心斎橋・淀屋橋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
北面に堂島川、南面に土佐堀川が流れる大阪中之島は、パリのシテ島になぞらえて「東洋のシテ島」とも称されています。その東端の中之島公園に面して建つのが鉄骨煉瓦造の大阪市中央公会堂、その西隣に大阪府立中之島図書館が軒を連ね、大阪市庁舎を挟んで御堂筋の向かいには日本銀行大阪支店旧館が並び、この周辺は大正ロマン・ベルトとも呼ばれています。また、国の重要文化財の淀屋橋や大江橋をはじめ、川に架かる橋の数々もそれぞれ個性豊かな意匠で水の都 大阪の美しい景観を演出しています。<br />中でも公会堂は赤煉瓦の壁と青銅葺きドームとのコントラストが美しく、絵になる景観を呈しています。基調となるネオ・ルネッサンス様式にネオ・バロック(フリー・クラシック)様式の要素を加え、細部にはセセッション(ウィーン分離派)様式も取り入れた「様式の大饗宴」といった趣向ながら、威風堂々としており、同時に華やいだ姿でもあります。水の蒼と木々の緑に映える外観も美しく、中之島のシンボルに相応しい風合いです。

情緒纏綿 大阪市中之島③大阪市中央公会堂

40いいね!

2020/11/27 - 2020/11/27

190位(同エリア1491件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

北面に堂島川、南面に土佐堀川が流れる大阪中之島は、パリのシテ島になぞらえて「東洋のシテ島」とも称されています。その東端の中之島公園に面して建つのが鉄骨煉瓦造の大阪市中央公会堂、その西隣に大阪府立中之島図書館が軒を連ね、大阪市庁舎を挟んで御堂筋の向かいには日本銀行大阪支店旧館が並び、この周辺は大正ロマン・ベルトとも呼ばれています。また、国の重要文化財の淀屋橋や大江橋をはじめ、川に架かる橋の数々もそれぞれ個性豊かな意匠で水の都 大阪の美しい景観を演出しています。
中でも公会堂は赤煉瓦の壁と青銅葺きドームとのコントラストが美しく、絵になる景観を呈しています。基調となるネオ・ルネッサンス様式にネオ・バロック(フリー・クラシック)様式の要素を加え、細部にはセセッション(ウィーン分離派)様式も取り入れた「様式の大饗宴」といった趣向ながら、威風堂々としており、同時に華やいだ姿でもあります。水の蒼と木々の緑に映える外観も美しく、中之島のシンボルに相応しい風合いです。

旅行の満足度
5.0

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  • 国立国際美術館から肥後橋方面を目指します。<br />ふと見上げると、左から中之島ダイビル(地上35階・地下2階)、中之島三井ビルディング(地上31階地下2階)、中之島フェスティバルタワー・ウェスト(地上41階、地下4階)、中之島フェスティバルタワー((地上39階、地下3階)と続く地上高200mクラスの超高層ビル群の雄姿が迫ってきます。

    国立国際美術館から肥後橋方面を目指します。
    ふと見上げると、左から中之島ダイビル(地上35階・地下2階)、中之島三井ビルディング(地上31階地下2階)、中之島フェスティバルタワー・ウェスト(地上41階、地下4階)、中之島フェスティバルタワー((地上39階、地下3階)と続く地上高200mクラスの超高層ビル群の雄姿が迫ってきます。

  • 中之島フェスティバルタワー<br />水都 大阪のフラッグシップ「フェスティバルシティ」にある中之島フェスティバルタワーに到着です。<br />ここが収容人数2700名を誇るフェスティバルホールへの玄関口になります。プロムナードとなる大階段も赤い絨毯を基調にしたシックな趣です。<br />クリスマスツリーも飾られています。

    中之島フェスティバルタワー
    水都 大阪のフラッグシップ「フェスティバルシティ」にある中之島フェスティバルタワーに到着です。
    ここが収容人数2700名を誇るフェスティバルホールへの玄関口になります。プロムナードとなる大階段も赤い絨毯を基調にしたシックな趣です。
    クリスマスツリーも飾られています。

  • フェスティバール&ビアホール<br />トンネルの向こうには…。<br />本日のお目当ては「フェスティバルホール」ではなく、2Fにある「フェスティバール&ビアホール」です。

    フェスティバール&ビアホール
    トンネルの向こうには…。
    本日のお目当ては「フェスティバルホール」ではなく、2Fにある「フェスティバール&ビアホール」です。

  • フェスティバール&ビアホール<br />こちらでビュッフェランチ(11:00~15:00(LO:14:00))をいただきます。<br />ハンバーグなどのメイン1品を選び、後はビュッフェスタイルになります。<br />・パンビュッフェ:各種ブレッドやタイムサービスの自家製フレンチトースト<br />・十六雑穀米<br />・じゃがいもと白味噌の“和”ポタージュ<br />・ドリンクバー (アルコール類は有料)<br />ぐるなびサイトのアドレスです。<br />https://r.gnavi.co.jp/k113432/menu1/

    フェスティバール&ビアホール
    こちらでビュッフェランチ(11:00~15:00(LO:14:00))をいただきます。
    ハンバーグなどのメイン1品を選び、後はビュッフェスタイルになります。
    ・パンビュッフェ:各種ブレッドやタイムサービスの自家製フレンチトースト
    ・十六雑穀米
    ・じゃがいもと白味噌の“和”ポタージュ
    ・ドリンクバー (アルコール類は有料)
    ぐるなびサイトのアドレスです。
    https://r.gnavi.co.jp/k113432/menu1/

  • フェスティバール&ビアホール<br />ワインボトルでしょうか、小粋でお洒落なシャンデリアです。<br />店内は天井高5m、テラスはリバーサイド~♪<br />そんなラグジュアリーな大人の寛ぎの空間で、音楽の聖地「フェスティバルホール」の余韻に浸りながら気軽に食事が愉しめます。

    フェスティバール&ビアホール
    ワインボトルでしょうか、小粋でお洒落なシャンデリアです。
    店内は天井高5m、テラスはリバーサイド~♪
    そんなラグジュアリーな大人の寛ぎの空間で、音楽の聖地「フェスティバルホール」の余韻に浸りながら気軽に食事が愉しめます。

  • フェスティバール&ビアホール<br />堂島川のリバーサイドにある開放感に溢れたビストロ&ビアホールですので、こんな景色をスパイスに舌鼓が打てます。<br />また、厳選した地ビールを豊富に揃えており、生樽でも味わうことができるのもビヤホールの醍醐味です。<br />ランチメニューの料理はシンプルかつリーズナブルです。

    フェスティバール&ビアホール
    堂島川のリバーサイドにある開放感に溢れたビストロ&ビアホールですので、こんな景色をスパイスに舌鼓が打てます。
    また、厳選した地ビールを豊富に揃えており、生樽でも味わうことができるのもビヤホールの醍醐味です。
    ランチメニューの料理はシンプルかつリーズナブルです。

