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今回の旅行の主目的はPlace on Wheelsという豪華列車に乗ることと、ヒンズー教の聖地Rishikeshに行くこと。参加者は4人。<br /><br />今回の旅行の大部分は12世紀から16世紀にかけてのイスラム教国家のインド侵略の歴史にかかわる遺跡を見ることになりましたが、ムガール帝国の支配下の遺跡でイスラム文化の影響を多く受けている。<br /><br />友人三人は東京からバンコック経由のフライトで十四時間程度でデリー着、私は北京から直行便で七時間半で到着。ホテルはデリーの中心地であるコンノート広場にありましたが、そこらじゅう道路工事で、ホテルの前も砂地になっており、これがいったいファイブスターのホテルかと疑いましたが、部屋は綺麗だった。<br /><br />到着後ホテルで休息し、四時過ぎの早い夕食とし、早速街中の結構有名な“Punjabi”というレストランで食事、幸いハッピーアワーとのことで飲み物は一つ注文するともう一杯はタダとのことで (ただし残念ながらワインボトルは例外)、子羊の脚と鳥のタンドーリ、それとインドカレーで一杯。取り敢えず皆満足し、旅の疲れもありホテルに帰って早寝。<br /><br />北京からサンダルを持っていくのを忘れたのでマーケットでサンダルを買いその後Palace on Wheelsの専用駅に。駅で歓迎のターバンとレイをもらいその後乗車。一両に四つの部屋があり、いずれもツインベッド、トイレとシャワーが付き、列車は二十年前のものだが、細部の装飾は中々趣がありました。幸い私たちは四人なので一車両独占で、車両ごとに二人の乗客係がおり、また各車両の一部はサロンになっており、そこで酒を飲んだり朝食を食べれるようになっている。一号室から四号室で我々は夫々マハラジャ1からマハラジャ4と呼ばれました。 <br /><br />汽車に帰ってから朝食と夕食。デリーを出て以来、線路脇は貧民窟とゴミばかりで、Jaipur過ぎた後は砂漠、でもこの辺の景色は田園風で緑も多く山あり川あり非常に長閑で車窓の景色を楽しめた。<br /><br />Udaipurの手前の辺りで、午後この地方で一番大きいマハラジャの城跡に。ここは観光バスで上まで行けるが、途中にある七つの城門が狭くて一部の門はバスとの隙間数センチしかなかった。城の上からは近くの湖、山、市内が見下ろせて悪くは無い景色。この城ではイスラムのムガール帝国の攻撃を受けても、投降するのを潔しとしないインドの兵士が沢山犠牲になり、その家族も皆殉死したとのこと。<br /><br />汽車の団体のうち年配の女性二人がいて、何処から来たと聞いたところイタリアとのことで,友人の一人はミラノ駐在経験者でイタリア語で会話。是非夕食は一緒にとの誘いあるも皆で相談の上やめになりました。彼女等もう少し若かったらなぁ。! その後睡眠。<br /><br />Udaipur到着後汽車の旅行団とは分かれて、我々だけの旅程に。汽車の旅は八日間だがあまりにも長いように思えたので、ここから飛行機でデリーに戻り更に車に乗り換えてAgraまで行くことにしてあった。<br /><br />飛行機でデリーまで二時間半、その後車で三時間半かけてAgra着。途中で暗くなってきたので、待ちきれず車中でウイスキーを出し宴会、かなり酩酊。信心深い運転手だったらさぞ我々を見下げたでしょう。実際距離で230キロほどなのだが、何しろ道が悪いのでえらく時間がかかる。