2017/08/14 - 2017/08/14
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でいめくと さん
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この日は、ここまで行きそびれていた、チルコ・マッシモ→トラステヴェレ→カラカラ浴場→アッピア街道を巡りました。
お天気にも恵まれ、最高のローマ街歩きとなりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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おはようございます。
この日は地下鉄B線でチルコ・マッシモ駅まで移動。
午前8時30分、駅を出るとすぐにパラティーノの丘に建つ「ドムス・アウグスターナ」が見えた。 -
そしてこれが広大な「チルコ・マッシモ」。
英語だど「サーカス・マキシマム」というらしい。
紀元前7世紀終わり頃、五代目王のタルクィニウス・プリスコが、元々湿地帯だった場所に造ったと言われている。
映画「ベンハー」でもお馴染みの戦車競技(主人公ベンハーは戦車競技の騎手)が繰り広げられた。
事実ここが「ベンハー」のロケ地でもあった。 -
チルコ・マッシモの南東側を北上。
途中の「ジュゼッペ・マツィーニの像」。
ジュゼッペ・マツィーニは、19世紀のイタリア統一運動時代の政治家、革命家。 -
午前8時50分、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に到着。
入口の柱廊左側にある「真実の口」。
口の中に手を突っ込んで記念写真を撮るつもりもなかったので、外からの写真だけ。 -
教会は現在修復中。
中央の格子の扉ごしに写真を撮りました。 -
真実の口広場。
中央の「ヴェスタ神殿」は勝利者ヘラスレスに捧げられたものとされる。
ローマに残る大理石の神殿としては最も古い。
右奥「フォルトゥーナの神殿」はすぐ北隣の現在の戸籍庁が、以前船荷の積み上げ場所だったことから、港の神ポルトゥヌスに捧げられたものと言われる。 -
さらに北上、「マルケルス劇場」に到着。
カエサルが建設着手した円形競技場で、紀元前11年ごろアウグストゥスによって完成。
若くして世を去ったカエサルの甥の名をとってマルケルス劇場と名付けられた。 -
優美な「アポロ神殿の円柱」
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930年頃まで1階のアーチ下には商店が軒を連ねていたらしい。
元来アーチが楕円形を形成したいたのだが、この一部以外の石材は取り払われ、今はその名残はない。 -
マルケルス劇場すぐ隣にある「シナゴーグ(ユダヤ教会)」。
このあたり一帯はかつてユダヤ人のゲットーがあった。 -
ここからテヴェレ川を渡り、トラステヴェレ地区へ。
向こう側は川の中州にあるティベリーナ島。
紀元前3世紀初頭、医学の神エスクラピウス祀る神殿が建てられて以来「病を癒やす地」として位置づけられている。
右側は本物の病院。 -
なんだか昔のままのような景色
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サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会。
今は午前9時30分、オープンは午前10時から。
なので外観だけ。 -
さらに歩いて、サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会に到着。
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主祭壇は意外にシンプルです。
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左の側廊の4番目の礼拝堂。
写真の左奥にあるのが・・・。 -
イチオシ
ベルルーニ晩年の作「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」。
トラステヴェレに住み、貧しい人々への献身により福者として崇められた「ルドヴィカ」の像を注文したのは、ルトヴィカの子孫であるパルッツオ・アルベルトーニ枢機卿。 -
ルトヴィカは胸に手を当てて横たわり、正に今、神に召される瞬間。
息を呑むような瞬間。 -
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透明感のある白い大理石の姿が、ほの暗い空間に浮かび上がり、見る者に鮮烈な衝撃を与える。
「聖テレーザの法悦」と双璧をなす傑作。 -
ユリウス4世によって4世紀半ば頃に完成したローマで最古の公式な教会堂がサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会。
トラステヴェレとは、「テヴェレ川の向こう」という意味で、この教会はその名の通りトラステヴェレ地区に位置しています。 -
後陣のモザイク
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「キリストと聖母」
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キリストと聖母マリアがひとつの椅子に腰掛けている。
イスタンブールのアヤソフィアで見たモザイクに感じが似ている。 -
12使徒を表す12頭の羊
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「聖母マリアの生涯」。
東方三博士の礼拝の場面。 -
鮮やかな黄金のモザイク
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サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会から南へ。
スプリチオ橋を渡り、テスタッチョ川岸通りから後ろを振り返って。 -
テスタッチョ地区にあるカチョエペペの名店フェリーチェ。
