2019/12/12 - 2019/12/12
75位(同エリア481件中)
杏仁豆腐さん
早いもので、今年も師走。
12月ともなれば、やれ忘年会だの、やれクリスマスだの、やれショッピングだので、人が繰り出します。
そんな中、吉原中江で桜なべをいただきに、繰り出しました。
中江の予約時間まで、時間、北千住から歩いて南千住へ。カフェバッハで珈琲をいただき、中江に行きました。
以前から一度は行ってみたかった中江。歴史的な店で、馬をいただきました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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北千住駅で下車。
ここからスタートです。 -
千住本町商店街
旧日光街道を歩きます。 -
きそば 柏屋の前を通過。
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30階建てタワーマンション「千住ザ・タワー」の建設中です。
ここは森鴎外旧宅の地です。 -
繁栄 千住宿
日光街道千住宿は東海道品川宿、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿と並んで江戸四宿の1つです。 -
足立成和信用金庫前のチェーンソーアートの松尾芭蕉像
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『自然真営道』発見の地
自然真営道とは、「直耕」を人間の本来のあり方とし,四民上下や男女の別のない理想社会である「自然世」を説いた安藤昌益の主著です。 -
千住掃部宿(せんじゅかもんじゅく)宿跡
千住町が日光道中初の宿場と定められたのは寛永2年(1625)将軍徳川家光のときです。水戸佐倉道へ分岐する初宿であり、日光東照宮への将軍参詣や諸大名の参勤交代を中継する重要な宿場でもあります。現在の千住1丁目から5丁目までが最初の千住宿の地にあたります。その後、千住大橋を越えた小塚原、中村町(現・荒川区)辺りまで編入され、4キロメートル余りの街並みが続く千住宿となりました。
掃部宿(現千住仲町・河原町・橋戸町)は初宿指定の後、万治元年(1658)千住の堤外川原にある日光道中沿いに家並みができ、千住宿に加宿されました。
名前の由来は慶長3年(1598)村を拓き、元和2年(1616)掃部堤を築造した石出掃部介吉胤にちなみます。
掃部宿は千住宿の中でも有力商人が集まり、繁栄した町です。豊かさを基に江戸時代から続いた俳諧文化、江戸絵画、漢学、医学など良質な文化遺産を産み出したことでも知られています。明治時代になると千住中組となり、昭和6年(1931)に千住仲町となりました。江戸時代から明治・大正・昭和と千住仲町の商店街は千住仲町實業会と称し、足立区随一の繁華街でした。
昭和20年4月13日の夜間空襲の際、千住仲町の日光道中沿いの商家は一軒も残らず焼失してしまいました。その後、戦後の復興を遂げ、現在に至ります。 -
掃部宿憩いのプチテラス
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源長寺
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旧やっちゃ場通りには、屋号の木札が下げられています。
やっちゃ場の語源は投師(競り人)が「やっちゃ、やっちゃ」とセリ声をかけたことに由来するそうです。 -
「名人 鯉の隠居 佐可和鯉隠」「本坂川屋」
「千住酒合戦」文化十二年十月二十一日
千住一丁目問屋場前の諸家飛脚宿中屋の隠居六右衛門「中六」が還暦祝いに酒合戦を催した。
その勧進元は「中六」の呑友達の粋人鯉の隠居といわれた鯉隠(坂川利右衛門・頌酒堂・佐可和鯉隠・青物問屋坂川屋)が引受けた。
鯉隠は千住の俳人建部巣兆の門下で絵を描き、酒井抱一と親交があった。
千住に遊ぶ亀田鵬斎など文人墨客とも親交があり、江戸市中の文人らを来賓で招いている。
その顔ぶれは鵬斎をはじめ、谷文晁、酒井抱一、市河寛斎など知名度の高い人達であった。
竹塚村(現竹の塚)出身の文人、竹塚東子も来賓に連なっている。
鯉隠は、隅田川を千住の大橋で渡った素盞雄神社に文政三年(1820)に亀田鵬斎による松尾芭蕉句碑を建立している。
どうして南千住の素盞雄神社なのかは不明である。ご存知の方はお知らせ下さい。
寄贈 有限会社喜田家」 -
やっちゃ場の郷土史家 福嶋憲太郎
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道標「是より西へ大師道」
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やっちゃ場追想
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やっちゃ場の最大の特徴 投師の存在
通称「投師」、正式には出仲買商という。
千住のやっちゃ場だけにあった商人形態である。
