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1月13日に四日市で会合があるため、前日から出掛けることにして、全国で一番短い名前の市「津」を久しぶり(ン十年ぶり)に訪ねました。<br />昔から「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と言われる三重県の県庁所在地「津」ですが、現在は、伊勢へ行く人は多くても、津へ旅する人はあまり多くないかも知れませんね。<br /><br />久しぶりに「津ぅ」のうなぎを食べた後、城づくりの名士藤堂高虎が手掛けた津城跡や津観音と周り、国宝に指定された大きな堂宇2つを有する高田本山専修寺をお参りさせてもらいました。<br /><br />表紙の写真は、津城跡に建つ丑寅三重櫓です。<br /><br /><br /><br /><br />

「津」、全国で一番短い名前の市へ

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2020/01/12 - 2020/01/13

77位(同エリア315件中)

6

79

morino296

morino296さん

1月13日に四日市で会合があるため、前日から出掛けることにして、全国で一番短い名前の市「津」を久しぶり(ン十年ぶり)に訪ねました。
昔から「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と言われる三重県の県庁所在地「津」ですが、現在は、伊勢へ行く人は多くても、津へ旅する人はあまり多くないかも知れませんね。

久しぶりに「津ぅ」のうなぎを食べた後、城づくりの名士藤堂高虎が手掛けた津城跡や津観音と周り、国宝に指定された大きな堂宇2つを有する高田本山専修寺をお参りさせてもらいました。

表紙の写真は、津城跡に建つ丑寅三重櫓です。




旅行の満足度
4.0
交通手段
新幹線 JRローカル 私鉄

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  • 近鉄 津新町駅 12:30頃<br /><br />名古屋から近鉄電車を利用して津新町駅までやって来ました。<br />(津新町駅は、津駅の一つ先)<br />津市の中心街へは、津新町駅の方が近いです。

    近鉄 津新町駅 12:30頃

    名古屋から近鉄電車を利用して津新町駅までやって来ました。
    (津新町駅は、津駅の一つ先)
    津市の中心街へは、津新町駅の方が近いです。

    津新町駅

  • うなぎ 新玉亭<br /><br />津新町駅から徒歩10分、津城跡にほど近い新玉亭は、明治23年創業。<br />4階建てビル1棟がまるまる店舗で席数は250もあります。<br />(随分前に利用した時は、これほど大きなビルではなかったのですが。)<br />

    うなぎ 新玉亭

    津新町駅から徒歩10分、津城跡にほど近い新玉亭は、明治23年創業。
    4階建てビル1棟がまるまる店舗で席数は250もあります。
    (随分前に利用した時は、これほど大きなビルではなかったのですが。)

    新玉亭 グルメ・レストラン

  • うなぎ 新玉亭<br /><br />お店の隣には大きな駐車場が2か所あり、ほぼ満車状態でしたが、<br />タイミングよく、待たずに入店できました。<br />案内時に「20~30分待ちますが宜しいですか?」とのこと。<br /><br />津市内には、うなぎ料理専門店が20数軒あり、津市の人は「うなぎ」をよく食べるのだそうです。(平成17年度の総務省家計調査データでは、うなぎの消費量が日本一だったそうです。)

    うなぎ 新玉亭

    お店の隣には大きな駐車場が2か所あり、ほぼ満車状態でしたが、
    タイミングよく、待たずに入店できました。
    案内時に「20~30分待ちますが宜しいですか?」とのこと。

    津市内には、うなぎ料理専門店が20数軒あり、津市の人は「うなぎ」をよく食べるのだそうです。(平成17年度の総務省家計調査データでは、うなぎの消費量が日本一だったそうです。)

    新玉亭 グルメ・レストラン

  • うなぎ 新玉亭 上丼(うなぎ4切、2500円)+肝吸い(100円増しで肝吸いに変更)<br /><br />待つこと約20分、このうな丼とは久々のご対面です。<br />秘伝の辛口のタレと、炭火で焼いた香ばしいうなぎのかば焼き、<br />外はカリカリ、中はフワフワ。(関西風と言ってよいのでしょうか)<br />うなぎ丼は、うなぎ1切から4切まであり(1切ごとに550円増し)。<br />お米は伊賀米や一志米を使う地産地消。<br />ご飯を沢山食べたい人は、中盛をたのんで食べられた人は、次回から大盛をたのめる手形を貰えるそうです。(並盛でも十分のボリュームです)

    うなぎ 新玉亭 上丼(うなぎ4切、2500円)+肝吸い(100円増しで肝吸いに変更)

    待つこと約20分、このうな丼とは久々のご対面です。
    秘伝の辛口のタレと、炭火で焼いた香ばしいうなぎのかば焼き、
    外はカリカリ、中はフワフワ。(関西風と言ってよいのでしょうか)
    うなぎ丼は、うなぎ1切から4切まであり(1切ごとに550円増し)。
    お米は伊賀米や一志米を使う地産地消。
    ご飯を沢山食べたい人は、中盛をたのんで食べられた人は、次回から大盛をたのめる手形を貰えるそうです。(並盛でも十分のボリュームです)