  • フェスティバール&ビアホール<br />メインは、パスタ、肉料理、グラタン、カレーから一品をチョイスします。<br />「今週のメイン」は若鳥の竜田揚げです。<br />外はカリッカリ、中は柔らかくジューシーでした。ボリュームもあります。

    フェスティバール&ビアホール
    メインは、パスタ、肉料理、グラタン、カレーから一品をチョイスします。
    「今週のメイン」は若鳥の竜田揚げです。
    外はカリッカリ、中は柔らかくジューシーでした。ボリュームもあります。

  • フェスティバール&ビアホール<br />「今週のパスタ」は赤イカと明太子のパスタです。<br />程よいアルデンテ。<br />少しだけゴージャスな気分のランチになりました。<br />立地を考えるとコスパは抜群です!<br />

    フェスティバール&ビアホール
    「今週のパスタ」は赤イカと明太子のパスタです。
    程よいアルデンテ。
    少しだけゴージャスな気分のランチになりました。
    立地を考えるとコスパは抜群です!

  • フェスティバール&ビアホール<br />時間帯によってトンネルの照明の色が変わります。

    フェスティバール&ビアホール
    時間帯によってトンネルの照明の色が変わります。

  • 大阪市中央公会堂<br />大阪市中央公会堂は、たった一人の大阪市民からの寄附金で建てられたというのは有名な逸話です。往時の金額で100万円、現在なら50億円相当です。寄附したのは「義侠の相場師」と呼ばれた株式仲買人 岩本栄之助氏でした。<br />その寄附金を基に5年の歳月を経て1918(大正7)年に竣工した、地下1階、地上3階建ての建物です。工期が長引いたのは第一次世界大戦の影響で欧州からの鋼材輸入が滞るというトラブルが災いしたようです。以来1世紀以上に亘り、ヘレン・ケラー女史や人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン、アインシュタインの講演会、テレシコワ女史の歓迎集会、三浦環主演のオペラ『お蝶夫人』の公演、国際的な一流アーティストによるコンサートなど、大阪の文化・芸術の発展に貢献してきました。1997年には旧ソ連最後の大統領ミハイル・ゴルバチョフが登壇しました。<br />時代の流れと共にその役割も様変わりしましたが、現在も壮麗な雰囲気を生かした様々な利用がなされており、市民の活動拠点であることは不変です。

    大阪市中央公会堂
    大阪市中央公会堂は、たった一人の大阪市民からの寄附金で建てられたというのは有名な逸話です。往時の金額で100万円、現在なら50億円相当です。寄附したのは「義侠の相場師」と呼ばれた株式仲買人 岩本栄之助氏でした。
    その寄附金を基に5年の歳月を経て1918(大正7)年に竣工した、地下1階、地上3階建ての建物です。工期が長引いたのは第一次世界大戦の影響で欧州からの鋼材輸入が滞るというトラブルが災いしたようです。以来1世紀以上に亘り、ヘレン・ケラー女史や人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン、アインシュタインの講演会、テレシコワ女史の歓迎集会、三浦環主演のオペラ『お蝶夫人』の公演、国際的な一流アーティストによるコンサートなど、大阪の文化・芸術の発展に貢献してきました。1997年には旧ソ連最後の大統領ミハイル・ゴルバチョフが登壇しました。
    時代の流れと共にその役割も様変わりしましたが、現在も壮麗な雰囲気を生かした様々な利用がなされており、市民の活動拠点であることは不変です。

  • 大阪市中央公会堂<br />度重なる改修等により創建時の意匠が損なわれたり、また老朽化も進んだことから、保存・再生工事が行われ、3年半の歳月を経て2002年9月に完成しました。工事は歴史的建築物としての保存と創建時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性を与えて甦らせる「免震レトロフィット」や時代のニーズに応えてバリアフリーとすべくスロープやエレベータの新設など大掛かりなものでした。<br />こうして竣工当時の姿に甦った公会堂は、中之島の景観に欠かせない美しい外観と内部意匠が歴史的建築物として重要であるとの評価を受け、2002年12月に公会堂建築物として西日本で初めて国の重要文化財に指定されました。

    大阪市中央公会堂
    度重なる改修等により創建時の意匠が損なわれたり、また老朽化も進んだことから、保存・再生工事が行われ、3年半の歳月を経て2002年9月に完成しました。工事は歴史的建築物としての保存と創建時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性を与えて甦らせる「免震レトロフィット」や時代のニーズに応えてバリアフリーとすべくスロープやエレベータの新設など大掛かりなものでした。
    こうして竣工当時の姿に甦った公会堂は、中之島の景観に欠かせない美しい外観と内部意匠が歴史的建築物として重要であるとの評価を受け、2002年12月に公会堂建築物として西日本で初めて国の重要文化財に指定されました。

  • 大阪市中央公会堂<br />公会堂のデザインは、近代社会に相応しく、往時の一流建築家たち13名によるコンペの中から選定されました。「日本建築史の草分け」である伊東忠太氏や「関西建築界の父」と称された武田五一氏、「関西建築界の重鎮」の片岡安氏など錚々たるメンバーが居並ぶなか、1席に選ばれたのは東京帝国大学を卒業して間もない最年少(29歳)の早大教授 岡田信一郎氏でした。彼は辰野金吾の教え子でもあり、後年、重要文化財の明治生命館(1934年)など、数々の傑作を手掛けていきます。<br />その岡田氏の設計原案に基づき、実施設計を陣頭指揮したのは辰野金吾氏とその大阪におけるパートナー 片岡安氏でした。結果的に公会堂完成の翌年に亡くなった辰野氏にとり、東京駅と並ぶ赤煉瓦の代表作に位置付けられる存在となりました。東京駅開業が1914年であり、公会堂の設計は東京駅の工事と並行して進められていたようです。それ故か、公会堂と東京駅の外観は赤煉瓦に覆輪目地という共通点を持ちます。「覆輪目地」とは、中央を丸く盛り上げる、手間の掛かる目地仕上げを指します。また、赤煉瓦の壁に白い御影石を帯状に回してコントラストを強めるのも辰野式の真骨頂です。実は、白い部分は御影石とそれに似せた「擬石(モルタル洗出し)」を使い分けています。公会堂では、東側正面は5本のボーダーより下方と玄関回りのみが花崗岩、上方には擬石が使われています。

