2020/04/01 - 2020/04/03
485位(同エリア1141件中)
アーサーさん
お正月の旅行社のセールメールの中に、「往復踊り子利用!伊豆・下田温泉『下田東急ホテル』でのんびり過ごす 3日間」一人29,900円のプランがあった。4月の中旬から11日間のイラン旅行(一人旅)を計画していたので 体力増強の確認と妻へのお詫びも含めて 一月初め申し込むことにする。
2月になり 新コロナウィルスの蔓延から イラン旅行は中止となり、いつの間にか その他の海外旅行計画が難しくなっていく。 段々と「不要不急の行動」が自粛騒動になっていく。
3月12日の旅行代金取消料発生日を迎えてもまだ近場の国内旅行は大丈夫だろうと思っていたが それから急激に雰囲気が変わっていく。東京の今年の桜は早く咲いたが 桜を見る会も今年は自粛して 来年見ましょう とかの動きに変わっていく。
そんな中で迷いながらも 決行した「ヨタヨタ老人夫婦の短期間逃避行」。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JR特急
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
(1)4月1日(水)
①
当日の朝 生憎の小雨模様だった。
10時過ぎの「踊り子」号乗車までが 少し車内混雑し 感染リスクが高いと恐れていたが 実際 混雑度はそうでもなかった。マスクを付け 防護策を取れば何とかなった感じ。
特急の車内は 二割以下の乗車率。ガラ空き。ほっとした。 -
②
途中沿線の風景では 桜が曇り空で 寂しく咲き乱れていた。
河津駅では 河津桜の葉っぱが青々と茂り 一月バスで訪れた時と様変わり。
河畔に八重桜も咲いていて 写真に撮る。 -
③
約3時間の乗車で 無事伊豆急下田駅に着き、ホテルの送迎バスで 丘の上の下田東急ホテルへ向かう。途中 熟年のドライバーさんが簡単に 下田の観光案内をしてくれる。嬉しい。街は 小さな街のイメージ。
(10年ほど前に 車で下田には来たことあったが ほとんど覚えていない。)
3時前にホテル到着。 係の女性は親切に 手の消毒、ホテル案内をしてくれる。客が少ないせいもあるのだろうが 大切にされている風に受け止められ 満足。
写真は 翌日晴れた日に ガーデン側から撮ったホテル全景。 -
④
ホテルの部屋は 新しくはないが 綺麗にメンテナンスされ 充分満足。 -
⑤
何よりも 窓からの風景が素晴らしい。太平洋を見下ろせる。
一寸曇天で残念だが 気分が晴れる。 -
⑥
早速 温泉に行き 湯に浸かる。ほぼ貸し切り状況。
新コロナウィルス対策で 勝手に解釈してサウナにゆっくり入り 熱気でわが身を消毒する。(ちょっと 流石にバカみたい。)
露天風呂で自然に身を任せ 悠久の時間の流れに浸る。来てよかったと納得。 -
⑦
それから 部屋に帰り一眠り。
5時半からの夕食に食堂に向かい、和食系のコースを頂く。
食堂の定員を二分の一以下に制限しているためか 窓際にしか人はいない。
写真は前菜。健康的な食事で 多彩だが 量は少なく老人には美味しかった。
窓の外の芝生では ハクセキレイのつがいが忙しく走り回っていた。 -
(2)
4月2日(木)
①
カーテンを開けたら 海が光っていた。
昨夜 ベッドの中で読書をして いつの間にか眠り、ぐっすり朝まで眠れたみたいだった。
今日は 春の晴れた一日。 -
②
7時過ぎの 朝食会場に行き 離れた窓際の席に案内され バイキングを頂く。
使い捨ての手袋使用とか 徹底した衛生管理。
朝食は地元食彩の種類も多く、珍しかったが やはり冷えたものが多く、老人にはもう一つ。
朝食後 ロビーで新聞を読んだり、ガーデンを散歩したりして それから一風呂浴びて、11時過ぎの送迎バスで 街に出かける。 -
③
最初に「マイマイ通り」の「宝福寺」に寄り、唐人お吉のお墓に参詣。
それから 写真の「下田開国博物館」に向かう。 -
④
博物館は二棟に分かれ、少し古かったが 展示物は 実物で 下田の地理的・歴史的な役割がよくわかった。特に開国の新しい時代への幕開けの様子が多方面から展示されていた。良い博物館だった。 -
⑤
博物館への行き帰り見かけた シロサギ。水路の餌の魚をずーと見つめていた。
