2019/11/01 - 2019/11/05
127位(同エリア1042件中)
尖椒土豆絲さん
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- 旅行記30冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 71,567アクセス
- フォロワー18人
予約済チケット内容を確認しようと、春秋航空日本のHPを訪れてみると、何と何と、5周年アニバーサリーセール国際線2,800円~というポップアップ文字が目に飛び込んで来ました~!!
昨年、四川省劔門関や昭化古城を訪れて以来、三国志聖地成都に行く機会を狙っていましたが、どうやらその時が来たようです (^○^)!!
問題は、いつ成都に行くべきか・・・
2019年 i-phone カレンダーで3連休を調べてみると・・
勤労感謝の日は土曜日で振替休日は無し!
年号が令和になり12月の天皇誕生日は無し!
ということ訳で、必然的に文化の日を絡めた5連休での成都旅行を画策です。
またまた中国暢游!ちょっと遊び過ぎかな・・・
な~~~んて思いつつも、火が灯った三国志モードに押され、チケットを購入しちゃいました~!!
そんなこんなで、9日前に紹興暢游から帰国したばかりだっていうのに、またまた中国に進撃~~~多くの人民の方々に助けられながら、何とか無事に四川暢游を終え帰国しました~!
魅力たっぷり天府の国 成都を私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
成田空港第3ターミナルに居ます。
僅か9日前に紹興暢游を終えて帰国した時に利用したターミナルです。
本当に何度も何度もお世話になっています (^'^) -
春秋航空日本の成田発着路線で最も遠距離なのが今回の重慶便で、ダイヤ上は6時間15分を要します。
一方、最も短距離なのが前回の寧波便です。
重慶便は沖留めでは無く、ターミナル直結扱いでした。
LCCながら、ちょっと得した気分・・・(^-^)v -
重慶江北国際空港到着後、早速、軍資金の調達です。
出発ロビー階の中国建設銀行ATMにて人民元を引き出します。
今日のSMBCレートは、1元=15.937円でした。 -
さてと!
今日は高鉄で重慶から成都まで移動しなければなりません。
空港直結の軌道10号線(4元)で、重慶北站に向かいます。 -
乗車30分で重慶北站に到着です。
北広場には、中国建国70周年を祝った国慶節の名残が留められていました。
多くの花々が装飾に使われ、盛大な祝賀行事が行われたのかな・・・
それにしても巨大な装飾だこと・・・
中国は何でもデカイ! -
事前にネット予約していない人民の方々は、自動発券機では無く、有人窓口に向かいます。
人民カードを持っていない我家は、当然の如く、有人窓口に並びます。
大混雑の行列に並ぶこと約20分、日本で事前予約&決済した重慶北站から成都東站迄の切符を受け取りました。 -
集票処から站ターミナル内に入場します。
人民の方々は、人民カードをタッチし、顔認識で入場ゲートを抜けて行きます。
あれ・・・?
皆さん、切符を持っていないのかな?
人民カードを持っていない我家は、端っこの有人ゲートに向かいます。 -
高鉄は定刻運行されていました。
ん・・・10番ホーム改札を通る時にも“あれっ?”って思いました。
人民の方々は、改札ゲートでも人民カードをタッチしています。
我家は唯一準備された有人改札ゲートで切符を見せて通ります。
チケットレス化が進められているようです。 -
G8752重慶北站16:50発成都東站行きの切符です。
改札ゲートを通過する前に気付いたのですが、切符に指定席表示が印字されていません。
何号車に向かえばいいのか・・・分かりません ((+_+))
周りの人民の方々は、携帯電話を見ながら座席を探しています。
なるほど、ネット予約画面で座席番号を確認しているようです。
我家も慌てて予約画面を覗き込みます。
いや~携帯電話が無ければ座席も分からず、狼狽するところでした~ -
乗車1時間34分で成都東站に到着です。
北京子午線に基準を合わせた中国時間ですが、経緯が西になる成都の日没時刻は遅く、やっと闇夜が迫って来たところですね。 -
今度は成都市内を地下鉄で移動します。
全国の地下鉄(軌道交通)の券売機は共通化され、とても便利です。
乗車券購入時に、決済方法で“現金”をタッチし、紙幣を投入です。 -
成都東站から地下鉄2号線で春熙路站まで行き、3号線に乗り換えます(5元)。
-
地下鉄高升橋站から徒歩約10分、今夜、お世話になる漢室酒店成都錦里武侯祠店(ツイン・朝食付444元)に無事にチェックインです。
レトロなホテルで四川漢室古床博物館でもあります。 -
ホテル内で部屋に移動途中、漢服体験つまりレンタル衣装コーナーが有りました。
-
ズラリと並んだ漢服です。
折角の機会です。
無償だし、少し着てみようか!!! -
漢服試着でご満悦な家内です。
部屋の中も、四川漢室古床博物館の名の如し、古式ゆかりのベッドでした。
何だか宮廷の寝室に居るみたい・・・!(^^)! -
さあ!ホテルから徒歩数分の錦里の夜景観賞を愉しみまなきゃ!!
錦里古街の歴史は古く、秦漢時代から繁栄しています。
この繁華街、明清時代から中華民国初期の様式で再現しています。 -
フォトジェニックな空間です。
日本は白い提灯が似合いますが、中国は紅い提灯が似合いますよね~ -
建物はライトアップされ、ネオンが煌めきます。
古里は新旧のハイブリッド感に包まれ、一層、明清時代の建築様式を再現した建物の魅力が増幅されます。 -
錦里という地名の由来は、漢代に錦産業が発達した成都のことを“錦の古里”と呼んでいたことに起因するそうです。
当時、成都の紡織は発達して、錦官城(錦織の職人を集めて錦織業を管理する)を設置しています。
そんな由来はともかく、超人気な一大観光地です。 -
四川料理と言えば唐辛子でしょう。
石臼で木っ端微塵!!粉々に仕上げられていきます。 -
此方は薬研です。
漢方薬を挽くが如く、石製の薬研で唐辛子を挽いています。
石臼といい薬研といい、観光客相手に印象的な演出ですね。 -
細い路地に、紅い光が灯ります。
インスタ映えしそうな吊り下げ提灯、とても魅惑的ですね。
さあ、晩餐会をしなくちゃ!!
