2019/11/01 - 2019/11/03
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Komabaanさん
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20年以上にわたり唐津の焼きものに惹かれて通っていますが、唐津くんちは今回で2度目となります。
今回は曳山が練り歩く中町通りに面したお店の2階からじっくりと観て楽しみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 私鉄 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この日も機上から富士山がはっきりと見えました。
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福岡空港に到着後、中洲のバスターミナルに。
朝ごはんは「やりうどん」!
槍のようなゴボ天が特徴です。やりうどん 福岡店 グルメ・レストラン
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博多中洲から唐津へ。
そのまま北波多の唐津焼三里窯へ直行して土づくりをすこしお手伝い。 -
三里窯の浜本先生の提案で三里窯の後背地にある甲城という中世堡塁あとの神社へ行ってみようということになりました。足元の危ない階段を登る登る。
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山中のお花
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手作り感満載の鳥居
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本殿お参り後、更に登ると巨石が。おそらくこちらが奥社的なもともとの信仰対象であったのではと考えます。
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「甲城稲荷神社」さまといいます。
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地元の方々が熱心に信仰されているのか赤い鳥居群も。
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地元とはいってもそこは一面の茶畑です。
これお茶の花です。お茶ってツバキ科の植物なんです。 -
茶畑の傍から眺める岸嶽。唐津焼のふるさとともいえる山。
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その後、唐津周辺を楽しもうということになり、伊万里から橋を渡って長崎県の福島にある「土谷棚田」へ。田畑は空っぽですが秋の海ときれいにマッチングしています。
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ちなみに福島は佐賀県伊万里市とは橋でつながっていますが、長崎県とはつながっていません。こういう行政区割りもあるんですね。
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さて夕方、唐津へ戻り、今度は東京の知り合いと合流。
まずは「酔虎寿し」。つまみで鯨は唐津らしい。初訪ですが呑兵衛に向いていますね。 -
あなごのタレはやや苦めでよろしい。
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鯖寿司のうまいこと!
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二次会三次会は覚えてません。なぜそこまで盛り上がっていたのか。
更に深夜に「龍虎軒」にも行ってしまった。。。
くんちの前夜だからか。。。 -
翌朝も快晴!
再び三里窯の浜本先生と今度は佐世保方面へ。
ミカン畑の中に太平洋戦争の嚆矢となった真珠湾攻撃を指令する「ニイタカヤマノボレ」を送信したという伝承のある(実際には異なるらしい)針生の旧海軍佐世保無線電信所(針生送信所)へまいりました。 -
今でも威容を保っているコンクリート製の電信塔は三本、最高137mあります。大正11年のものですから、太平洋戦争開戦時には既に古い施設だったものと思われます。
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印象的な外観
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電信塔入口
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こうしてみるとまるで古代遺跡のよう。
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足元の様子
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内部を見上げると。
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今度は西海橋にきました。
晴天のもと穏やかな海と橋梁が美しく競演しています。長崎県立西海橋公園 公園・植物園
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橋の袂の食堂「エンチ」でお昼。
エンチ グルメ・レストラン
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何がウリかわかる昭和な食堂です。
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あらかぶ定食です。「あらかぶ」とはカサゴのこと。
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「あらかぶ」の味噌汁のアップ。見た目以上に美味しい!
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帰りに三川内焼の里へ立ち寄りました。
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ご一緒した浜本先生の若い自分の思い出の窯場でもあるようです。
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それではということでついでに有田の里にも立ち寄りました。
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有田焼始祖、李参平のお堂。
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有田の町の後背地に聳える黒髪山。いつかハイキングがてら登ってみたいです。
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泉山磁石場。ここから日本の磁器の歴史が始まった。
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露天掘りはとうにしなくなっており、現在は天草の石を使っています。
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さて唐津市内へと戻りました。
「鯛山」の魚屋町の方も足早に。 -
昨晩も一緒だった連れと、先ずはガード下屋台で待ち合わせ。
その後、唐津くんち見物する中町の座敷へと繰り出します。さなえ グルメ・レストラン
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中町の青獅子。今見ている場所がここ中町だけに、盛り上がりも相当なものです。
青獅子は全14曳山のうち、第二番曳山で文政七年(1824)の制作です。 -
キターっ!
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唐津くんちで人気一位の「鯛」は、第五番曳山として弘化二年(1845)に制作されたものです。魚屋町の山だから鯛!
