2016/06/20 - 2016/06/29
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wushilanさん
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24日にハルピンでレンタカーをして牡丹江に一泊、25日に延吉に着きました。ひたすら黒竜江省と吉林省の緑地(水田も多い)を走り、ほぼ旧北満州を横断したことになる。牡丹江の近くの鏡泊湖により、吉林省に入ったところ, 敦化(トンカ)に向かう高速が途中で閉鎖されていた。県道に回されたがひどい道で、穴凹だらけで以前走った内蒙古の道と同じ。その為時間がかかり敦化での観光をあきらめて延吉には4時過ぎに着く。敦化は満州製紙があったところで、日本人が沢山住んでいた大きな町だったが、終戦直後ソ連の機銃隊が攻めて来て300人以上の日本人が死んだ所(敦化事件)。まあ今さら行っても何もその頃のものは残っていないでしょう。
北京の友人の友人二人が延吉、長白山を案内してくれることになっており、さっそく当方で頼んでいた羊料理の店に行く。羊の足一本を炭火で焼いたのを4人で食べた。
中国、ソビエト、北朝鮮の開発した?春という経済特区に行きたかったのですが、遠すぎるとのことで近くの中国ー北朝鮮の国境に行ってくれと運転手に言ったら、延吉から一時間ほどの、三合-会寧の国境線に行けた。豆満江を挟んで北朝鮮が見渡せて、なぜか感動しました。あまりのどかな景色でとても脱北者の問題など感じませんでした。
そこに行く前に間島領事館旧跡にも行った、ここから日本が西方に進出する基盤になったとのこと。これは満州事変以前のことです。
長白山のホテルには3時ごろ着き、夕食は羊鍋でした。
旅の最後の長白山は遠いが行く価値はあったと思う。何しろ延吉から三時間、長白山の入口から大型バスに乗り20分ほどかけて途中の乗り継ぎ場所に。そこから小型のバスで海抜2,750mの天池まで曲がりくねった道を20分ほど登る。道は舗装されているが細く頻繁に対向車とすれ違い、これは大変スリルのあるドライブで、体を支えるのに力を使い肩が凝りました。
月曜日なのに人が多く、もし週末とか休日だったらかなり混雑するでしょう。
天池のあとまた乗り継ぎ所まで戻り長白山温泉と滝に行く車に乗り換える、滝まで行こうと思ったが疲れたので断念。そんなわけで夜はホテルで食事、白酒もあまり進みませんでした。
10日間の東北三省の旅行を終え北京に帰ってきました。ホテルにチェックインしてすぐに隣の火鍋の海底?に行き遅い夕食(もちろん白酒一本と)。
10日間の旧満州旅行では、侵略者である日本の罪状を糾明するような場所に多く行った。北京に戻りいっそのこと駄目押しで盧溝橋と抗日戦争記念館に行こうということになりました。(長く北京に居ましたが気が進まないので今まで行ってなかった。)
元来中国の歴史は詳しくなかったが、承徳への旅行と今回の旅行でかなり清、民国時代のことを学んだような気がする。まず承徳の避暑山荘では清の時代の四人の皇帝が住んでいたとのことで、初めて康熙帝の名前を憶え、瀋陽の故宮と北陵で弩爾哈赤(ヌルハチ)、順治帝、乾隆帝等清の初期の皇帝名を憶えました。1636年から1911年の辛亥革命に至る276年間(12の皇帝)が清時代、その後の民国時代は;
1921年 共産党発足
1931年 満州事変 (9-18事変)
1937年 盧溝橋事件(7-7事変)
1945年 終戦
1949年 中華人民共和国建立
こうして見ると日中戦争は長い歴史の中の14年間の出来事であり、後期清の頽廃、国共の内乱という歴史の流れの中で新生中国の一つの礎になったと思います。(これは暴言かな?) しかし日本の昔の軍部はとてつもないことを画策したものだとつくづく思う。北支に侵略することは日米戦争を視野に入れなければならないといった参謀がいたらしいがその戦争に勝てるとは思ってはいなかったのでは? いずれにしろその人は天才か?
今回の旅行は中国の近代史を駆け足で回ったという印象です。同行してくれたゴンガさんは昨日帰国しました。元々は4人の筈だったのが出発前に二人が病気になってしまった。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- レンタカー タクシー 飛行機
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