店を持たず、仲買人の店先を借り、セリに参加して、いち早く大八車に品物を積み、東京市内の全市場へ駆けつけてゆくのである。
セリはその為に夏は早朝3時から始まっていた。
何が利幅があるかは情報の勝負である。
昭和初期の投師は150人位である。
市内の市場は投師の持込む青果物でかなりの部分が賄われていたと思われる。
それだけ千住のやっちゃ場が巨大な市場であったということであろう。 -
千住宿歴史プチテラスの前に芭蕉句碑
「鮎の子のしら魚送る別哉」 -
昭和5年の問屋配置図
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まちの歴史 千住の町並み
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問屋の創業者は清水嘉七。嘉永七年生まれの年号そのままを名にして嘉七となる。後年問屋を創業するに際し本家の川崎屋角丸を踏襲して川崎屋嘉七となり、更に屋号を川嘉とした。当時の屋号は概ねが出身地名や商いの品名を冠にして表すことが多い内では数少ない屋号の顕し方でやっちゃ場でも2~3軒といわれている。
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元青物問屋板橋屋
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出仲買商「笊屋」。
やっちゃ場には、ここにしかない「投師」という存在があったそうです。
「投師」とは店舗を持たない仲買人で、ここで競り落とした品物を大八車で神田・京橋といった市場へ売りに行ったそうです。 -
上を走るは京成本線
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奥の細道スタート地点の碑です。
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矢立初めの芭蕉像
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道標
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千住大橋が見えます。
国道4号線に出ました。 -
足立市場
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荒川区の奥の細道矢立初めの地。
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千住大橋を渡ります。
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冬は日が沈むのも早いです。
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八紘一宇の碑
「八紘一宇」は日本書紀の言葉から作られた言葉です。
天下を一つの家のようにすることと言うような意味だそうです。第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられたということです。 -
千住大橋の碑
「千住大橋」は「千住の大橋」とも呼ばれている。最初の橋は、徳川家康が江戸城に入って四年目の文禄三年(1594年)に架けられた。隅田川の端の中では、一番先に架けられた橋である。
当初は、ただ「大橋」と呼ばれていたが、下流に大橋(両国橋)や新大橋が作られてからは「千住」の地名を付して呼ばれるようになった。
江戸時代の大橋は木橋で、長さ六十六間(約120m)、幅四間(約7m)であった。
奥州・日光・水戸三街道の要地をしめて、千住の宿を南北に結び三十余藩の大名行列がゆきかう東北への唯一の大橋であった。
松尾芭蕉が、奥州への旅で、人々と別れたところも、ここである。
現在の鉄橋は、関東大震災の復興事業で、昭和二年(1927年)に架けられ、近年の交通量増大のため、昭和四十八年(1973年)新橋がそえられた。
昭和五十九年三月 -
イチョウの葉が道路に散っています。
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昭和34年と35年の風景
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素盞雄神社に来ました。
地元では千住素盞雄神社、天王様と呼ばれています。 -
社殿
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奥の細道矢立初めの句碑
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「行く春や鳥啼き魚の目は涙」
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鳥居と社殿
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銀杏の木が金色に染まっています。鮮やか!
