2018/11/24 - 2018/11/24
59位(同エリア108件中)
三峯霧美さん
10日前の山梨御朱印旅、平日だったためか御朱印を頂けなかった寺社がありました。
今回は土曜なので、状況も変わっていることを期待して出発しました。
普段は中央道で素通りしてしまう、都留と大月も寄ってから甲府入りです。
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8:53 中央道 相模湖手前
さほどの渋滞もなく、順調に流れる中央道。
今回はつれが車を買い替え、我が愛車は自宅待機。
つれは走りたくてたまらん時期なので助手席からこんな画像が撮れます。 -
中央道を上野原インターで降りて北上します。
この辺りは神奈川県相模原市と山梨県上野原市が入り組んだ場所で、通行中の県道522号は二つの県をまたいで通っています。 -
見過ごしそうな沢沿いの脇道、運転するつれが「ここ、入るの?」と聞いてきました。そうです、ここです。
そんな心細い山道を進むと軍刀利神社の鳥居と浅間大菩薩の石碑が現れます。 -
振り返ると富士山の美しい姿が正面に見えています。
今日もいいお天気だ。
神仏習合のころは、浅間大神は浅間大菩薩と呼ばれていました。
この景色を見たら石碑があるのは納得です。 -
鳥居をさらに進むと10台分ほどの駐車場が開けて、その隣が社務所です。
駐車場までの道の斜度は急で周辺は日差しが届かず肌寒く、アウターを羽織りました。
11月でこの気温だと、冬は凍結して通行は難しいかもしれません。 -
軍刀利神社 ぐんだりじんじゃ 社務所
当然無人、でも、ゴミ一つ落ちてない。
氏子さん達がお世話されているのでしょうか、隅々まで行き届いています。 -
いろいろと掲示物があります。
興味深い冊子、読んでみた。 -
道を進んでいきましょう、急坂です。
左手に沢、フェンスで囲われてるのは水道事業関連施設だからか、記念碑が建ってます。 -
9:23 軍刀利神社 ぐんだりじんじゃ
画像は明るく写っていますが、実際は照明が点灯するほど薄暗い。軍刀利神社 寺・神社・教会
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苔むした岩も神奈備
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手水はパイプで沢の水を引いているのでしょうか、きれいな水で満たされて、渡されている竹も青青として、お手入れが行き届いているのが判ります。
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古く味のある石段、踊り場がない一直線。
手すりが完備されていて安心です。 -
石段を登ったところにも、手水舎があります。
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手水鉢も新しいようで、後ろのパイプで供給される水は勢いがあって清潔感があります。
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拝殿
祭神 日本武尊
由緒由来は不詳 日本武尊が東征の際、生藤山(三国山?)の山頂で草薙剣を祀ったという伝説があります。
口伝によれば、1048年に奥の生藤山の頂上に勤請奉祀された、もしくは昔に熊倉山の山頂に創建され、野火で二回焼失(年代不明)したそうです。 -
本殿は覆殿で雨から守られています。
1592年頃、現在地に遷座と伝わります。
この奥に奥宮と本宮があるので、遷座地はどこなんでしょうか。
現在の本殿と拝殿は1790年に建立。 -
本殿の壁は、松竹梅と鶴と亀、縁起のよい彫刻です。
甲斐国志には軍荼利夜叉明王社に1511年に造られた鰐口があり、1632年の棟札のある建物だと記されています。 -
額堂
修験道の神社だったようで、修験道軍刀利神社と称していたそうです。
古くから軍神としての信仰を集め 武田信玄や岩殿城主の小山田氏からの崇敬を受けました。
戦時中は遠くからもお参りする方が多かったそうです。 -
奉納された大きな刀が飾られています。