  • 津市役所<br /><br />以前は大門町にあったが、昭和54年(1979)に現在地に移転。

    津市役所

    以前は大門町にあったが、昭和54年(1979)に現在地に移転。

  • 津城跡(お城公園)の解説<br /><br />津城(別名、安濃津城)は、築城の名手・藤堂高虎が手がけた城で、「続日本100名城」の一つ。<br />織田信長の弟・信包(のぶかね)によって、天正8年(1580)に築城。<br />その後、富田氏が城主となり、関ケ原の戦い(慶長5年)の前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火に遭い荒廃。<br />慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊予今治から移り、本丸の北側を広げ石垣を高くし、堀を整備するなどの大改修を加えた。<br />城を中心に北・西・南に武家屋敷を整備し、東には町屋を置き、街はずれを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、街の発展に努めた。<br />城下町の東端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに城下の外側の守りとした。<br />堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。<br />西側の武家屋敷の西一帯は湿地帯で、ここに町屋を建てることを禁止し、万一の場合と火災に備えた。<br />2代藩主高次は、それをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えました。<br />明治の終わりに外堀が埋められ、現在は、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、復興された三層の角櫓と石垣で昔を偲ぶことができます。

    津城跡(お城公園)の解説

    津城(別名、安濃津城)は、築城の名手・藤堂高虎が手がけた城で、「続日本100名城」の一つ。
    織田信長の弟・信包(のぶかね)によって、天正8年(1580)に築城。
    その後、富田氏が城主となり、関ケ原の戦い(慶長5年)の前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火に遭い荒廃。
    慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊予今治から移り、本丸の北側を広げ石垣を高くし、堀を整備するなどの大改修を加えた。
    城を中心に北・西・南に武家屋敷を整備し、東には町屋を置き、街はずれを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、街の発展に努めた。
    城下町の東端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに城下の外側の守りとした。
    堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。
    西側の武家屋敷の西一帯は湿地帯で、ここに町屋を建てることを禁止し、万一の場合と火災に備えた。
    2代藩主高次は、それをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えました。
    明治の終わりに外堀が埋められ、現在は、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、復興された三層の角櫓と石垣で昔を偲ぶことができます。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 日本庭園(西之丸)にある入徳門(市指定史跡)<br /><br />文政3年(1820)、津藩主10代藩主藤堂高兌によって創設された藩校有造館の講堂正門として建てられました。<br />明治4年(1871)に廃藩置県により廃校となり、その後、小学校第一校、師範学校、津中学校、三重女子校兼附属幼稚園、入徳幼稚園、県立図書館の正門を経て昭和46年に現在地に移されました。

    津城跡 日本庭園(西之丸)にある入徳門(市指定史跡)

    文政3年(1820)、津藩主10代藩主藤堂高兌によって創設された藩校有造館の講堂正門として建てられました。
    明治4年(1871)に廃藩置県により廃校となり、その後、小学校第一校、師範学校、津中学校、三重女子校兼附属幼稚園、入徳幼稚園、県立図書館の正門を経て昭和46年に現在地に移されました。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 本丸の石垣<br /><br />なにやら人だかりがありましたが、<br />おじさんカメラマンが女性モデルの撮影会をされていました。<br />女性とお城の石垣、いい写真は撮れたでしょうか?<br />

    津城跡 本丸の石垣

    なにやら人だかりがありましたが、
    おじさんカメラマンが女性モデルの撮影会をされていました。
    女性とお城の石垣、いい写真は撮れたでしょうか?

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 本丸<br /><br />現在は天守台が残るのみですが、かっては五重の天守と小天守があったと言われます。<br />周囲には、丑寅櫓はじめ5つの櫓があり、多門櫓と呼ばれる渡り廊下でつながっていたそうです。

    津城跡 本丸

    現在は天守台が残るのみですが、かっては五重の天守と小天守があったと言われます。
    周囲には、丑寅櫓はじめ5つの櫓があり、多門櫓と呼ばれる渡り廊下でつながっていたそうです。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 本丸に建つ藤堂高虎の騎乗像<br /><br />築城の名士と言われる藤堂高虎。<br />慶長13年(1608)、富田信高が宇和島藩に移封され藤堂高虎が22万石で入封、地名を津に改めると津城の改修と城下町の整備に尽力し現在の津市の基礎を築きました。<br />藤堂家は外様大名ながら徳川家の信頼が厚く伊勢、伊賀2国32万3千石まで加増を重ね12世に渡り藩主を歴任に明治維新を迎えています。<br />また、城下町は伊勢神宮への参拝路にあたり、江戸中期以降爆発的に流行ったお伊勢参りの参拝客が数多く利用し「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ」などと歌われ大きく繁栄しました。<br />藤堂高虎は、築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られます。<br />高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比されるそうです。