    大阪市中央公会堂
    公会堂のデザインは、近代社会に相応しく、往時の一流建築家たち13名によるコンペの中から選定されました。「日本建築史の草分け」である伊東忠太氏や「関西建築界の父」と称された武田五一氏、「関西建築界の重鎮」の片岡安氏など錚々たるメンバーが居並ぶなか、1席に選ばれたのは東京帝国大学を卒業して間もない最年少(29歳)の早大教授 岡田信一郎氏でした。彼は辰野金吾の教え子でもあり、後年、重要文化財の明治生命館(1934年)など、数々の傑作を手掛けていきます。
    その岡田氏の設計原案に基づき、実施設計を陣頭指揮したのは辰野金吾氏とその大阪におけるパートナー 片岡安氏でした。結果的に公会堂完成の翌年に亡くなった辰野氏にとり、東京駅と並ぶ赤煉瓦の代表作に位置付けられる存在となりました。東京駅開業が1914年であり、公会堂の設計は東京駅の工事と並行して進められていたようです。それ故か、公会堂と東京駅の外観は赤煉瓦に覆輪目地という共通点を持ちます。「覆輪目地」とは、中央を丸く盛り上げる、手間の掛かる目地仕上げを指します。また、赤煉瓦の壁に白い御影石を帯状に回してコントラストを強めるのも辰野式の真骨頂です。実は、白い部分は御影石とそれに似せた「擬石(モルタル洗出し)」を使い分けています。公会堂では、東側正面は5本のボーダーより下方と玄関回りのみが花崗岩、上方には擬石が使われています。

  • 大阪市中央公会堂<br />建築様式については、竣工時の建築記録には「復興式中準パラデヤン式」とあり、ネオ・ルネッサンス様式と概ね読み解かれています。<br />古典系の建築では、通例オーダーと称される円柱やピラスター(付柱)の構成や頂部を飾るコーニス(軒蛇腹)やアーキトレーブ(主梁)が壁面を分節することで外観の枠組が構成されます。そして古典的なモチーフでデザインされた開口部が壁面に配置され、壁面と窓で織りなされる一種の諧調が与えられます。しかし当初の岡田氏のデザイン案は、その枠組みを越える表現が随所に見られました。 <br />岡田氏のデザイン案に対し、辰野氏はディテールを次のように修正しました。<br />「意匠がゴツイ、枯れていない、若い」と評し、自負を持っていた辰野式(フリー・クラシック様式)へと修正しました。そして窓上部のペディメント(屋根形装飾)を付したアーキトレーブや柱頭飾などの古典的オーナメントを平面的幾何図形化したセセッション(ウィーン分離派)的な意匠へと転換させました。具体的には、赤煉瓦の壁には白い御影石で水平の帯を回し、クラシカルな装飾が施された列柱に窓、階段用塔屋の上部には半円の小ドームを配し、屋根を華やかなドームやドーマ窓で飾っています。<br />そんな訳で、一般にはネオ・ルネッサンス様式と説明されますが、その様式の範疇に留まらず辰野氏が好んだデザインスタイル「辰野式」の特徴が潤沢に表現されています。

    大阪市中央公会堂
    建築様式については、竣工時の建築記録には「復興式中準パラデヤン式」とあり、ネオ・ルネッサンス様式と概ね読み解かれています。
    古典系の建築では、通例オーダーと称される円柱やピラスター(付柱)の構成や頂部を飾るコーニス(軒蛇腹)やアーキトレーブ(主梁)が壁面を分節することで外観の枠組が構成されます。そして古典的なモチーフでデザインされた開口部が壁面に配置され、壁面と窓で織りなされる一種の諧調が与えられます。しかし当初の岡田氏のデザイン案は、その枠組みを越える表現が随所に見られました。
    岡田氏のデザイン案に対し、辰野氏はディテールを次のように修正しました。
    「意匠がゴツイ、枯れていない、若い」と評し、自負を持っていた辰野式(フリー・クラシック様式)へと修正しました。そして窓上部のペディメント(屋根形装飾)を付したアーキトレーブや柱頭飾などの古典的オーナメントを平面的幾何図形化したセセッション(ウィーン分離派)的な意匠へと転換させました。具体的には、赤煉瓦の壁には白い御影石で水平の帯を回し、クラシカルな装飾が施された列柱に窓、階段用塔屋の上部には半円の小ドームを配し、屋根を華やかなドームやドーマ窓で飾っています。
    そんな訳で、一般にはネオ・ルネッサンス様式と説明されますが、その様式の範疇に留まらず辰野氏が好んだデザインスタイル「辰野式」の特徴が潤沢に表現されています。

  • 大阪市中央公会堂<br />正面ファサードは、装飾的なドームを掲げた階段用塔屋を左右に配し、4本のコンポジット式巨大オーダーが壮大な半円アーチを支承するなど、ネオ・バロック様式的な壮麗さと躍動感とを併せ持ちます。屋根にはドーム、大アーチにはステンドグラス、クラシックな装飾が施された列柱に窓、等々。その華麗な姿はネオ・ルネッサンス様式と総称されます。尚、赤煉瓦の外壁は、煉瓦を積んだものではなく、厚さ14mmの化粧煉瓦を貼っています。<br />3階の貴賓室に面した壮麗なステンドグラスのアーチ窓は、2本の円柱で縦に3分割されるパラディアンモチーフと呼ばれる様式です。また、繊細な装飾の中に垣間見られるセセッション風の丸窓は、船舶の丸窓を彷彿とさせ、水都として繁栄した大阪に相応しい意匠に感じられます。<br />一方、豪奢な外観とは対比的に、両側を川が流れる川中の島のために地盤が軟弱であり、それを補強するために約4000本もの松の杭が地中に打たれたというのは吃驚です。これも東京駅にそっくりです。

    大阪市中央公会堂
    正面ファサードは、装飾的なドームを掲げた階段用塔屋を左右に配し、4本のコンポジット式巨大オーダーが壮大な半円アーチを支承するなど、ネオ・バロック様式的な壮麗さと躍動感とを併せ持ちます。屋根にはドーム、大アーチにはステンドグラス、クラシックな装飾が施された列柱に窓、等々。その華麗な姿はネオ・ルネッサンス様式と総称されます。尚、赤煉瓦の外壁は、煉瓦を積んだものではなく、厚さ14mmの化粧煉瓦を貼っています。
    3階の貴賓室に面した壮麗なステンドグラスのアーチ窓は、2本の円柱で縦に3分割されるパラディアンモチーフと呼ばれる様式です。また、繊細な装飾の中に垣間見られるセセッション風の丸窓は、船舶の丸窓を彷彿とさせ、水都として繁栄した大阪に相応しい意匠に感じられます。
    一方、豪奢な外観とは対比的に、両側を川が流れる川中の島のために地盤が軟弱であり、それを補強するために約4000本もの松の杭が地中に打たれたというのは吃驚です。これも東京駅にそっくりです。

