2019/10/11 - 2019/10/15
49位(同エリア90件中)
ちゃおさん
クチトンネルの射撃場の前の休憩所で一休みしてから、入り口に戻るべく再び林の中を歩いていく。林のあちこちで小グループの観光客の姿が見える。その中に日本語も聞こえてきたので、見ると20代30代の若者だ。年恰好から言ったら、戦後生まれ、則ちベトナム戦争が終焉した後に生まれた世代のようで、勿論彼らにはベトナム戦争の実感はない。当時米軍は世界最大、最強の武器を投入し、北の共産主義を屈服すべく戦っていた。しかし、ケネディが凶弾に斃れた後を継いだジョンソン大統領の元、陸軍の猛将ウエストモアランド将軍の果断な戦闘も彼等ベトコンのゲリラ戦法に勝つことはできなかった。北との最前線ダナン沖では、世界最大の航空母艦エンタープライズもただいたずらに洋上を遊弋するのが精いっぱいだった。世界最強の米軍は、歴史上初めて敗北を喫した戦争だった。
帰り道にトンネルに入ってみる。高さは50-60cmか、腰を屈めておよそ70m程を歩く。途中には膝と両手を地面について、匍匐前進のようにして歩かなければならない狭い場所もある。以前トルコのカッパドキアでのイスラムの迫害から逃れたキリスト教徒の地下都市のトンネルを思い出した。トルコは規模も大きく、実際、地下で生活が行われていたが、こちらはトンネル通路に過ぎない。モグラの洞穴を人間用に大きくしたものに過ぎず、地下道はずっと先の方まで続いているが、当方、腰も痛くなって、次の出口で地上へ出た。他の3人も同じように少し先のピットで洞穴から這い出してきた。ベトコンはこんな原始的な苦労をし、最新鋭の米軍と戦い、打ち負かせたのだ。この時代にもしもクラウゼビッツが生きていたら、この戦争をどのように評価しただろうか・・。
洞穴から這い出た皆さんにジョニーの好意でタピオカがご褒美として配られる。キャッサバのことで、里芋とサツマイモの中間のような芋で、東南アジアでは主食になっている。ふかしたてのキャッサバ、小さな固まりを幾つも頂いた。ジョニーもタピオカを知っている自分には喜んでいた。出口の近くにはシネマハウスもあって、200人ほどは収容できるシネマセンターで、我々4人プラスアルファ数人で、ベトナム戦争時の「教育用」のビデオ映像を見せられた。この司令部の直ぐ横をサイゴン川の上流が流れているを知り、成程ここは戦略上の要点だったにかと、改めて気が付いた。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ちゃおさんの関連旅行記
クチ(ベトナム) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
6