2008/11/20 - 2008/12/25
3位(同エリア174件中)
ユウジさん
人生の都合上、時間が出来たので、2年ぶりにパタゴニアに一人旅に行ってきました。今回は1ヶ月ちょっとの滞在なので少しゆったりとできました。1回目の旅で出会った素敵な人達と再会することや、1回目に行けなかったウシュアイアを訪れることが旅の目的になります。
パタゴニアも2回目なので純粋な旅の記録というよりは少しテーマを決めて書きたいと思います。
訪問地は、プンタアレーナス、プエルトナタレス、ウシュアイア、エル・カラファテ、エル・チャルテンです。よろしくお願いします。
↓1回目のパタゴニア一人旅はこちらから
https://4travel.jp/travelogue/11550834
日程(2008年11月20日~12月25日)
11月20日
<旅立ち>
成田→アトランタ(デルタ航空)
アトランタ→サンティアゴ(デルタ航空)
11月21日
<2年ぶりのチリ>
サンティアゴ→プンタアレーナス
(ラン航空)
宿泊:montecarlo
11月22日
<傘とパタゴニア>
プンタアレーナス
宿泊:montecarlo
11月23日
<日曜日の過ごし方>
プンタアレーナス
宿泊:montecarlo
11月24日
<念願のフエゴ島へ>
プンタアレーナス→ウシュアイア
(バス:pacheco)
宿泊:mustapic
11月25日
<ウシュアイアとカニ>
ウシュアイア
世界の果て博物館
宿泊:mustapic
11月26日
<ビーグル海峡・マルティナス氷河>
ウシュアイア
ビーグル海峡
宿泊:mustapic
11月27日
<リベンジ>
ウシュアイア
ディエラ・デル・フエゴ国立公園
宿泊:mustapic
11月28日
<早朝のバス>
ウシュアイア→プンタアレーナス
(バス:tecni austral)
宿泊:montecarlo
11月29日
<三人目の息子>
プンタアレーナス
宿泊:montecarlo
11月30日
<再会と月日>
プンタアレーナス→プエルトナタレス
(バス:sur)
宿泊:donde otto
12月1日
<チャーハンと味噌汁>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月2日
<二つのパイネ>
プエルトナタレス
パイネ国立公園
宿泊:donde otto
12月3日
<折り紙>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月4日
<セルヒオと再会>
プエルトナタレス→カラファテ(ミニバス)
宿泊:guerrero
12月5日
<手の壁画への道のり>
カラファテ
宿泊:guerrero
12月6日
<ペリトモレノ氷河>
カラファテ
ロス・グラシアレス国立公園
ペリトモレノ氷河
宿泊:guerrero
12月7日
<ダンカンとの別れ・カラファテの渓谷>
カラファテ
渓谷散策
宿泊:guerrero
12月8日
<チャルテン一泊旅行>
カラファテ→チャルテン(バス:cal tur)
村内散策
宿泊:Nido del Aguila
12月9日
<山登りと人生について>
チャルテン→カラファテ(バス:cal tur)
トレッキング
宿泊:guerrero
12月10日
<日本人旅行者>
カラファテ
宿泊:guerrero
12月11日
<マイケルとの別れ>
カラファテ
プンタワリチュ
宿泊:guerrero
12月12日
<テレビについて>
カラファテ
宿泊:guerrero
12月13日
<氷河トレッキング>
<カラファテのカジノ>
カラファテ
ロス・グラシアレス国立公園
氷河トレッキング
宿泊:guerrero
12月14日
<エイトボール>
カラファテ
宿泊:guerrero
12月15日
<セルヒオとの別れ>
カラファテ→プエルトナタレス(バス:cootra)
宿泊:donde otto
12月16日
<SUDOKUというゲーム>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月17日
<手話について>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月18日
<バーテンダー・パトリシオ>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月19日
<オトさん一家とカジノへ>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月20日
<別れと絵>
プエルトナタレス
宿泊:donde otto
12月21日
<オトさん一家との別れ、そして…>
プエルトナタレス→プンタアレーナス
(バス:fernandez)
オトウェイ湾ペンギンコロニー
宿泊:montecarlo
12月22日
<最後の夜>
プンタアレーナス
宿泊:montecarlo
12月23日
<さらばパタゴニア>
プンタアレーナス→サンティアゴ
(ラン航空)
サンティアゴ→アトランタ(デルタ航空)
12月24日
<旅の終わり>
アトランタ→成田(デルタ航空)
12月25日
成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
旅先のパタゴニアの地図です。
-
11月20日<旅立ち>
2年ぶりにパタゴニアに旅立つ。成田からアトランタ、アトランタからサンティアゴ。
2度目となると、慣れと待ち遠しい気持ちから飛行時間が長く感じられる。
今回は恐らく人生最後の一人旅になると思う。だから、金も時間もかかるけど、一番やり残したことの多いこの場所を選んだ。それは、行けなかった場所でもあるし、言えなかった言葉でもある。同じ場所を旅するのは初めてだし、交流目的で旅をするのも初めてだ。不安と期待が混在し、ひょっとすると、山口百恵の「いい日旅立ち」にも似たような気持ちだったのかもしれない。 -
11月21日<2年ぶりのチリ>
海外旅行において、たった2年で同じ場所へ行くというのは「同じとこ、すぐ行ってどーすんだよ!」という感覚をもたれる方も多いと思う。しかし、初日だけでも2年という月日を感じさせることがいくつかあった。