ホテルに着いて早速食事と言うことになったが、幸い中華料理のレストランがホテルにあり即決でそこで食べることに。 葡萄酒も飲めて大変幸せ。<br /><br />その晩デリーに帰り前のホテルにチェックイン。前から目をつけていた近くのインド料理の店にいこうとしたところ雨が降ってきたので、急遽三輪車 (Dok dok?) に四人乗って行ったところ、何とファーストフードみたいな店でモスレムの料理なので酒も無しとのこと。仕方なし近くの中華レストランで食事。<br /><br />旅行前からデリーRishikesh の七時間のドライブはこの旅行の一番大変な行程と思っていたが、予想していた通り大変なドライブでした。今までの旅行で一番怖かったのがYosemiteへの山道、その次が敦煌までのでこぼこ道、それと九賽溝から黄竜までの山道。今回のは恐らく二番目か三番目に匹敵します。<br /><br />一部はハイウエイがあるが大部分は細い二車線の道で、バス、トラック、トラクター、三輪車、バイク、自転車、牛、歩行者 等々が混在して、対向車線の車が追い越しをかけると、舗装されていない路肩にはみ出されずにはいれない。もちろん同様なことを、われらのドライバーもやるが。ドライバー曰くインドで運転するには、第一に幸運、第二に車のブレーキが良く効くこと、第三にホーンが良く鳴ること。自分はだから毎日三十分お祈りをしている。どうやらいずれの要素も兼ね備えていたようで、無事リシケシュまで来れた。<br /> <br />翌日午後、Rishikeshの寺を一寸見てデリーに。 我々のドライバーは中々抜け目の無い、典型的なインド人で、運転中退屈すると我々を相手に “マハラジャ ジャパン”と再三話しかけるので途中からはみんな辟易。 帰途ガソリンを入れたら金がなくなった、デリーに帰ったら返すから500ルピー貸してくれとのこと。こちらはまあチップ先払いの催促と受け止め渡してやる。 デリーに着いた後更に500ルピーあげたら一寸照れくさそうな顔をしていた。<br /><br />特別問題も無く九時前に帰着。その後ホテルのKabab のレストランで最後の食事。Kababは鳥も羊も魚も皆同じような味でもう一つだった。<br /><br />翌日は私を除く三人は昼の飛行機でKhajurahoへ。私は北京へのフライトの関係で参加せず。翌々日に朝三時の飛行機で北京へ。 <br />我々の回った所でわ殆んど物乞いに遭わず、一寸物売りがしつこいことあったがそれもそれほど苦にならず。要するに各所にガードがいてどうやら厳しく管理しているようです。<br /><br />インドのGNPはぼちぼち日本を抜くとの話だが、とても旅行した地域だけを見た限り信じられません。恐らく少数の金持ちはますます裕福になり、貧しい人は以前同様貧しいままなのでしょう。インドは混沌とした世界で、それでも人を魅了します。<br /><br />旅行後のわたしのインドに対する印象は;<br /><br />四十年前インドの中東部に八ヶ月ほど住んだ事あるが、そのときとインドはまったく変わっていないということです。もちろん、当時と比べて車の数が増えたこと、でもインド人は当時と同じような服装で、町が汚いことも以前と同様です。ただし前と比べて沢山のペットボトルの水、或いは飲料が増えており、かっては見なかった外国性のブランド品の広告とか看板を多く見ました。デリーには行ったことが無いので、北京同様近代化した都市と想像していたが、町にはまったく高層の建築は無く、郊外にぼちぼちマンションとかモールが出来つつある。<br /><br /><br />

