2020/03/11 - 2020/03/11
571位(同エリア6124件中)
マッコリさん
東日本大震災より9年が立ちました。
先週に引き続きこの地の記録を投稿させて頂きます。
思い返してみてあの震災後も暫く社会的閉塞感が続きました。余震、物不足、電力不足など。
今も新型コロナウイルスという新たな社会的閉塞感がありますね。
今日の陸前高田は風は強かったですが清々しく晴れていました。
今日の陸前高田のような空が世の中に近く又戻ってくることを祈っています。
PR
-
陸前高田近辺の鉄道網についてですが東日本大震災の影響により線路等は破壊され流されてしまいました。
-
気仙沼線は柳津駅までは列車運行されています。
-
早期復旧を目指すべく採用されたのがBRTシステム(バス高速輸送システム)でした。これは鉄道線路跡をバス専用道として整備し運行するというものです。
-
このシステムを採用したことにより2012年12月に復旧させることが出来ました。
-
BRT車窓より。南三陸町辺りの風景です。BRT システムの利点としては①車両購入費など鉄道に比べて安いコストで済む②一般道を通ることも出来るので病院や公民館などにも停留所を設けることが出来る。③運行費用が安く済むので時間帯に合わせた増便ダイヤを組むことが出来る。などがあります。
②に関しては高齢化率が高い地域でありますので利便性として特に高齢者には良いものだと思います。 -
南三陸町あたりの風景。宅地整備などが行われている様子です。BRTにも良い点ばかりでなく課題はあると思います。①一般道も使用するので運行ダイヤ通りの運行が出来ないこともしばしば。渋滞や信号まち等々ありますので仕方ないことですが。渋滞等の理由で接続列車は基本待ちませんので、その辺りはBRTシステムの欠点ですかね。②鉄道運行時代に比べて所要時間がかかってしまうこと。停留所が増えたこともありますがこの辺りが欠点だとは思います。
-
気仙沼駅です。ここで大船渡線と合流します。鉄道駅とBRTホームが融合した作りとなっています。
-
大船渡線もここ気仙沼から盛駅までがBRTシステムとなっています。2013年3月に復旧しました。
-
車内の様子。
-
BRT 奇跡の一本松駅です。この駅もBRTが小回りがきく上で震災後出来た駅です。
-
本日は風は強い日でしたが清々しく晴れていました。
-
-
あの出来事から9年の月日が経ちます。
-
あの日と同じ14:46の時が来ました。
-
あの日この陸前高田では1700名もの方が亡くなりました。ご冥福を祈ります。
-
9年経った今復興にむけた整備も行われていますがまだ途上です。
-
-
陸前高田にはいくつか震災遺構が残されています。こちらは旧陸前高田ユースホステル。津波で無残な姿になってしまいました。
-
しかしこの建物の不幸中の幸いは2011年1月より長期休館に入っていたため犠牲者は出ずにすんだことでした。
-
そしてこの敷地にあった松の木の防波堤となりこの松の木を守ったと言われています。
-
この松の木を残すにあたっては賛否両論だったのが正直ありました。多額の費用をそこまでかける必要があるのか?もっと人的なことに使ったらどうなのか等々。
-
しかし今『希望のシンボル』として名前も全国に知れ渡っているのも事実。人々の希望として立ち続けてほしいです。
-
-
漫画家のやなせたかしさんもこの木にメッセージを送っています。
-
-
青空に流れる雲とこの木を暫く眺めました。
-
-
-
-
この奇跡の一本松駅には津波伝承館があり展示物や映像などがあります。
-
田野畑村消防団の車。津波で流されてしまいました。消防団の方々の力は復旧作業において重要なものでした。岩手県内では90名もの方が殉職されました。
-
震災遺構の一つ気仙中学校です。津波が市内で一番早く到達したエリアにあります。鉄筋コンクリート3階建の校舎は完全に津波で水没しました。校舎の屋上に津波の到達水位の表示がありますが、屋上にいても全く安全ではないという尋常ではない高さの津波が襲いました。当日学校にいた生徒教員は敏速に高台に避難し難を逃れ全員無事でした。
-
道の駅高田松原タピック45は国道45号に面する道の駅でした。津波の直撃を受けつつも建物の原型をしっかりと留めているのはここが元々津波の避難施設として建てられたためでした。この建物も津波により上部をわずかに残して水没します。しかし、そこでは3名の避難者が津波から難を逃れられたのです。
-
-
こちらは下宿定住促進住宅で、若い世代向けの市営住宅でした。
鉄筋コンクリート5階建てのこの市営住宅は一目見ればどこまで津波が到達したのかをつぶさに見て取ることができます。海に面しているベランダや窓は4階部分まで全て破壊されています。
辛うじて5階のベランダの化粧パネルは残っていますが、5階の床上まで津波が到達していたことを示す表示があります。5階にいても命の保証がなかったという事実をそのままの姿で伝えています。 -
震災遺構については人々の様々な想いがあり複雑なところもあります。『あの時のことをもう思いだしたくない』『無残な姿をいつまでもおいておくのは惨めだ』等々。
しかしひとつ今回ご紹介した震災遺構からは一人の犠牲者も出ていないのです。後世に津波の怖さと対処法を伝える上では教訓になるのではないかとも思います。複雑な気持ちの部分もありますが。 -
かつては7万本もの松の木がここにはありましたが『奇跡の松の木』以外は津波に飲み込まれてしまいました。現在国道45号線付近にこのように植林されています。
-
時間はかかるでしょうが大きく立派に育ってほしいものです。
-
希望の未来があることを切に祈っています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39