1つ目は、サンティアゴ空港での国内線乗り換えの際に、職員に別室に連れて行かれ、パンツ一丁にまでさせられたこと。「チリってこんなに厳しかったかな?」とも思いびっくりした。原因はチリで2年の間に何かあったわけではなく、僕がズボンを重ねて何枚もはいていたためだ。荷物を減らすためとはいえ、ハーフパンツも含めれば3枚も着ていたので、怪しまれても仕方がないと思う。 -
Bluehouse2号館(2006)
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ここからは、本当に2年前と変わったことで、パタゴニア南部最大の街プンタアレーナスに到着し、タクシーに乗った時の値段。後々分かってくるが、少しチリでもインフレが進んでいるようである。
そして何より衝撃的だったのが、泊まろうとしていた前回の帰国直前に泊まった「BlueHouse2号館」が火事で消失して、外壁だけの無残な姿になっていたことである。初日からしなくてもよい宿探しをするのは結構しんどい…。
2年とは言え、非情にも時は流れているのだ。 -
11月22日<傘とパタゴニア>
前日は仕方がないので、中心地にある「monte carlo(モンテカルロ)」という宿に泊まった。朝起きてまずpacheco社にウシュアイア行きのバスの予約を取りに行く。24日発のバスがとれたのでほぼ丸2日時間が空いたことになる。
急ぐ旅ではない。今までも丸2日飛行機に乗っていたので少し休むのも良いと思い、宿に戻ろうとすると急に激しい雨が降ってきた。そういえば、傘を持ってくるのを忘れたので街で探してみる。 が…まったく売ってない…。
確かに外国人が日本人に比べて傘をささない事は今に気づいたわけではないが、まさか売ってないとは思わなかった。よくよく見るとかなり強い雨でも誰も傘をさしていない。風が強いために傘をさしたとしても、すぐに壊れてしまうのかもしれないが、風邪引かんのかね、この人達は… -
ウシュアイア行きのバスのpacheco社
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11月23日<日曜日の過ごし方>
この日は日曜日である。カトリック教徒の国であることも影響していると思うが、街を歩いてもほとんどの店は閉まり、人はホームレスしか歩いていない。どうも治安の悪さを感じホテルに戻る。土曜にも半分ぐらいの店はしまっていたが、日曜は徹底している。
午後になると少しずつ店が開き始め、街には音楽が流れ始める。広場では軍隊のオーケストラが音楽を奏で、人々が集まり手拍子をして楽しんでいる。しかし、こちらの手拍子はリズミカルでレベルが高い。まったくついていけない。
広場を見渡してみると意外に家族連れが多いことに気づく。土日に店が閉まっていることからも見て取れるが、この国の生活習慣はいまだに家族単位の時間の使い方が基本であるのかもしれない。 -
11月24日<念願のフエゴ島へ>
2日前に予約したバスで、フエゴ島のウシュアイアへ向かう。ウシュアイアへは2年前に行くことができなかったので、是非行きたいと思っていた。それはウシュアイアが世界最南端の街として有名であり、前回パタゴニアを旅している人が、よく話題にしていたからだ。僕自身も世界の果てに来ていながら、最南端の街を訪れていない中途半端さに気持ちの悪さを感じていた。だから、島に渡るフェリーに乗るときは、ようやく心のつかえが取れたようで清々しかった。 -
フエゴ島行きフェリーでは、一度バスから降りてフェリーに乗りますが、バスも一緒にフェリーで移動します。
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フエゴ島についても、しばらく同じような草原が続きます。
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アルゼンチンへの入国審査を終え、ウシュアイアが近くなると、徐々に雪山の景色へ変わってゆく
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日も暮れ始め、朝8時に出発したバスは20時ぐらいにウシュアイアに到着した。この時間から宿を探すのは少し面倒なので客引きを期待したがハイシーズンのためかおらず、ガイドブックに載っていた「mustapic」という宿に泊まることにした。 オーナーのおばさんが人当たりのよい人だったので、少々高いがここにして良かったと思う。
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11月25日<ウシュアイアとカニ>
ウシュアイアはフエゴ島の州都である。しかし、都市というわけではなく、海や雪山といった自然に囲まれて落ち着いた雰囲気を持っている。平野は少なく、そのため山の斜面に家や店が立ち並んでいる坂道の街だ。宿の「Mustapic」に行くには坂を少し上らなくてはならないが、その分最上階の見晴らしの良い食堂からは、自然と一体となった街を一望できる。 -
街を歩いてみると、海が近いこともありシーフード料理店が多い。しかし、そんなシーフードの中でも一番の名物料理といえばカニであろう。こちらではセントージャと言われており、専門店も何店舗かある。せっかくなので、夕食にはその中の一軒に入り、素の味を頂くべく茹でたセントージャを頼んでみる。値段はそこそこ張るのだが、日本のそれと比べるどうもいまひとつのような気がする。カニのエキスが生かされていないのだ。やはり、南米の人は生臭さが苦手なのだろうかと思う。
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ウシュアイアの街の碑でしょうか。世界最南端の街に来た実感が湧いてきますね。(村は南にまだあります。)
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ウシュアイアの街並みです。
メインストリートは結構栄えています。 -
恐らく世界で一番南にあるトヨタディーラーなのでは?
