2020/10/26 - 2020/10/26
131位(同エリア444件中)
naoさん
大阪市の南東部に位置する平野区は、遺跡や由緒ある建造物などの歴史的資源に恵まれた町で、中でも、大正時代まで「平野郷」(正確には「平野本郷」)と呼ばれていた約1Km四方の旧市街(現在の平野本町・平野上町・平野東一帯)には、今もなお江戸時代から明治・大正期にかけての町家が点在する、風情豊かな町並みが残っています。
平安時代の征夷大将軍・坂上田村麿の次男として生まれた坂上廣野麿が、大阪の中でも最も早く町を開いたのが始まりとされる平野郷は、戦国時代には、自衛のために町を二重の環濠と土居で囲んだ環濠集落を形成し、坂上廣野麿の流れをくむ平野氏一族が町を運営する自治都市として、堺とともに日本の近世史にその足跡を残しています。
その後、大阪の陣に巻き込まれた際に町は完全に焼失してしまいますが、この戦において平野氏一族が徳川方に味方した功により、江戸幕府の直轄地となり、現在見られる碁盤目状の町並が復興されました。
江戸時代に、大和川の付け替えにより河内木綿の集散地として隆盛すると、京都や堺の町衆と同じく、連歌、茶道、能楽などが町民の間に普及するところとなり、杭全神社の連歌所や民間の学問所である「合翠堂」などが創立され、文化活動の盛んな町として繁栄しました。
そんな平野郷に点在する住宅や店舗などをミニ博物館として開放する、「平野 町ぐるみ博物館」運動が平成5年(1993年)から「平野の町づくりを考える会」によって行われていて、来訪者とのコミュニケーションを通じて町の暮らしや伝統・文化のあり方を再認識し、現在の町並み保全のみならず、今後のまちづくりにも活かそうと努めておられます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平野上町のスタートは大福稲荷大明神からです。
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丸太の外格子をめぐらせた町家には、小さな出窓が開けられています。
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こちらの町家も丸太の外格子をめぐらせておられます。
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隅切りした建物に複雑な屋根が架かっている本屋さん。
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紫色の外壁と緑色のテントがこの本屋さんの目印になっているんでしょうね。
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濃い色のタイルを貼った町家です。
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平野郷の町並みです。
ちなみに、左手に写っている鍼灸整骨院さんから奥(南)側は平野本町で、本屋さんから手前(北)側が平野上町になります。 -
2階の窓に吊られた簾は、建物が東を向いているので朝日除けですかね。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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主屋に続いて土蔵も建てられています。
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こちらの白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家には、名栗加工の外格子もめぐらされています。
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こちらも白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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長大な土塀をめぐらせたこちらは、平野郷を開いた坂上廣野麿の流れをくむ平野氏一族の末吉家のお屋敷です。
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末吉家は、平野郷を運営していた平野氏一族中でも、特に重要な地位を占めていた平野七名家の筆頭を誇る家柄で、平野郷の発展に寄与しました。
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大阪の陣の際、平野氏一族が徳川方に味方した功により、平野郷は江戸幕府の直轄地となり、末広家は代官に任命されています。
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外壁にタイルを貼った町家です。
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こちらの、白漆喰塗籠めの虫籠窓に丸太の外格子をめぐらせた町家は・・・
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袖壁に鏝絵が描かれています。
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玄関先では、秋の風情がただよっています。
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こちらの町家も、丸太の外格子をめぐらせておられます。
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こちらの虫籠窓のある町家は、台風の被害に遭われたのか、軒先をネットで保護されています。
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本葺瓦の下屋を架けた町家です。
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平野郷の町並みです。
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名栗加工の外格子のある町家です。
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こちらの塀の基礎には、加工した石材が使われています。
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こちらの町家の玄関には、くぐり戸の付いた大戸がしつらえられています。
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平野郷の町並みです。
なお、東西に延びるこの通りは、平野上町と平野本町の境にある通りで、左側(北)が平野上町、右側(南)が平野本町になります。 -
こちらの町家は、新しい感覚の格子を付けるなど・・・
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建物の前面すべてに渡って改修されています。
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虫籠窓の面影を残す町家です。
なお、右側の白い建物は「平野 町ぐるみ博物館」のひとつ、『かたな博物館』になります。 -
先ほどの、平野上町と平野本町の境にある通りを東側に進んだ町並みです。
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こちらの医院は、厨子2階部分に虫籠窓が残されています。
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こちらは、寛永元年(1624年)創業の老舗和菓子屋さんです。
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正式には「福本商店」と言うんですが、地元の皆さんの間では「亀の饅頭」の名で親しまれているそうです。
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こちらも隅切りした建物に複雑な屋根が架かっている町家です。
建築屋の私としては、屋根の納まりが知りたくてうずうずしています。 -
杭全神社の大鳥居の南側にある、奈良街道の道標です。
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右面には「天王寺、大さか」、左面には「ふちい寺(藤井寺)、大峯山上、かうや山(高野山)」の文字が見えます。
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正面には「熊野権現、祇園宮」、左面には「大坂」と書かれています。
杭全神社のある府道5号線の北側にも遺物があるようなので、行ってみます。 -
大阪市平野区のカラー版の排水桝の蓋。
絵柄はもちろん大阪城です。 -
平野小学校の正門前に設置されている古河藩陣屋跡の石標。
古河藩(こがはん)は、下総国葛飾郡(現在の茨城県古河市)にあった藩ですが、摂津国平野郷にも飛び地として領地を持っていたため、ここに陣屋が設けられていたようです。 -
民間の学問所として創立された「合翠堂」の跡地に立つ石標。
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