錦里内の店は閉店時間が早い為、武候祀前の通祀路の火鍋店に入りました。 -
早速、四川名物の火鍋を注文すべく食材選出です。
多汗を流しながら煮えた食材を頬張り、雪華ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
この火鍋ですが、とても美味しいのですが、辛いだけでは無く、痺れます。
口の周りが痛くて・痒くて・・感じて・・・
大移動だった旅行初日の11月1日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游2日目の11月2日が始まりました(早上好)。
朝方、雨音で目が覚めました。
既に雨は止んでいますが、結構な降り方だったのかな?
朝食会場に向かう廊下が濡れています。 -
朝食は、おかずがセットメニュー、お粥や包子・フルーツがブュッフェというスタイルでした。
おやおや、この緑の細切り野菜ですが、日本では普及していない萵笋(ウオースン)じゃないですか!!
この歯ごたえ、たまりません。
写真でも分かりますが、宮廷料理を連想させるような美しい器に盛られた料理やスープ、見映え良く、很好的です!!! -
さあ、我家お待ちかねの三国志聖地に突撃開始です。
朝から高揚感300%です。
遂に蜀漢を体験します!(^ ^)!
雨が止んで良かった・助かった・嬉しかった!! -
武候祠から本日の暢游開始です。
ここは漢昭烈廟(劉備殿)・武侯祠・恵陵から構成されています。
その武候祀ですが、入口に劉備の諡(おくりな)である昭烈帝と書かれています。
元々、劉備の陵慕は恵陵と言いますが、現在では武候祀と呼ばれ、あらららら~~~臣が君を食ってしまっていますネ!! -
門票(50元)です。
四川省の成都といえば三国志聖地です。
三国時代、劉備玄徳が建国した蜀漢が在った場所ですが、ここ成都武候祠博物館は、劉備とその補佐である諸葛孔明の功績を讃えて祀っている場所になります。
つまり、君臣合廟ですね。
そうしたら・・・この地の名称が武侯祠になってしまい・・・
陵墓で眠る劉備玄徳の心境や如何なものか・・・
ん・・・大きなお世話ですかネ~? -
業紹高光と金文字で書かれた先に、劉備塑像が見えて来ました。
この四文字の業紹高光とは、劉備が高祖・劉邦と光武帝・劉秀の帝業を受け継いで奮起した事を語っています。 -
歩いていて、ふと、静かな環境に気付きました。
拡声器を手にした団体客対応のガイドが居ません。
観光客は耳にイヤホンをし、ガイドの説明を聞いています。
ガイドは普通の声の大きさですが、周りの観光客は、その説明を聞き入っています。
なるほど、このシステムの御陰で静かな環境が保たれているんだ~ -
南北方向の中軸線に沿って大門・二門・劉備殿・過庁・諸葛亮殿の5つ主体建築があります。
その劉備殿に入ると、中央に金泥に光輝く巨大な劉備塑像に遭遇です。
東側に関羽父子と周倉の彫像、西側に張飛子孫三代の彫像が並んでいます。
三国志ファンの我家はシビれっぱなしの拝殿です。 -
劉備殿は中央通路両側に回廊が在ります。
蜀漢建国にあたり、劉備玄徳と苦楽を共にした趙雲・馬超・黄忠・庖統など文武28名の股肱の臣の塑像が並びます。
三国志の蜀国の英雄達が勢揃いです。
ん~右の塑像は庖統じゃないですか!!
赤壁の戦いでの連環之計が頭に浮かびます。 -
オールスター総出演状態です。
この塑像は費偉ですね!
諸葛孔明亡き後の蜀国を担った費偉将軍です。 -
この塑像は馬良ですね!
そう案内板に書かれています。
白眉じゃないのが何か気になります。
劉備と共に戦いましたが、夷陵の戦いで死を迎えます。
享年36歳という若さでした。 -
南宋の武将岳飛書と伝わる “出師表” の石刻です。
諸葛亮孔明の出師表が、堂の左右に前後2通揃い踏みです。
写真は “危急存亡の秋” の語が入っている前出師表の方です。 -
姜維将軍です。
蜀国の都の成都を守る天然の要塞である剣門関にて、宿敵の魏国と最後の最后の最期まで戦いました。
昨年11月に剣門関に行った時、姜維祠に手を合わせたことを思い出しました。
諸葛孔明に兵法書を授けられ、蜀国を懸命に守護しますが、劉禅の“降伏せよ”との命令を受け、魏国鐘会軍に投降しました。
最期は蜀国再興は叶わず、魏国兵に殺されてしまいました。 -
右が五虎将軍の趙雲です。
趙雲と言えば、長坂の戦いでの単騎駆けでの阿斗救出ですよね。
そんな勇ましい猛者とは別人のような風貌の塑像にビックリです。
ここではかなり冷遇されていますね。
いや~劉備殿回廊の塑像ですが三国志の様々なシーンが思い起こされ、なかなか愉しい処でしたね。 -
劉備殿より先に進むと、今度は諸葛孔明エリアです。
諸葛孔明の諡(おくりな)は武侯といい、諸葛孔明と諸葛一族が祀られています。
ここ成都では、劉備より圧倒的に人気が高く、ここの施設名が成都武侯祠博物館になってしまいました。
奥に先に進みましょう!! -
黒い絹糸の紐の頭巾を被り、鳥羽根で作った団扇を持った諸葛孔明の金箔貼りの塑像に遭遇です。
左側に息子の諸葛瞻、右側に孫の諸葛尚の塑像がそれぞれ並んでいます。
諸葛孔明は知勇兼備で、学問の神と崇められ、中国人の人気絶大です。
劉備玄徳を贔屓する日本人とは思考回路が違うようです。 -
更に進むと、桃園結義で義兄弟になった劉備・関羽・張飛を祀っている三義廟です。
あらららら・・・工事改装により閉鎖されています。
残念・無念・・何でやねん・・・
諦めて劉備に会いに行きましょう!! -
劉備の陵墓の恵陵です。
神道を進みます。 -
恵陵(劉備玄徳陵慕)の入口です。
千年経っても尊敬されるという意味の“千秋凛然”と書かれた額が上がっています。
その尊敬されている劉備玄徳に比べ、蜀漢を滅亡に追い込んだ劉備玄徳の息子である劉禅(阿斗)は、一度はこの地に祀られるのですが、南宋の頃に廃祀となります。
親子といえども、その扱いの差、歴然です。 -
黒い屏風が在り、ここ恵陵に蜀漢王の劉備が眠っているのですね。
尚、甘夫人・呉夫人も合葬されています。
桃園結義を経て義兄弟の契を交わした劉備・関羽・張飛ですが、現在でも民衆の心を掴んだままです。
今回、成都に来たことで、ラン中の張飛陵・洛陽の関林廟と合わせ、3兄弟の慕陵に手を合わせ終わりました。
三国志の英雄達!!静かにお眠り下さいませませ!! -
恵陵横の紅壁の道を辿ろうとすると・・・
そうだ! 京都に行こう!!
