2019/10/16 - 2019/10/16
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ペコちゃんさん
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10月の〇〇会は、京浜急行を利用して、川崎~横浜を巡りました。
午前中は「川崎大師」へ参拝。
明治神宮・成田山新勝寺に次いで、毎年300万人を超える初詣客が訪れる川崎大師は、文化10年(1813)に徳川十一代将軍・家斉が厄除けに訪れたことから「厄除大師」としての名が広まり、現在も多くの参拝者が訪れ賑わいを見せています。
1128年に創建された川崎大師は、昭和20年4月15日の空襲で伽藍の殆どを焼失しましたが、戦後、次々に再建され、平成16年に復興事業が完成しました。
昭和59年に落慶した写真の「八角五重塔」が、復興のシンボルとして目を惹きます。
12時からはキリンビール横浜工場の見学、その後は横浜中華街で遅めの昼食と、仲間6名で秋の一日を楽しみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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品川駅から京急線に乗り、京急川崎駅で大師線に乗り換え、10時過ぎに「川崎大師駅」へ到着。
京急大師線は、川崎大師への参詣客輸送のために1899年に「大師電気鉄道」として開業し、この大師線をもとに京浜急行は発展したので、いわば京浜急行のルーツとなった路線です。 -
駅の左側にある「京浜急行発祥の地 記念碑」。
この石碑は、京急創立70周年を記念して、設置されたものです。
開業当時は「六郷橋~大師」の2kmで営業し、保有車両は5輌でした。
♪ 梅に名を得し大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程近し 急げや電気の道すぐに ♪ と、1900年に作られた鉄道唱歌・東海道篇の4番目でも歌われています。 -
駅前にある厄除門を通って表参道を進み・・・
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矢印に沿ってここを右に曲がると・・・
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仲見世通りの入り口です。
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仲見世通りの入り口にある飴の老舗・松屋総本店は、明治初年の創業。
♪ トントコ トントン ♪・・・包丁がまな板に当たる軽快な音を響かせて、次々に切られる「とんとこ飴」や「家傳せき止飴」などが、ズラリと店先に並んでいます。 -
仲見世通りの正面に、川崎大師の大山門が見えてきました。
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1128年に開創した川崎大師は真言宗・智山派の寺院・・・正式名称は「金剛山 金乗院 平間寺」で本尊は「厄除弘法大師」。
川崎大師は昭和20年の川崎大空襲で大半を焼失しましたが、戦後に再建された立派な山門や本堂を見ると、現在も川崎大師への信仰が続いていることが窺えます。 -
「大山門」は、開創850年の記念事業として1977年に建立されました。
堂塔伽藍を囲っている浄域結界の総門にあたり、門の四方に京都・東寺の国宝尊像を模した四天王像が奉安されています。
上層部分は薬師如来像を安置するほか、経庫になっており、同寺で行われる「写経会」で写経された経文や、奉納された写経が収められています。 -
国家安穏・世界平和・伽藍守護・信徒安全のために大山門の前後左右に安置された四天王像。
(左上)東方を守護する「持国天」 (右上)南方を守護する「増長天」
(左下)西方を守護する「広目天」 (右下)北方を守護する「多聞天」 -
四天王に踏みつけられた邪鬼が、ユニークで面白い。
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浅草・雷門を思わせる大山門の巨大な提灯は「川崎大師 魚がし講」が奉納したもので、提灯中央には「魚がし」の文字が、下の金属部分には魚のマークや青海波と呼ばれる波を表わす模様が描かれています。
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大山門の左にある「納札殿」。
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川崎大師は厄除けで有名ですが、健康長寿・商売繁昌・家内安全などのご利益もあり、絵馬に願い事が託されています。
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1966年に建立された「聖徳太子堂」には、日本に仏教を根付かせた聖徳太子像が祀られ、聖徳太子の命日の2月22日には聖徳太子祭が行われます。
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参道の右側にある「お水屋」で手と口を清めます。
寺社の手水舎では「龍」をよく見かけますが、川崎大師は「蓮の花」。 -
「献香所」で線香を焚いて煙を浴び、厄除けや無病息災を祈願します。
崇徳天皇の御代(1123~1142年)、尾張を無実の罪で追われた平間兼乗がこの地に住みつき、漁師をしていた時に夢のお告げに従って弘法大師の木像を引き揚げ、1128年に寺を建てて姓の平間から平間寺と号し、御本尊を厄除弘法大師と称して奉りました。