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ここは、世界の果て博物館です。世界の果てに行った記念に訪れてみました。
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11月26日<ビーグル海峡と期待>
宿のオーナーに聞くと、ウシュアイアの観光と言えば、海洋生物の宝庫「ビーグル海峡」らしい。ビーグル海峡にはアシカ科の一種である、オタリアが生息しているようで、僕は「なんじゃ、そりゃ」と思い、それが含まれているツアーに申し込むことにした。
朝方、船着場の近くに行くと、数社の旅行会社が客引きをしていた。とりあえず、声をかけてきた一社にオタリアの事を聞いて、すぐその旅行社の船に乗った。このツアーは途中ビーグル海峡に浮かぶ島に寄りながら半日かけて近海を回るコースである。船からは海鳥やのオタリア、ウシュアイアを象徴する灯台を眺めることができる。船ではウシュアイア行きのバス会社で見かけたドイツ人のエンリコさんと偶然再会でき、結構充実した時間を過ごせた。 -
ハーレムを築くオタリア
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<マルティナス氷河と絶望>
午後はもうひとつの観光地、雪山の上にあるマルティナス氷河へ行くことにする。タクシーに声をかけるとドライバーに「歩いていけ」と言われ、近いのかと思って地図を見ながら向かってみることにした。山のふもとまでは確かに30分ぐらいで着くのだが、それからは、日光のいろは坂のようなくねった道が続き、いつまでも終わらない無限ループのようだった。ついには水分不足で一歩も歩けなくなってしまった。近くを見回すと道沿いにタンポポ畑があった。「もう、歩けない」と思いそこに倒れこんだ。花に囲まれると気分が落ち着いてくる。気づかない身近なところに幸せはあるものだ。
さすがに断念して宿に直帰した。 -
11月27日<リベンジ>
ウシュアイア最終日は少し離れたディエラ・デル・フエゴ国立公園へミニバスで向かう。山登りをする予定ではあったが、前日の悪夢から、人間が水なしには生きていけない生物だと悟った僕はスポーツドリンクと少々のピーナッツ(?)を持参して行くことにした。
入り口で入園料を払い、代わりにもらった地図を見て、ラゴ・ロカ(ロカ湖)の停留所から山登りを始めることに決めた。山登りは、様々なコースがあるのだが、最低でも4kmぐらいあり、僕のコースは斜面もきつく、川を濡れながら渡るなどの難所もあって、なかなかつらいものだった。しかし、前日あきらめたことが悔しかったので、「これをあきらめるわけにはいかない!」と、やっとのことで登りきった。木々に囲まれた山道から視界が開ける瞬間は、感動というよりは、やっと終わったというほっとした感じでしょうか。しばらくは、ボケ~とそこから景色を眺めていた。 -
ロカ湖の水鳥たち
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靴を濡らしながら、山道の川を渡る
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11月28日<早朝のバス>
朝4時40分、プンタアレーナス行きのバスに乗るため、泊り込みの従業員さんに起こしてもらう。外は大雨だ。せっかく詰め込んだリュックから傘を出すのも面倒なので、雨に打たれながらバス停へ向かう。バスターミナルには、まだ暗いにもかかわらず、様々な行き先のバスが次々とやってくる。雨を避け、屋根がある場所で待っていても良いのだが、心配性なので来るバス、来るバスに近づき行き先を調べていたらずぶ濡れになってしまった。
凍えた体を奮い起こし、やっとのことでバスに乗ったころには5時半ぐらいになっていた。席に着き、これでようやく眠れると思ったら、今度はなぜか大音量でアクション映画を上映し始める。こんな時間に誰が映画なんか見るのだろうか?もう意味が分からん。 寝かせてくれ… -
11月29日<三人目の息子>
この日はバスで次の目的地プエルトナタレスに行くつもりだったが、乗り継ぎの関係でプンタアレーナスで一日何もしない日が出来てしまった。この日の出来事だと羊の肉を部屋で食べたら部屋が羊くさくなった話ぐらいしかないので、ここはひとつ、パタゴニアの人に聴かれた謎の質問について書きたいと思う。
これはある人に「兄弟はいるの?」と聞かれた時の話だ。僕は「弟がいる」と言ったら「じゃあ、三人目の息子は殺したの?」とその絵を描きながら聞いてくるのだ。僕はこの地方には三人兄弟が災いを起こす伝説でもあるのかと思ったが、もしかしたらやばい話かもしれないので話をそらしていたことがあった。
しかし、別の場所でも今度は「日本では何人子供を持つことができるの?」と聞かれた。これまた、訳の分からない質問だ。日本では当然何人でも子供を持ってもいいし、少子化で困っているくらいだ。何なんだろうと考えていると、日本と別の国を勘違いしているのではないかという疑惑にたどり着いた。これは恐らく少子化とは逆に、人口規制政策である中国の一人っ子政策やインドの二人っ子政策のことなのだろうと。
きっと、社会の授業やなんかで中国などの人口規制政策を習いアジアではどの国もそのような政策を取っているのだと思ったのであろう。
まあ結局、地球の裏側の人にとっては中国も日本も区別がつかないのだろう。僕がチリもアルゼンチンも同じようなものだと思っていたように… -
11月30日<再会と月日>