というJR西日本のTVCMが脳裏に浮かびました。
京都嵐山とは異なりますが、紅い壁が目に鮮やかで美しき竹林が圧巻です。
そうだ! 古都蜀漢に行こう!!
というイメージに最適な景色かな? -
武候祠の次は、昨夜、夜景を愉しんだ錦里を暢游します。
何か祭りでも開催されるのか?
イベントでもやっているのか??
この中に有名人でもいるのか???
と思うほど、人・人・人で溢れ返っています。 -
多くの観光客が訪れ、活気に溢れています。
何だか東京・浅草の仲見世通り界隈のようですネ。
下町の香り・匂いがしてくる・・そんな感じです。 -
ここ錦里ですが、四川料理の食事処、小腹を満たす小吃(シャオチー)、ハンディクラフトの土産物屋、四川劇の見世物小屋など、様々な業態店が連なる魅惑ストリートです。
-
戯台です。
時間によっては何かが催されているのかな? -
銅人形を模した服を纏った2人組が、観光客を愉しませています。
音頭を刻み、扇子を振りかざし、快調に “●×〇∇◇▲■” と話しながら、様々な被写体ポーズで構えます。
料金体系は不明です。
見ていて楽し!・愉し!!・・樂し!!!(^○^) -
あらあら、大阪焼き、つまり、タコ焼き屋さんです。
お味は不明ですが、見た目は完壁です。 -
美食街です。
川菜とは四川料理のことを指します。
いい香りが漂っていますが、まだお腹は空いていません。 -
昨夜も訪れたインスタ映えしそうな細い路地です。
昼と夜とでは、全く違う表情を示しますねー! -
古い街並み、我家は満喫・満足・満悦です。
-
蜀国ならではの光景かな?
劉備・関羽・張飛がゆるキャラ人形になっています。
威圧感、無し!
懐柔感、有り!!
親近感、有り有り!!!
さあ、錦里古里を出ますよ~ -
武候祠と錦里界隈は一大観光地です。
その観光客相手の旅行代理店が軒を連ねます。
四川省は西蔵エリア(チベット)への玄関口でも有ります。
様々な周遊旅行パックが準備されています。
いつの日か、我家もチベット旅行がしたいものですネ (*^▽^*) -
この界隈はチベット街とも言われています。
別称は小拉薩です。
沢山のチベット仏教関連の店舗が並んでいます。
それにしても派手だなぁ~!! -
そして沢山の僧衣・袈裟を纏ったチベット仏教僧侶の姿も見えます。
皆さん、背が高く、日焼けしてるのか?肌が黒い・・・
話声に聞き入ると、中国語を理解出来ない我家でも気付きます。
明らかに言語が違います。
おそらくチベット語でしょうか。 -
このチベット街ですが、等間隔で公安警察の監視車両が配置されていました。
絶対的マジョリティである漢民族が統治・支配する現在の多民族国家中国の暗部が垣間見えます。
さあ、チベット街を抜けて洗面橋に向かいましょう。 -
蜀漢初代皇帝となった劉備玄徳の義兄弟で、関羽という忠臣がいました。
武勇で義理硬い関羽は、敵である魏国の曹操からも認められる存在でした。
しかし、関羽は樊城の戦いで呉国孫権に捕らわれ、斬首されます。
関羽死亡後、この付近に、その関羽を弔い、関羽の遺品を祀る衣冠廟が建立されました。
劉備は衣冠廟に行く時、涙が止まりません。
しかし、泣いた顔で関羽に会うわけにはいかないと、橋の袂の川で顔を洗うのです。
そこから、ここは洗面橋と呼ばれるようになりました。 -
洗面橋文化広場にもう一つ、銅象が立っています。
蜀漢王の劉備の愛馬の的盧でしょうか?
主君関羽を亡くした赤兎馬でしょうか?
よく分かりません・・・ -
さあ、次の観光地:青羊宮に向かいます。
衣冠廟站から路線バスで移動です。 -
19路バス(2元)です。
乗車約15分で、青羊宮站に到着です。 -
青羊宮は成都最大の道教寺院で、川西第一道観とも称されています。
創建は西周の頃で、青羊肆・青羊観・玄中観とも呼ばれていました。 -
門票(10元)です。
青羊宮って名称ですが、何故?羊なのか・・・?
それは、かつてこの地に於いて、青い羊に乗った老子が現れ、教えを説いたという伝説によるものです。
老子様、登場です!!!! -
青羊宮に入り、最初に八卦亭に出会います。
よく見ると、上段階と中段階の階層の色が異なっています。
何か、とても美麗な建物ですよね。
八卦亭には全部で81匹の龍が彫られています。
内部には老子が青い牛に乗り函谷関を出る場面の像が祀られています。 -
三清殿前には清代に作られた二つの羊の銅像が並んおり、無病息災の力が有るとされ、参拝者が絶えません。
この三清とは、道教の最高神を意味しています。
左側に “道” 神格化した上清霊宝天尊、中央に “太元” 神格化した玉清元始天尊、そして右側に老子を神格化した太清道徳天尊が鎮座します。
老子は神として崇められているのです。 -
地元の人が行う照壁占いが紹介されていました。
壁から10m程離れた場所から、目を閉じてこの壁に向かって歩き、壁のどの文字に触れるのかで占います。
“福”は福が来る、“寿”は長寿、“禄”は金運・昇進が良くなるという意味があります。
我家も夫婦で占いを実践、二人とも“寿”に触れました。
きっと我家夫婦は長生きするのかな・・・ -
青羊宮暢游を終えると、路上にテーブルを出した食事処を発見!
速攻で座席を確保~~~
11月になったとは言え、昼間は少し暑いくらいで、路上昼餐が最適です。
単菜を見て、珍しい料理“兎”に目が止まりました。
“兎”つまりウサギさんを食べようか・・・悩んで迷って決定!!!