    津城跡 本丸に建つ藤堂高虎の騎乗像

    築城の名士と言われる藤堂高虎。
    慶長13年(1608)、富田信高が宇和島藩に移封され藤堂高虎が22万石で入封、地名を津に改めると津城の改修と城下町の整備に尽力し現在の津市の基礎を築きました。
    藤堂家は外様大名ながら徳川家の信頼が厚く伊勢、伊賀2国32万3千石まで加増を重ね12世に渡り藩主を歴任に明治維新を迎えています。
    また、城下町は伊勢神宮への参拝路にあたり、江戸中期以降爆発的に流行ったお伊勢参りの参拝客が数多く利用し「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ」などと歌われ大きく繁栄しました。
    藤堂高虎は、築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られます。
    高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比されるそうです。

  • 津城跡 復元された丑寅三重櫓<br /><br />津城本丸の東北隅に位置する櫓、五間四方の層塔型三重三階で、同じ大きさであった戌亥櫓とともに城内最大の櫓であったと考えられるそうです。<br />

    津城跡 復元された丑寅三重櫓

    津城本丸の東北隅に位置する櫓、五間四方の層塔型三重三階で、同じ大きさであった戌亥櫓とともに城内最大の櫓であったと考えられるそうです。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 丑寅三重櫓<br /><br />壁面には長押形を飾り、城内側にも窓を設けるなど、他の城では天守に相当する格式の櫓。<br />

    津城跡 丑寅三重櫓

    壁面には長押形を飾り、城内側にも窓を設けるなど、他の城では天守に相当する格式の櫓。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 丑寅三重櫓の横(北側)にあるお堀<br /><br />藤堂高虎が造った石垣でしょうか。<br />確かに反りはありませんね。

    津城跡 丑寅三重櫓の横(北側)にあるお堀

    藤堂高虎が造った石垣でしょうか。
    確かに反りはありませんね。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 丑寅三重櫓<br /><br />先ほどの撮影会の一行がやって来ました。

    津城跡 丑寅三重櫓

    先ほどの撮影会の一行がやって来ました。

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡 丑寅三重櫓の北側にあるお堀

    津城跡 丑寅三重櫓の北側にあるお堀

    津城跡 名所・史跡

  • 津城跡に隣接する高山(こうざん)神社<br /><br />藤堂高虎を祀る。津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。<br />津市の商工業の守護神、市民の氏神として、現在も広く信仰を集めているそうです。<br />

    津城跡に隣接する高山(こうざん)神社

    藤堂高虎を祀る。津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。
    津市の商工業の守護神、市民の氏神として、現在も広く信仰を集めているそうです。

    高山神社 寺・神社・教会

  • 高山神社 手水鉢<br /><br />解説はありませんでしたが、<br />年季の入った金属製の水鉢で、内側にはステンレスの鉢が入れられていました。

    高山神社 手水鉢

    解説はありませんでしたが、
    年季の入った金属製の水鉢で、内側にはステンレスの鉢が入れられていました。

    高山神社 寺・神社・教会

  • 高山神社<br /><br />高山神社の創建は明治10年(1877)、津藩初代藩主藤堂高虎の御霊を勧請したのが始まりとされます。<br />当初は両社八幡神社の境内に鎮座していましたが、明治34年に津城本丸跡に遷座、昭和44年に現在地(旧津城内堀)に遷りました。<br />なお、藤堂高虎の墓は、東京都台東区上野恩賜公園内の寒松院にあるそうです。

    高山神社

    高山神社の創建は明治10年(1877)、津藩初代藩主藤堂高虎の御霊を勧請したのが始まりとされます。
    当初は両社八幡神社の境内に鎮座していましたが、明治34年に津城本丸跡に遷座、昭和44年に現在地(旧津城内堀)に遷りました。
    なお、藤堂高虎の墓は、東京都台東区上野恩賜公園内の寒松院にあるそうです。

    高山神社 寺・神社・教会

  • 高山神社 奉納された酒樽<br /><br />津市の松島酒造の出世酒「高虎」<br />

    高山神社 奉納された酒樽

    津市の松島酒造の出世酒「高虎」

    高山神社 寺・神社・教会

  • 百五銀行 丸之内本部棟<br /><br />三重県津市に本店を置く明治11年(1818)設立の地銀。<br />津市内で一番高層の建物でしょうか?<br /><br />

    百五銀行 丸之内本部棟

    三重県津市に本店を置く明治11年(1818)設立の地銀。
    津市内で一番高層の建物でしょうか?

  • 津市のビジネス中心地 津中央郵便局と三重会館(路線バス乗り場)

    津市のビジネス中心地 津中央郵便局と三重会館(路線バス乗り場)

  • 津市まん中広場にある津なぎさまちの看板<br /><br />中部国際空港(セントレア)へ高速船で45分。<br />看板の上の人形は?

    津市まん中広場にある津なぎさまちの看板

    中部国際空港(セントレア)へ高速船で45分。
    看板の上の人形は?