  • 大阪市中央公会堂 (ガイドツアーでないと見られません)<br />ステンドグラスの制作者は、木内真太郎氏です。中央上部には鳳凰が描かれ、丸いガラスは3種類のサイズの凸レンズで、合計224個埋め込まれています。差し込む陽光を拡散して部屋を明るくすると同時に、絵画を保護する役目もあるそうです。<br />5162片ものガラス片から構成されており、鳳凰の足元など4ヶ所にはリボンのようにデフォルメされた大阪市の市章「澪標(みおつくし)」が見られます。浅瀬の多い大阪湾では、船の安全な航路を示すために浅瀬に木の杭が立てられていました。この木の杭を「澪標」と言い、水都と称された大阪のシンボルマークでもあります。<br />また、鳳凰の翼の一部に見られたピンク色のグラデーションのかかったガラスは、「硝酸銀蒸着イリデセント加工」が施された特殊ガラスで、光の加減で玉虫色に変化するのが特徴です。外側から見るとよく判ります。<br />因みに、ステンドグラスの修復は、ベニス工房という老舗ステンドグラス工房が担ったそうです。再利用できずに取り替えたピースは僅か73片だったそうです。<br />この画像は次のサイトから引用させていただきました。<br />https://kyukon-stained-glass.net/gallery/osaka-city-central-public-hall/

    大阪市中央公会堂 (ガイドツアーでないと見られません)
    ステンドグラスの制作者は、木内真太郎氏です。中央上部には鳳凰が描かれ、丸いガラスは3種類のサイズの凸レンズで、合計224個埋め込まれています。差し込む陽光を拡散して部屋を明るくすると同時に、絵画を保護する役目もあるそうです。
    5162片ものガラス片から構成されており、鳳凰の足元など4ヶ所にはリボンのようにデフォルメされた大阪市の市章「澪標(みおつくし)」が見られます。浅瀬の多い大阪湾では、船の安全な航路を示すために浅瀬に木の杭が立てられていました。この木の杭を「澪標」と言い、水都と称された大阪のシンボルマークでもあります。
    また、鳳凰の翼の一部に見られたピンク色のグラデーションのかかったガラスは、「硝酸銀蒸着イリデセント加工」が施された特殊ガラスで、光の加減で玉虫色に変化するのが特徴です。外側から見るとよく判ります。
    因みに、ステンドグラスの修復は、ベニス工房という老舗ステンドグラス工房が担ったそうです。再利用できずに取り替えたピースは僅か73片だったそうです。
    この画像は次のサイトから引用させていただきました。
    https://kyukon-stained-glass.net/gallery/osaka-city-central-public-hall/

  • 大阪市中央公会堂 (ガイドツアーでないと見られません)<br />大天井画は松岡壽画伯が『日本書紀』にある「天地開闢」をモチーフに描かれています。伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)が国づくりのため、 天つ神より天の瓊矛(ぬほこ)を授かる瞬間をドラマチックに描いています。<br />大天井画は、12m × 11mという迫力のあるスケールで、日本神話の中から大阪に所縁のテーマを探求して制作されました。往時の大阪の時代の胎動を背景としており、大天井画『天地開闢』と壁画『商神・素戔嗚尊』『工神・太玉命』は、それぞれ現実の室内空間の配置に対応し、天津神を天井に、国津神を壁面に配して神話世界をも階層化することで、天地開闢と下界の難波宮の発展が連動し、その地の発展を商業と工業の神が象徴するという発想です。<br />この画像は次のサイトから引用させていただきました。<br />https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22682090V21C17A0AA2P00/

    大阪市中央公会堂 (ガイドツアーでないと見られません)
    大天井画は松岡壽画伯が『日本書紀』にある「天地開闢」をモチーフに描かれています。伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)が国づくりのため、 天つ神より天の瓊矛(ぬほこ)を授かる瞬間をドラマチックに描いています。
    大天井画は、12m × 11mという迫力のあるスケールで、日本神話の中から大阪に所縁のテーマを探求して制作されました。往時の大阪の時代の胎動を背景としており、大天井画『天地開闢』と壁画『商神・素戔嗚尊』『工神・太玉命』は、それぞれ現実の室内空間の配置に対応し、天津神を天井に、国津神を壁面に配して神話世界をも階層化することで、天地開闢と下界の難波宮の発展が連動し、その地の発展を商業と工業の神が象徴するという発想です。
    この画像は次のサイトから引用させていただきました。
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22682090V21C17A0AA2P00/

  • 大阪市中央公会堂<br />南面(左面)の両脇には出入口が2ヶ所設けられ、その上に長く伸ばしたキャノピー(庇)があります。これは寄付を施した岩本栄之助氏が「雨天の際の公衆のために」と意図的に設けさせたものと伝わります。<br />何故これほどまでにキャノピーが長いのか不思議に思っていましたが、雨宿りする人のことまで考えていたとは吃驚です。栄之助氏の人柄が伝わってきます。

    大阪市中央公会堂
    南面(左面)の両脇には出入口が2ヶ所設けられ、その上に長く伸ばしたキャノピー(庇)があります。これは寄付を施した岩本栄之助氏が「雨天の際の公衆のために」と意図的に設けさせたものと伝わります。
    何故これほどまでにキャノピーが長いのか不思議に思っていましたが、雨宿りする人のことまで考えていたとは吃驚です。栄之助氏の人柄が伝わってきます。

  • 大阪市中央公会堂<br />基本設計者の岡田信一郎氏は1883(明治16)年に東京で生まれ、東京帝国大学卒業後、東京美術学校や早稲田大学で教鞭をとり、この公会堂の設計コンペで1席に選ばれました。氏の作品には、大正時代の和風建築の白眉と称賛された旧歌舞伎座、日本における西欧様式建築の最高傑作と評される明治生命館、イギリス風邸宅建築の鳩山一郎邸、旧琵琶湖ホテル、鎌倉国宝館、黒田記念館などがあります。病弱で一度も外遊をしたことがないにもかかわらず、ギリシア神殿と見まがうばかりの質の高いビルを設計しており、卓越した力量を見て取ることができます。<br />一方、一般的には奥さんの方が有名かもしれません。妻の静さんは、「日本一の美人」と謳われ、様々なポスターのモデルとなった赤坂芸妓 萬龍です。往時、「酒は正宗、芸者は萬龍」と流行歌にも歌われるほど評判を博した芸妓です。初婚の相手は信一郎氏の友人の恒川陽一氏でしたが、結婚4年目に病死により未亡人となりました。恒川氏が信一郎氏に宛てた遺書には「自分の死後、君は萬龍の一切をみてやってくれまいか。もしできるなら、萬龍と結婚してやってくれ」とあったそうです。恒川氏の後を追おうとしていた萬龍でしたが、結局、信一郎氏のプロポーズを受け入れました。再婚後は病弱な信一郎氏の看護や設計事務所の手伝いに専念されたそうです。

