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足摺岬先端部近くにある第三十八番金剛福寺の山号は「蹉跎山 補陀洛院」。「蹉跎」の意味はよく分からないが、今でいう処の「蹉跌」や「ダダ」を意味していると思う。即ち、やろうとしても成し遂げられなかったこと、或は嫌がる事。「補陀洛院」は明らかに補陀落渡海を意味する「補陀落」から来ていて、この寺は紀州南端、熊野の補陀洛寺同様、鎌倉室町以降一つの流行り、補陀落渡海の寺として有名である。日本の最南端の半島の先から、海の向こうにある観音霊場、即ち補陀落へ渡海しようとするものだ。<br /><br />自身の命を賭してまでして成し遂げようとする強い信仰心から来た一つの宗教行事であるが、小さなたらい舟のような小舟に乗せられ、荒海に向かうのは、誰が見ても普通は即、死を意味する。誰もそんな小舟で荒海を乗り越えて、天竺インドの先端の岬まで行きつけるとは思っていない。深い修行を積んだお坊さんでも、中には命を惜しむ人がいてもおかしくもなく、渡海直前に駄々をこねたりする僧侶もいたに違いない。皆が皆逍遥として死出の旅に旅立ったわけではないだろう。「蹉跎」の意味は、そんな躊躇やためらいの気持ちを表している言葉かも知れない。しかし全てを達観した筈の高僧にはそんなダダは許されない。皆に見送られ、祝福され、補陀落へ旅立ったのだ。<br /><br />そうした高僧がこの寺には何人いただろうか。本堂の裏の斜面には数十の宝塔、仏塔、墓石が立ち並んでいる。数えれば100基は優に超えているだろう。これ等の仏石が何を意味しているかは自分には分からないが、様々な形の仏塔は海の向こうの補陀落へ渡海していった僧侶の徳を称えているものだろう。日本の補陀落信仰がいつの頃から始まったのかは自分には分からない。中国にも同じような信仰があり、それは浙江省寧波の沖、舟山群島の中の小島、補陀山が補陀洛に擬せられている。<br /><br />今から7年程前、自分もこの島に渡ったが、そこは平安時代の10世紀、日本の留学僧が寧波から帰朝するに際し、乗船した船が難破し、この島に漂着したが、その時、日本に招来する観音像を持っていて、その観音様に命を助けらたとして、僧侶はこの島に残り、観音信仰に余生を捧げたのだが、それ以降、この島は観音信仰の霊場となり、今では島中に数十の観音寺院が建立されていて、毎年沢山の中国人観光客を集め、中国観音信仰の一大聖地となっている。日本の補陀落信仰も、多分、この中国の島、補陀山(プートーサン)の影響を受けたものだろう。本堂の裏のやや薄暗い日陰の仏塔群と明るい太陽の下、補陀山のお寺の数々との対比を思った。<br />(https://4travel.jp/travelogue/10749635、「補陀落渡海への旅(33)」)

四国霊場・高知篇(31)第三十八番金剛福寺に参拝。

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2019/07/17 - 2019/07/19

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ちゃお

ちゃおさん

足摺岬先端部近くにある第三十八番金剛福寺の山号は「蹉跎山 補陀洛院」。「蹉跎」の意味はよく分からないが、今でいう処の「蹉跌」や「ダダ」を意味していると思う。即ち、やろうとしても成し遂げられなかったこと、或は嫌がる事。「補陀洛院」は明らかに補陀落渡海を意味する「補陀落」から来ていて、この寺は紀州南端、熊野の補陀洛寺同様、鎌倉室町以降一つの流行り、補陀落渡海の寺として有名である。日本の最南端の半島の先から、海の向こうにある観音霊場、即ち補陀落へ渡海しようとするものだ。

自身の命を賭してまでして成し遂げようとする強い信仰心から来た一つの宗教行事であるが、小さなたらい舟のような小舟に乗せられ、荒海に向かうのは、誰が見ても普通は即、死を意味する。誰もそんな小舟で荒海を乗り越えて、天竺インドの先端の岬まで行きつけるとは思っていない。深い修行を積んだお坊さんでも、中には命を惜しむ人がいてもおかしくもなく、渡海直前に駄々をこねたりする僧侶もいたに違いない。皆が皆逍遥として死出の旅に旅立ったわけではないだろう。「蹉跎」の意味は、そんな躊躇やためらいの気持ちを表している言葉かも知れない。しかし全てを達観した筈の高僧にはそんなダダは許されない。皆に見送られ、祝福され、補陀落へ旅立ったのだ。

そうした高僧がこの寺には何人いただろうか。本堂の裏の斜面には数十の宝塔、仏塔、墓石が立ち並んでいる。数えれば100基は優に超えているだろう。これ等の仏石が何を意味しているかは自分には分からないが、様々な形の仏塔は海の向こうの補陀落へ渡海していった僧侶の徳を称えているものだろう。日本の補陀落信仰がいつの頃から始まったのかは自分には分からない。中国にも同じような信仰があり、それは浙江省寧波の沖、舟山群島の中の小島、補陀山が補陀洛に擬せられている。

今から7年程前、自分もこの島に渡ったが、そこは平安時代の10世紀、日本の留学僧が寧波から帰朝するに際し、乗船した船が難破し、この島に漂着したが、その時、日本に招来する観音像を持っていて、その観音様に命を助けらたとして、僧侶はこの島に残り、観音信仰に余生を捧げたのだが、それ以降、この島は観音信仰の霊場となり、今では島中に数十の観音寺院が建立されていて、毎年沢山の中国人観光客を集め、中国観音信仰の一大聖地となっている。日本の補陀落信仰も、多分、この中国の島、補陀山(プートーサン)の影響を受けたものだろう。本堂の裏のやや薄暗い日陰の仏塔群と明るい太陽の下、補陀山のお寺の数々との対比を思った。
https://4travel.jp/travelogue/10749635、「補陀落渡海への旅(33)」)

旅行の満足度
5.0

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  • 第三十八番金剛福寺の勅額「補陀洛東門」は嵯峨天皇の直筆と言われる。

    第三十八番金剛福寺の勅額「補陀洛東門」は嵯峨天皇の直筆と言われる。

  • 空海、嵯峨天皇、橘逸勢は当時の三筆だ。

    空海、嵯峨天皇、橘逸勢は当時の三筆だ。

  • 本堂の裏の斜面には沢山の仏塔、墓石が立っている。

    本堂の裏の斜面には沢山の仏塔、墓石が立っている。

  • これ等の仏塔は、補陀落渡海で昇天した僧侶達の徳を偲ぶものなか・・。

    これ等の仏塔は、補陀落渡海で昇天した僧侶達の徳を偲ぶものなか・・。

  • 補陀落信仰、観音浄土。多くの僧侶は海の向こうに浄土があると信じていた。

    補陀落信仰、観音浄土。多くの僧侶は海の向こうに浄土があると信じていた。

  • 足摺岬はこの建物の向こう側にある筈だが・・。岬は見えない。

    足摺岬はこの建物の向こう側にある筈だが・・。岬は見えない。

  • 補陀落渡海のお寺。

    補陀落渡海のお寺。

  • 観音浄土の庭だ。

    観音浄土の庭だ。

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