2019/12/12 - 2019/12/12
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minaMicazeさん
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「旧中島家住宅」に行ってきました。
太田市出身の政治家で実業家、戦前、日本を代表する飛行機製造会社である中島飛行機の創設者・中島知久平が、両親のために故郷に建てた大規模住宅です。建てられたのは昭和5年です。
文化庁資料によれば、和洋の意匠を巧みに折衷した車寄部,雄大で気品ある内部空間の客室部,利根川河川敷に設けた飛行場を眺望した二階建の居間部など,用途の異なる建物を口字形に配して中庭を囲むという,当時の大規模邸宅の特徴を良く示している。我が国の昭和初期を代表する邸宅として,規模,意匠とも充実しており,価値が高い。
ということで、平成28年に国の重要文化財(建造物)に指定されました。
現在、「国重文指定3年目、中島知久平逝去70年、を記念した特別展示」が行われており、普段は入れない「客室部」も見学できます。(12月25日まで)
旅行記作成に際しては、現地の説明板、太田市および太田市観光物産協会ホームページ、ぐんまのクチコミナビ・ぐんラボ、文化庁・国指定文化財等データベース等を参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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「旧中島家住宅(中島知久平邸)」は、太田市の南端、熊谷市との境界近くにあります。
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出入り口は西側にあり、その西に駐車場があります。太田市ホームページによると、40台駐められます。左端に見える建物は、トイレです。
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門衛所を併設した正門は、敷地の西側にあります。
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正門は、主屋が完成した昭和5年の翌年、昭和6年に完成した薬医門です。
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正門から中を覗くと、主屋の車寄せが見えます。
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立派な車寄せがある主屋です。
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右を見ると、主屋から続く中塀が、敷地を(南と西に)分けています。
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そして、右端に、陽を受けて輝く紅葉と、ベンチがあります。
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イチオシ
12月中旬のこの時季に、まだ紅葉が残っています。
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と、近づいてみると、大半が枯れ葉で、しかも枝先の葉はほとんど散っています。
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でも、陽が当たると輝きます。
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中塀の途中に設けられた中門から、南側を覗くと、芝生の上にベンチが一つあります。
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中門から、南側の芝生の庭に入り、まずは、南端からの全景を見ます。写真の左が西、右が東、です。敷地全体の広さは、約10,000㎡です。
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イチオシ
「旧中島家住宅」は、中島飛行機製作所を創設した中島知久平が、両親のために建てた大規模住宅です。近代和風建築を代表する建造物として、平成28年(2016)に、国の需要文化財(建造物)に指定されました。
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主屋全体は、中庭を囲んだ「ロ」(カタカナのロ)の字形、回廊式の構造です。
写真は、西辺(車寄部)を構成する建屋の南面で、窓の部分は第一応接室、出入り口は西辺(車寄部)を南北に貫く廊下の南端です。 -
西辺と渡り廊下で繋がっている南辺(客室部)です。写真向かって右に客間、左に次の間があり、全周を廊下が囲んでいます。
今回、期間限定で、この建屋の中に入ることができました。 -
東辺(居間部)は唯一の2階建てです。一階には、東(写真右)に居間、西(写真左)に仏間があります。二階は、東に座敷、西に次の間があります。
この建屋には、入ることができません。 -
東辺(居間部)の東側に繋がって、土蔵があります。主屋と同時に建てられました。
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主屋の南側から東側方向には中塀は無く、南→東→北→西へ繋がっています。ただし、見学者は、東側と北側には行かれません。
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南の芝生広場から、中門を通って中塀の向こう側、西側に戻ります。
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南側から見た中門です。
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中門から西側に戻って、右を見ると、西辺(車寄部)南端、第一応接室が見えます。
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南西側から見た、西辺(車寄部)の全景です。車寄せが立派です。
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立派な車寄せ、唐破風造というそうです。屋根は銅板葺きです。
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その内側です。
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それでは、玄関から屋内に入ります。
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玄関から入った部屋は広間です。広間では「旧中島家住宅」が取材された「建物遺産」という番組のDVDが流されています。5分ほどの視聴で、概要を学ぶことができます。
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それよりも、玄関から見た広間の向こう、廊下の向こうの窓越しに、中庭の紅葉が、まだ十分に紅い紅葉が見えました。
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で、廊下の窓からよく見ると、かなり枯れているし、枝先はだいぶ散っているし、見頃は過ぎています。
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イチオシ
それでも陽が当たると、とても綺麗に見えます。