    大阪市中央公会堂
    基本設計者の岡田信一郎氏は1883(明治16)年に東京で生まれ、東京帝国大学卒業後、東京美術学校や早稲田大学で教鞭をとり、この公会堂の設計コンペで1席に選ばれました。氏の作品には、大正時代の和風建築の白眉と称賛された旧歌舞伎座、日本における西欧様式建築の最高傑作と評される明治生命館、イギリス風邸宅建築の鳩山一郎邸、旧琵琶湖ホテル、鎌倉国宝館、黒田記念館などがあります。病弱で一度も外遊をしたことがないにもかかわらず、ギリシア神殿と見まがうばかりの質の高いビルを設計しており、卓越した力量を見て取ることができます。
    一方、一般的には奥さんの方が有名かもしれません。妻の静さんは、「日本一の美人」と謳われ、様々なポスターのモデルとなった赤坂芸妓 萬龍です。往時、「酒は正宗、芸者は萬龍」と流行歌にも歌われるほど評判を博した芸妓です。初婚の相手は信一郎氏の友人の恒川陽一氏でしたが、結婚4年目に病死により未亡人となりました。恒川氏が信一郎氏に宛てた遺書には「自分の死後、君は萬龍の一切をみてやってくれまいか。もしできるなら、萬龍と結婚してやってくれ」とあったそうです。恒川氏の後を追おうとしていた萬龍でしたが、結局、信一郎氏のプロポーズを受け入れました。再婚後は病弱な信一郎氏の看護や設計事務所の手伝いに専念されたそうです。

  • 大阪市中央公会堂<br />太平洋戦争中は、エレベータや階段の手摺りなどが武器を製造するための「金属供出」で撤去され、また、空襲などの被災者の収容所にもなりました。<br />また、1970年代には都市計画により解体・建替えの危機に見舞われました。そこに立ちはだかったのが大阪市民や建築家たちでした。「中之島をまもる会」を結成し、公会堂をはじめとする中之島一帯の歴史的景観を守ろうと保存運動を繰り広げました。岩本栄之助氏の志を継ぐかのようなムーブメントが湧き起こったことが奏功し、1988年に市議会は公会堂の「永久保存」を決議するに至りました。<br />やがて平成の世になり、長い年月を経て老朽化が進んだ公会堂は、今度は約13000人もの市民や企業から「赤レンガ基金」と呼ばれる募金活動で集まった寄付金と市の予算を合わせた100億円により美しく蘇りました。大阪市中央公会堂保存再生事業(免震レトロフィット)も1998年に日本建築協会「特別賞」、日本免震協会「作品賞」BCS「特別賞」を受賞しています。<br />栄之助氏の志と悲劇、そして市民たちの情熱等々。その全てのストーリーを見守りながら、公会堂は寡黙に立ち続けています。

    大阪市中央公会堂
    太平洋戦争中は、エレベータや階段の手摺りなどが武器を製造するための「金属供出」で撤去され、また、空襲などの被災者の収容所にもなりました。
    また、1970年代には都市計画により解体・建替えの危機に見舞われました。そこに立ちはだかったのが大阪市民や建築家たちでした。「中之島をまもる会」を結成し、公会堂をはじめとする中之島一帯の歴史的景観を守ろうと保存運動を繰り広げました。岩本栄之助氏の志を継ぐかのようなムーブメントが湧き起こったことが奏功し、1988年に市議会は公会堂の「永久保存」を決議するに至りました。
    やがて平成の世になり、長い年月を経て老朽化が進んだ公会堂は、今度は約13000人もの市民や企業から「赤レンガ基金」と呼ばれる募金活動で集まった寄付金と市の予算を合わせた100億円により美しく蘇りました。大阪市中央公会堂保存再生事業(免震レトロフィット)も1998年に日本建築協会「特別賞」、日本免震協会「作品賞」BCS「特別賞」を受賞しています。
    栄之助氏の志と悲劇、そして市民たちの情熱等々。その全てのストーリーを見守りながら、公会堂は寡黙に立ち続けています。

  • 大阪市中央公会堂<br />正面大アーチ屋根の上に銅板を打出した1対の神像が座しています。ローマ神話に登場する科学・工芸・平和を象徴する女神「ミネルヴァ」(右)と商業の神「メルキュール(メルクリウス)」(左)です。メルキュールは翼のある帽子を被り、翼のある靴を履き、2匹の蛇が巻きついた翼のある杖「カドゥケウス」を持っています。この杖のデザインは、旧制大阪商科大学(大阪市立大学)の校章にも用いられていました。戦争による金属供出のため一度は撤去されましたが、平成の改修工事の折、古写真や下絵を参考にして忠実に復元されました。

    大阪市中央公会堂
    正面大アーチ屋根の上に銅板を打出した1対の神像が座しています。ローマ神話に登場する科学・工芸・平和を象徴する女神「ミネルヴァ」(右)と商業の神「メルキュール(メルクリウス)」(左)です。メルキュールは翼のある帽子を被り、翼のある靴を履き、2匹の蛇が巻きついた翼のある杖「カドゥケウス」を持っています。この杖のデザインは、旧制大阪商科大学(大阪市立大学)の校章にも用いられていました。戦争による金属供出のため一度は撤去されましたが、平成の改修工事の折、古写真や下絵を参考にして忠実に復元されました。

  • 大阪市中央公会堂 <br />貴賓室(特別室)には松岡壽(岡山藩士)画伯が日本神話『天地開闢』を描いた天井画と壁画がありますが、『竣成建築概要』には「松岡画伯の原画『ミネルヴァとメルクリウス』に基づく商業の神『メルキュール』と科学・平和を象徴する『ミネルヴァ』の神像が竣工時に正面大アーチの屋上に置かれていた」という件があるそうです。背後には、実際には制作されなかった大阪市章「みおつくし」も描かれています。<br />因みに、設計当初の模型には大黒様に似た像が載せられていたそうです。しかし、壮麗な西洋風の外観に日本の神仏はそぐわないと結論付けたようです。松岡氏はローマに留学し、西洋建築をどのように装飾するかを学んだ人物でもあります。<br />この画像は次のサイトから引用させていただきました。<br />http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2008/chuokokaido.html

    大阪市中央公会堂
    貴賓室(特別室)には松岡壽(岡山藩士)画伯が日本神話『天地開闢』を描いた天井画と壁画がありますが、『竣成建築概要』には「松岡画伯の原画『ミネルヴァとメルクリウス』に基づく商業の神『メルキュール』と科学・平和を象徴する『ミネルヴァ』の神像が竣工時に正面大アーチの屋上に置かれていた」という件があるそうです。背後には、実際には制作されなかった大阪市章「みおつくし」も描かれています。
    因みに、設計当初の模型には大黒様に似た像が載せられていたそうです。しかし、壮麗な西洋風の外観に日本の神仏はそぐわないと結論付けたようです。松岡氏はローマに留学し、西洋建築をどのように装飾するかを学んだ人物でもあります。
    この画像は次のサイトから引用させていただきました。
    http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2008/chuokokaido.html