  • 津市 フェニックス通り<br /><br />なぎさまちへ向かう道

    津市 フェニックス通り

    なぎさまちへ向かう道

  • 蜂蜜まん本舗 津市民のソウルフード<br /><br />創業45年の名物饅頭、地元で愛され『はちまん』の愛称で親しまれています。<br />製造販売と店内喫茶でイートインも可能です。

    蜂蜜まん本舗 津市民のソウルフード

    創業45年の名物饅頭、地元で愛され『はちまん』の愛称で親しまれています。
    製造販売と店内喫茶でイートインも可能です。

    蜂蜜まん本舗 グルメ・レストラン

  • 蜂蜜まん本舗<br /><br />水谷養蜂場ゆかりの初代が「蜂蜜をもっと身近に」との想いから生み出した名物饅頭。<br />焼き立てをほおばると皮はパリッ、中のこしあんはアツアツ、ほんのり蜂蜜の風味が広がるそうです。(1個60円)<br />うな丼でお腹がいっぱいでしたので、焼いているところを見るだけで失礼しました。<br />この『はちまん』は、この店と津駅の売店でしか売っていないようです。

    蜂蜜まん本舗

    水谷養蜂場ゆかりの初代が「蜂蜜をもっと身近に」との想いから生み出した名物饅頭。
    焼き立てをほおばると皮はパリッ、中のこしあんはアツアツ、ほんのり蜂蜜の風味が広がるそうです。(1個60円)
    うな丼でお腹がいっぱいでしたので、焼いているところを見るだけで失礼しました。
    この『はちまん』は、この店と津駅の売店でしか売っていないようです。

    蜂蜜まん本舗 グルメ・レストラン

  • 天むす 千寿<br /><br />「天むす」といえば「名古屋」と思われる人が多いと思いますが、<br />実は、ここ津市の千寿が発祥の店なんです。<br />残念ながら、この日は閉店していました(店主病気のためだとか)。

    天むす 千寿

    「天むす」といえば「名古屋」と思われる人が多いと思いますが、
    実は、ここ津市の千寿が発祥の店なんです。
    残念ながら、この日は閉店していました(店主病気のためだとか)。

    めいふつ天むすの千寿 グルメ・レストラン

  • 津観音寺 山門<br /><br />創建は和銅2年(709)、阿漕ヶ浦の漁師の網により観音像が出現、安置したのが始まりと伝えられ、浅草観音(東京)、大須観音(名古屋)と共に、日本三観音の一つとされます。<br />江戸時代後期になると民衆にも伊勢参りが浸透し、津城下が伊勢神宮への参拝路にもあたる為、多くの参拝者が観音寺にも訪れるようになり「津に参らねば片参り」、、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」などと唄われました。

    津観音寺 山門

    創建は和銅2年(709)、阿漕ヶ浦の漁師の網により観音像が出現、安置したのが始まりと伝えられ、浅草観音(東京)、大須観音(名古屋)と共に、日本三観音の一つとされます。
    江戸時代後期になると民衆にも伊勢参りが浸透し、津城下が伊勢神宮への参拝路にもあたる為、多くの参拝者が観音寺にも訪れるようになり「津に参らねば片参り」、、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」などと唄われました。

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 山門に置かれている「撫で石」<br /><br />弘法大師ゆかりの霊場、四国八十八か所の中で最も難所と言われる60番札所「横峰寺」からもたらされた石。<br />この石を撫でた手で体の悪い所を撫でると良くなるとのことです。<br />(全身、撫でないといけないかな?)

    津観音寺 山門に置かれている「撫で石」

    弘法大師ゆかりの霊場、四国八十八か所の中で最も難所と言われる60番札所「横峰寺」からもたらされた石。
    この石を撫でた手で体の悪い所を撫でると良くなるとのことです。
    (全身、撫でないといけないかな?)

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 手水舎

    津観音寺 手水舎

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 鐘楼

    津観音寺 鐘楼

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 本堂と五重塔<br /><br />本尊の聖観音菩薩のほかにも多くの仏像が祀られているパワースポットといわれ、なかでも『国府阿弥陀如来』は伊勢神宮:天照大神の本地仏とされ、御利益をもらうために伊勢神宮と津観音の両方を参拝する習慣があったそうです。

    津観音寺 本堂と五重塔

    本尊の聖観音菩薩のほかにも多くの仏像が祀られているパワースポットといわれ、なかでも『国府阿弥陀如来』は伊勢神宮:天照大神の本地仏とされ、御利益をもらうために伊勢神宮と津観音の両方を参拝する習慣があったそうです。

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 境内の仏像

    津観音寺 境内の仏像

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津観音寺 護摩堂

    津観音寺 護摩堂

    津観音寺 寺・神社・教会

  • 津駅<br /><br />JR紀勢本線と近鉄電車が利用できます。<br />津観音の近くのバス停からバスで津駅まで移動しました。

    津駅

    JR紀勢本線と近鉄電車が利用できます。
    津観音の近くのバス停からバスで津駅まで移動しました。

    津駅

  • 駅ビル内の飲食店の看板<br /><br />ご当地グルメ「津ぎょうざ」は、直径15㎝の大きな皮を使った揚げ餃子。<br />学校給食から生まれた津市のご当地グルメだそうです。<br />お腹が空いていれば食べたのですがパスしました。

    駅ビル内の飲食店の看板

    ご当地グルメ「津ぎょうざ」は、直径15㎝の大きな皮を使った揚げ餃子。
    学校給食から生まれた津市のご当地グルメだそうです。
    お腹が空いていれば食べたのですがパスしました。