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中庭には、白い花(サザンカ?)も咲いています。
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さて、廊下を歩いて、主屋の南辺(客室部)へ行ってみます。普段は入れるのは、この廊下までで、客室部に入れるのは、この機会限定です。
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ここが、主屋の西辺(車寄部)から、南辺(客室部)への渡り廊下です。ここから先は、未知の世界です。
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渡り廊下の北側には、来客用のトイレがあります。
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渡り廊下から、西辺(車寄部)方向を、振り返ってみます。
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南辺(客室部)です。左側の部屋(次の間)で、「国重文指定3年目、中島知久平逝去70年、を記念した特別展示」が行われています。
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次の間には、旧中島家住宅門衛所棟札、昭和天皇行幸啓写真帖、近衛内閣記念写真帖、知久平政友会総裁演説草稿、(第二次大戦)必勝戦策などが展示されています。
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客室部・次の間の天井です。
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客間(右奥)との間の欄間は、緻密な組子欄間(筬欄間)です。
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欄間です。
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次の間の南西の角、南側の廊下側から見ています。
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イチオシ
客間です。襖や壁には、波、雲、千鳥が描かれています。襖の下から三分の一位の高さに見える、横方向に続くシミは、床上浸水の痕です。この高さまで、水に浸かったそうです。72年前、昭和22年(1947)9月のカスリン台風は、利根川や荒川など主要河川が氾濫し、関東地方全体に多大な被害を及ぼしました。
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イチオシ
客間の北東の角です。外の廊下の左奥は東辺(居間部)に繋がっています。
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東側の廊下から見た居間部への渡り廊下です。通行止めになっています。
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東側の廊下から見た居間部です。
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東側から見た客間です。本来の畳の上に、絨毯が置かれています。この絨毯は、応接室に敷かれていた絨毯です。応接室は通常公開されているので、見学者による劣化を防ぐために、こちらに移動されています。通常は屋外から見ることができます。
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南辺(客室部)の南側の廊下(縁)です。右手前が客間、その向こうが次の間です。
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南辺(客室部)から、西辺(車寄部)に戻ってきました。写真は、南側から見た廊下です。右が中庭、左が広間や応接室です。突き当たりの向こうは、北辺(食堂部)です。見学者は入れません。
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応接室にも入ってみます。ここは西辺(車寄部)の南側の応接室です。右奥が西方向、左奥が南方向です。
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大理石の暖炉(南側応接室)
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シャンデリア(南側応接室)
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ステンドグラス(南側応接室)
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北側の応接室です。奥(北方向)に見える部屋は広間です。
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ステンドグラス(北側応接室)
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大理石の暖炉(北側応接室)
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暖炉に置かれていた電気ストーブ(北側応接室)
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北側応接室から見た、南側の応接室
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外に出てきました。写真は、外から見た北辺(食堂部)です。手前はトイレ、奥は厨房です。ここから先(東方向)は、見学者は立ち入り禁止です。
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敷地の外に出てみます。写真は西側です。左に正門が見えます。正門付近から右方向に向かって、土地が低くなっています。旧中島家住宅の敷地(塀の内側)は、正門付近の高さに合わせて、土を盛っているようです。
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もう少し下がって、南西側から見ると、右奥に利根川の土手が見えます。利根川が増水して水が溢れると、このあたりは容易に浸水すると思われます。旧中島家住宅の敷地に土を盛って、さらに周囲を築地塀で囲んだのは、浸水対策だったのかもしれません。
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イチオシ
にもかかわらず、カスリン台風では床上浸水してしまったのは、想定以上の大雨と増水だったと考えられます。
写真は、利根川の土手から見ています。左奥に赤城山が見えます。 -
イチオシ
パノラマで見ると、利根川の土手との関係が分かります。
離着陸する飛行機が見える様に、旧中島家住宅はここに建てられた、とのことなので、中島飛行機の飛行場は、おそらく、ここにあったと思われます。 -
利根川の土手から見た、旧中島家住宅の南面です。
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今秋、北関東では、長野や千葉と共に、大きな水害が起きました。この近くでも、南側の利根川の増水、北側の石田川の越水などで、洪水被害がありましたが、旧中島家住宅では大きな被害は無かったとのことでした。
( おしまい )
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