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手水舎
地下140mから御神水を汲み上げています。 -
都知事鈴木俊一の歌碑
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瑞光石(ずいこうせき)。御祭神すさのお大神・あすか大神が光を放ち降臨した小塚の中の奇岩を「瑞光石」と言うそうです。
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富士塚・小塚原富士
創建の起源となった「瑞光石」のある小高い塚に、元治元年(1864)、 富士塚を築き浅間神社をお祀りしてあります。 -
地蔵・庚申塔
お地蔵様を中心とした江戸時代の庚申塔三基(区指定文化財)・宝篋印塔などからなる石塔群です。 -
狛犬
珍しい親子の獅子です。 -
神楽殿
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南千住駅に来ました。
南千住駅前の芭蕉像です。
芭蕉「旅立ちの地」が南千住か北千住かは定かではありません。 -
小塚原回向院に来ました。
「よしのぶ地蔵」です。1963年3月31日台東区下谷で誘拐され殺害された「村越吉展」ちゃん(当時4歳)の供養の為、建立されたものです。
この事件を機に刑法も改正されるほどの昭和史上の大事件でした。またこの事件で人命尊重の観点から「報道協定」が初めて行なわれました。 -
寛文7年(1667)に両国回向院の住職弟誉義観によって、行路病死者、刑死者の供養のため別院として創建されました。小塚原回向院は建立以来、町奉行や寄場役所から回向料を受けて、刑死者や牢死者の回向、また、安政2(1855)年には安政の大地震の犠牲者などの回向に務めてきました。磔地場として開創されてから220余年の間に、20余万人もの人々が埋葬されたと言われ、その大部分は重罪者だったと言われます。
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安政の大獄で処刑された福井藩士橋本左内の墓があります。
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橋本佐内顕彰碑です。
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吉田松陰の墓石
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右が盗賊、腕の吉三郎の墓。
左が毒婦高橋お伝(どくふたかはしおでん)の墓です。高橋お伝は、日本における女性死刑囚最後の斬首刑に処されたそうです。 -
延命寺に来ました。延命地蔵尊です。
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延命寺は、もとは小塚原回向院の一部でしたが、明治28(1895)年、土浦線(現在のJR常磐貨物線)敷設工事のために線路によって分断され、昭和57(1982)年11月20日に線路の南側の部分が延命寺として開山しました。
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延命地蔵尊の背中です。この地蔵は27個の花崗岩からなる寄せ石作りで、一般には「首切り地蔵」と呼ばれています。
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延命地蔵尊の向こうを常磐線が走ります。
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カフェバッハに到着。
スカイツリーをバックに看板。 -
バッハブレンドとチーズケーキをいただきました。
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店に入った時は満席でしたが、すぐに席に案内されました。
カフェバッハは、1968年に開業した老舗喫茶店です。
とても居心地の良い空間です。
以前は喫煙可でしたが、全席禁煙になっていました。 -
バッハブレンドは、癖が無く飲みやすい珈琲です。
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チーズケーキは正統派のチーズケーキです。
ケーキは店内で作られています。 -
バッハブレンドを豆で購入しました。
家でもバッハブレンドを楽しみました。 -
間違いなく名店です。
珈琲好きの人は一度は訪れたことがあるのではないでしょうか。 -
カフェバッハを出ると、辺りは暗くなっていました。
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スカイツリーも暗闇をバックにライティング。
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吉原の中江に到着しました。
予約してあります。 -
明治38年に浅草吉原に創業以来、4代にわたり「桜なべ中江」の暖簾を守っています。
創業110年以上の歴のある、国の有形文化財にも指定された中江。 -
神棚が店を見守っています。
1階の掘りごたつ式のテーブルに座りました。
2階は座敷です。 -
春夏秋冬の馬を描いた日本画が飾られています。江戸時代後期の画家・谷文晁の作品と伝えられています。
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谷文晁の馬の絵を背中に馬肉をいただきました。
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武者小路実篤直筆の扇子も。
武者小路実篤、岡本太郎も愛した「桜なべ」だそうです。 -
店に入った時は空いていましたが、やがて満席に。
忘年会の人もいました。 -
馬刺しです。ロース。
まったく癖がなく、美味しいです。 -
馬肉ソーセージ
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桜肉串焼き
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いよいよ、桜なべです。
極上ヒレ。 -
ザクです。
しらたき、葱、しめじ、焼き豆腐、麩 -
生卵でいただきます。
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赤身の馬肉はくどくなく、美味しくいただけます。
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ささがきごぼうとロースを追加しました。
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あとご飯
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鍋の残りのたれに溶いた卵を入れ、トロトロの状態をご飯にかけていただきます。
桜なべの醍醐味でもあります。
ヘルシーな馬肉。美味しくいただきました。 -
中江を出て、三ノ輪駅方面に進む途中に矢吹丈!
かっこいい姿です。
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