    津駅

  • 津ぎょうざ協会の幟<br /><br />津ぎょうざの妖精「つつみん」だそうです。

    津ぎょうざ協会の幟

    津ぎょうざの妖精「つつみん」だそうです。

    津駅

  • 紀勢本線 津駅ホーム<br /><br />駅名表示は、当然「つ」一文字です。<br />次の目的地、高田本山専修寺の最寄り駅「一身田」へ向かいます。

    紀勢本線 津駅ホーム

    駅名表示は、当然「つ」一文字です。
    次の目的地、高田本山専修寺の最寄り駅「一身田」へ向かいます。

    津駅

  • JR紀勢本線 一身田駅<br /><br />津駅から一駅、乗車時間は4分ほどですが、電車の本数が少ないので要注意。<br />また、無人駅のため車内精算となり、ICカードは使用できません。

    JR紀勢本線 一身田駅

    津駅から一駅、乗車時間は4分ほどですが、電車の本数が少ないので要注意。
    また、無人駅のため車内精算となり、ICカードは使用できません。

    一身田駅

  • JR紀勢本線 一身田駅

    JR紀勢本線 一身田駅

    一身田駅

  • JR一身田駅前の喫茶店tayu-tau<br /><br />レトロな建物は喫茶店でした。<br />意外にも(失礼)「満席」とのこと。<br />後で分かったのですが、この日は専修寺の「お七夜」のため参拝される方が多かったようです。

    JR一身田駅前の喫茶店tayu-tau

    レトロな建物は喫茶店でした。
    意外にも(失礼)「満席」とのこと。
    後で分かったのですが、この日は専修寺の「お七夜」のため参拝される方が多かったようです。

    喫茶 タユタウ グルメ・レストラン

  • 高田本山 専修寺(せんじゅじ)境内案内図<br /><br />JR一身田駅から徒歩5分ほど。<br />三重県の中ほど、津市一身田町に位置し、宗祖親鸞聖人の教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田本山と通称親しみを込めて呼ばれています。<br />境内には数多くの伽藍が建ちならびます。

    高田本山 専修寺(せんじゅじ)境内案内図

    JR一身田駅から徒歩5分ほど。
    三重県の中ほど、津市一身田町に位置し、宗祖親鸞聖人の教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田本山と通称親しみを込めて呼ばれています。
    境内には数多くの伽藍が建ちならびます。

    真宗高田派本山 専修寺 寺・神社・教会

  • 高田本山 専修寺 唐門(重文)<br /><br />天保15年(1844)建築。<br />扉中央の菊花紋をはじめ豪華な彫刻が施されています。

    高田本山 専修寺 唐門(重文)

    天保15年(1844)建築。
    扉中央の菊花紋をはじめ豪華な彫刻が施されています。

    真宗高田派本山 専修寺 寺・神社・教会

  • 高田本山 専修寺 手水舎

    高田本山 専修寺 手水舎

    真宗高田派本山 専修寺 寺・神社・教会

  • 高田本山 専修寺 如来堂(国宝)<br /><br />平成29年11月28日、御影堂とともに国宝に指定されました。<br />寛延元年(1748)建築。<br />「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来の木造が安置されています。<br />(御影堂とともに堂内での写真撮影が可能でしたが、写真は個人的利用に限られており、紙面・Web・フォトコンテストなどへの掲載は不可とされていました。)

    高田本山 専修寺 如来堂(国宝)

    平成29年11月28日、御影堂とともに国宝に指定されました。
    寛延元年(1748)建築。
    「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来の木造が安置されています。
    (御影堂とともに堂内での写真撮影が可能でしたが、写真は個人的利用に限られており、紙面・Web・フォトコンテストなどへの掲載は不可とされていました。)

  • 高田本山 専修寺 御影堂(国宝)<br /><br />寛文6年(1666)建築、平成の大修理として平成19年12月に修理完了。<br />親鸞聖人の木造を安置する780畳敷のお堂は、全国の現存木造建築物の中で5番目の大きさだそうです。<br /><br />真宗高田派の本山専修寺は、宗祖親鸞聖人の教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田派に所属する寺院は全国に600余ヶ寺あるそうです。<br />また、栃木県真岡市にある本寺専修寺と共に境内の御廟に親鸞聖人の遺骨をお守りします。

    高田本山 専修寺 御影堂(国宝)

    寛文6年(1666)建築、平成の大修理として平成19年12月に修理完了。
    親鸞聖人の木造を安置する780畳敷のお堂は、全国の現存木造建築物の中で5番目の大きさだそうです。

    真宗高田派の本山専修寺は、宗祖親鸞聖人の教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田派に所属する寺院は全国に600余ヶ寺あるそうです。
    また、栃木県真岡市にある本寺専修寺と共に境内の御廟に親鸞聖人の遺骨をお守りします。

  • 高田本山 専修寺 国宝の御影堂と如来堂<br /><br />お七夜は、毎年1月9日~16日まで7日7夜にわたり営まれる親鸞聖人の報恩講で、毎年10万人余の人がお参りされるようです。

