2019/12/29 - 2019/12/29
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Weiwojingさん
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これまで過去10数年間中国を訪ねる多くの機会を得、北京を始め上海、大連、哈爾浜、成都、福州等を何度か訪ねたことがあった。あまり有名な観光地を見学することには興味はないが、ただその土地の市場や寺院、教会等を訪ねることは大いに関心はある。
特に、古玩市場というアンチックを扱う市場をたずねるのが好きだ。どこも玉石混合といった具合で本物に出会うことは少ないが、そのような中でも書籍や古写真は偽物は少なく、価格も安いので学術的にも大いに興味がある。北京では「藩家園旧貨市場」に何度も出かけた。ここはあまりにも広くて、何度出かけてもどこに何があるのかよくわからないほどで、しかも出入り口が何カ所もあり、毎回迷ってしまうほどである。
小生が興味を持っているのはアンティック写真で、70~100年前程の中国の古い写真である。こうしたものは日本では手に入らない。あっても高価である。しかし、中国では古玩市場で見つけることは可能である。大都市ならばあちこちにある。中国人の友人と共に時間をかけて、ゆっくり見つけるのがコツである。値段交渉は友人に任せる。そんなふうにしてかなりの古写真や絵葉書を収集してきた。興味を持つて頂ければ、幸甚に思う。
- 旅行の満足度
- 5.0
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古玩市場に行くと、古本屋の片隅の方にどこででも古い写真や絵葉書が置かれている。ただあまり興味を持つ人はいないようだ。そんな訳でじゅうくり腰を下ろして、探し物をする。
この絵葉書は1枚50元程度で手に入れたものであるが、20世紀初頭のもので、北京郊外(万里の長城)をラクダが移動しているところを撮った絵葉書である。今ではラクダを見かけることはほとんどないので、珍しい。 -
北京城内の正陽門を撮った絵葉書で、上の絵葉書同様彩色したものである。
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これは前門付近の写真で、右側に上記の西陽門が見える。左側は中華門である。中華門は現存していない。
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戦前、北京を始め上海、上海、大連、天津には「横浜正金銀行」の支店があった。この絵葉書には北京東交民巷の同銀行の北京支店が左側に見える。今も同じところにあり、内部を見学することが出来る。
横浜正金銀行は現在はこの名前では存在しないが、戦後、東京銀行になり、その後は三菱東京UFJ銀行となった。今も大手銀行の一つとして存在している。 -
横浜正金銀行北京支店の現在の姿。上の写真と比べても、ほとんど変わっていない。ドームの色が変わったくらいである。
建物は横浜にある本店の建設に携った妻木頼黄(つまき よりなか)が1907年に建設したと言われているが、彼は中国に来たことがないので実際に携わったことはない。ただ、彼が設計し、森川範一が現場監督を務めたようである。 -
北京の藩家園旧貨市場に何度か訪れた。広すぎてどこに何があるか分からないほどだ。数年かけて何度か通ううちに大雑把な見取り図が頭の中にでき、迷うこともなくなった。
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この市場は外国人の来訪者も多い。見ていると、値切るのが実に上手である。中国人売り子の方が根負けしてしまうほどである。彼らは半値まで値切ろうとする。それにしても我が方は1~2割まけてもらうと、もうそれで満足してしまう。大きな違いだ。
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ある一角を露店の古本売り場が占め、学生の姿が多く見られる。このようなところの隅の方に写真や絵葉書などが置かれている。あまり見る人はいない。
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こんな風にアンティック写真も置かれていたりするが、これらはかなり高い。どの写真もコピーではなく、オリジナルで、正にこのようなものがよい。小生も数枚購入した。
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この写真は藩家園旧貨市場で入手した。単にに古い写真というのではなく、下部に書かれた文字に注意してほしい。「長崎 宮本崎陽軒 / A. MIYAMOTO」と英語と日本語で書かれた文字が見える。またその下に何やら文字が書かれていたようであるが、黒く塗りつぶされていて、判読できない。恐らく長崎に住んでいた中国人を撮った写真と思われる。偶然にも北京で入手したが、探せばこのような写真を手に入れることが出来るのだと実感した。
ただし、このような写真の価値を塾知した目の肥えた売主だと、こちらの様子をよく観察していて欲しいそぶりをみせたりすると、高額な売値を付けてくる。おおよそ要求額の半値あたりから交渉するのが肝心である。
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漢服(漢装とも)を着た4人の男性が北京故宮の九龍壁の前で立ち話でもしているのだろうか。
この写真は何十枚というガラクタ写真の中から時間をかけて見つけた一枚である。 -
中国人と茶を飲む習慣は切っても切り離せない関係にあり、一日に何度もお茶を飲む。この方たちは茶道具を公園へ持って行き、そこでのんびりと飲んでいるようである。
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この男性は行商人だろうか、かごに何か入れたものを売りに歩いている姿が撮られている。
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北京には古い街並みが残されていて、今なおこのような光景を見ることが出来る。こうした建物は四合院と言われ、政府の役人や金持ちが住んでいた。ただ、2000年の北京オリンピツクの開催に合わせて、かなりの部分が取り壊されてしまった。
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四合院の入口にはこのような厳重な門が設けられ、屋敷の中を窺うことが出来ない。
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なかなか珍しそうなドアの装飾であるが、下の方のブリキの丸い円が面白い。左脇に鍵が付いてる。
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中央の2つの丸い輪はノッカーで、訪問者が鉄の部分を叩いて、来意を告げる。