干鍋兎と麻婆豆腐・白飯を注文、雪花ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
食べてみて実感しました。
ウサギって美味しいですよね~ (*^-^*) -
さあ、暢游後半戦開始です。
青羊宮近くの四川博物館(免費)に向かいます。 -
四川省は少数民族と漢民族の混在地域です。
長い歴史の過程で、多くの漢民族が入植しています。 -
多くの少数民族が四川省で暮らしています。
-
チベット族・彝族(イ族)・羌族(キョウ族)等の民族衣装が展示されています。
特に四川省南部に多く住んでいる彝族は、四川省最多の少数民族です。
その人口は200万人を数えます。
少数とは言えない数ですネ。 -
巴蜀(四川省古称)地方の特色的な、陶磁器・石像・磚石・貨幣・書画等、16万点もの収蔵が有るそうです。
この石像の顔、何だか和みます・・・ -
陶俑、踊ります!!!
イエ~イGo! -
陶俑大勢で踊ります!!!!!!
イエ~イエ~イGo!Go! -
四川博物館から琴台に向かいます。
琴台路は清代の街並みが再現されています。 -
美観地区とでも言うのですかね。
星輝楼や寿禧堂酒楼など店も、クラシカルな外装に統一されています。
そんな中、我家の予約済宿泊先を探します。
同じような外装ゆえに、何処に在るのか分かりにく~い!
少々迷ってしまいました~ -
夢之旅文君楼庭院酒店成都寛窄巷子店(ツイン・朝食付き463元)で小休止後、琴台と寛窄巷子の夜景観賞に Let`s go!!!
-
琴台路は遠く長くに渡り、ライトアップされています。
そんな中、馬に引かれた諸葛孔明像に遭遇です。
三国志定番の傘つき馬車で現代に登場です。 -
ライトアップされた琴台故径との文字が掲げられた碑坊を潜ります。
琴台路は約500mに渡り、明清代の建屋を再現した歴史通りになっています。
優しい光が人民や観光客を愉しませています。
さてさてさてと・・・
ここから徒歩10分程の寛窄巷子に向かいましょうか!!! -
寛窄巷子は三つの巷子(横町)からなり、それぞれは寛巷子・窄巷子・井巷子と呼ばれています。
寛は広い、窄は狭い、巷子は路地を意味します。
早速、寛窄巷子に潜入です!! -
アラ~服務員の皆さん、全員パンダユニフォームですね~(*^-^*)
小吃街には多くの屋台業態の店舗が並びます。 -
アラアラ~豚の鼻ですね~
鼻の穴にネギが通されています。
小吃街では串焼き料理が多く売られています。
これって、豚鼻串なの・・・かな? -
アラアラアラ~スライスされたパイナップルに御飯が盛られています。
何て可愛い盛り付けなのでしょう。
うんうん、美味しそう~(●^o^●) -
明清時代の歴史ある建物群が、最近、お洒落にリノベーションされて生まれ変わりました。
昔ながらの雰囲気を残しつつ、若者受けするショッピングゾーンに改造したって感じですかね。 -
レトロとモダンが入り交じった寛窄巷子です。
ちょっとテーマパークのようでディープさには欠けますかね。 -
成都は中国西部の街です。
ところが、北方建築様式の建屋が多く見られます。
その理由ですが、清朝の康熙皇帝は、チベットを鎮める為、北方の兵士を集め、派遣したことに由来します。
寛窄巷子には、その兵士達によって、多くの四合院建築物が建てられました。
中国西方ながら、北方の建築を最も取り入れた場所となりました。
そう言えば、南方系の客家の移民も多かったようです。 -
我家内が、煉瓦壁と同化した馬の手綱を曳きます。
ちょっと変わった凝ったアートが、街に散りばめられています。
古い街の中の新しい取組ですね。 -
寛窄巷子から琴台に戻る途中、店前に露天テーブルを出し、お客で賑わっている一角を通りました。
その中の一軒を晩餐会場に選出~着座して周りのテーブルを観察します。
皆さん、何を食べているのかな・・・
少し悩んで、結局、麻辣焼魚(土豆追加)と白飯を注文、雪華ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
歩き通しだった旅行2日目の11月2日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游3日目の11月3日が始まりました(早上好)。
CCTV13新聞を見ていると、天気予報が流れました。
今日の成都は晴れるようです。
このまま、傘の出番が無い旅が続けばいいなぁ~ -
夢之旅文君楼庭院酒店成都寛窄巷子店をチェックアウトし、路線バス乗場に向かいます。
通恵門站という名称で分かりますが、ここ琴台は、かつての成都古城の西側の城門が有った場所です。
清朝時代は成都中心部を囲む城壁があり、その西城門(清遠門)が、ここ琴台から離れていて、通行に不便でした。
近代に入り、辛亥革命の後の1913年に、不便さを解消すべく、新しく城門が作られますが、それがこの通恵門です。 -
待つこと10分、目的の163路バス(2元)が到着です。
金沙遺趾東門站に向かいます。 -
金沙遺址博物館です。
ここ金沙遺跡は、2001年2月8日、成都市西郊の住宅開発に伴う下水道工事中に発見されました。
世紀の発見と言われています。 -
門票(70元)です。
博物館といえば免費が大半ですが、ここは有償です。 -
金沙遺址は、21世紀最初の中国における考古学的大発見と言われています。
2007年4月16日に開館した金沙遺址博物館は、遺跡上に建てられ、その保護と公開を目的としたものです。
最初に発掘現場をそのまますっぽりと納めた遺跡館が現れます。
これは本遺跡の大型祭祀遺構を保護・公開するために、覆いかぶさるように建設されました。 -
遺迹館に入場します。
内部中央に見学用の板張り通路が設けられています。
掘り下げられたその様子は、西安の兵馬俑博物館の雰囲気ですね。 -
年代別の地層が分かりやすく表記されています。
-
太陽神鳥金箔の発掘場所です。
-
烏木(黒檀)の樹根で10メートル四方もある巨大なもので、強化床ガラス越しに足下に見ることが出来ます。
何と3,000年前という長い歴史を経ています。 -
続いて陳列館に入ります。
入口を通ると、ここでも発掘された遺跡の上に強化ガラスを敷き、良く見えるように工夫されています。 -
墓中で化石化した人骨を、遺跡から切り取り、展示しています。
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金器、青銅器、玉器など豊富な出土品を鑑賞することが出来ます。
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金面具は金沙遺址イチオシの出土品で金の仮面です。