プエルトナタレスという町に移動した。ここはパイネ国立公園の出発地として有名なのだが、僕がここへ来た目的は、2年前に会ったオトさん一家に会うためである。「果たしてまだ住んでいるのだろうか」、少しドキドキしながらオトさんの宿に向かう。懐かしくも見覚えのある青い宿は、名前が『HOSTAL LA FRONTERA』から『DONDE OTTO』と変わっており、改装中だった。OTTOと書いてあるからには、まだオトさんはここに住んでいるのだろう。しかしまだ、「覚えていてくれているのだろうか、覚えていてくれたとして訪問を喜んでくれるのだろうか」と、不安は止まらない。勇気を出してインターホンを押してみる。
すると、見たことのない女の子が扉を開けてくれた。この子はマリアといい、どうやらこの宿に住みながら近くのスーパーで働いているようだった。
オトさん一家の写真を見せると、マリアが電話でオトさんに電話してくれた。しばらくするとオトさんが来てくれ「アミーゴ!」と言ってくれた。それだけで十分だ。 -
マリアの似顔絵
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今年もオトさんの似顔絵描きました
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12月1日<チャーハンと味噌汁>
二年前とは違いオトさんの息子さんと娘さんはプンタアレーナスに出て行き、愛犬のビーグルはお亡くなりになっていた。一人になったオトさんは宿の改装作業に精を出し、さらに恋人のテレッサまでいた。せっかくなので2人の幸せを願って、オトさんが働いている間にチャーハンと日本から持ってきた味噌汁を調理し夕食に振舞うことにした。しかし、どうも二人とも気を使ってくれてはいるが、明らかに不評なのが分かる。まぁ、僕の腕に問題もあるのだが、つまるところ、こういう行為は文化の押し付けなのかもしれない。
現地風にアレンジできる技量もないので、それから僕はパタゴニアの料理をまねて作るようにした。もちろん技量のない僕にとっては、肉を焼いたり、サラダを作ったりする程度であるが…、それでも、その方が色んな人が喜んでくれる。国際交流についてまたひとつ学ばされた気がする。 -
12月2日<2つのパイネ>
プエルトナタレスに来たからにはパイネに行こうと思う。パイネというのはプエルトナタレスの近くにあるだだっ広い国立公園である。2年前にきた時には曇っていたので、行くなら晴れている時に訪れたいと思っていた。天気の良い時のパイネは同じ景色のはずなのに2年前とまるで別世界であった。季節は春から夏になり、色鮮やかに咲いた花が山や川をより魅力的なものに演出している。
2年前が悪いというわけじゃない。季節や天気により、別の顔を持っているのだ。同じ場所であっても条件が変われば、新たな魅力がでる。自然から教えられるものはまだまだ限りがない。 -
パイネグランデ
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意外と迫力のあるサルトグランデ
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グレイ湖の氷河
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12月3日<折り紙>
前回来た時オトさんと娘さんとノートを切って折り紙をした。なので、今回は日本から折り紙とその本を持ってきた。オトさんは本当に器用で何でもすぐに作ってしまう。さすがに宿の改装の自分でやってしまうのもうなずける。後日の話でも書こうと思うが、チリでも折り紙をやる人がいるらしく、僕が驚くような信じられないテクニック持っている人もいる。
こうなってくると、折り紙が日本独特の文化なのかも疑わしいが、折り紙が意外とインターナショナルなものなのだと実感できた。 -
12月4日<セルヒオと再会>
氷河の街カラファテに移動する。オトさんにチケットを取ってもらったのだが、通常の大型バスとは異なり、なぜかミニバスでカラファテまで行くことになった。どうやら、プエルトナタレスからのペリトモレノ氷河のツアーに紛れ込まされたようだ。カラファテの町についてもそのまま通り抜けてしまう雰囲気だったので、町外れのガソリンスタンドで僕だけ降ろしてもらった。 -
しばらく歩いて2年前にバスターミナルで客引きされた宿「GUERRERO(ゲレロ)」に向かう。そこの従業員のセルヒオとは日本に帰ってからもたまにメールをしていたので、会う約束をしていた。まー、この人は2年たってもお気楽で何も変わらない。
ほっとして、2年前の写真を見せると、二年前に郷土料理アサードを食べた家に連れて行ってくれるという。セルヒオのバイクに乗り、その家に行くと見覚えのある顔が見える。 -
突然の訪問にも歓迎してくれ、早速、チーズ和えの郷土料理を作ってくれた。みんなで食事をすると二年前を思い出すようで嬉しかった。
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宿に帰るとセルヒオが僕と同じく一人旅のアメリカ人男性ダンカン、アイルランド人男性マイケル、アルゼンチン人女性セシリアを紹介してくれた。みんな年齢も近く、以後は毎夜のごとく共に酒を飲んだ。
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12月5日<手の壁画への道のり>
パタゴニアの手の壁画というとロスマノス壁画が有名だと思うが、カラファテにも小規模ながら手の壁画を含めた原住民の壁画が残っている。それが、プンタワリチュである。街から7km離れており町のゲートをくぐり荒野の中を歩いていく、何とも心配の尽きない道のりである。1時間ぐらい歩いて、「これは歩いていくところではないな」と思ったが、今さら引き返すわけにも行かないので前に向かうしかなかった。2,3時間かかって、夕暮れの中、着いたには着いたが、もうすでにタイムオーバーで門が閉まっていた。閉門時間を調べないほうも悪いが「こんなに歩いて殺生な」と思い、すねてぶっ倒れていると、どこぞのガイドが声をかけてくれて、街に戻るミニバスに乗せてくれた。声をかけてくれなかったら一体どうなっていたのだろうか…