    高田本山 専修寺 国宝の御影堂と如来堂

    お七夜は、毎年1月9日~16日まで7日7夜にわたり営まれる親鸞聖人の報恩講で、毎年10万人余の人がお参りされるようです。

  • 高田本山 専修寺 茶所(重文)<br /><br />飲み物、甘味、おみやげがあります。

    高田本山 専修寺 茶所(重文)

    飲み物、甘味、おみやげがあります。

    真宗高田派本山 専修寺 寺・神社・教会

  • 高田本山 専修寺 鐘楼(重文)<br /><br />梵鐘は慶安5年(1652)鋳造。<br />御堂での勤行前に撞かれます。

    高田本山 専修寺 鐘楼(重文)

    梵鐘は慶安5年(1652)鋳造。
    御堂での勤行前に撞かれます。

  • 高田本山 専修寺 太鼓門<br /><br />内部に大きな太鼓が釣り下がり、一身田町の人々に時を告げています。

    高田本山 専修寺 太鼓門

    内部に大きな太鼓が釣り下がり、一身田町の人々に時を告げています。

  • 高田本山 専修寺 山門<br /><br />宝永元年(1704)建築。<br />寺院の門としては最高の格式であり、楼上には釈迦三尊仏を安置。<br /><br />お七夜の期間中は、門前には露店が並び、多くの人で賑わいます。

    高田本山 専修寺 山門

    宝永元年(1704)建築。
    寺院の門としては最高の格式であり、楼上には釈迦三尊仏を安置。

    お七夜の期間中は、門前には露店が並び、多くの人で賑わいます。

  • 高田本山 専修寺 16:08頃<br /><br />国宝指定の祝賀幕。<br />そろそろ失礼することに。<br />帰りは、近鉄電車を利用することに。

    高田本山 専修寺 16:08頃

    国宝指定の祝賀幕。
    そろそろ失礼することに。
    帰りは、近鉄電車を利用することに。

    真宗高田派本山 専修寺 寺・神社・教会

  • 近鉄一身田駅 16:32頃<br /><br />専修寺から徒歩約25分、結構、歩きました。<br />近鉄電車で四日市まで移動。

    近鉄一身田駅 16:32頃

    専修寺から徒歩約25分、結構、歩きました。
    近鉄電車で四日市まで移動。

  • 近鉄 四日市駅前 17:17頃<br /><br />この後、ホテルにチェックインして、一休みした後、夕食へ。

    近鉄 四日市駅前 17:17頃

    この後、ホテルにチェックインして、一休みした後、夕食へ。

  • 四日市 居酒屋ゑびす<br /><br />ネットで日曜の夜も営業している店を探して。<br />このお店は、食べログの評価も高い人気店のようで、2時間制。<br /><br />刺身の三種盛り(実際には6種)が780円とお得でした。<br />ぶり大根も頼んだのですが、売り切れでした。

    四日市 居酒屋ゑびす

    ネットで日曜の夜も営業している店を探して。
    このお店は、食べログの評価も高い人気店のようで、2時間制。

    刺身の三種盛り(実際には6種)が780円とお得でした。
    ぶり大根も頼んだのですが、売り切れでした。

  • 四日市 居酒屋ゑびす<br /><br />三重県のお酒「宮の雪 生原種」をいただきました。<br />

    四日市 居酒屋ゑびす

    三重県のお酒「宮の雪 生原種」をいただきました。

  • 四日市 居酒屋ゑびす<br /><br />翌日の予定に備えて、控えめにして退散しました。<br /><br />(おしまい)

    四日市 居酒屋ゑびす

    翌日の予定に備えて、控えめにして退散しました。

    (おしまい)

  • 1月13日の朝 ホテルの朝食<br /><br />麦とろ、粕汁、焼き魚、卵焼きとバランスの良い和食でした。<br />

    1月13日の朝 ホテルの朝食

    麦とろ、粕汁、焼き魚、卵焼きとバランスの良い和食でした。

  • 四日市シティホテルアネックス<br /><br />今回お世話になったホテルを、8:40頃にチェックアウト。<br />1泊朝食付で税込み5,300円とCPが良かったですが、<br />難を言うと、隣の部屋の話し声が聞こえて寝にくかったです。

    四日市シティホテルアネックス

    今回お世話になったホテルを、8:40頃にチェックアウト。
    1泊朝食付で税込み5,300円とCPが良かったですが、
    難を言うと、隣の部屋の話し声が聞こえて寝にくかったです。

    四日市シティホテルアネックス 宿・ホテル

  • 近鉄四日市駅前<br /><br />会合まで時間があるので少し散策することにしました。<br />近鉄四日市駅とJR四日市駅を結ぶメイン道路、<br />道幅が約70mあることから通称70m道路と呼ばれます。<br />いつも近鉄四日市駅は利用しますが、JR四日市駅はほとんど利用しません。<br />

    近鉄四日市駅前

    会合まで時間があるので少し散策することにしました。
    近鉄四日市駅とJR四日市駅を結ぶメイン道路、
    道幅が約70mあることから通称70m道路と呼ばれます。
    いつも近鉄四日市駅は利用しますが、JR四日市駅はほとんど利用しません。