これが、今日の大本山・川崎大師・平間寺の興りで、大きな香炉には「平間寺」と刻まれています。 -
大本堂の右側にある「お護摩受付所」。
男性の本厄は25・42・60歳、女性は19・33・60歳・・・多くの人が厄除けを申し込みます。 -
1964年に落慶した「大本堂」・・・護摩祈祷が行われる川崎大師の中心道場で、堂内には本尊の厄除弘法大師や不動明王・愛染明王などの仏様が安置されています。
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正面天井の鰐口には「本所駒形講」の文字が刻まれています。
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正面右手の入口から、靴を脱いで堂内に上がってみると・・・
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ちょうど、10時半からの護摩祈祷が始まりました。
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お坊さんのお経と一緒に「南無大師 遍照金剛(なむだいし へんじょうこんごう)」と唱えると、弘法大師に願いが届くと言われています。
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献香所の左側にある「経蔵」。
戦後、再建が始まった川崎大師は、2004年の大開帳奉修記念事業として落慶したこの経堂で七堂伽藍が整い、戦後復興事業が完成したとされる記念すべきお堂です。 -
正面に黄金の釈迦如来像があり、その前に置かれた法具の五鈷杵(ごこしょ)に金箔を奉納すると、仏様とご縁を結ぶことができます。
周囲には、中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240巻が収蔵されています。 -
天井中央の「双龍」は、韓国の人間国宝である李萬奉老師によって描かれました。
青龍は王を、赤龍は王妃を表し、また太極(万物生成の根源)の陰陽を表しており、宇宙の力を象徴しています。
龍は仏教の守護神(仏の化身)として日本に伝わり、日本の寺社ではお堂の天井や襖に描いて、龍の加護を願います。 -
天井中央の「双龍」を囲む四面には、仏画家・染川英輔による「飛天」が描かれています。
空を舞い、音楽を奏で、花を撒き、香を薫じて仏を讃える見事な飛天図は、京浜急行電鉄が奉納しました。 -
大本堂の左側にある「中書院」は、1966年に落慶・・・2つの茶室を備え、お茶会や正月期間中の信徒接待などに使用されます。
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建物の手前にある「茶筅塚」は、1991年の千利休居士四百年遠忌を記念して建碑され、揮毫は裏千家代15代・千宗室によるもの。
毎年10月第1日曜日に茶筅供養が行われます。 -
川崎大師の五重塔は、各層が八角型をしている「八角五重塔」・・・真言宗の宗祖・弘法大師の1150回忌を記念し、1984年に建てられました。
まだ新しい建物なので、歴史的な文化財とは言えませんが、形状の美しさは目を惹きますね。 -
高さは31.5mで、八角形は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しているそうです。
寺院の五重塔といえば、普通は仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められているものですが、八角五重塔には曼荼羅や釈迦如来尊像などが奉安され、毎月、第1日曜日と縁日の21日に内部が公開されます。 -
1964年に再建された「不動堂」には、成田山新勝寺から勧請した大聖不動明王を祀っています。
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「信徒会館」の前にある作曲家・古賀政男の像(1984年に建立)。
弘法大師への信仰が篤かった古賀政男は、 ” その大いなる霊験の法悦に感激し、報恩謝徳の誠心を以て、「川崎大師賛歌」を作曲し、昭和五十二年三月二十一日これを献歌 ” したそうです。 -
昭和9年に竣工した「大本坊」は、空襲を受けても外郭が残ったので改修を行い、大本堂が再建されるまで仮本堂となりました。
大本堂が完成した後は、寺務所として使用されています。 -
大本坊の玄関にあるのは「稚児大師尊像」・・・大本堂の稚児大師尊像のレリーフ版で、彫刻家・平野富山の作です。
稚児大師は5歳の弘法大師の姿ですが、その頃から大変聡明だったことから子育満足・学業成就の本尊として信仰されています。 -
1973年の弘法大師生誕1200年記念事業として建立された「遍路大師尊像」・・・菅笠・錫杖という遊行・遍路姿をとる弘法大師の立像の周囲には、新四国八十八箇所札所の石柱が立ち、開設当時の貫首が四国遍路をした際の砂が埋納されています。
この周りをお参りすることで、四国霊場参拝したのと同じご利益があるということでしょう。 -
また、諸国を巡錫された大師の健脚にあやかるために、この尊像の下の草鞋に水をかける方が多いそうです。
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昔、境内で若者の力くらべに使われた・・・左の2つは頭上にさし上げる「さし石」で左端のものは36貫(135kg)、右の3つは起こして真っ直ぐに立てる「おったて石」で、中央の石は100貫(375kg)もあり、これが出来た者は一人前とみなされたそうです。