残念ながら、8月いっぱいお休みでした。 -
さらに南下、ピラミデに到着。
ローマ時代の法務官ガイウス・ケスティウスのお墓。
ローマ軍が紀元前31年に、クレオパトラ率いるエジプト艦隊をアクティウム沖で破りエジプトを征服すると、エジプト風に習ってピラミッドを自分のお墓とするブームがローマにも巻き起こり、たくさんのピラミッドが出来たが、これだけが現存する唯一のものとなった。 -
オスティエンセ街道への出入り口であるサン・パオロ門
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サン・パオロ門からは街路樹に沿って北東へ進みます。
わかりにくいですが、写真右側にアウレリアヌス城壁があります。 -
3世紀にローマの力が弱まり、それまで長い間城壁を必要としなかったローマも外敵の脅威にさらされるようになって、皇帝アウレリアヌスの時代に城壁が再び築かれました。
時を経て城壁の石材も他の建造物のために持ち去られたようです。 -
さらに歩いてカラカラ浴場に到着。入場料8ユーロ。
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でか過ぎる異様な光景。
面積26,000㎡。一度に1600人を収容できたらしい。
これほどの構造物はローマの時代以降、あっただろうか。 -
Qがエントランス、Nがスイミングプール、Lがジム、そしてIがサウナ。Oはフリギダリウム(冷室)、Pはテピダリウム(温室)、Gはカリダリウム(熱室)。
ライブラリーやショップも併設されています。 -
ちなみにカラカラ帝とはこのお方。
在位紀元211~217年。フォロ・ロマーノの凱旋門にその名を残すセプティミウス・セヴェルス帝の長男。
父の死を受けて23歳で皇帝就任。紀元217年、29歳になるとまもなく、パルティア戦役の途中、メソポタミアの地で、警護隊隊長による謀殺により死去。 -
正面右側の外壁部分
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中央はサウナ室のあたり
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塔のようにそびえる壁。その左側にあったのが熱室。
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地下空間も見学できます。
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昔のカラカラ浴場のスケッチ。
周りは崩れたままの状態。。。 -
正面向かって左側(南東側)のジムだった場所。
屋根がかかっていた場所には到底思えない。 -
モザイクタイルが綺麗に残されていました。
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スイミングプールから熱室方向を望みます。
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スイミングプールの、そびえ立つ外壁部分
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ジムにつながる空間から中央の冷室方向を眺めて
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少しコミカルな雄牛のモザイク
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中央はイルカでしょうか。
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当時の巨大な空間を想像するとほんとうに圧倒されます。
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カラカラ浴場はここまで。期待以上の場所でした。
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カラカラ浴場を後にして、やってきたのはアッピア街道。
この先の方向のようです。 -
先ほど見学したアウレリアヌス城壁にある18の門の中でも最大の大きさのサン・セバスティアーノ門。
ここがアッピア街道の起点。 -
1マイルごとに立てられた柱石(マイルストーン)。
ここは第一マイル柱石。 -
石畳で「舗装」されたアッピア街道。
紀元前312年、執政官アッピウス・クラウディウスによって敷設された、ローマ最初の執政官道路。
中央部にゆるやかな尾根を造り、傾斜により雨水が道路端に流れるように造られている。 -
第二マイル柱石
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まだ始まったばかりの街道なのに、既に周辺は建物もなく。
不思議な感じ。。。 -
舗装された道路は軍団の俊敏な移動を可能にし、帝国の安全保障の要の一つとなった。
そして、この街道をモデルにして、あの広大なローマ帝国の至るところに街道網が張り巡らされることとなった。 -
約40分ほど歩いて、サン・セバスティアーノ聖堂に到着。
使徒ペテロとパウロの遺体が一時期ここのカタコンベに埋葬されていたらしい。 -
「マクセンティウスの競技場」を示す看板
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マクセンティウスの競技場に到着。
マクセンティウスはフォロ・ロマーノの「マクセンティウスのバシリカ」にもその名を残す。
長さ520m・幅92mの競技場だったらしく、現在のナボーナ広場(ドミティアヌスの競技場跡:長さ275m・幅106m)よりも遙かに大きな競技場だったことがわかる。 -
118番のバスに乗り、アッピア街道を後にしました。
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チルコ・マッシモでバスを下車。
近くの屋台でスイカを買って食べました。
駅から地下鉄に乗って、ホテルに戻ります。
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