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この絵葉書は遼寧省大連の日本人街を撮ったもので、上部に書かれた説明によると、
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こちらも日本人街の絵葉書であるが、これらは大連で入手したものである。
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横浜正金銀行大連支店。この建物は今でも存在する。このような戦前の大連市内を撮った絵葉書がかなり売られている。
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賑わいを見せる夕刻の日本人街・浪花町通り。
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春5月頃のアカシヤが生い茂る公園。
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連鎖街心斎橋通りの賑わい。日本語のネオンがあちこちに輝き、日本にいるのと変わらない。
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大連第一尋常小学校の児童達。中央に立っているのは先生か。
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左側堂々とした建物は満州鉄道本社で、現在もここにある。中も見学できる。
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大連監部通り。
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大連駅前からまっすぐ伸びる大通り。左側のビルには200以上の商店が入っている。
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15万円の工費と2年間の年月をかけて造られた日本橋。大山通りとロシア人街を結んでいる。
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路面鉄道が走る大山通り。今も路面鉄道は市内を走っていて、市民の足となっている。
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奉天(現 瀋陽)中心部大通りの写真。
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ここからは哈爾濱(ハルピン)の絵葉書を紹介したい。この絵葉書は哈爾濱で最も美しいと言われたキタイスカヤ街で、ロシア人が作った街である。
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ロシア風の建物が軒を連ねるカタイスカヤ街。きれいな街並みは昔のロシアを彷彿させるほどである。
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埠頭区日本人小学校。これが小学校の建物だとはとても思えない。
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ハルピン停車場。
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ハルピン停車場ホーム。当時、満鉄の列車が運行されていた。
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ハルピンの街はロシア語の看板ばかりで、中国語で書かれたものが見えないほどである。
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日本人居留民が住んでいたモストーワヤ街。日本語で書かれた看板がたくさん見える。
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埠頭区モストワヤ街。美しい町並みが広がっている。
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ここからはしばらく上海の写真が続くが、これらの写真は上海独特の風景を切り取ったものだと言ってもよいだろう。
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南街という地区の民家。家の外では子供が遊んでいる。
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フランス租界のアパート。微かに昔日の華やかなころの面影が残されている。
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こちらもフランス租界にある瀟洒な建物のようであるが、アールデコ風の香りがする。
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毛沢東だろうか。彼の似顔絵が張られている。
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これも文化大革命期の写真と思われるが、背後に「公開 公平」と書かれたスローガンが見える。
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「毛主席万歳」と書かれた文字の脇を自転車や荷馬車が通る。
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戦前日本の租界があった虹口地区。この地区には何万という日本人が住んでいた。小生もこの辺はよく歩いた。
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どこにでもあるような商店街だが、建物の屋根の部分に出窓のようなものがある。そこは屋根裏部屋の役割をしているのだろうか。
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裏街の一角の夕暮れ時。
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天主堂(カトリック教会)の内部。上海には教会が多い。
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教会(おそらく、ロシア正教?)の入口で集合写真を撮っている人々。
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アパートの郵便受け。
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廃墟になる寸前の建物。
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白さが目につく煙突。