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第55代横綱・北の湖親方の銅像・・・親方は川崎大師の檀徒だったそうです。
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2014年に建立された「やすらぎ橋」は、この先に祀られているお釈迦様と薬師如来への架け橋。
災難消除・招福の朱色に塗られた欄干には、悟りへ向かう段階を表す梵字20文字が刻まれています。 -
「やすらぎ橋」が架かる「つるの池」・・・真ん中の鶴の像から、噴水のように水が出ています。
橋を渡った先には、黄金に輝く釈迦如来像、その先のインド風の堂宇は2008年に落慶した薬師如来を祀る「薬師殿」。 -
池には美しい錦鯉がゆっくりと泳いでいました。
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「鐘楼堂」は1948年の再建ですが、吊るされている梵鐘は1795年に鋳造されたもの・・・除夜の鐘のほか、3月11日の東日本大震災追悼・時の記念日・8月6日の広島原爆忌・8月9日の長崎原爆忌・終戦記念日に梵鐘が打たれます。
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「不動門」は1948年に有縁の地から譲り受け、山門の跡地に移築建立されましたが、1977年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築されました。
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弘法大師1150年遠忌を記念して1984年に建立された金色に輝く「祈りと平和の像」・・・中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフにした女神で「祈り」を表し、周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女で「平和」を表しています。(作者は文化勲章受章者の円鍔勝三)
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川崎大師を参拝した後は、再び京急に乗り生麦駅へ・・・改札口の前には、キリンビール横浜工場の案内が。
ここから工場まで徒歩で約10分。 -
この写真は2008年にキリンビール横浜工場見学の時に撮った「生麦事件の碑」の写真。
10年ほど前は、国道15号(第一京浜)沿いに、こんな感じだったのですが・・・ -
今は工場の周りに首都高速・横浜北線が走り、碑もこんな風に造り替えられています。
1862年に起きた生麦事件は、薩摩藩・島津久光の行列に、4人の英国人が馬に乗ったまま割り込み、薩摩藩士に切られた事件で、その後の薩英戦争にもつながる外交問題に発展しました。
1883年に鶴見の黒川荘三が英国人の死を悼み、事件の風化を防ぐため建立した碑ですが、これでは歴史の重みも薄れそう。 -
高速をくぐってキリンビール横浜工場へ。
入口を入って右側にある煉瓦造りの洒落た建物は、2015年にリニューアルオープンしたクラフトビアホールのSVB(スプリング・バレー・ブルワリー)。
因みに、SVBとは、1870年にウィリアム・コープランドが、日本で初めて横浜でビールを醸造・販売したビール醸造所の名称で、これを引き継いだのがキリンビール。 -
正面の建物に向かい・・・
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工場見学の受付を済ませます。
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エントランスホールで大きなキリンのオブジェがお出迎え。
SVBは1885年にジャパン・ブルワリーへと変更になり、初代社長はグラバー邸で有名なトーマス・グラバー(1838~1911)が就任し、1907年に「麒麟麦酒」となります。
このロゴマークは、1888年のキリンビール発売時から使われ、デザインを提案したのはグラバーでした。 -
ビンや缶に使われる『麒麟』のロゴマークには、『キ・リ・ン』の小さな文字が隠されています。
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エントランスホールの左側にある「ノミモノ・ラボコーナー」。
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工場見学前に、ビールに関する「なるほど」など、ビールの雑学が学べます。
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当初、横浜の山手地区にあった工場は、1923年の関東大震災で倒壊し、26年に現在地に移転。
1932年に開設された京急線「キリンビール前駅」は1949年に廃止されましたが、記念撮影スポットとしてここに「復活」。
バックの写真は1926年当時のキリンビール横浜工場で、建物の手前には京急線の線路と架線が写っています。 -
シアタールーム前のウェイティングルームに展示された商品の数々。
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工場見学の前にシアタールームへ移動し、映像でキリンビールの歴史や横浜工場の歴史、一番搾りへのこだわりなどを学習した後、工場見学スタート!
