2012/04/21 - 2012/04/21
2位(同エリア25件中)
chiaki-kさん
- chiaki-kさんTOP
- 旅行記231冊
- クチコミ123件
- Q&A回答139件
- 735,102アクセス
- フォロワー212人
今日はゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズへ。オーヴェルの教会、ゴッホ兄弟の墓、麦畑、オーヴェル城、ラボー亭などを回ってきましたので、リポートします。
表紙の写真は、遺作といわれる「カラスが群れ飛ぶ麦畑」(1890年7月)ですが、その画を描いたと言われる場所へも行ってきました。
なお、今回は、いつもの現地ツアーでは無く、全て個人手配のため半年位前から情報収集に努め、準備したので、個人で行かれる方も参考になるかも知れません。
2024/02/25 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- 日本旅行
PR
-
4/21
7:45 メトロ3号線にてサン・ラザール駅へ。チケットの自販機は沢山あるのだが面倒そうだったので、夕べ見当をつけておいたインフォメーションに行く。しかし、英語でチケット売り場は別の場所だと言われ、チケット売り場を探す。目立たない場所(インフォメーションの裏側)にあったチケット売り場で往復切符を3枚購入に成功。約E10×3
写真は最近リニューアルしたばかりのサンラザール駅。まるで空港ターミナルのよう。 -
8:27 モネが描いたサンラザール駅の改札の無いホームからボワシー行きの2階建て普通電車に乗る。車内はガラガラ。
-
9:07 ポントワース駅で乗り換え。これまたガラガラ。大丈夫かSNCF(フランス国鉄)。
-
9:25 オーヴェル・シュル・オワーズ駅到着、改札口無し、散策を開始。写真はオーベルシュルオワーズ駅だが、NETの情報と違い駅舎は住民の絵画展示室のようになっており、係の女性が1人いたが、切符を購入できるかどうかは未確認。
-
駅前広場の前にはドゥービニーの庭(とゴッホが間違えた)がある。
-
ドゥービニーの庭 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1980年6月
-
この日も寒い日だったが花たちは綺麗に咲いていた。
-
駅前から左手に行くとすぐにあるのがゴッホ公園。写真のブロンズ像は彫刻家のザッキンが制作したゴッホ像。
-
亡くなる前はこんな感じだったのか。
-
どこかの国(英語圏)の団体さんが来ていた。
-
HOTEL DE VILLE とは直訳すると市役所だが、村役場。
-
「オーヴェル町役場」 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年7月
ゴッホが描くとこんな風になる。 -
ラボー亭は、先ほどの団体さんで混んでいたので駅方面へ戻り、教会へ先に行くことにした。これは教会へゆく近道。どこを撮っても絵になる。
-
オーヴェルの教会南側。村の教会にしては、なかなか立派。
-
これは東側。ゴッホの絵の位置から撮影。
-
「オーヴェルの教会」 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年6月
右側の屋根が赤いのだがゴッホの眼にはそう見えたのね。 -
中に入ってみるとステンドグラスあり、パイプオルガンあり、となかなかの造りだった。どなたかの情報にはショボイとあったが、決してそんなことはない。
-
後にはちゃんとバラ窓も。
-
ステンドグラス1
-
ステンドグラス2
-
教会から墓地を目指す。
-
10分ほど歩くと墓地に到着。
-
ゴッホ兄弟の墓は北側の壁沿いにあり、左右の墓石と較べるととても質素なもの。
-
左にヴィンセント・ヴァン・ゴッホが、右にはヴィンセントが自殺した1年後に病死した弟 テオドール・ヴァン・ゴッホが眠っている。
-
ヴィンセント37歳、テオ34歳という若さだった。
-
周りには、もっと立派な墓がたくさんある。
-
水たまりをよけながら麦畑の中の道を歩いて行くと・・・
-