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本殿の先に奥の院と桂の大木があるのですが、クマ出没注意の看板が多数あって、冬ごもり前の時期でもあるし、人も少ないので、断念しました。
山の上まで登ると本宮もあり、こちらは本格的な山ハイキングです。
ちなみに山の向こう側は東京都です。 -
御朱印は氏子総代の方のお宅で頂きます。
この辺りは昭和に長寿の村として有名でした。
適度な坂道は足腰が強くなって、筋力の維持に良いのでしょうね。 -
氏子総代の法被がかかっています。
伺った前日は新嘗祭でした。 -
頂いた御朱印、古代文字が書かれています。
ご丁寧に対応頂きました、ありがとうございます。
9:56 次の目的地に向かいます。 -
国道20号を西に走り大月に向かいます。
いつも高速から左手に見下ろす町を走っています。 -
10:41 猿橋
手前の商店の脇にある無料駐車場に5分ほど待って駐車できました。
警備員さんがいて、案内してくれるので、安心です。
猿橋はラジオの渋滞情報で「中央道下り、猿橋バス停を先頭に・・・」の猿橋です。 -
橋の袂の広場に植えられたもみじが真っ赤に染まって綺麗です。
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猿橋
桂川に架かる橋で、水面からの高さが31m。
地元の伝説によれば、610年頃に百済の渡来人の志羅呼(しらこ)という人が猿が体を支え合って橋を作って対岸に渡ったのを見て作ったそうで、それで猿橋と言われているそうです。猿橋 名所・史跡
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岩盤に穴をあけて栩木を差し込み、その上にちょっと長い栩木を突き出し、それを重ねて行って、最後は向こう岸から突き出した部分とつなげます。
橋脚が無く、高い位置にあるので、洪水の被害に合いません。 -
雨の浸食を防ぐために屋根がついているのが特徴です。
最初の橋がかけられた年代は不明ですが、室町時代には「さる橋」で合戦があったと記録があるそうです。 -
現在の猿橋はコンクリート基礎で支えたH鋼の橋で、木の板を取り付けて1851年の橋を復元しました。
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猿橋の隣には重要文化財になっている八ツ沢発電設備の第一号水路橋
明治45年(1912年)に造られた発電施設で、調整池として設けられた大野ダムは日本初の発電用アースダム
施設は14㎞におよび、重要文化財としては最大規模。
勿論現役で水がザーザー流れています。 -
峡谷を降りていくと、上流側が開けて、峡谷となっているのは一部分だというのが判ります。
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こんな狭い峡谷になってます。
これを見たら、猿が手をつなぎ合って対岸に渡ったって思いますね。
見えている橋は水路橋です。 -
紅葉が綺麗です。
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猿橋周辺は4本の橋が架かっています。
奥から、赤い橋が国道20号新猿橋 1943年
八ツ沢発電所の第一号水路橋 1912年
猿橋 1984年(かけ替え)
撮影しているのは県道505号(旧国道8号)新猿橋から 1934年
1968年まで水路橋に並ぶようにして中央本線の橋があって、線路は向かって左側のトンネル内に続いていました。 -
昔は宿場町があった甲州街道の要所。
全国に同じような栩橋が多数あったそうですが、主要街道にかかっていて、通行量も多いので、有名になったようです。
今は栩橋は現存していません。・・・だって、危ないよねぇ。レゴで作る橋みたいなもんじゃん。 -
11:20 国道20号を大月方面に走ります。
見えてきたのは岩盤がすごい岩殿山 -
国道20号の新笹子隧道が見えてきました。
国道の笹子峠のトンネルは隧道と言います、中央道は笹子トンネルです。 -
3キロ弱、中央道のトンネルは5キロ弱だから、ちょっと短い。
つれは旧の笹子隧道を通ってみたいと言ってますが、新しい車で通るの?