結局プンタワリチュには旅行社を利用して12月11日に再び行くことにした。 -
わずかながら残る、プンタワリチュの壁画
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12月6日<ペリトモレノ氷河>
カラファテに来たからにはペリトモレノ氷河に行かなければ始まらない。朝8:30に宿にツアーのバスが来る予定だったが、ぜんぜん来ないので、連絡してもらうと1台の車が1時間遅れでやってきた。やはり、忘れられていたようで、車は猛スピードでバスを追いかけ国立公園の入り口で合流することができた。
まあ、このいい加減さはアルゼンチンの伝統でもあるので、いちいち気にしても仕方がない。氷河を楽しむことにする。
パタゴニアの氷河は温暖化の影響でマスコミにも幾度か採り上げられているので、知っている方も多いと思う。その中でもペリトモレノ氷河は後退していない数少ない氷河のひとつであり注目されている。
前回も訪れたが、あまり写真も綺麗に写せなかったので、カラファテに来たならもう一度見たいと思っていた。実は同じペリトモレノ氷河ツアーでも様々なコースがあったようで、今回は近づきはしなかったものの、高台から見渡すような角度で写真が取れてよかったと思う。 -
少し別の角度から
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氷河のアップ
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さらにアップ
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通路を歩き、さまざまな角度から見ることが出来ます
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夏になり赤い花が咲く
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12月7日<ダンカンとの別れ・カラファテの渓谷>
セルヒオがダンカンと僕を近くの渓谷に連れて行ってくれた。ガイドブックにも載っていない近所の渓谷にもかかわらず凄まじい迫力があるのには驚く。崖の上から覗き込む谷底の景色には恐怖すら覚える。周りには少しロッククライミングを出来る岩が何個もあり、セルヒオが登りだすので、ダンカンと僕もやってみる。僕はどうも勝手が分からず、ずり落ちてしまう。そんな僕にダンカンはすぐ、しょうがないやつだと手を差し伸べてくれていた。 -
何とか登りきる!?
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そんな、ダンカンとも今日でお別れである。ダンカンは次の日ウシュアイアを経て南極へ行くそうだ。ダンカン最後の夜、ハイテンションなセシリアの姉さんもきて、非常に盛り上がった。別れを惜しみ皆で朝まで寝ないことを約束し、朝まで飲んだ。
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12月8日<チャルテン一泊旅行>
ダンカンに別れと感謝を伝え、僕は予約したバスで、カラファテより北150kmにある村チャルテンへ一泊小旅行に行くことにした。朝7時半出発だったので前日寝ていないこともあり、バスでは睡眠をとる。チャルテンは元々フィッツロイ山を信仰対象とする原住民族が住んでいた村であり、村のどこからでもフィッツロイ山を望むことが出来る。高台から見ると良く分かるが、岩山に囲まれた本当にこじんまりとした村である。
マイケルとセシリアが後からバスで来るというので、それまでは少し村を散策をしていたが、前日のこともあり眠たくなったので宿に帰りマイケルたちを待つことにした。夜10時にマイケルとセシリアが着いたので、宿のロビーで翌日のトレッキングの予定を立てながら、ピザを食べた。 -
チャルテンでの宿「Nido del Aguila」
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川沿いの細い道を歩く
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村の小さな教会とフィッツロイ山
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12月9日<山登りと人生について>
9時半起床。マイケルとセシリアと一緒にpincenotというところまで山登りをする。Pincenotまでは片道3時間かかり、途中Lag. Capri(カプリ湖)など涼しく風光明媚な場所もある。ウシュアイアでの山登りと違い、一人で孤独に登る時より数倍足取りは軽く、楽しい。余裕が出来、一人では気づかない周りの景色の美しさも目に付くものだ。 -
ところで、よく人生を山に例える人がいる。それは上り坂や、下り坂、獣道などとかけて、人生の苦楽を表しているのだと思う。確かに実際山登りをすると、短い時間でそのような行程を疑似体験しているせいか、努力した日々や栄光(?)や挫折の記憶を甦らせてくれる。そして、山という絶対的存在に対して孤独というのは心細過ぎる。強がっていても人間一人ではなかなか生きては行けない。
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雪山の間に氷河が見える。
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12月10日<日本人旅行者>