    近鉄四日市駅

  • 四日市 70m道路のパブリックアート<br /><br />「躍進」 片山義郎 作<br /><br />70m道路を歩いてJR四日市駅へ向かいます。

    四日市 70m道路のパブリックアート

    「躍進」 片山義郎 作

    70m道路を歩いてJR四日市駅へ向かいます。

  • 四日市 70m道路のパブリックアート<br /><br />「希望」 近藤英子 作

    四日市 70m道路のパブリックアート

    「希望」 近藤英子 作

  • 四日市 70m道路のパブリックアート<br /><br />「いたわり」 近藤英子 作

    四日市 70m道路のパブリックアート

    「いたわり」 近藤英子 作

  • 四日市市役所

    四日市市役所

  • JR四日市駅前に立つ稲葉三右衛門の銅像<br /><br />四日市湊を修築して近代港湾への基礎を築いた6代目稲葉三右衛門、<br />四日市港の方を見て立っています。

    JR四日市駅前に立つ稲葉三右衛門の銅像

    四日市湊を修築して近代港湾への基礎を築いた6代目稲葉三右衛門、
    四日市港の方を見て立っています。

  • 四日市 パブリックアート<br /><br />「憩う」 片山義郎 作

    四日市 パブリックアート

    「憩う」 片山義郎 作

  • JR関西線 四日市駅<br /><br />近鉄四日市駅からは約1Km、徒歩15分ほどでしょうか。<br />JR四日市駅を利用する人は少ないようで、駅の周辺も閑散としています。

    JR関西線 四日市駅

    近鉄四日市駅からは約1Km、徒歩15分ほどでしょうか。
    JR四日市駅を利用する人は少ないようで、駅の周辺も閑散としています。

    四日市駅

  • JR四日市駅近くの踏切<br /><br />名古屋行きの電車が入線

    JR四日市駅近くの踏切

    名古屋行きの電車が入線

  • 四日市 思案橋<br /><br />四日市市浜町・蔵町にある史跡。<br />国道164号を挟んで両側の歩道に復元された橋が設置されている。<br />天正10年6月、徳川家康は本能寺の変を避け泉州堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案したとされ、思案橋と呼ばれることとなったそうです。<br />結果、当地の廻船問屋の協力を得て、海路を採ったことから、家康はこの功を称えて、現在の四日市一帯を天領としたとされます。 <br />現在、川は流れていないませんが、1987年に橋を模したモニュメントが復元設置されました。<br /><br />今年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」は、本能寺の変の明智光秀が主人公ですね。 <br />

    四日市 思案橋

    四日市市浜町・蔵町にある史跡。
    国道164号を挟んで両側の歩道に復元された橋が設置されている。
    天正10年6月、徳川家康は本能寺の変を避け泉州堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案したとされ、思案橋と呼ばれることとなったそうです。
    結果、当地の廻船問屋の協力を得て、海路を採ったことから、家康はこの功を称えて、現在の四日市一帯を天領としたとされます。
    現在、川は流れていないませんが、1987年に橋を模したモニュメントが復元設置されました。

    今年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」は、本能寺の変の明智光秀が主人公ですね。

  • 四日市港 相生橋の上からの景色<br /><br />四日市と言えば石油コンビナートのイメージが強いですが、<br />港の近くには静かな船溜まりがあります。<br />四日市は工場夜景の綺麗な町ですが、<br />この相生橋も工場夜景が楽しめる場所の一つだそうです。<br /><br />

    四日市港 相生橋の上からの景色

    四日市と言えば石油コンビナートのイメージが強いですが、
    港の近くには静かな船溜まりがあります。
    四日市は工場夜景の綺麗な町ですが、
    この相生橋も工場夜景が楽しめる場所の一つだそうです。

    相生橋 名所・史跡

  • 四日市市のマンホール 3種類<br /><br />(上)四日市市と友好姉妹都市のロングビーチ市、シドニー市及び天津市の代表的な動物等をデザインしたもの。<br /><br />(左下)「東海道五十三次」宿場町「三重川」の図をデザインしたもの。<br />強風に葦がなびき、合羽の裾が翻す旅人と、飛ばされた笠を追う旅人が描かれています。<br />現在は工業地帯として有名な四日市だが、かつては三重川の河口に出来た湊町だった。四日市のはずれの「日永の追分」は東海道から分岐する伊勢参宮道の起点。<br />東海道を行く多くの旅人はここから伊勢神宮を目指したそうです。<br /><br />(右下)四日市市の花となっているサルビアをデザインしたもの。

    四日市市のマンホール 3種類

    (上)四日市市と友好姉妹都市のロングビーチ市、シドニー市及び天津市の代表的な動物等をデザインしたもの。

    (左下)「東海道五十三次」宿場町「三重川」の図をデザインしたもの。
    強風に葦がなびき、合羽の裾が翻す旅人と、飛ばされた笠を追う旅人が描かれています。
    現在は工業地帯として有名な四日市だが、かつては三重川の河口に出来た湊町だった。四日市のはずれの「日永の追分」は東海道から分岐する伊勢参宮道の起点。
    東海道を行く多くの旅人はここから伊勢神宮を目指したそうです。