  • 大阪市中央公会堂<br />内部へのアプローチは地下1階のレストラン横の入口(東西2箇所)からです。<br />赤煉瓦の壁やレトロな照明、天井の梁の曲線がレトロな雰囲気を醸す廊下を進みます。<br />集会室に設置されていた木製の椅子は、現在は右側奥にある休憩用のベンチとして有効利用されています。

    大阪市中央公会堂
    内部へのアプローチは地下1階のレストラン横の入口(東西2箇所)からです。
    赤煉瓦の壁やレトロな照明、天井の梁の曲線がレトロな雰囲気を醸す廊下を進みます。
    集会室に設置されていた木製の椅子は、現在は右側奥にある休憩用のベンチとして有効利用されています。

  • 大阪市中央公会堂 展示室(地下1階)<br />岩本栄之助(1877~1916年)の胸像<br />展示室では創建から平成の保存・再生工事を経て現在に至る歴史を史料や写真パネルで紹介しています。また、創建に大きな役割を果たした岩本栄之助氏ゆかりの展示品もあります。<br />栄之助は、株式仲介業で莫大な利益を上げ、「義侠の相場師」や「北浜の風雲児」と呼ばれた人物です。呼称には賭博師のようなイメージがありますが、年譜を辿ると真逆の人物であり、自ら株の世界に身を投じた訳でなく、両替商「岩本商店」の次男に生まれ、兄が早世したため家業を継ぎました。浪速商人の伝統である「儲けは公共に還元すべき」というポリシーを受け継いでいたといいます。また、日露戦争時の大相場で苦境に陥った仲買人たちを助け、「株式界の義人」とも呼ばれました。<br />27歳の時に日露戦争に出征、その後37歳で第一次大戦が勃発、戦争の影響で株価は急騰と暴落を繰り返し、明日をも知れない相場の世界に身を置く栄之助は、自分が生きた証として確かな足跡を残したいと考えました。1909年、渋沢栄一を団長とする渡米実業団が結成され、栄之助も一員に加わり、富豪たちが私財を投じて公共事業に貢献する姿に感銘しました。渡米中に父親の訃報を受けて帰国し、遺産50万円に自らの資産50万円を足して大阪市へ寄附しました。様々なプランがあった寄付金の用途に公会堂が選ばれたのは、母親の「誰にでも使ってもらえるものを」という助言があったと伝わります。<br />公会堂の建設工事が始まると、毎朝、大阪天満宮に参拝し、現場にも立ち寄ったそうです。しかしその後、荒れる株式相場に手を出したことが命取りになりました。株価の乱高下で莫大な損失を被りました。周囲は寄附金の一部を返してもらうよう勧めるも、耳を貸しませんでした。しかも事態は改善せず、進退窮まった栄之助は拳銃で自殺を図りました。公会堂の対岸にある病院に運び込まれ、5日間生死の境を彷徨った末、公会堂の完成を待たずに妻と1歳の幼女を残して息を引き取りました。39歳のことでした。辞世の句「その秋を またで散りゆく 紅葉哉」に思いを馳せると、赤煉瓦造の公会堂がどことなく哀愁を帯びた色彩に見えてきます。

    大阪市中央公会堂 展示室(地下1階)
    岩本栄之助(1877~1916年)の胸像
    展示室では創建から平成の保存・再生工事を経て現在に至る歴史を史料や写真パネルで紹介しています。また、創建に大きな役割を果たした岩本栄之助氏ゆかりの展示品もあります。
    栄之助は、株式仲介業で莫大な利益を上げ、「義侠の相場師」や「北浜の風雲児」と呼ばれた人物です。呼称には賭博師のようなイメージがありますが、年譜を辿ると真逆の人物であり、自ら株の世界に身を投じた訳でなく、両替商「岩本商店」の次男に生まれ、兄が早世したため家業を継ぎました。浪速商人の伝統である「儲けは公共に還元すべき」というポリシーを受け継いでいたといいます。また、日露戦争時の大相場で苦境に陥った仲買人たちを助け、「株式界の義人」とも呼ばれました。
    27歳の時に日露戦争に出征、その後37歳で第一次大戦が勃発、戦争の影響で株価は急騰と暴落を繰り返し、明日をも知れない相場の世界に身を置く栄之助は、自分が生きた証として確かな足跡を残したいと考えました。1909年、渋沢栄一を団長とする渡米実業団が結成され、栄之助も一員に加わり、富豪たちが私財を投じて公共事業に貢献する姿に感銘しました。渡米中に父親の訃報を受けて帰国し、遺産50万円に自らの資産50万円を足して大阪市へ寄附しました。様々なプランがあった寄付金の用途に公会堂が選ばれたのは、母親の「誰にでも使ってもらえるものを」という助言があったと伝わります。
    公会堂の建設工事が始まると、毎朝、大阪天満宮に参拝し、現場にも立ち寄ったそうです。しかしその後、荒れる株式相場に手を出したことが命取りになりました。株価の乱高下で莫大な損失を被りました。周囲は寄附金の一部を返してもらうよう勧めるも、耳を貸しませんでした。しかも事態は改善せず、進退窮まった栄之助は拳銃で自殺を図りました。公会堂の対岸にある病院に運び込まれ、5日間生死の境を彷徨った末、公会堂の完成を待たずに妻と1歳の幼女を残して息を引き取りました。39歳のことでした。辞世の句「その秋を またで散りゆく 紅葉哉」に思いを馳せると、赤煉瓦造の公会堂がどことなく哀愁を帯びた色彩に見えてきます。

  • 大阪市中央公会堂 展示室<br />このレプリカは、唐津工業高校(唐津市石志)の生徒さんたちが制作した作品です。同高は建築科3年生の課題研究として、過去にも辰野氏が設計した建物のレプリカを制作しています。関西圏で唐津市の知名度アップを目指していた唐津観光協会が、2年前に同高に提案し、2018と2019年度の3年生計19人が2年間かけて制作した力作です。観光協会が大阪市と交渉し、公会堂での展示が決まったそうです。

    大阪市中央公会堂 展示室
    このレプリカは、唐津工業高校(唐津市石志)の生徒さんたちが制作した作品です。同高は建築科3年生の課題研究として、過去にも辰野氏が設計した建物のレプリカを制作しています。関西圏で唐津市の知名度アップを目指していた唐津観光協会が、2年前に同高に提案し、2018と2019年度の3年生計19人が2年間かけて制作した力作です。観光協会が大阪市と交渉し、公会堂での展示が決まったそうです。

  • 大阪市中央公会堂 展示室<br />レプリカのスケールは100分の1、幅69cm、奥行き107cm、高さ50cmの精巧なものです。アクリル板で壁を作り、厚紙やピンポン球、お菓子の箱で曲線が多い屋根を表現してあります。また、塗料で色を付けし、LED電球で内部から発光する仕組みです。このように俯瞰できるため、建物の全体像が手に取るように判る優れものです。