印度 豪華列車とリシケシュ

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2011/04/12 - 2011/04/21

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wushilan

wushilanさん

今回の旅行の主目的はPlace on Wheelsという豪華列車に乗ることと、ヒンズー教の聖地Rishikeshに行くこと。参加者は4人。

今回の旅行の大部分は12世紀から16世紀にかけてのイスラム教国家のインド侵略の歴史にかかわる遺跡を見ることになりましたが、ムガール帝国の支配下の遺跡でイスラム文化の影響を多く受けている。

友人三人は東京からバンコック経由のフライトで十四時間程度でデリー着、私は北京から直行便で七時間半で到着。ホテルはデリーの中心地であるコンノート広場にありましたが、そこらじゅう道路工事で、ホテルの前も砂地になっており、これがいったいファイブスターのホテルかと疑いましたが、部屋は綺麗だった。

到着後ホテルで休息し、四時過ぎの早い夕食とし、早速街中の結構有名な“Punjabi”というレストランで食事、幸いハッピーアワーとのことで飲み物は一つ注文するともう一杯はタダとのことで (ただし残念ながらワインボトルは例外)、子羊の脚と鳥のタンドーリ、それとインドカレーで一杯。取り敢えず皆満足し、旅の疲れもありホテルに帰って早寝。

北京からサンダルを持っていくのを忘れたのでマーケットでサンダルを買いその後Palace on Wheelsの専用駅に。駅で歓迎のターバンとレイをもらいその後乗車。一両に四つの部屋があり、いずれもツインベッド、トイレとシャワーが付き、列車は二十年前のものだが、細部の装飾は中々趣がありました。幸い私たちは四人なので一車両独占で、車両ごとに二人の乗客係がおり、また各車両の一部はサロンになっており、そこで酒を飲んだり朝食を食べれるようになっている。一号室から四号室で我々は夫々マハラジャ1からマハラジャ4と呼ばれました。 

汽車に帰ってから朝食と夕食。デリーを出て以来、線路脇は貧民窟とゴミばかりで、Jaipur過ぎた後は砂漠、でもこの辺の景色は田園風で緑も多く山あり川あり非常に長閑で車窓の景色を楽しめた。

Udaipurの手前の辺りで、午後この地方で一番大きいマハラジャの城跡に。ここは観光バスで上まで行けるが、途中にある七つの城門が狭くて一部の門はバスとの隙間数センチしかなかった。城の上からは近くの湖、山、市内が見下ろせて悪くは無い景色。この城ではイスラムのムガール帝国の攻撃を受けても、投降するのを潔しとしないインドの兵士が沢山犠牲になり、その家族も皆殉死したとのこと。

汽車の団体のうち年配の女性二人がいて、何処から来たと聞いたところイタリアとのことで,友人の一人はミラノ駐在経験者でイタリア語で会話。是非夕食は一緒にとの誘いあるも皆で相談の上やめになりました。彼女等もう少し若かったらなぁ。! その後睡眠。

Udaipur到着後汽車の旅行団とは分かれて、我々だけの旅程に。汽車の旅は八日間だがあまりにも長いように思えたので、ここから飛行機でデリーに戻り更に車に乗り換えてAgraまで行くことにしてあった。

飛行機でデリーまで二時間半、その後車で三時間半かけてAgra着。途中で暗くなってきたので、待ちきれず車中でウイスキーを出し宴会、かなり酩酊。信心深い運転手だったらさぞ我々を見下げたでしょう。実際距離で230キロほどなのだが、何しろ道が悪いのでえらく時間がかかる。ホテルに着いて早速食事と言うことになったが、幸い中華料理のレストランがホテルにあり即決でそこで食べることに。 葡萄酒も飲めて大変幸せ。

その晩デリーに帰り前のホテルにチェックイン。前から目をつけていた近くのインド料理の店にいこうとしたところ雨が降ってきたので、急遽三輪車 (Dok dok?) に四人乗って行ったところ、何とファーストフードみたいな店でモスレムの料理なので酒も無しとのこと。仕方なし近くの中華レストランで食事。

旅行前からデリーRishikesh の七時間のドライブはこの旅行の一番大変な行程と思っていたが、予想していた通り大変なドライブでした。今までの旅行で一番怖かったのがYosemiteへの山道、その次が敦煌までのでこぼこ道、それと九賽溝から黄竜までの山道。今回のは恐らく二番目か三番目に匹敵します。

一部はハイウエイがあるが大部分は細い二車線の道で、バス、トラック、トラクター、三輪車、バイク、自転車、牛、歩行者 等々が混在して、対向車線の車が追い越しをかけると、舗装されていない路肩にはみ出されずにはいれない。もちろん同様なことを、われらのドライバーもやるが。ドライバー曰くインドで運転するには、第一に幸運、第二に車のブレーキが良く効くこと、第三にホーンが良く鳴ること。自分はだから毎日三十分お祈りをしている。どうやらいずれの要素も兼ね備えていたようで、無事リシケシュまで来れた。

翌日午後、Rishikeshの寺を一寸見てデリーに。 我々のドライバーは中々抜け目の無い、典型的なインド人で、運転中退屈すると我々を相手に “マハラジャ ジャパン”と再三話しかけるので途中からはみんな辟易。 帰途ガソリンを入れたら金がなくなった、デリーに帰ったら返すから500ルピー貸してくれとのこと。こちらはまあチップ先払いの催促と受け止め渡してやる。 デリーに着いた後更に500ルピーあげたら一寸照れくさそうな顔をしていた。