カラファテに戻り宿でテレビを見ていると日本人の旅行客がやってきた。細かくは書くことは出来ないが一人旅で中南米を旅している猛者あり、そして人柄も良い紳士であった。セルヒオによると、この宿に日本人が来ること自体は珍しいことではないらしいが、客引きの成功率は低いようだ。
僕は今までパタゴニアでほとんど日本人と話したことはなかったので、初め少し構えてしまったが、旅の話をする間などのやさしい語り口に器の大きさを感じた。大陸をダイナミックに旅行している関係で、すぐにまた旅立たれたが、後日、僕が氷河トレッキングをしたのもこの方に影響を受けたからであり、大変に感謝している。 -
12月11日<マイケルとの別れ>
一人旅をしていると団体客の行動が目に付き嫌になることがある。それは数にものを言わせた一種の集団心理的傲慢さを感じるからだと思う。この日もちょうど、食器も洗わないようなアメリカ人の集団に嫌気が差していた。だから、夕食の時もみんながいるロビーから席をはずし、部屋にこもっていた。
しかし、この日はマイケルとの最後の夜であり、マイケルは夜中の3:00にバリローチェへ旅立ってしまう。このまま分かれてしまうのは悲しいと思っていたら、1時ごろマイケルが部屋を訪ねてくれた。本当にこの人は心底優しい人だと思う。それから、別れの時間まで、セシリアも加わって3人でいろいろ話した。マイケルは英会話教師の経験もあるらしく、僕の下手な英語も汲み取ってくれるが、最後なのにうまく言葉に出来ない自分にもどかしくなる。それでも、最後までやさしく笑顔でいてくれた。
なぜ、ここの人は皆、優しいのだろう… -
12月12日<テレビについて>
ダンカンがいなくなり、マイケルがいなくなり、セシリアも一緒にいなくなってしまった。ついに、一人旅の客は僕一人になり、することがないのでテレビを見ようとロビーに行ったらテレビまでもが壊れてどっかに行ってしまった。
宿にはテレビが一台しかないので、もはやテレビを見ることはできない。思えば、ダンカンとよく一緒にテレビを見たものだ。ダンカンはアメリカ人なのだが、サッカーが好きでたびたびサッカー中継を見ていた。しかし、アルゼンチンでは家では中継はしていても、好カードの試合内容を生放送では見ることは出来ない。映像は客席しか映らず、あとは音声しかない。「試合を見たければバーに行け」ということらしい。実に商業的だ。
またダンカンはシンプソンズというアニメも好きだった。まっ黄っ黄のキャラクターが活躍する、以前日本でもCCレモンのCMにでていたやつだがアニメを見たことはなかった。スペイン語なのだけど、それでも笑って楽しめるほど面白かった。僕はアメリカ制作のアニメで面白いと思ったのは初めてだった。ただ少々内容が刺激的だったのでその辺が日本で大々的に放送されない理由だろうか? -
12月13日<氷河トレッキング>
前回行けなかった氷河トレッキングに行くことにする。トレッキングは結構汗をかくと聞いていたので、コートを宿に置いていったら、この日はあいにくの曇り空で肌寒い天気だった。僕はトレッキングの中でも長いコースを選んでいたので6時間ぐらい氷河の上を一列になって歩くことになる。
地球温暖化が叫ばれている昨今、氷河が寒いのは実に望ましい状況である。しかし、氷河を薄着で歩いている愚か者にとっては別だ。案の定、氷河の上を歩いているうちに体が冷えてきて寒いやらトイレに行きたくなるやらで、途中から大変だった。これから氷河トレッキングに行く方には、天気に気をつけて、多少の厚着をしていって頂きたいと思う。
とはいえ、せっかく氷河に来ているのに、これ以上尿意の話をするのも申し訳ないので、景色の話もしたいと思う。氷河というと遠目から見ると青く澄んでいるので、近くであっても瞬くように輝いているイメージを持つ人も多いと思うが、実際、氷河の上は削れた表面に泥や砂がかかっていてそんなに幻想的な世界ではないかもしれない。氷の世界を黙々と棘のついた靴でがりがり歩いている時間がほとんどだ。たまに、青く光る穴や滝や水溜りが現れ、それに感動するというのが1時間に一回ぐらい訪れる。
まあ、感動というのは苦労の先にあるので、それはそれで良いことだと思うし、つまるところ、氷河を歩いたということに意味があるのだからそれによる達成感は大いにあったと思う。
でも、なんだかんだ言っても写真に写すと結構綺麗だったりもするので、写真多めで。 -
少し晴れ間ものぞき、日が当たる
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冷水に飛び込むガイドさん
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歩きにくいところは足場を作ってくれる
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青さの際立つ氷河の水溜り
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表面の荒れていない横穴は青く光り綺麗だ
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棘のついた靴底を靴に取り付けます
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<カラファテのカジノ>
夜、セルヒオがカジノへ連れて行ってくれた。こちらではカッシーノというようであるがメインストリートに分かりやすいように立っている。僕は日本でもあまりギャンブルをしないので、ましてや海外ではと思っていた。しかし、東京都のカジノ構想など話題にはなっているが、日本では恐らく本格的カジノはないわけで、体験してみるのも面白いと思った。入場料を払い中に入ると、内装がなかなか綺麗で、ミュージックバーもあり活気にあふれている。行くまで実際カジノにどのようなゲームがあるのかすら知らなかったが、ゲームはルーレット、スロット、ポーカー、ブラックジャックと何とかなりそうだ。