    (右下)四日市市の花となっているサルビアをデザインしたもの。

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「薫風」 秦由怡子 作

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「薫風」 秦由怡子 作

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「親子鯨」 山本桂 作<br /><br />

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「親子鯨」 山本桂 作

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「若鯨」 山本桂 作<br /><br />

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「若鯨」 山本桂 作

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「きものの女」 石川一策 作<br /><br />

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「きものの女」 石川一策 作

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「発展の塔」 藤澤侑佑・熊本幸平 作<br />

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「発展の塔」 藤澤侑佑・熊本幸平 作

  • 四日市 諏訪新道のパブリックアート<br /><br />「式の前」 田中厚子 作

    四日市 諏訪新道のパブリックアート

    「式の前」 田中厚子 作

  • 四日市市 諏訪神社<br /><br />諏訪神社へお参りをして、用事がある都ホテルへ向かいます。

    四日市市 諏訪神社

    諏訪神社へお参りをして、用事がある都ホテルへ向かいます。

    諏訪神社 寺・神社・教会

  • 四日市1番街商店街<br /><br />四日市のマスコットキャラクター「こにゅうどうくん」<br />市制100周年(1997年)の記念の年に生まれた四日市市マスコットキャラクターで、名前は公募できまりました。 現在は、広く市民に愛される存在で、様々なイベントで活躍中です。 お父さんは大四日市まつりの名物「大入道(おにゅうどう)」。<br />

    四日市1番街商店街

    四日市のマスコットキャラクター「こにゅうどうくん」
    市制100周年(1997年)の記念の年に生まれた四日市市マスコットキャラクターで、名前は公募できまりました。 現在は、広く市民に愛される存在で、様々なイベントで活躍中です。 お父さんは大四日市まつりの名物「大入道(おにゅうどう)」。

    四日市一番街商店街 名所・史跡

  • 都ホテル四日市 正月飾り<br /><br />この日、会合があった都ホテル。<br />会合を終え、近鉄電車で名古屋へ出て、帰路へ。<br />心配された天気にも恵まれた旅となりました。<br /><br />(おしまい)<br />

    都ホテル四日市 正月飾り

    この日、会合があった都ホテル。
    会合を終え、近鉄電車で名古屋へ出て、帰路へ。
    心配された天気にも恵まれた旅となりました。

    (おしまい)

    都ホテル 四日市 宿・ホテル

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この旅行記へのコメント (6)

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  • toraobasanさん 2020/01/20 15:48:25
    四日市町中巡り。
    morino296さん、こんにちは。

     津市、高田本山、四日市へとたくさん廻られましたね。
     四日市に出て来た相生橋から見える橋を通っていつも自宅から、実家へ歩いてます。
     いろんな像も見落としなく撮られて、嬉しくなりました。
     思案橋の前通りも歩きます。
     JR四日市構内は、何もなく寂しくなりました。利用してないですけど。
     呑み屋さんの名前は、目にしたことありますが、何処だったかしらです。
     お酒飲みませんから、歩いてる場所がたくさん出て来て楽しかったです。

             toraobasan

    morino296

    morino296さん からの返信 2020/01/20 20:49:26
    RE: 四日市町中巡り。
    toraobasanさん

    こんばんは。
    書き込みいただき有難うございます。

    四日市、お邪魔しておりました。

    相生橋の近くには、友人も住んでいるのですが、
    お近くかも知れませんね。

    思案橋は、JR四日市駅前の観光案内の看板で知って行ってみました。

    四日市のパブリックアートは、もう少しあるようですね。
    また、次回お邪魔した時に探してみます。

    morino296
  • のーとくんさん 2020/01/19 18:25:10
    明日、津へ
    morino296さん
    こんばんは~
    津に行かれたのですね。
    実は、明日近鉄(20日)津に行きます。
    津に事業所があるからです。
    残念なことに、すぐ名古屋へ行くので、カメラは持っていかないのです。
    良い所がいっぱいあるようですね。
    ワーン。
     のーとくん

    morino296

    morino296さん からの返信 2020/01/19 19:53:07
    Re: 明日、津へ
    のーとくんさん

    こんばんは。
    折角、津に行かれるのに、時間がないのは残念ですね。
    名古屋への移動を遅らせないのですか?

    髙田本山専修寺は、なかなか見応えがありますよ。

    蜂蜜まんは、津駅の売店でも手に入るようですから、
    是非、味わってみて下さい。

    morino296

    のーとくん

    のーとくんさん からの返信 2020/01/20 20:36:38
    RE: Re: 明日、津へ
    morino296さん
    こんばんは。
    津駅で、蜂蜜まんを買いました。
    美味しかったですよ。
    のーとくん

    morino296

    morino296さん からの返信 2020/01/20 20:42:42
    RE: RE: Re: 明日、津へ
    のーとくんさん

    こんばんは。
    出張、お疲れさまでした。

    蜂蜜まん、お口に合って良かったです。

    次に行かれる時は、時間を作って散策してみてください。

    morino296

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