さっき見た 幕末の時代も これからも この地にはシロサギの血を引く生き物が変わらず生きて行くのかなぁと思った。 -
⑥
それから 「ペリーロード」周辺を歩く。地元の人が大切に残してくれている気持ちが伝わるエリアだった。 -
⑦
大切にしたいエリアだった。実際には見慣れた風景ではないけれど 頭の中の想像の世界か あるいは遺伝子の何処かに刻まれた世界か「懐かしい」風景だった。 -
⑧
それから 1854年の「ペリー艦隊上陸の碑」まで ブラブラと歩く。
近代に組織的に太平洋を渡り、日本を開国に導いてくれた偉人に首を下げる。
(正しくは 艦隊は1853年大西洋を横断し、喜望峰を通りインド洋から浦賀に来た。そして 下田で翌年和親条約を結び、艦隊のみが太平洋を渡り、南米のホーン岬からニューヨークに帰着。だそうです。)
ペリーの胸像に向かい合っていると
それから約150年、二度の世界大戦を経て、グローバル化が進み、世界が進化しているように思っていたけれど 今回のコロナ騒動で 案外底が浅い気がしてきた。 -
⑨
そして ブラブラと下田の街をぶらつぎ、またペリーロードに戻り 飲み屋さん風の食堂に入った。写真の 軽い昼食に刺身どんぶりを頂く。思いがけず 鮮度抜群で美味しかった。 -
⑩
長楽寺(日露和親条約締結の所)のところで 白壁越しに桜が満開だった。
それから ホテルの送迎バスに出会い 乗せて帰ってもらう。
本日の歩行数。約一万歩。 -
⑪
ホテルに帰り、早めの風呂に入る。本日も貸し切り状況でゆっくり昼風呂を楽しむ。
そしていつもの一眠り。
スマフォでは 新コロナウィルス騒動のニュースが伝えてくれるが 遠い世界。
「医療崩壊」の危機と声高々に叫ぶが そんなに簡単に壊れるものか?医療従事者の方々は普段から何をしていたのか?「また想定外?」
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で夜も眠れず」幕末の狂歌を思い出す。
今夕も5時半から 夕食 本日は洋食のコース。 -
(3)
4月3日(金)
①
本日も晴天。新島とか神津島らしき島影がかすかに見える。結構行き交う船影。
ガーデンから写す。 -
②
今日も朝食のバイキングを美味しく頂き、ゆっくりしてから11時過ぎにホテルをチェックアウト。駅まで送迎バスで送ってもらう。
ホテルのおもてなしの心意気 有り難う。 -
③
予約している列車に時間があったので 駅から10分ほどの道の駅「開国下田みなと」まで歩く。新しい施設で意気込みは分かるが 閑散としていて ちょっと居づらい。
早々と引き返す。
写真は幹線沿いの道の駅。 -
④
駅に引き返す途中 出会った「センター街」のシャッター街の様子。
人だかりが殆どない。無惨。
観光客目当ての街は難しいものと思う。でも「共同体」がそれなりにあるのだろうけれど。 -
④
伊豆急下田駅に帰り、誰もいない足湯場にお湯の空しく流れる施設を見て お土産屋さんで ちょっと義務的に干物と果物の自家用土産と弁当を購入した。
写真は閑散とした駅前ロータリーの付近。 -
⑤
午後1時過ぎの特急列車で東京に戻る。
車内の乗客は 一車両6名のみ。
「不要不急の外出自粛」だが 危機意識をセンショナルに煽るだけは「挙国一致」「戦時体制」スローガンの時代を思い出す。未知のウィルスへの恐怖は分かるけれども 人類はその恐怖を幾度となく医学的社会的「英知」で克服してきた。社会福祉制度・国際協力もそんな軟なものではないはず。少しの間 耐える期間は必要かもしれないが。
車窓から眺める 山桜の艶やかな風景を眺めながら 心を慰めれれた。
4時過ぎ無事に自宅に帰った。今回の旅も 短いけれど良い旅だった。
⑤
午後1時過ぎの特急列車で東京に帰る。
客車の乗員は6名だった。
「不要不急の外出自粛」の掛け声は 危機意識高揚の「挙国一致」のスローガンを思い浮かべる。未知のウィルスは得体の知れない不気味なものだけれど 人類は幾度となく その難関を英知で乗り越えてきた。社会福祉制度も そんな軟なものではないはず。
車窓から眺める変わらぬ山桜の艶やかな風景に 心を慰められ 無事に4時過ぎ自宅に戻った。いい旅だった。
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