特別問題も無く九時前に帰着。その後ホテルのKabab のレストランで最後の食事。Kababは鳥も羊も魚も皆同じような味でもう一つだった。

翌日は私を除く三人は昼の飛行機でKhajurahoへ。私は北京へのフライトの関係で参加せず。翌々日に朝三時の飛行機で北京へ。 
我々の回った所でわ殆んど物乞いに遭わず、一寸物売りがしつこいことあったがそれもそれほど苦にならず。要するに各所にガードがいてどうやら厳しく管理しているようです。

インドのGNPはぼちぼち日本を抜くとの話だが、とても旅行した地域だけを見た限り信じられません。恐らく少数の金持ちはますます裕福になり、貧しい人は以前同様貧しいままなのでしょう。インドは混沌とした世界で、それでも人を魅了します。

旅行後のわたしのインドに対する印象は;

四十年前インドの中東部に八ヶ月ほど住んだ事あるが、そのときとインドはまったく変わっていないということです。もちろん、当時と比べて車の数が増えたこと、でもインド人は当時と同じような服装で、町が汚いことも以前と同様です。ただし前と比べて沢山のペットボトルの水、或いは飲料が増えており、かっては見なかった外国性のブランド品の広告とか看板を多く見ました。デリーには行ったことが無いので、北京同様近代化した都市と想像していたが、町にはまったく高層の建築は無く、郊外にぼちぼちマンションとかモールが出来つつある。


同行者
友人
交通手段
鉄道 タクシー 飛行機
旅行の手配内容
個別手配
  • 翌日はデリー市内観光。世界遺産三ヶ所、古い城蹟“Red Fort”、次がマハラジャの墓”Humayunn&#39;sTomb&quot;, 最後がモスレムに勝った記念碑 “Qutub Minar” を回り。途中でGandhi Memorial にも行きました。ガイドはシーク族の60-70歳と思われる人で、息子二人はアメリカの西海岸で医者をしているとのこと。シーク族は刃物は一旦持ったら死ぬまで戦うと言った掟があり、髪と髭はきらないで、髭はたばめて頭の上に、髪は結んでターバンをかぶる。<br /><br />列車内の二枚の写真はYahooより引用。

    翌日はデリー市内観光。世界遺産三ヶ所、古い城蹟“Red Fort”、次がマハラジャの墓”Humayunn'sTomb", 最後がモスレムに勝った記念碑 “Qutub Minar” を回り。途中でGandhi Memorial にも行きました。ガイドはシーク族の60-70歳と思われる人で、息子二人はアメリカの西海岸で医者をしているとのこと。シーク族は刃物は一旦持ったら死ぬまで戦うと言った掟があり、髪と髭はきらないで、髭はたばめて頭の上に、髪は結んでターバンをかぶる。

    列車内の二枚の写真はYahooより引用。

  • (Yahooより引用)

    (Yahooより引用)

  • (AOLより引用)

    (AOLより引用)

  • ニウーデリーのインド政府関係の建物はいずれも英国が占領時建造されたもので、整然としており、また広々とした配置でこの一角だけは町のほかの地域とはまったく異なる様相です。車で近くまで行こうとしたら、ガードに止められ、車の上に積んでいた二つのスーツケースがある為駄目とのこと。

    ニウーデリーのインド政府関係の建物はいずれも英国が占領時建造されたもので、整然としており、また広々とした配置でこの一角だけは町のほかの地域とはまったく異なる様相です。車で近くまで行こうとしたら、ガードに止められ、車の上に積んでいた二つのスーツケースがある為駄目とのこと。

  • 昼食と夕食は列車の食堂車で出される。二十両ほどの列車で、夕食後Jaipur向けに発車。それほど揺れも気にならず良く眠れた。Jaipurには早朝着。その日は一日中観光。旅客は三台のバスに分乗、我々のバスは二十人程度でフィリッピン、カナダ、ポルトガル、スイス等から来た人と一緒。午前中はなにやらマハラジャで天文学者であり、えらく時計狂いの王様が作った各種の太陽時計を観察。誤差二秒とのこと。<br /><br />その後Amber Fort へ、丘の上にあり象に乗って城の上まで行くのだが我々はジープで行きました。城の上にあるレストランで昼食。生憎イスラム教の影響で酒が出ないのが残念至極。涼しくなるのを待ってイスラム教のマハラジャの宮殿 Jay Mandir 観光、その後列車に帰り夕食。

