
2020/03/25 - 2020/03/25
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minaMicazeさん
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3月25日、太田市の「大光院」へ、サクラを見に行きました。ここは、特にサクラの名所というわけではなく、境内に何本かのサクラがあるだけですが、名所ではないだけに、三密回避にはなったと思います。
境内のサクラは、蕾がまだ残っていますが、ほぼ満開でした。前橋では、この翌日のサクラの満開が宣言されました。
旅行記作成に際しては、現地説明板、太田市および太田市観光物産協会HP、JAPAN WEB MAGAZINE、ウィキペディアなどを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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群馬県太田市の市街地の北端、金山城趾がある山の麓に「大光院」があります。
写真は東側の道路で、右側はスバルの工場(跡地?)です。左の看板に表示されている市営駐車場に向かいます。 -
市営駐車場です。無料です。向こうの山にサクラが咲いています。
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実は、上の市営駐車場の南側、境内に隣接した駐車場もあります。30台くらい駐められます。
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駐車場の南側から、境内に入ります。
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歩いて行くと、境内の中央の広場があり、「臥龍松」と呼ばれる松の古木があります。
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松の右(北)に、本堂があります。
「大光院」は、「義重山大光院新田寺」という浄土宗のお寺ですが、地元では、昔から「子育て呑龍」あるいは「呑龍さま」と呼ばれ、親しまれています。 -
イチオシ
南東側から見た「臥龍松」と本堂です。
「大光院」は、徳川家の始祖といわれる源義家八幡太郎の孫・新田義重をお祀りしています。 -
その右側(東側)にも立派な建物があります。庫裏でしょうか。
「大光院」は、慶長18年(1613)に、徳川家康が新田義重を祀るために創建しました。 -
南西側から見た「臥龍松」です。右奥が、駐車場から歩いてきた道です。
「大光院」創建に際しては、芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。 -
西側の立派な建物は「開山堂」です。説明板によると、昭和8年に建てられたもので、正面壇上には開基子育呑龍上人ご自作の尊像が安置されているそうです。
「大光院」創建の頃、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。 -
イチオシ
「開山堂」の南東側にサクラが咲いています。
「呑龍上人」は、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。そのため「子育て呑龍」と呼ばれて慕われ、「大光院」も「子育て呑龍」あるいは「呑龍さま」と呼ばれ、今日まで篤い信仰を集めています。 -
大きな木ではありませんが、綺麗に咲いています。
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「開山堂」とサクラです。
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「開山堂」の前からサクラを見ると、その向こうには古い建物が見えます。
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そのサクラの下から北を見ると、「開山堂」の北東側、回廊の手前にもサクラが咲いています。
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北東側は、枝垂れ桜です。
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このサクラも満開です。
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イチオシ
北東側から見た「開山堂」と2本のサクラです。
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本堂と開山堂を結ぶ回廊の北側には「弁財天」があり、その参道にもサクラが咲いています。
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「弁財天」と参道です。
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境内内側から見た参道と「吉祥門」です。こちらが表で、駐車場からの入口は裏です。
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参道から「開山堂」を見ると、手前には2体の仏像が置かれています。
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参道の西には「大光院幼稚園」があり、門の横にはサクラが咲いています。
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サクラの向こうには、幼稚園の遊具が見えます。
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その向こうには園舎が見えますが、今は使われていないようです。
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かつては、ここで大勢の子ども達が遊んでいたのでしょうね。
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鐘楼の周りにもサクラが咲いています。
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鐘楼の南側から見た境内です。
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イチオシ
鐘楼の周りのサクラも、ほぼ満開です。
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この鐘楼の梵鐘は明治42年(1909)に鋳造されましたが、太平洋戦争で供出されたままでした。その後、昭和31年(1956)に、呑龍上人西端400年を記念して再鋳造されました。
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鐘楼の東は、大型遊具のある公園です。かつて、ここには動物園があり、コンクリートの丘のような大型滑り台があり、そして自衛隊から貸与されたヘリコプターが展示されていました。ネット情報によると、2005年3月に閉園されたそうです。
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公園から見た境内です。
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サクラは、まだ蕾がありますが、ほぼ満開ですね。
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イチオシ
サクラ、綺麗ですね。
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これは「大光院」の山門、「吉祥門」です。
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「大光院 吉祥門(だいこういん きっしょうもん)」は、太田市指定重要文化財です。
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元和元年(1615)に、中門として建立されたと伝えられています。間口三間、奥行1間の切り妻造りで、桟瓦葺です。瓦の葺き替え、袖垣の修理のほかは、ほとんど当時のまま保存され、古式をよく残しています。(説明板による)
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「吉祥門」から境内を出て、南へ歩きます。写真は振り返ってみた参道です。(中央奥が「吉祥門」)
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さらに南へ歩いて、振り返ります。かつては、この両側に土産物屋等が並んでいて、賑やかな門前町だったかもしれません。現在は、空き地や住宅が並んでいます。(中央奥が「吉祥門」)
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参道を南へ歩いてくると、丁字路です。(写真左が参道)
写真右奥が東方向で、奥に見える山の中腹にはサクラが咲いています。(前の旅行記で紹介した「受楽寺」です。) -
振り返って西を見ると、橋があります。この川は「八瀬川」といって、太田市の市街地のほぼ中央を北から南へ流れています。
「八瀬川」の両岸にはサクラ並木があり、この後、ここから南へ約800mを歩いて往復します。(次の旅行記で紹介します。) -
「八瀬川」両岸のサクラ並木を散策して、「大光院 吉祥門」まで戻ってきました。
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境内を通って、駐車場へ戻ります。
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綺麗な青空に恵まれた三密回避でした。
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鐘楼の梵鐘は「慈愛の鐘」と名付けられています。
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境内の北東側から出て、駐車場に戻ります。
( おしまい )
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