、モロ要塞として知られているサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城が見えてくる。モロ要塞のことを地元の人々は単に「エル・モロ」と呼んでいるらしい。駐車場から歩いて5分ほどで要塞に到着。
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モロ要塞の入口の前には跳ね橋が架かっている。木製の橋の下には外敵の侵入を防ぐために深い空堀が巡らされ要塞の防御能力を高めている。17世紀にスペインとイギリスの間の紛争が拡大するにつれ、街を守るための軍事施設として1638年にイタリアのバウティスタ・アントネッリが設計し、1643年に完成した。
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要塞の中に入ると1978年にカスティージョ・デル・モロ・サンペドロ・デ・ラ・ロカ博物館として開館したエリアがある。展示品にはマスケット銃、古い散弾銃のブランダーバス、農耕用の鉈を改良した刀剣のカットラス、銃床などがある。要塞の年代、カリブ海の海賊の歴史、米西戦争におけるスペインとアメリカの海戦についても紹介されている。
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写真はキャノンルームで、重い大砲の砲弾をどのように発射位置まで運んだかを示すために巧妙なローラー付の木製傾斜路に弾丸を入れた箱を付けた実物大模型を作成して説明している。以前は海賊博物館という名前だったので、キューバの海賊についての遺物の宝庫だった。
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イタリア起源でルネッサンス様式の古典的な要塞で、海抜74mの断崖の岩だらけの岬に建てられた。海に向かってそそり立つ壮大な城壁が海賊の攻撃の激しさを物語っている。今日では17世紀の軍事建築の中で最も完全で最も保存状態の良い要塞となっている。城壁から素晴らしい景色が堪能できる。
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テラスに出ると中央には井戸がある。要塞が海賊に長期間包囲された場合にいつでも真水を飲みことができるために深い井戸が必要だった。
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テラスには至る所に大砲が設置されている。1500年代にヨーロッパの大国は、西インド諸島に対するスペインの植民地支配に異議を唱えていた。領土獲得を巡る争いが激しく、無法な海賊行為と密輸が横行していた。
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要塞の中はスロープや階段で繋がれ、重なり合うテラスを構成している。建物の下部には武器庫、上部には礼拝堂、兵舎、牢獄などがある。1775年頃には要塞が攻撃される恐れが減少したので、政治犯を収容するための刑務所に転用された。
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天気が良かったので、要塞の最上部のテラスからはシエラ・マエストラ山脈を背景にターコイズブルーのサンチャゴ湾の素晴らしい眺めを楽しむことができた。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。モロ要塞を正午頃に出発。旧市街にあるホテルに戻ってタクシーを下車。CUC40の料金を支払った。
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ホテルで少し休憩して、午後2時頃にドローレス広場の近くにあるレストラン・マタモロスで昼食。サンチャゴ出身のボレロ歌手ミゲル・マタモロスの名前を冠したレストラン。
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ミックス野菜ライスを注文。料金はCUC5.50だった。マリネラライスサラダ
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突然の雨、ドローレス広場から約3㎞の位置にあるサン・ファンの丘公園に行く。101番のバスに乗って午後4時に到着。ここは1898年7月1日に米西戦争で 唯一の大規模な地上戦が行われ、7月17日にスペインが降伏した歴史的な場所。写真は「平和の木」と呼ばれ、セイバの木の周りにスペインが署名した無条件降伏文書が記された大きなモニュメントがある。
サン フアンの丘公園 史跡・遺跡
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写真はサン・ファンの丘の頂上にある独立の英雄を讃える記念塔で、歩哨台とその周囲に大砲が配置されている。スペインのヴィソ要塞があった場所だが、かつては先住民タイノ族のエル・カニーという村だった。歩哨台の中の螺旋階段を上ると公園が見渡せる。
サン フアンの丘公園 史跡・遺跡
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写真は米西戦争で亡くなったアメリカの第71ニューヨーク義勇歩兵に捧げられた銅像。この戦争にはラフ・ライダーズとして知られる米軍の義勇騎兵隊が参戦した。その指揮をとったのが後の第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトだった。銅像の台座には戦争で死亡した人々の名前が記されている。
サン フアンの丘公園 史跡・遺跡
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米西戦争で倒れたスペイン兵士に敬意を表した記念碑。戦争はアメリカの勝利で終わり、アメリカはプエルト・リコ、グアム、フィリピンなどスペインの植民地を手に入れた。
サン フアンの丘公園 史跡・遺跡
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写真はスペインから独立するために戦ったキューバのマンビセス軍の兵士を記念した銅像。アメリカの勝利によって、キューバは保護国として事実上アメリカの支配下に置かれた。雨も止んで無事散策は終了。午後4時43分着の101番バスに乗って旧市街の戻る。
サン フアンの丘公園 史跡・遺跡
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バスに乗って30分ほどで旧市街に着いた。ホテルで少し休憩して、午後8時頃に旧市街に行った。辺りはすっかり暗くなっていて、セスペデス広場にあるカテドラルは美しくライトアップされていた。
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セスペデス広場から北に少し歩くとアルトマン通りに出る。そのにあるイタリア料理の店ルンバ・カフェで夕食。
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注文すると、まずキューバ産ビールのクリスタルと前菜が出てきた。
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次にパスタ・カルボナーラが運ばれてきた。
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