ただ、ポーカーやブラックジャックのルールを分かっていてもチップのかけ方は覚えなくてはならない。初めは周りで見ていて、大体分かったとことでやってみる。すると、日本の合法的ギャンブルと異なり、賭けの対象がディーラーとの一対一の対戦方式というのは新鮮で楽しい。特に儲ける気もなかったので、最低掛け金でやっていた。負けもしなかったが、物価が安いので遊ぶだけならローリスクで楽しめるのは良いかもしれない。 -
12月14日<エイトボール>
セルヒオとビリアードをしにバーへ行った。正直、ビリアードをするのも久しぶりだし、正確なルールはナインボールしか知らなかった。しかし、セルヒオは日本で言うところのエイトボールをしようと言った。ずいぶんメジャーなルールのようなので今まで知らなかったのが恥ずかしいが、これが面白い。自分の落とす玉と、相手の落とす玉が違うので、なかなか最後まで行かない初心者にはナインボールよりはるかにゲーム序盤から気合が入る。
幼いころ、トランプで、七並べやババ抜きしか知らない時代に大貧民を覚えた衝撃に似ている。「こんな画期的なアイデアがあったのかと」。ビリアードも色々なルールでやっていれば、少しは長続きしたかもしれない。 -
12月15日<セルヒオとの別れ>
バスでプエルトナタレスへ戻ることにする。セルヒオには本当にお世話になった。メールで「行っていいかな?」と聞いた時もすぐに返事をくれた。恐ろしいほどおせっかいで、宿の仕事もやりつつ、僕に気を使ってもくれ、何となくこちらも甘えてしまう。
本心で言えば「もう少しここにいてもいいんじゃないか」とも思ったが、あまり長居をしてこれ以上、気を使わせても悪いと思いカラファテを後にすることにした。
最後の朝にも仕事で疲れているだろうに、起きてきて見送ってくれた。ゲレロでは、たくさんの思い出が出来て感謝に耐えない。これからも忘れることは出来ないだろう。
カラファテから旅立ちの日にはちょうどまた雨降りだった。ウシュアイアからの時もそうだったが、移動日の雨は旅人にとっては助かるが、車窓から見える景色は灰色で少し情緒的になってしまう。
プエルトナタレスに戻る頃には雨は上がり、またオトさんの宿に向かう。 -
12月16日<SUDOKUというゲーム>
『SUDOKU』と言うゲームをご存知だろうか?初めよく分からなかったのだが、1から9の数を升目に埋めていくゲームでそのゲーム雑誌の表紙が、何故だか日本を意識させるものになっていた。僕は今までパタゴニアで『SUDOKU』をやっている人を見ていたので南米のゲームだと思い、オトさんにやり方を教えてもらい暇なときやっていた。
帰国してから分かったのだが『SUDOKU』は日本語で『数独』と書き、日本で初めて商品化させたものらしい。友人の家で毎日新聞を見た際にも載っていたのでやっている人はやっているのだと思う。
知らない間に日本と接していることもあるのだと思った。 -
日本を思わせるSUDOKUの表紙
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12月17日<手話について>
オトさんの宿を改装している大工さんの中に耳の不自由な方がいた。
初め、いやにボディーランゲージの大きな方だなと思っていたが、その手話がスペイン語の分からない自分にとってはとてもコミュニケーションのとりやすいものだった。そのため、しばらく障害者だとは気づかなかったくらいだ。手話というものは意外と見た目で伝わるものなのかもしれない。安易に述べるのは良くないが、日本の手話においても真摯な心で見れば知識がなくても意味を汲み取ることが可能なのかもしれない。 -
12月18日<バーテンダー・パトリシオ>
宿にはマリアの他にもう一人住み込みで働いている人がいる。それがバーテンダーのパトリシオだ。パトリシオは年のころ60歳ぐらいなのだが、大変饒舌で楽しい方だった。宿で話をしていると、ぜひカクテルを飲んでほしいということなった。そこで、彼の勤めているレストラン『CORMOAN DE LAS ROCAS』に夜11時ぐらいに訪れてみる。 -
店は海の見えるとても上品なレストランで、その中にバー併設がされていた。薄暗く、すでに地元の人が何人か静かにお酒を楽しんでいる。
僕は好みのカクテルを持っているようなお洒落な人間ではないので、お勧めのカクテルを聞くと、チリの蒸留酒ピスコを利用した『ピスコサワー』というものがあるらしく、それを頂くことにした。甘くおいしいのだが、ベースになっているピスコがとても強くすぐに酔ってしまった。
酒に弱い僕はぐでんぐでんになってしまったので、パトリシオに店が終わってから一緒に宿へ帰ってもらった。 -
12月19日<オトさん一家とカジノへ>
オトさんの娘のカティと姪のバルバラがクリスマス休暇で宿に遊びに来た。
カティとは2年前にも会っていたので、再会できたことがうれしかった。話を聞いていると、夜1時ぐらいからカジノへ行くというので一緒に行くことにした。プエルトナタレスのカジノはカラファテとは違い、派手やかではなく、いかにも古びた田舎のカジノといった感じである。しかし、ゲームにおいてはカラファテと同様に種類が豊富であり、ギャンブル以外にもバーが2つ併設されていた。 -
特に二階のバーは地元の人の憩いの場となっているようで、お酒を飲みながらカラオケやダンスも楽しめる。しばらくするとオトさんとテレッサさんも来て共にダンスを踊った。
オトさん達がいたおかげもあるが、僕の思っているカジノのイメージとはずいぶん違い平和な場所だった。閉店のことなど忘れていると、朝5時、急に「ジリリリ~」と大きなベルが鳴り、幸せな宴は終わりを迎えた。
もう朝だ。 -
オトさんとテレッサさん。カジノはダンスホールにもなる。