想像以上に金ピカに輝き、仮面舞踏会的な怪しい雰囲気を醸し出しています。
この金仮面で踊ったら、それはそれは驚愕ですね~!! -
太陽神鳥金箔です。
2001年2月25日に発掘され、外径12.5cm・内径5.29cm・厚さ0.02cm・重量20gです。
現在、成都市の市微になっている本遺跡のシンボル的出土品です。
金箔は円形で、太陽を表す内側の環と、神鳥を表す外側の環で構成されます。
古代周王国の金工芸水準の高さが伺えますネ。 -
蜀馬商周と紹介されています。
馬車化石を土台そのまま切り取り、博物館内に移動したようです。
さあ、次の暢游地、永陵に向かいますよ !(^^)! -
復路の金沙遺趾東門站は、往路と違い、同盛路に面しています。
ここで往路と同じ163路バスを待ちます。 -
163路バス(2元)が到着、他の人民と一緒に乗り込みます。
乗車10分、永陵路西站で降車です。 -
永陵とは、中国五代十国時代(907年-960年)に勃興した王朝である前蜀の初代開国皇帝・王建の帝陵です。
成都を中心に、今の四川省一帯を支配しました。
1940年に発見され、1942年に発掘調査が行われました。 -
門票(10元)です。
何故か入場の際、ハサミで角を切り取られました。 -
神武殿内の展示模型です。
唐の刺史だった王建(847-918年)は、唐が907年に後梁によって滅ぼされると、その後梁の支配を嫌い、自ら皇帝を名乗って建国し、国号を大蜀(前蜀)とします。
う~ん、日本の教科書には載っていなかったかな・・・
我家の知識不足かな・・・(@_@;) -
正面に王建の古墳である地宮への神道があり、両脇に石馬・瑞獣・武将・文臣・侍臣らの石刻像が並んでいます。
それでは王建に会いに地宮に潜りましょう!! -
若かし頃の王建は、塩の密売や家畜の屠殺・盗窃などを生業としていました。
やがて、黄巣の乱で官軍に参加し軍功を上げてから運命が一変します。
全くの無学ながら、その戦闘能力を高く評価され、唐の昭宗により蜀王にまで任命されています。
いわゆる叩き上げ・成り上がりです。 -
青白大理石の石棺が置かれていた中室です。
奥に王建像がある後室が見えます。
1000年以上も前の古墳・慕陵の中に立ち入ることが出来るなんて、何て貴重な体験なのだろう・・・
中室の墓室は全長約23m程もあります。 -
その青白大理石の石棺の側面には、楽隊や踊り子が彫り刻まれています。
そして、その周りを管楽体・鼓楽隊から構成される二十四楽伎と十二神像が摂り囲んでいます。
石棺の側面に彫られた楽隊レリーフは極めて良い保存状態でした。
琵琶・琴・鼓・笙などの楽器も見て取れ、当時を思い馳せます。
唐代芸術の高さが伝わって来ます。 -
後室に向かいます。
押し寄せる観光客の為に、陵墓内に石道つまり神道の上に強化ガラスを敷き、保護しながら良く見えるように工夫されています。 -
石棺の奥の後室には、何気なく紅砂岩製の王建石刻坐像が置かれています。
高さ86cmで、国宝級の逸品です。
王権の眼差しは何処に向いているのでしょうか・・・ -
地宮から出て、暢游継続です。
永陵の墳墓は高15m・直径80m余の円墳です。
その脇を通って進みます。 -
続けて永陵奥北側にある永陵博物館に行きます。
六朝時代の発掘物でしょうか?
説明板には、当時、食されていた肉類が記載されています。
猪・牛・羊・犬・馬・驢・鶏・鴨・鵝・兎・鹿等々、様々な動物が食卓に上がっていたようです。
昨日の昼餐で兎(ウサギ)を食べました。
次は何を食べようかなぁ~~~ -
これって何でしょう・・・
どう見ても、尿瓶ですよネ~
説明書きによると、虎子と記載されています。
つまり携帯便器です。
う~ん、中々洒落ていますよね~(*_*) -
蜀の永平五年(915年)の銘のある石像の陀羅尼経幢が陳列されています。
様々な歴史的な遺物の虜になりそうです。
凄いぞ中国!!! -
今度は永陵路口站から文殊院に向かいます。
-
目的の42路バスが到着です。
武都路の大安西路西站まで乗車です(2元)。 -
人民北路沿いを暢游していると、団体客が溢れ、歩道に路上卓を出している食事処を発見、速攻で座席を確保です。
写真を撮る頃には団体客は退散し、路上卓は収納されてしまいましたが、随分と賑わっていました。
回鍋肉・宮爆鶏丁・白飯を注文、雪華ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡 -
続いて文殊院に向かいます。
南北朝時代(420-589年 )に創建された文殊院は、四川省の重要文物保護対象になっています。
園林建築、参拝観光、宗教修学を一体化とした仏教聖地なのです。 -
以前は門票5元が必要でしたが、現在は免費になっていました。
早速、入りましょう。 -
文殊院ですが、元々は唐の妙園塔院で、宋代に信相寺と呼ばれました。
当時の蜀王が、信相という尼の面影を慕い、彼女の為に寺を建立しました。
明朝代に戦火によって焼失しましたが、清朝代の1697年に再建された際に文殊院と改称されています。
近代、文化大革命の時に多くの仏教寺院が破壊される中、かろうじて残ったようです。 -
天王殿・三大士殿・大雄殿・説法堂・蔵経楼等、どれも典型的な清代建築です。
精巧な透かし彫りの飾り窓が、その匠の技術力の高さを伝えています。
成都の人々は信仰深いようで、寺院内は熱心にお祈りしている人民で溢れています。 -
文殊院歴史文化保護区は観光美観地区でもあります。
古い建物をリノベーションしながら再生しています。 -
夜はライトアップされるようです。
若者好みのテナントも多く見受けられます。
このエリアに宿泊するのも愉しいんじゃないかな!! -
保護区内のとある施設で何かのイベントが催されていました。
お祝いにディズニーも駆けつけています。
但し、非常に残念なミッキーとミニーとプーさんです。
全く!! レベル低く過ぎでしょ!!!! -
文殊院歴史文化保護区の端っこに、鼓楼南街門楼が建っています。
こんな場所に鼓楼? って何だろう・・・
よく分かりません。 -
その中に成都古城図が飾られていました。
既に全ての城門と大半の城壁は撤去されています。
護城河や通り名等の地名が、当時の名城の面影を現在に伝えています。 -
路上にレンタルサイクルが放置されています。
QRコードをかざし、低料金で誰でも乗ることが出来ます。
そして、何処でも乗り捨てることが出来ます。
外国人観光客も利用できるようになればいいのにネ (^ω^)
そもそも、QRコードは日本が発明したのに、その活用に関しては完全に後れてしまっていますよね。
日本人、何をやってるんだ!!