こんな場所に到着。ここでゴッホは「カラスが群れ飛ぶ麦畑」を描いたらしい。
-
「カラスが群れ飛ぶ麦畑」の看板が倒れていた。おや、後ろの方にゴッホのような人が・・・・。
-
南側にはオーヴェルの教会が見える。ゴッホはここにいた2ヶ月の間に約70枚の絵を描きまくるのだが、牧師になりそこねたゴッホの眼にはどう映っていたのだろう。
-
再び街中に降り、ドゥービニーのアトリエ発見。オープンは14:00ということで諦める。
-
さらに西へ進むとオーヴェル城発見。
-
これが入口の門だが入場料はE10、建物の内部はパリの歴史や印象派関連の知識をオーディオやビジュアル機器を使用して詳細に説明する博物館となっていた。
-
門を入った庭にいた猫。フランスの猫は犬と同様全く逃げない。
-
なすがまま、パパがキュウリ状態
-
オーベル城を出て駅方面へ向かう。写真は途中にあった小学校。
-
古い荷車がお・さ・れ。
-
AUBERGE RAVOUX (ラボー亭)。ゴッホは2ヶ月間この家の屋根裏部屋に住んだ。
-
地上階は現役のレストランだが、1F以上は博物館となっている。入口は裏側。
-
「アドリーヌ・ラボーの肖像」 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年6月
途中に「ラボー亭の娘」の絵が。 -
1Fは売店となっており5分ほど待ってほしいと言われる。時間がくると若いお兄さんが英語で簡単に説明。上の屋根裏部屋に上がる。写真はゴッホの借りていた部屋。
1890年7月27日、ゴッホは銃(銃は見つかっていない)で腹部を撃ち、2日後にこの部屋で亡くなっているのだが、もの悲しさと共に神鬼迫るものがある。 -
屋根裏部屋へ昇る階段。自殺を図った日、血を垂らしながらこの階段を登ったのだろう。
-
このあとランチをどうするか悩んだが結局駅通りにあった地元のスーパーでサンドイッチとビールを購入、E20.39と安い。やはりパリの物価は高いのね。 その後、再び教会に戻って、教会やオーヴェルの街を見ながら昼食。
写真のうまそうなフリフリチキンは、そのスーパーにあったが、買うのは止めておいた。 -
帰りの電車は14:40発ポントワース行き。
-
横断地下道があるが中はどうなっているかというと・・・
-
こんな感じでアートしていた。
-
ゴッホ発見! しかもオーヴェルの教会を描いている。
-
チケットの刻印機。刻印を忘れないようにね。
-
時間通り電車はやってきた。
-
ポントワース駅で乗り換え。
-
おしゃれな電車がやって来た。
-
サンラザール駅に到着後、ギャラリー・ラファイエットで1時間ほどショッピング。何を買ったかはHIMITU。戦利品をホテルに置いてから、再びパリの街へと繰り出す。写真はヴァンドーム広場にあるホテルリッツ。ホテルの前にはお約束のフェラーリが。
-
ヴァンドーム広場のシンボルがこれ、ナポレオンの戦勝記念塔。アウステルリッツの三帝会戦で捕獲した敵の大砲を溶かして作り上げたと、言われている。
-
とある、お店の壁の上の方に何かのプレートが取り付けてあった。
-
1849年10月17日、ピアノの詩人ショパンはここで亡くなった。墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にあるが、心臓だけは姉のルドヴィカによって祖国に持ち帰られ、ワルシャワ聖十字架教会の柱に収められた。パリの町には歴史が詰まっている。
-
パリ最後のディナーはオペラ地区にあるカフェ・ロトンド・ド・チュイルリーで。
-
サラダと思われる。
-
メインディッシュはグラタン。3人でE82支払い。
-
最後に金色に輝くジャンヌ・ダルクを見てから、モノプリとホテル近くに発見した安いスーパーで最後のお土産を購入、ホテルに戻りスーツケースのパッキングを行う。今日もよく歩いた。明日はいよいよ最終日、モンマルトル街角歩きだ。
これで「2012年 パリ旅行記 5:ゴッホ終焉の地へ」は終了です。本日も最後まで、ご覧頂きありがとうございます。
2020/7/5 リメイク、2024/02/25 一部修正
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
59