    大阪市中央公会堂 展示室
    レプリカのスケールは100分の1、幅69cm、奥行き107cm、高さ50cmの精巧なものです。アクリル板で壁を作り、厚紙やピンポン球、お菓子の箱で曲線が多い屋根を表現してあります。また、塗料で色を付けし、LED電球で内部から発光する仕組みです。このように俯瞰できるため、建物の全体像が手に取るように判る優れものです。

  • 大阪市中央公会堂 展示室<br />1階の大集会室の上に大食堂を配置するための鉄骨梁を架ける難工事の際、責任者の片岡安氏は「落ちてきたら共に死ぬ」覚悟で見守ったといいます。<br />各部屋の意匠やステンドグラス、シャンデリア、階段や扉のデザインにまで、往時の建築技術の粋を集めた公会堂は、日本一の公会堂として近代大阪の文化・社会史に深く関わってきました。

    大阪市中央公会堂 展示室
    1階の大集会室の上に大食堂を配置するための鉄骨梁を架ける難工事の際、責任者の片岡安氏は「落ちてきたら共に死ぬ」覚悟で見守ったといいます。
    各部屋の意匠やステンドグラス、シャンデリア、階段や扉のデザインにまで、往時の建築技術の粋を集めた公会堂は、日本一の公会堂として近代大阪の文化・社会史に深く関わってきました。

  • 大阪市中央公会堂 緞帳 『小鳥が来る街』<br />地下1階の会議室の前の壁に飾られています。 <br />1968( 昭和43)年の竣工50周年の際に大集会室に設置された緞帳です。<br />原画は中畑艸人氏によるもので、寄贈者は日本生命とそごうです。<br />島倉千代子さんのヒット曲『小鳥が来る街』をご存知でしょうか?1964(昭和39)年、大阪市の「緑化100年運動」の啓蒙のために制作されたレコードに収められており、作詞は西沢爽氏、作曲は市川昭介氏がなされています。太閤秀吉の天下の台所以来、狭い敷地にぎっしりと商家が建てられてきたこともあり、緑化に関しては他の大都市に比べ周回遅れでした。そうした中、『小鳥が来る街』は緑を増やそうという意志を伝えた歌でした。折しも東京五輪開催の年でもあり世界が東京に注目している中、大阪の気概をと矜持を示したとも言えます。改めて歌詞を読むと、明確なビジョンやグランドデザインがストレートに伝わってきます。因みに、大阪市民なら誰もが親しんできた曲でもあるそうです。<br />『小鳥が来る街』<br />可愛い小鳥が来る街は 緑を映した空がある<br />ビルの屋根にも並木にも小鳥が生まれた故郷の<br />緑が揺れてるそよいでる<br />緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に<br /><br />可愛い小鳥が来る街は 優しい心の人が住む<br />たとえ小さな草の芽も緑を大事にする街を<br />小鳥は知ってる飛んでくる<br />緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に<br /><br />可愛い小鳥が来る街は 明るい明日の夢がある<br />水の都をあざやかな緑の都に育つのを<br />小鳥は見てる待っている<br />緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に

    大阪市中央公会堂 緞帳 『小鳥が来る街』
    地下1階の会議室の前の壁に飾られています。
    1968( 昭和43)年の竣工50周年の際に大集会室に設置された緞帳です。
    原画は中畑艸人氏によるもので、寄贈者は日本生命とそごうです。
    島倉千代子さんのヒット曲『小鳥が来る街』をご存知でしょうか?1964(昭和39)年、大阪市の「緑化100年運動」の啓蒙のために制作されたレコードに収められており、作詞は西沢爽氏、作曲は市川昭介氏がなされています。太閤秀吉の天下の台所以来、狭い敷地にぎっしりと商家が建てられてきたこともあり、緑化に関しては他の大都市に比べ周回遅れでした。そうした中、『小鳥が来る街』は緑を増やそうという意志を伝えた歌でした。折しも東京五輪開催の年でもあり世界が東京に注目している中、大阪の気概をと矜持を示したとも言えます。改めて歌詞を読むと、明確なビジョンやグランドデザインがストレートに伝わってきます。因みに、大阪市民なら誰もが親しんできた曲でもあるそうです。
    『小鳥が来る街』
    可愛い小鳥が来る街は 緑を映した空がある
    ビルの屋根にも並木にも小鳥が生まれた故郷の
    緑が揺れてるそよいでる
    緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に

    可愛い小鳥が来る街は 優しい心の人が住む
    たとえ小さな草の芽も緑を大事にする街を
    小鳥は知ってる飛んでくる
    緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に

    可愛い小鳥が来る街は 明るい明日の夢がある
    水の都をあざやかな緑の都に育つのを
    小鳥は見てる待っている
    緑を植えて大阪を可愛い小鳥の来る街に

  • 大阪市中央公会堂 <br />内部は茶色やベージュ系の大理石を潤沢に使った階段やホールが印象的です。<br />また、あまり目立ちませんが、窓の桟(鉄製)や階段の手摺りの意匠もレトロでお洒落です。階段の手摺りは、手に触れる箇所は温かみのある木製、それ以外は鉄のアイアンワークが美しいフォルムを描いています。階段本体(一部の手摺を除く)は戦時中の金属供出を免れたそうで、往時の物が遺されています。<br />階段には年季の入った床仕上げ材のリノリウムが遺されています。リノリウムとは、天然素材の床仕上げ材の一つです。亜麻と呼ばれる植物の種から取れる亜麻仁油、松ヤニなどの樹脂類、コルク粉、顔料などを混ぜてシート状やタイル状にしたものです。適度な弾力性があり、抗菌性能に優れているため床仕上げ材として使われます。

    大阪市中央公会堂
    内部は茶色やベージュ系の大理石を潤沢に使った階段やホールが印象的です。
    また、あまり目立ちませんが、窓の桟(鉄製)や階段の手摺りの意匠もレトロでお洒落です。階段の手摺りは、手に触れる箇所は温かみのある木製、それ以外は鉄のアイアンワークが美しいフォルムを描いています。階段本体(一部の手摺を除く)は戦時中の金属供出を免れたそうで、往時の物が遺されています。
    階段には年季の入った床仕上げ材のリノリウムが遺されています。リノリウムとは、天然素材の床仕上げ材の一つです。亜麻と呼ばれる植物の種から取れる亜麻仁油、松ヤニなどの樹脂類、コルク粉、顔料などを混ぜてシート状やタイル状にしたものです。適度な弾力性があり、抗菌性能に優れているため床仕上げ材として使われます。

  • 大阪市中央公会堂 <br />電球がまだそれほど明るくなかった時代、少しでも外部から採光しようと大きく窓が取られています。<br />何の不自由もない現代では、ただ上り下りするだけのツールにこれほどの工夫と装飾を施すことはまずあり得ません。<br />手摺りひとつにも職人技がキラリと光ります。建物そのものが文化であった時代の心粋や矜持が伝わってきます。