あ~あ!自転車利用なら地下鉄站まで近いのになぁ~ -
さあ~てと、今日は洛帯古鎮まで移動しなきゃ!!
地下鉄と路線バスを乗り継ぎますよ。
自転車移動は諦め、文殊院歴史文化保護区から歩きます。
徒歩約15分、地下鉄太升南路站に到着です。
先ずは地下鉄4号線で、終点の西河站まで乗車します(5元)。 -
地下鉄西河站と並行して東西方向に走る成洛大道に出ると、直ぐに西河站のバス停です。
多くの三輪車や白タクが待ち受けていますが、当然、我家は公共交通機関利用です。 -
直ぐに目的の219路バス(2元)が到着、早速、乗り込みます。
-
219路バスは洛帯古鎮を目指して成洛大道を爆走中~!!
-
洛帯客運中心站に到着です。
西河站から約30分程、乗車しましたかね。 -
洛帯古鎮景区入口に地図が設置されています。
どれどれ、日没まで少し時間が残っています。
ホテルチェックイン前に老街を暢游しようじゃな~い! -
老街西側入口に建つ甑子場と書かれた城門です。
ここから東側に老街が連なります。
古鎮・老街大好き我家のウキウキが始まります。
ワクワク~!!! -
洛帯という地名は、三国時代、劉備玄徳の息子の阿斗が、八角井戸に玉帯を落としたことから、“落帯” と言われるようになったそうです。
後の時代、転じて、同じ発音の“落“が“洛”に変わっています。 -
湖広会館です。
ここ洛帯古鎮ですが、多くの客家人が戦乱を避けて集まって来て出来た街です。
洛帯古鎮は、客家が住む村では、中国南部最大だと言われています。
この会館という呼称も客家が持つ建築文化です。
湖広会館は清の乾隆8年(1743年)に湖広籍の客家人達の資金で建てられました。
禹王を泰安している為、禹王宮とも呼ばれています。 -
江西会館です。
防火壁の龍が通行人を睨みます。
とても堅固で威厳的な建築物ですね!
この建物は清の乾隆18年(1753年)に江西籍の客家人達の資金で建てられました。
萬寿宮とも言われているのは、江西人原籍地の守り神である許遜を泰安している為です。 -
洛帯古鎮が薄暮に包まれ始めました。
お土産屋さんにポツポツと燈が灯ります。 -
字庫塔です。
別称、敬字亭・文風塔とも言います。
光緒6年(1880年)に建てられました。
塔の高さは9.2mで、六角二階層です。
全体が青灰色で高く聳えています。 -
老街に夕闇が迫ります。
同時にライトアップが始まります。 -
老街を折り返し、再び江西会館です。
時間が流れ、ライトアップが始まっていました。 -
その江西会館脇を南進すると・・・
鼓楼?
鐘楼?
塔楼?
答えは五風楼でした。 -
老街散策に時間を割き過ぎました~(*_*)
夜景散策の魔力を振り払い、取り敢えず、ホテルに向かいます。
老街近くの成都九点芸庫酒店(ツイン・朝食付き358元)に無事にチェックインです。 -
小休止後、夜景観賞と晩餐会開催に向けて再稼働です。
-
老街に連なる紅い提灯に、塔が描かれています。
ライトアップされた湖広会館と一緒のアングルで撮影してみました。
何だか幻想的~情緒的~~神秘的~~~(^_-)-☆ -
再び江西会館です。
何だか夢幻的~空想的~~魅惑的~~~(^_-)-★ -
再び字庫塔です。
何だかファンタスティック~ワンダフル~~
そしてビューティフル~~~(^_-)-★☆彡 -
日帰り観光客は消え、宿泊した者だけが味わえる夜の魅惑的空間を独占です。
前方に、洛帯古鎮老街のシンボル的古代建屋が見えて来ました。 -
広東会館です。
通りに面して石刻壁画がはめ込まれています。
この村の客家の人達が何処から移動して来たのか?
その歴史が描かれた有名な壁だそうです。
この広東会館は清の乾隆11年(1746年)に広東籍の客家人達の資金で建てられました。
南華宮と呼ばれているのは、仏教禅宗の六祖である彗能を泰安している為です。 -
老街を引き返します。
沈黙と静寂が我家を呑み込みます。
誰も居ません!
こんな贅沢な独占って、滅多に体験出来ませんよね。 -
老街を外れ、府興街で電灯が光る食事処に入店です。
尖椒土豆絲・老壇酸菜魚・白飯を注文、雪華ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
服務員から、“ハングル?リーベン?●▽◇◆▼” との問いかけが有りました。
我是日本人!!と応戦、その後は筆談です。
あ~コミュニケーション、楽しいなぁ~\(^o^)/
歴史三昧だった旅行3日目の11月3日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游4日目の11月4日が始まりました(早上好)。
目覚めて、CCTV13新聞を眺めていると、天気予報が流れて来ました。
う~ん・・・四川省の天気は下り坂です。
今回は晴れ男・晴れ女のパワーが足らない事態になりそうです。
今日は長城観光です。
雨、降らないでネ!!!! -
洛帯客運中心站から今日の暢游が始まります。
四川省には “蜀犬吠日” という諺が有ります。
蜀は高い山に囲まれた地で、ほぼ毎日霧に覆われていて、たまに霧が晴れると犬が怪しんで太陽に向かって吠えたという故事から来ています。
天気が悪いのは常時と捉えて観光しましょう!! -
金龍長城行きの853A路バス乗場です。
何と何と・・・ちょうど、その853A路バスが目の前で発車してしまい、暫く待つ羽目になりました。
朝から不運・UNLUCKY~ -
やがて、金龍長城行きの853A路バス(1元)が入線です。
ネットでは20分毎となっていましたが、なかなか発車しません。
待つこと約30分、やっと発車です。 -
乗車約25分で金龍長城站に到着です。
今にも泣きそうな空に、我家の心も泣きそうです。
“蜀犬吠日” な四川省です。
割り切って暢游しましょうかね。 -
看板標識によると、長城の長さは1,680mで登り切るのに1.5時間を要するようです。
往路だけで約90分か~意外と時間が必要ですね~
というか体力も必要ですね~ -
往路は登山つまり徒歩です。
復路は路線バス853B路で金龍寺から洛帯に戻れるようです。
復路は歩いて下山する必要が無いのは助かりますネ。
往路:徒歩登山
復路:路線バス下山
で行程を組みました~~~ヽ(^o^)丿 -
門票(10元)です。
長城入場券というか金龍寺参拝道使用料です。 -
さあ、長城・城壁大好き我家の出発だぁ~
行くぞ~
歩くぞ~~
登るぞ~~~ -
登る前に城門楼を振り返ります。
深呼吸をして・・・
覚悟を決めて・・・
鞭を準備して・・・ -
金龍長城でもヤリます。
城壁大好き我家の決めポーーーーズ!! イエ~イ!!