    昼食と夕食は列車の食堂車で出される。二十両ほどの列車で、夕食後Jaipur向けに発車。それほど揺れも気にならず良く眠れた。Jaipurには早朝着。その日は一日中観光。旅客は三台のバスに分乗、我々のバスは二十人程度でフィリッピン、カナダ、ポルトガル、スイス等から来た人と一緒。午前中はなにやらマハラジャで天文学者であり、えらく時計狂いの王様が作った各種の太陽時計を観察。誤差二秒とのこと。

    その後Amber Fort へ、丘の上にあり象に乗って城の上まで行くのだが我々はジープで行きました。城の上にあるレストランで昼食。生憎イスラム教の影響で酒が出ないのが残念至極。涼しくなるのを待ってイスラム教のマハラジャの宮殿 Jay Mandir 観光、その後列車に帰り夕食。

  • 午前中時間があったので有名なマハラジャ(この王様はChittorgarth の城から逃げてきた人かな?)宮殿へ。町自体が湖に囲まれており、宮殿は湖の沿岸にあり非常に綺麗な作りです。Jaipurはピンクシテイーと言われておりここはホワイトシテイー。宮殿の一部には今のマハラジャの家族が住んでいるとのこと。また宮殿のすぐ近くの湖の中に夏の宮殿がありその一部は高級ホテルで何と一泊十万円から。<br /><br />(写真はAOLより引用)

    午前中時間があったので有名なマハラジャ(この王様はChittorgarth の城から逃げてきた人かな?)宮殿へ。町自体が湖に囲まれており、宮殿は湖の沿岸にあり非常に綺麗な作りです。Jaipurはピンクシテイーと言われておりここはホワイトシテイー。宮殿の一部には今のマハラジャの家族が住んでいるとのこと。また宮殿のすぐ近くの湖の中に夏の宮殿がありその一部は高級ホテルで何と一泊十万円から。

    (写真はAOLより引用)

  • 早朝オープンジープに分乗し近くのサファリに。目的はインドの虎を見ることでしたが、でこぼこ道を二時間ほど走ったが生憎虎は見付かりませんでした。見たのは尾長ざる、鹿、孔雀など。<br /><br />“サルに虎は何処かと聞いても見ざる、言わざる、聞かざる、そこで鹿に聞いたら最近あまり見かけないが居所はシカとは知らず、孔雀のお兄さんに聞いたら、最近の虎は意気地なしだよ。俺が尾っぽを広げたら山の方に逃げていった。”<br /><br />

    早朝オープンジープに分乗し近くのサファリに。目的はインドの虎を見ることでしたが、でこぼこ道を二時間ほど走ったが生憎虎は見付かりませんでした。見たのは尾長ざる、鹿、孔雀など。

    “サルに虎は何処かと聞いても見ざる、言わざる、聞かざる、そこで鹿に聞いたら最近あまり見かけないが居所はシカとは知らず、孔雀のお兄さんに聞いたら、最近の虎は意気地なしだよ。俺が尾っぽを広げたら山の方に逃げていった。”

  • 次の日はTaj Mahal 観光。日曜日だったせいもあり大変な人出だった。Taj Mahal は全部大理石で出来た白色のイスラム建築の墓で、これは写真で見るのと大違いで美しくまたとても大きい。内部の壁は全部象嵌細工で出来ており、建てるのに二十年以上かかったと言うのも肯けます。お后が三十九歳で死ぬ際、王様に自分のお願いとして、後に新たな后を娶らぬこと、子供たちを面倒良く見ること、自分のために世界中で一番偉大な墓と建てる事と言い伝えたとのこと。ずいぶんわがままな女の人と思うが、何と当時四十三歳の王様の間に20人以上の子供を生んだと後に中国語の教師から教えられました。后が死んだあと王様は自分の墓も近くに作ろうとしたが、三番目の息子に幽閉されその意は満たされづに終わった。

    次の日はTaj Mahal 観光。日曜日だったせいもあり大変な人出だった。Taj Mahal は全部大理石で出来た白色のイスラム建築の墓で、これは写真で見るのと大違いで美しくまたとても大きい。内部の壁は全部象嵌細工で出来ており、建てるのに二十年以上かかったと言うのも肯けます。お后が三十九歳で死ぬ際、王様に自分のお願いとして、後に新たな后を娶らぬこと、子供たちを面倒良く見ること、自分のために世界中で一番偉大な墓と建てる事と言い伝えたとのこと。ずいぶんわがままな女の人と思うが、何と当時四十三歳の王様の間に20人以上の子供を生んだと後に中国語の教師から教えられました。后が死んだあと王様は自分の墓も近くに作ろうとしたが、三番目の息子に幽閉されその意は満たされづに終わった。