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以前は劇場だった建物が住宅となり、多くの人々が住んでいる。劇場だった頃の華やかな装飾が残されている。
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和平飯店(Peace Hotel )のドアノッブ。
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「井岡山村」と書かれた標識のある街の一角。
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街角でパフォーマンスをする男性とをそれを物珍しいそうに見ながら通りすぎる女性の対比が印象的である。
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これから紹介する写真はすべて四川省成都を題材にした絵葉書で、約70~80年前の一般市民の日常生活を撮ったものである。
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小舟がたくさん岸に置かれ、そのわきには日常の生活用品が置かれている。そばに子供がいる。
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古い造りの家のようで、人を載せる籠が置かれている。
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街の中心部にある市場には多くの人々が買い物に訪れている。
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雨に濡れた住宅街を歩く男性の姿。
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何かの政治的な集会の様子を撮った写真だろうか。演壇だけでなく集まっている聴衆にも辮髪をした多くの人々の姿が見える。
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この写真にも右側の広場で多くの人が集まって、集会でもしているようだ。
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珍しい路上床屋の風景。今でも田舎に行くと見かけることがある。
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父親が子供の勉強でも見ているのだろうか。
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公園では鳥籠を木にぶら下げて、その鳥の鳴き声に男性たちが聞き入っている風景である。こうした楽しみは男性のもので、今でも公園や茶店で見ることが出来る。
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大きな看板が出ていて、そこには中央に「茶」という文字が見える。看板の向う側にお茶を飲む人々の姿が見える。ここは茶店なのだろう。
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成都の裏通りでは洗濯物が干され、老人がのんびりと過ごしている。
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左側に「○○菜館」と書かれた文字があり、外では人々がのんびり寛いでいるのが見える。
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あるお屋敷の前にはざるの上に果物(?)を載せて、乾燥させているのだろうか。
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霧で霞んだ川のほとりで洗濯をしている人の姿が見える。こういう風景は今でも見ることが出来る。
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成都の街並みは四合院の建物が折り重なり、独特な景観を見せている。この風景は今では残されているのだろうか。恐らくもう見ることが出来ない100年前の光景だろう。
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家の前でイスに腰掛け本を読む老人の姿が見える。家の中でも閉められた戸の隙間から老女が同じように何かを読んでいるようだ。このような写真からもこんな具合に人々の日常のほんの一コマを垣間見ることが出来る。
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人通りのある、ちょっとした商店街。
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物売りが天秤棒を置き、一休みしているところのようだ。ひと昔には中国の都市部では物売りが家々を回り、食料品や雑貨などを歩いて売っているのがよく見られた。
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路地裏でテーブルを持ち出して麻雀をする人々がいる。今も変わらない光景だ。
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人民服を着た人々の姿が見え、右側の男性は人民帽をかぶっている。
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「文珠院」と言う文字が見えるが、これは成都にある道教寺院である。
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洗濯物が翻った路地裏は気取りのない庶民の街で、市民の普通の生活を垣間見ることが出来る。このようなところを歩くのは好きだ。友人の中には怖くてこんなところを歩けないという人もいる。
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この写真は20世紀後半(60年くらい前)の写真であるが、路上で親子が麺を啜っているところである。
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「纏足」をした女性の写真がある。20世紀半ばころまで女性の間で行われていた纏足をご存知ですか。
纏足と言うのは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにする、かつて著性に対して行われていた風習である。この風習は唐の末期に始まったが、女性の足の親指以外の指を足の裏側に折り曲げ、布できつく縛ることで、足の整形を行ってきた。
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