加齢の為か? 足の上がり方が鈍いようです。
それにしても城壁散歩は楽しいなあ~(*^-^*) -
さあ、老体に鞭を打って、急階段に挑みます。
城壁大好き我家にすれば、いとも簡単に登れるはずです。 -
尾根沿いの山稜上に建造された長城です。
つまりは登り下りを繰り返します。
体力勝負の長城暢游、負ける訳にはいきませんネ!●~* -
アララララ~途中から雨が降ってきました。
足元が滑りやすくなっています。
慌てて砲火台に逃げ込みます。
注意安全!! -
長城を登り切り、検票ゲートを抜けます。
なるほど・・・ここで長城から出てしまう訳か~
だから長城を歩いて降りて来る観光客がいなかった訳ですね・・・
ゲート外のトイレで面白い光景に遭遇しました。
便器のブランドは “GOLD” です。
さすが “金” 龍長城~ですね~ -
長城を抜け、いよいよ金龍寺に向かいます。
その途中で地蔵菩薩に挨拶し・・・ -
老金龍磨崖石仏にも挨拶し・・・
-
遂に山頂に建つ金龍寺に到達です。
屋根の主棟に横たわるように龍が向き合っています。
建立当時は金色だったのかな・・・
だって、金・龍・寺ですよ! -
本堂内の千手観音菩薩像です。
千手観音の正式名称は千手千眼観世音菩薩です。
1本1本の掌に、1つ1つの眼が刻まれていることに由来しています。
千の眼は人々をしっかりと見て導くという意味があります。
観音様、我家を正しく導いて下さいネ (^○^)
さあ、下山しましょう~! -
下山用路線バス853B路乗場を探しますが見当たりません。
門票売場の服務員に聞くと、“没用”と言っているような・・・
線香売場の僧侶達に聞くと、“不開”と言っているような・・・
何と何と、路線バス853B路は運行されていません。
そんな~と嘆いても仕方有りません。
下山道の石坂路経由で自力で戻ります。 -
歩いて下山・・・
まさか・まさか・
石段を歩いて降りることになるなんて・・・ -
下山後に気付いたのですが、景区入口に観光電動カーが停まっていました。
金龍長城を歩いて登らず、電動カーで登れるのかな?
詳細は不明です。 -
金龍長城站で853A路バスを待ちます。
待ちます。
待ち続けます。
待ち続けて1時間が経ちました~
まさか、853B路バス同様に、853A路バスも運行停止か・・・?
しかし、朝方、往路853A路バスに乗って、金龍長城に来ましたよ。
不安が過ぎります。
月曜日でしかも雨霧ということも有り、観光客は誰もいません。 -
そんな時、一台の車が停まり、女性運転手が“●〇×▲□◆∇◎”と叫んで来ました。
白タクだな~と思いつつ、我家内が折衝開始です。
紙で筆談開始です。
“雨天没有公共車853A路巴士”
“洛帯古鎮両人共20元”
雨が降る日はバスが来ない!洛帯古鎮まで二人で20元で送迎しますよ!
公共バスが雨天運休だなんて、本当か嘘かは分かりません。
路線バスを待ちくたびれた我家は承諾です。 -
走り出して5分程した時、急にエンジン停止でエンストです。
え~こんな雨降りで山の中で孤立かぁ~
女性運転手が降車し、ボンネットを開けました。
不安が過ぎります・・・
真っ白な湯気が揚がります・・・
マジ!!どうなることやら・・・ -
次の瞬間、シートの下から、何やらポリタンクを引っ張り出し・・・
-
どうやらラジエターに水を注いでいます。
あ・り・え・な・い・・・(=_=)・・・・
我探偵推理では、この車のラジエターは老朽化で錆びて水漏れをしていて、定期的に水を足さなければならない状況かな。
日本なら、こんな車、無理無理!
絶対に車検を通らないよね~~~
間違いなく公道を走らないよね~
そもそも危険な車だよね~~~~ -
“没問題”と言いながら、何とかエンジン再始動した車は、何事もなかったかの如く、洛帯古鎮に向かいます。
どうやらこの女性、両親を何らかの用で洛帯鎮に連れて行く途中、小遣い稼ぎで我家に声掛けしたようです。
路線バスが来ず、困り果てていた我家にとっては助けに舟でしたね。
あ~ハプニングも楽し・愉し・安し!!(^^)! -
洛帯古鎮に戻り、先ずは腹ごしらえです。
老街の一本北側の八角井街の食事処に入ります。
韮苗回鍋・宜賓燃麺を注文、雪華ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽(^^ ) 乾杯!!乾杯!!>゜))))彡
燃麺とは、この地区の郷土麺です。
舌が痺れる汁無担々麺という表現が合うのかな~
相当、無っ茶、とっても美味しかったよ~ -
さあ~てと、午後暢游開始です。
昼餐している間に小降りだった雨が上がりました。
ヤッタね~~~~
午後の部、我家と一緒に老街を彷徨います
昨夜、夜景観賞で訪れた字庫塔です。 -
洛帯古鎮老街を暢游します。
平日で雨模様だった為か、観光客の姿は疎らです。 -
広東会館です。
免費で入場できます。
敷地内には戯台が有り、広東出身の方々の財力が垣間見えます。 -
江西会館です。
ここも免費で入場できます。
こちらも敷地内には戯台が有り、江西出身の方々の財力もよく見えます。 -
湖広会館です。
免費とかでは無く、施錠されていて、入場不可でした。
残念・無念・・諦めきれないねん!!!
結局、時間切れで最奥の川北会館・四方塔・聚龍公園に行けませんでした~(*_*)
さあ、成都観光を終了しますよ。 -
洛帯客運中心站より、往路同様、219路バス(2元)で西河站まで移動します。
バスは頻繁に出ており、心配無用です。
L024番バスでもOK~ですよ。 -
西河站で地下鉄4号線に乗り換えます(4元)。
始発故、座れます!(^^)!