いやいや、今日は却下。
旧国道は現在県道212号 日影笹子線ですが、ほぼ林道だよ。 -
トンネルを抜けると日川に突き当たります、そこを右側に川の上流に向かって走ると、左手に市営の無料駐車場があります。
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12:00 景徳院
駐車場の向かい側がお寺の門です。
武田勝頼の墓所があるお寺です。
1582年 武田勝頼は織田徳川の連合軍に攻められ、甲府から移ったばかりの韮崎の新府城に火を放ち、岩殿山の岩殿城に移動します。
先ほど通ってきた岩殿山の城は東日本屈指の堅固さでした。 -
勝頼は笹子峠(一説によると)で岩殿城の小山田信茂に入城を拒まれ、行き場を失っい、日川の上流にある天目山栖雲寺に向かいます。
新府城を出た時に500人ほどいた従者は50人ほどに減っていました。
日川の向かい側の山は全山紅葉。すごい色です。 -
勝頼一行はこの地で陣を張り一夜を明かし、上流の天目山を目指しますが、織田の軍は勝沼側から上流に入っており、行く手を阻まれてこの地に引き返します。
日川の下流と上流から挟まれた勝頼は、全員がこの地で自決しました。
参道入り口、ここからの石段はキツイので、奥の緩い坂を登って行く。景徳院 名所・史跡
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天道山 景徳院 (田野寺)
徳川が甲斐国を領し、勝頼と家臣の菩提を弔うために家康によって創建されました。
主を失った甲斐の領民の懐柔策と伝わります。
山門は創建当時(1835年)のもの。 -
創建当時は田野寺と言いましたが、勝頼の戒名をとり景徳院となりました。
御本尊は釈迦如来。
創建当時はかなり大きなお寺だったそうですが、諸堂は3回の火災で焼失。
本堂は近年再建されたもの。 -
手前の切株は旗竪松と思われます。
勝頼の嫡男信勝が元服していなかったので、急遽楯無の鎧を着せ、この松の根元に旗を立てて、かん甲の礼(元服の儀式)を行ったと伝わります。
松は数年前まで健在で画像を見ると、樹齢は長いようには見えないので、近年植えられたものかと・・・。 -
鐘楼は近年造られたもの。
穏やかな陽射しに溢れた境内、本堂では檀家さんの法事が執り行われている。
勝頼に離反して武田氏の滅亡に一役買った小山田信茂は、甲斐平定後、織田信忠から主家への不忠を咎められて処刑され、妻子も老母も甲斐善光寺で処刑されたそうです。
生残り策として、苦渋の決断だったんでしょうけど・・・。 -
甲将殿
この地で自刃した勝頼、北条夫人、信勝の座像があり、武田氏の主従の位牌が祀られていたそうです。 -
家紋が入った賽銭箱がありました。
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甲将殿の奥に五輪塔が建っています。
これは1775年に二百年忌で当時の住職によって建てられました。
最近になって保存修理中に基壇から5千点もの経石が発見され、二百年忌はかなり大きな供養が行われたようです。 -
中央が武田勝頼、右側が三条夫人、左側が武田信勝。
両側には殉死した人たちの墓石。 -
お寺はその後衰退し、無住だったこともあったようです。
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甲将殿の近くにある、勝頼が自刃した場所にある生害石
近くには北条夫人と信勝の生害石もあります。 -
少し石段を下りていくと没頭地蔵尊があります。
勝頼親子の亡骸を葬った場所で、後から里の人達によって、首のない三体のお地蔵様が安置されたので、没頭地蔵尊。 -
御朱印を頂きました。
庫裏を守る白くて小さくてフワフワな特攻隊長にキレまくられた。 -
お寺を降りたところにある沢は「首洗い池」といって、勝頼の首を洗った場所といわれています。
数年前の大河ドラマの勝頼の最後の演出と、勝頼を演じた平岳大は印象に残る演技だった。 -
駐車場脇は武田勝頼の妻、北条夫人の侍女たちが身を投げた姫ヶ淵という場所。
供養のためのレリーフが飾られています。
武田氏滅亡のお寺なので、来てみたかったけど、きっと再訪は無いな。
彼らの最後を知ると気が滅入る。
さあ、気を取り直して、ドライブを続けましょう。
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