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カティとバルバラ
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12月20日<別れと絵>
今までも何枚か紹介させてもらったが、この旅では何人かの絵を描いた。それは感謝の気持ちを表すものだったが、スペイン語を話せない僕が、文字だけの手紙を渡すのも味気ないと思い、手紙に添えたものだった。こんなもので本当に喜んでくれるのかはよく分からないが、何も出来ないなりにやってみたいという気持ちはあった。
今までもセルヒオやオトさん達の似顔絵を描いたので、プエルトナタレス最後の日であるこの日にも別れの手紙とともにカティ、バーバラ、パトリシオの似顔絵を描いた。クリスマスも近づきみんなで用意をしていたので、少し早めのクリスマスプレゼントになってくれれば良いと思う。特にパトリシオは夜中にしか帰ってこないので置手紙でも良いかと思ったが、喜んでくれる表情を見ると、直接渡してよかったと思う。 -
パトリシオ
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バーバラ&カティ
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お別れの手紙
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12月21日<オトさん一家との別れ、そして…>
朝8:30にプンタアレーナスへ移動するためのバスに乗る。朝も早いのにオトさんの他にも、カティ、テレッサさんも起きてきてくれた。僕は感謝を伝え、一生忘れないことを約束する。
プンタアレーナスに移動し、また今年もオトウェイ湾にペンギンを見に行く。ペンギンはかわいいし、パタゴニアの旅を締めくくるにはちょうど良いと思っていた。 -
ペンギンも見終わり、宿で「明日はお土産でも買って一日過ごすか」と考えていると、 ドアをノックする音が聞こえた。宿の従業員が「おと、おと」と言っている。僕は「音?テレビの音のことか?」と思ってドアを開くと、驚くことに、そこには二年前あったオトさんの息子のオトがいた(親子同名です)
僕は当然そんなこと予想だにしていなかったので、少しあっけにとられてしまった。どうやら、オトさんがプンタアレーナスにいる息子さんに連絡してくれたようだ。二人で再会できたことを喜び近況を話し合った。長く話もしたかったが、時間も夜中の1時を回っていたので、次の日にも会うことを約束し、寝ることにした。 -
12月22日<最後の夜>
最後の日の午前中はオトに勧められたソナフランカという免税エリアや、共同墓地を見て回った。日本だと墓を回るなど罰当たりのような気もするが、けっして暗い感じではなく、荘厳なもの、配色鮮やかなものと、それぞれにオリジナリティーあふれる墓が立ち並んでいた。 -
プンタアレーナスの観光も終わり、夜は前日の約束の通り、オトとその友達クラウディオと一緒にバーへ飲みに行く。話していると二人とも驚くほどに日本文化に詳しかった。クラウディオは日本のサブカルチャーに親しんでくれているようで、「スラムダンク」や「任天堂」といった漫画やゲームの単語がポンポン出てくる。そして、オトはなぜか折り紙に興味を持ってくれているようで、僕が知らないようなテクニックを教えてくれた。
午前2時ぐらいまで飲んだが、最後の日まで充実した日々を送れるとは、こんな幸福なことはない。明日にはこの国を離れることが信じられない気持ちだ… -
12月23日<さらばパタゴニア>
帰国かと思うと、この旅が充実していた分、とても残念だ。
本当に旅はいろいろなことを与えてくれる。
もう、ここに来ることは出来ないだろうけど、正直、やり残したことはない。
でも、これ以上の贅沢は一生できないな。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- kichiさん 2019/10/11 22:50:07
- そうか!
- ユウジさん、お返事ありがとうございます。4travel初心者(^^;。リアルタイムもしくは近年の旅行記だと勝手に思い込んでました。でも…引き込まれました!普段行くのはビーチが多い。だから全く違う旅行記を拝見させて頂いて、いつかは自分も…と思いながら。また新しい旅の旅行記、楽しみにしています!
- ユウジさん からの返信 2019/10/12 06:03:19
- こちらこそです。
- いえいえ、僕の方が初心者ですし、混乱させて申し訳なかったです。パタゴニアは自分にとっても一番の思い出ですし、誰かにこの旅、その時の思いを知ってもらいたいという気持ちで4travelを始めました。kichiさんに感想いただけてとても嬉しいです。
自分はkichiさんのように南の島には行ったことはなかったので、興味深く読まさせていただきました(^^)
- kichiさん からの返信 2019/10/12 07:02:42
- Re: そうか!
- 了解であります!!これからもよろしくお願いします\(^^)/
-
- kichiさん 2019/10/10 21:42:54
- はじめまして。
- 凄く内容の濃い旅行記、拝見させていただきました。他にも読ませてもらいましたが、このパタゴニア再訪が凄く響きました。優しさが半端ないです!新しい旅行記、楽しみにしています。
- ユウジさん からの返信 2019/10/11 19:48:51
- ありがとうございます。
- 文章は当時書いたものですが、時を超えてkichiさんに読んでもらえて感激しています。kichiさんの南の島の旅行記も楽しく読ませていただきました(^^)
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