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後ろ姿も素晴らしい!
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曳山の中でも大型な六番曳山「鳳凰丸」。大石町の曳山で、弘化三年(1846)に制作されました。
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鳳凰の顔
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新町の飛龍。原形の細工は陶工の九代中里太郎衛門、中里重造政之の兄弟が行ったとか。第七番曳山で弘化三年(1846)の制作です。
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飛龍の顔
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本町の金獅子。本町が唐津の一番町として、一番曳山「赤獅子」(刀町)に負けない曳山として弘化四年(1847)に作られたのが、第八番曳山「金獅子」です。
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明治二年(1869)に制作された米屋町の十一番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」。
題材は「大江山鬼退治」の場面で、「切られた酒呑童子の首が源頼光の兜鉢に食らいついた」様子です。 -
最後を飾る第十四番曳山は江川町の「七宝丸」であす。二台ある船形のひとつで、明治九年(1876)の制作、曳山本体には1.宝珠、2.軍配、3.打ち出の小槌、4.隠れ蓑、5.宝袋、6.丁子、7.一対の巻物の七つの宝があるそうです。
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この後、曳山が全台唐津神社の前に揃う壮観な光景も展開されるのですが、前回観たので、今夜は唐津で宿がとれず博多まで戻るJR線の最終に間に合うべく会場を後にします。
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博多で夜食のウェストのうどん。
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今宵は夜景だけにしておとなしく就寝です。
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さて最終日。帰京便まで精力的に動きます。
まずは太宰府へ。ただし天満宮ではなく本当の「太宰府」跡へ。 -
観世音寺へ向う途中、秋桜が咲き乱れる原に出逢いました。
晩秋ですね! -
「観世音寺」さんは九州屈指の古刹で7世紀のもの。
「天下三戒壇」のひとつとして、奈良の東大寺、栃木の下野薬師寺と並ぶそうです。観世音寺 寺・神社・教会
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金堂
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当山の梵鐘は現存する日本最古のもので、7世紀末の鋳造とされる。
京都は妙心寺の698年製の鐘と兄弟鐘ともいわれる。
尚、この梵鐘の音は「日本の音風景100選」のも選ばれている。 -
国宝梵鐘の全体像
尚、当山の宝蔵はまるで博物館のようでありながら、静寂につつまれた展示場で重文の馬頭觀音立像を始めとして多くの収蔵仏教美術品を拝観することができ、とても見応えがあります。 -
太宰府でもうどん!「太宰府うどん」として売り出していました。
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さて、うどん屋さんでお店の方と話し込んでいるうちに、この太宰府に新元号「令和」所縁の神社があると聴き、さっそく立ち寄ることにしました。
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こちらが新元号「令和」で一気に有名になった「坂本八幡宮」さまです。
「令和」の典拠となった万葉集の歌が当地に在った大伴旅人の邸宅で歌われた、というのがその理由ですが。
大伴旅人邸が、坂本八幡宮の周辺にあったと考えられなくもない、というのが実際のようです。 -
新元号の話が出る前には、地元の氏子の方々がお祀りするだけの神社でしたが、今や平日でもこの通り、広くもない境内が実に多くの参拝者で溢れています。
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Wikipediaでみると以前は1日の参拝者が20名程度であったところが、新元号発表直後は3,000人に増えたそうです。特に新元号の始まった5月1日には御朱印を求めて1万5千人が列をなし、それからも連日5,000人以上が集まったそうです…
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私もミーハーになりまして…
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太宰府政庁跡
「都督府古跡」とある。 -
かなり広大な敷地がかつての政庁跡です。
太宰府政庁の庁舎のことを「都府楼」と称したそうで、今でも最寄の西鉄の駅名は「都府楼前」です。 -
さあ、西鉄に乗り博多へ戻ります。
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まだ終わりません。
実は福岡にくるとほぼ必ず「福岡アジア美術館」に寄ります。
なかなか情報の少ないアジアの美術史が俯瞰できる上、最新のアートシーンも覗くことができる優れた美術館です。
従い搭乗まで
数時間ありますので、今回も訪問しました。福岡アジア美術館 美術館・博物館
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都府楼前駅
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今回は開館20周年記念展として「アジア美術館、100年の旅」と称しかなり網羅的にアジアの近代以降の美術を展示していました。
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東アジアから北アジア、東南アジア、南アジアまで。
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実に力強く躍動しているアジア美術を感じました。
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