    大阪市中央公会堂
    電球がまだそれほど明るくなかった時代、少しでも外部から採光しようと大きく窓が取られています。
    何の不自由もない現代では、ただ上り下りするだけのツールにこれほどの工夫と装飾を施すことはまずあり得ません。
    手摺りひとつにも職人技がキラリと光ります。建物そのものが文化であった時代の心粋や矜持が伝わってきます。

  • 大阪市中央公会堂 <br />リズミカルな四角型の重厚感溢れる螺旋階段が幾何学模様を彷彿とさせます。<br />建物は3階建てですが、各階の天井が高いため、階段はこのような螺旋を描きます。こうしてじっと眺めていると、不思議な空間に迷い込んだような気がしてきます。採光窓のある所は明るく、無い箇所は暗くなっており、明暗のコントラストがよい演出効果を醸しています。

    大阪市中央公会堂
    リズミカルな四角型の重厚感溢れる螺旋階段が幾何学模様を彷彿とさせます。
    建物は3階建てですが、各階の天井が高いため、階段はこのような螺旋を描きます。こうしてじっと眺めていると、不思議な空間に迷い込んだような気がしてきます。採光窓のある所は明るく、無い箇所は暗くなっており、明暗のコントラストがよい演出効果を醸しています。

  • 大阪市中央公会堂 1階大集会室ロビー<br />ここはやや広いスペースになっています。前面に見える戸棚のようなものが、外部への出入口の扉です。<br />内部もクラシックなネオ・ルネッサンスを基調としながら、装飾を幾何学的に簡略化したモダンなセセッション様式や、和風の意匠も組み込まれています。<br />例えば、大集会室の巨大な天井が日本建築にみられる折り上げ天井であることや、中集会室には干支の動物を象った透かし彫りの装飾を施しています。最も有名なのは、貴賓室(特別室)に描かれた日本神話『天地開闢』をモチーフにした天井画と壁画です。

    大阪市中央公会堂 1階大集会室ロビー
    ここはやや広いスペースになっています。前面に見える戸棚のようなものが、外部への出入口の扉です。
    内部もクラシックなネオ・ルネッサンスを基調としながら、装飾を幾何学的に簡略化したモダンなセセッション様式や、和風の意匠も組み込まれています。
    例えば、大集会室の巨大な天井が日本建築にみられる折り上げ天井であることや、中集会室には干支の動物を象った透かし彫りの装飾を施しています。最も有名なのは、貴賓室(特別室)に描かれた日本神話『天地開闢』をモチーフにした天井画と壁画です。

  • 大阪市中央公会堂 <br />雰囲気のある丸窓です。<br />こちらも階段の足元を明るくする位置に設けられています。

    大阪市中央公会堂
    雰囲気のある丸窓です。
    こちらも階段の足元を明るくする位置に設けられています。

  • 大阪市中央公会堂 <br />梁を支えるハンチの装飾は、ロザリオを象ったような文様が刻まれています。<br />貴賓室などが見学できる事前予約制の「ガイドツアー」も開催されています。<br />https://osaka-chuokokaido.jp/news/guidetour.pdf<br />

    大阪市中央公会堂
    梁を支えるハンチの装飾は、ロザリオを象ったような文様が刻まれています。
    貴賓室などが見学できる事前予約制の「ガイドツアー」も開催されています。
    https://osaka-chuokokaido.jp/news/guidetour.pdf

  • 大阪市中央公会堂 2階廊下<br />左側が大集会室(ホール)の2階席への入口になります。<br />右側には会議室が並んでいます。

    大阪市中央公会堂 2階廊下
    左側が大集会室(ホール)の2階席への入口になります。
    右側には会議室が並んでいます。

  • 大阪市中央公会堂 <br />親柱の頂点にロココ調の渦巻き状の意匠が施された螺旋階段を上っていきます。 <br />スクロール文様は、古代ギリシアの柱頭に見られたり、カトリック最高位の司教の権力を象徴する司教杖の先端部分にも施されています。パルメットやアカンサス、コキール(貝)やロカイユを繋ぐ古典的な装飾デザインとして発展したものです。

    大阪市中央公会堂
    親柱の頂点にロココ調の渦巻き状の意匠が施された螺旋階段を上っていきます。
    スクロール文様は、古代ギリシアの柱頭に見られたり、カトリック最高位の司教の権力を象徴する司教杖の先端部分にも施されています。パルメットやアカンサス、コキール(貝)やロカイユを繋ぐ古典的な装飾デザインとして発展したものです。

  • 大阪市中央公会堂 <br />丸窓に施された意匠も場所によって違えています。<br />正面ファサードから見た時、階段用塔屋の上部に設けられた丸窓がこれに当たります。<br />

    大阪市中央公会堂
    丸窓に施された意匠も場所によって違えています。
    正面ファサードから見た時、階段用塔屋の上部に設けられた丸窓がこれに当たります。

  • 淀屋橋から眺めた景観<br />中央公会堂の前に架る橋は、栴檀木橋(せんだんのきばし)と言います。<br />江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていました。栴檀木橋もそうした橋のひとつであり、橋名の由来は、『摂津名所図会』によると「この橋筋に栴檀ノ木の大木があったため」としていますが、詳らかではないようです。

    淀屋橋から眺めた景観
    中央公会堂の前に架る橋は、栴檀木橋(せんだんのきばし)と言います。
    江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていました。栴檀木橋もそうした橋のひとつであり、橋名の由来は、『摂津名所図会』によると「この橋筋に栴檀ノ木の大木があったため」としていますが、詳らかではないようです。

  • 淀屋橋から眺めた景観<br />欅並木の先(右端)には背の高いオブジェがあります。彫刻家 本郷新『緑の賛歌』といい、2人の女性が背中合わせに伸びやかに立つ躍動感溢れる作品です。<br />1973年に鉄鋼商社の創業者 浅井鉞次郎氏が、緑豊かな文化の香り高い街作りの推進にと大阪市に寄贈されたブロンズ像です。因みに、本郷氏は、高村光太郎氏に師事し、具象彫刻では日本を代表する作家です。<br />この続きは、情緒纏綿 大阪市中之島④中之島バラ園、その他(エピローグ)でお届けいたします。

    淀屋橋から眺めた景観
    欅並木の先(右端)には背の高いオブジェがあります。彫刻家 本郷新『緑の賛歌』といい、2人の女性が背中合わせに伸びやかに立つ躍動感溢れる作品です。
    1973年に鉄鋼商社の創業者 浅井鉞次郎氏が、緑豊かな文化の香り高い街作りの推進にと大阪市に寄贈されたブロンズ像です。因みに、本郷氏は、高村光太郎氏に師事し、具象彫刻では日本を代表する作家です。
    この続きは、情緒纏綿 大阪市中之島④中之島バラ園、その他(エピローグ)でお届けいたします。

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