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エスカレータで2階に上がり、「素材」コーナーでビール原料の麦芽・ホップ・水について説明を受けます。
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実際にホップと麦芽に触れ、麦芽の試食、ホップの香りを体験します。
麦芽を口にすると、噛めば噛むほど仄かな甘みが出てきて、意外に味があり、お酒のおつまみにもなりそう。 -
次は、仕込み工程の見学。
巨大な「仕込み釜」が、ズラ~リ・・・横浜工場で容量が一番大きい仕込み釜は直径が12m。 -
仕込み釜の下部はタンクになっており、工程順に「糖化槽」「麦汁ろ過槽」「麦汁煮沸釜」「麦汁沈殿槽」の4種類があります。
①糖化槽:麦芽を砕いて緩やかに温度を上げていき、「もろみ」といういわば麦のおかゆを作る
②麦汁ろ過槽:もろみを濾過し、最初に出来るのが「一番搾り麦汁」
③麦汁煮沸釜:ホップを加え、ビール独特の香りと苦みを生み出す -
今日は仕込み釜の点検整備の日で、係員が蓋を開けて作業をしていました。
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「ここで造られているキリン一番搾りは、その名の通り、一番搾り麦汁しか使っていませんが、他のビールは二番搾り麦汁を混ぜて造っています。2つの麦汁を飲み比べてみて下さい」・・・一番搾り麦汁と二番搾り麦汁の説明を受け、実際に飲み比べ。
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麦汁はまだ発酵していないので、麦のジュース状態・・・子供さんも試飲OKです。
左が一番搾り麦汁、右が二番絞り麦汁・・・味も香りも全く違います。
「こんなにはっきり味が違うんですね! 二番搾り麦汁と比べて、一番搾り麦汁は色も濃いし、甘味やコクが強いです」・・・そのため、キリン一番搾りは、一般的なビールより麦芽の量が約1.5倍ほど多いそうです。 -
次は、発酵と貯蔵の工程。
約5℃に冷やした麦汁に酵母を加えて発酵タンクに入れると、約1週間で酵母の働きによって、麦汁中の糖分のほとんどがアルコールと炭酸ガスに分解され、若ビールが誕生します。
若ビールは貯酒タンクに移され、約0℃で1~2ヶ月貯蔵すると、この間にビールはゆっくり熟成し、調和のとれたビールの風味と香りが生まれます。 -
発酵タンク。
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続いて、CGを使って発酵工程の酵母の働きを理解します。
これは、テーブル型のスクリーンに手で滴の形を作ってかざすと、テーブルに麦汁の水滴が落ち、アルコールと炭酸ガスに分解される過程を、可愛いキャラクターの動きで体感できる楽しい仕掛け。 -
次の工程に向かう途中、「ビールづくり体験教室」の所を通りました。
ビールづくり体験は、講義が約40分、実習が約6時間の一日コースで、完成品は約6週間後に届けられます。
参加費用は1組2名で10,000円(ビール代、配送費、昼食代含む)、造られるビールは1組につき小瓶(330ml)×10本。 -
場所を移動して、最後の工程は、印字・缶の洗浄・缶詰・巻締・入味検査・箱詰。
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1分間に2000本を印字する驚異のスピード、空気の力で浮きながらラインを流れるビール缶、ピラーと呼ばれる回転盤、超高速ボトリング&パッキングのライン・・・ガラス越しに歓声が上がります。
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目にも止まらぬ速さで「のどごし」が製造されています。
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” 見学後は一番搾りをどうぞ ”
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工場見学の後は、お楽しみの試飲タイム。
本日の試飲は、一番搾りの生・黒生・プレミアムの3種類。 -
20分間の時間制限で3杯までの試飲タイム。
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試飲の時間を利用して、係の女性が本日のビールについて解説し、それから缶ビールの美味しい注ぎ方を披露してくれました。
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” ビールの味は酸化が大敵なので、泡で蓋をするよう3回に分けて注ぎますが、先ず、ビールを注ぎながら缶をグラスの上の方に移動させ、グラスの中を泡でいっぱいにします。
グラスの泡が減り、ビールと泡の比率が半々になったら、ややグラスから缶を離して2回目の泡を作りながら注ぎます。
少し落ち着かせて、ビールと泡の比率が6:4になったら更に泡を作るイメージで注ぎ、ビールと泡の比率が7:3になったら最後にゆっくり注いで完成です。 ” ・・・きめ細かな泡がグラスに盛り上がった見事な技! -
私は、一杯目が「一番搾りの生」、二杯目が「黒生」、三杯目は「プレミアム」・・・仲間の皆さんも、いい気分!
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試飲会場の一角に併設された「ファクトリーショップ」。
キリンのオリジナルグッズやお菓子など、お土産にぴったりのアイテムがいっぱい。 -
工場見学&試飲を終えて、この出口から退出。
キリンビールは国内に9つの工場のがあり、横浜工場の敷地面積は最小の19 万㎡ですが、生産量は3番目に多いそうです。 -
今回は行きませんでしたが、敷地の右半分は緑化スペースで、「ビオトープ」にはホトケドジョウやメダカ・モツゴ・トンボなどが生息し、ビオトープに隣接する入江川には「キリン桟橋」(右上)があり、観光船で行く工場見学ツアーも催行されています。
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生麦から横浜経由で中華街に行き、遅めの昼食。
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元町・中華街駅2番出口から徒歩で6分の「龍城飯店」へ。
カニ肉入りフカヒレスープ・車海老のチリソース・酢豚・小龍包など全10品で1500円。 -
お得で豪華なコースに、皆さん大満足!
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最後に山下公園を散策して、中華街のお土産と共に帰路に着きました。
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