  • 七時間に及ばず無事Rishikeshに到着。<br /><br />リシケシュでは川沿いの寺院でヒンズー教の祭典(Aarti) に参加しました。なにやらその日はヒンズー教の一つの神様の祭日と言うので沢山のインド人が来ており、その中に混じって香を焚き、灯篭を回し、特別出席したYogi と言う地位の高僧の髭もじゃの顔も拝謁しました。幸いガイドが良い席を確保してくれたので五時半に始まり七時半に終わる祭典を殆んど全部見ることが出来た。

    七時間に及ばず無事Rishikeshに到着。

    リシケシュでは川沿いの寺院でヒンズー教の祭典(Aarti) に参加しました。なにやらその日はヒンズー教の一つの神様の祭日と言うので沢山のインド人が来ており、その中に混じって香を焚き、灯篭を回し、特別出席したYogi と言う地位の高僧の髭もじゃの顔も拝謁しました。幸いガイドが良い席を確保してくれたので五時半に始まり七時半に終わる祭典を殆んど全部見ることが出来た。

  • 我々のホテルはRishikeshから更に25キロ上流にあるガンジス川の川沿いにあるのですが、道が悪いのと山道なので、一時間ほどかかり、すでに暗くなっているので、外も見えず、いずれにしろガンジス川に沿って走っているといった状況でした。 翌日帰りの道で見たのは何と大変な絶壁でその下をガンジスが流れている、もし昨夜これを見たらホテルに行くのを断念してほかに泊まったかも知れないと思いました。<br />

    我々のホテルはRishikeshから更に25キロ上流にあるガンジス川の川沿いにあるのですが、道が悪いのと山道なので、一時間ほどかかり、すでに暗くなっているので、外も見えず、いずれにしろガンジス川に沿って走っているといった状況でした。 翌日帰りの道で見たのは何と大変な絶壁でその下をガンジスが流れている、もし昨夜これを見たらホテルに行くのを断念してほかに泊まったかも知れないと思いました。

  • チェックインしたところ私ともう一人の友人の部屋は川沿いのテント張りの部屋で鍵も無くえらい所と思ったが中はホテルに必要なものは全部そろっており、それほど悪くは無い。ただし他の二人の部屋はホテルの本棟の二階の狭い部屋で眺めも無く、二人で五千円ほど追加を払って川沿いの建物(テントではない)のに換えてもらいました。ホテルはガンジス川に面しており、川の流れは速くまた水は綺麗に澄んでいる。食事はバイキング式であまり美味しくなく、また聖なる川の近くなので酒は無いと、仕方なく食事後部屋で飲むことに。<br /><br /> 翌朝友人二人はガンジス川で沐浴、私は川を見ながらタバコを吸って紅茶を飲み、もう一人は川を見ながらウクレレの練習。ラフトの船が時々川を下っていくのが見れた。もくよくした二人は聖なる川の水はペットボットルに入れて持ち帰ったとのこと。

    チェックインしたところ私ともう一人の友人の部屋は川沿いのテント張りの部屋で鍵も無くえらい所と思ったが中はホテルに必要なものは全部そろっており、それほど悪くは無い。ただし他の二人の部屋はホテルの本棟の二階の狭い部屋で眺めも無く、二人で五千円ほど追加を払って川沿いの建物(テントではない)のに換えてもらいました。ホテルはガンジス川に面しており、川の流れは速くまた水は綺麗に澄んでいる。食事はバイキング式であまり美味しくなく、また聖なる川の近くなので酒は無いと、仕方なく食事後部屋で飲むことに。

    翌朝友人二人はガンジス川で沐浴、私は川を見ながらタバコを吸って紅茶を飲み、もう一人は川を見ながらウクレレの練習。ラフトの船が時々川を下っていくのが見れた。もくよくした二人は聖なる川の水はペットボットルに入れて持ち帰ったとのこと。

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