長城登山の足腰には救いです。 -
更に途中、槐樹店站で7号線に乗り換えます。
この7号線ですが、JR山手線同様、環状線です。 -
洛帯古鎮から約70分かけて高鉄成都東站に到着です。
-
発車まで少し時間に余裕が有り、改札口を観察です。
右側4箇所の自動改札機には切符を入れる差込口が有りません。
全てタッチ式になっています。
人民カードか? ICチップカードか? 携帯端末なのか?、何らかをタッチし改札口を通るようです。
我家のような切符しか持っていない人用に、一番左側1箇所だけ有人ゲートが用意されているようです。 -
G8557高鉄が入線です。
成都東站始発で沙坪堤站終着の列車です。 -
その成都東站から沙坪堤站迄の切符です。
やはり座席番号が印字されていません。
またまた携帯端末のネット予約履歴画面を見て確認します。 -
復路の到着站は、往路の重慶北站や重慶西站では無く、沙坪堤站を選択しました。
7月に磁器口に行った時に、軌道線の沙坪堤站で乗り換えました。
その時、既に高鉄沙坪堤站は開業していたのかな・・・?
まだ、工事中・再開発中の沙坪堤地区ですが、軌道線直結で便利なことは間違い有りませんネ!! -
沙坪堤站から軌道1号線で較場口站に移動します(4元)。
渋滞無しで僅か26分で重慶古城中心部に行くことが出来ます。
高鉄重慶西站着の列車利用なら、中心部への移動が大変です。
皆さん、この沙坪堤站の利用、大いに推奨しますよ~ヽ(^o^)丿 -
較場口站から地上に上がると、至る所に小吃街が発達しています。
写真は6番出口の日月光中心広場北側の小吃街です。
露天食堂も混在し、食の魅惑ロードを作り上げています。
まだ、お腹が空いていない我家は先に進みます。 -
民族路歩行街は多くの人民で溢れています。
今日は月曜日の平日ですが凄い人の波です。
高層ビルの合間のライトアップされた解放碑を通ります。
重慶のシンボル的な石塔で、1947年に、民国政府によって建てられました。
元々“抗日戦争勝利記功碑”と呼ばれていましたが、1949年に重慶市が中国共産党の直轄化に入り、重慶人民解放記念碑と名称を変えています。 -
取り敢えずホテルのチェックインを済ませなきゃ!
今夜は解放碑近くの重慶中天大酒店(ツイン・朝食付き328元)を予約済みです。
部屋が24階と高層階だった為、窓から夜景観賞が愉しめました~!
遠方には嘉陵江に架かる千厮門大橋が見えています。
ちょうど1年前、始めて重慶を訪れた際、洪崖洞の夜景を見降ろしたくて、この大橋を歩いて渡ったことを思い出しました。 -
さあ、中国暢游最後の晩餐会場に行かなくちゃ!!
小吃歩行街を通り、以前にも訪れた屋台街に向かいます。 -
八一広場と瑞富賜物中心の路地間の屋台街です。
店頭に設置されたテーブルや椅子で、多くの人々が晩餐を楽しんでいます。
雨避けテントや庇が設けられ、ここに多くの人民の熱気が加わり、露天と言えども寒くありません。
我家も負けじと参戦です。 -
草魚紙包です。
包紙内に充分に熱が通った頃、服務員の方が包紙を開放~
ニンニクに埋もれた草魚を裏返します。
“▽◆□◇●◎▼”と言っています。
多分、“食べていいよ”だと思います。
それにしても我家大好きニンニクの香りに悩殺されそう・・・ -
さあ、晩餐クライマックスです。
巫山草魚紙包蒜香味と重慶ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
熱々ニンニク汁と白飯の相性抜群です。
相性が良すぎて凄すぎて食べ過ぎました~
雨と霧に翻弄された旅行4日目の11月4日が終わろうとしています(晩安)。。 -
旅游5日目最終日の11月5日が始まりました(早上好)。
重慶中天大酒店は三ツ星ながら朝食会場では暖かい料理を提供してくれます。
ビュッフェスタイルに加え、調理された目玉焼きと湯麺も美味しく頂きました~ -
当初は長江に架かる重慶長江ロープウェイを体験する予定でしたが、霧が立ち込めており、展望が期待出来ません。
と言う訳で、3月に重慶を訪れた際、月曜日休館と重なり観光出来なかった施設に足を運びます。
金湯街沿いのビルの地下に巴蔓子墓が残されています。 -
蔓子という方は東周時代の巴国の将軍と記されています。
当時、領地内の内乱に悩む巴国の蔓子将軍は、これを平定するため楚国に応援を求め、その見返りに領地の一部を割譲する約束を交わしました。
内乱平定後、蔓子将軍は、代わりに自分の首を差し出すことで領地割譲を免れたという逸話が残されています。
人民の為に、祖国の為に、自らの首を差し出すなんて、何て立派な将軍なのでしょう。
蔓子将軍の石棺に手を合わせて合掌!! -
3月に重慶古城の通遠門に行く途中、偶然に見つけた重慶大韓民国臨時政府旧址陳列館です。
その時、とても気になったのですが、月曜休館で入場出来ませんでした。
重慶に大韓民国臨時政府が有ったことを、全く知らなかった我家です。
早速、近代史に触れに訪れましょう。 -
ビルの谷間に埋もれるように重慶大韓民国臨時政府旧址陳列館は残されています。
未だにギクシャクする日韓関係ですが、この陳列館の中に、その答えが有るのかも知れません。
陳列館は、いわゆる博物館で、パスポート番号を記載、入場免費です。 -
陳列館は第1~5館に分けられています。
中国の歴史に興味が有り、何度も何度も暢游する我家ですが、隣国朝鮮半島については余り知りません。
私が受けた教育では、明治維新で近代化した日本と違い、旧態のままの朝鮮半島を、日本とロシアの緩衝地帯として存続出来るように歴史は動いたということです。 -
大日本帝国が日露戦争に負けていたら、朝鮮半島はロシア帝国領になり、その後のソビエト連邦の一部になっていただろう・・・
これは日本側の歴史観ですが、史実は戦争の勝者が決める場合が大半です。
旅行しながら相手側の視点を知る良い機会です。
入口に独立運動家の白凡金九という独立運動家の銅像が出迎えます。
誰なのか?全く知りません。 -
当時の日本と韓国ですが、1910年(明治43年)8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合して統治下に置いています。
既に大韓帝国は消滅、亡国の渦中に日中戦争が始まります。
やがて太平洋戦争に突入、多くの人命を失った末、日本の敗戦で終結しました。 -
1932年、上海事変(中国呼称:一・二八事変)の写真です。
満州事変から世界の目を逸らすべく、日本軍が上海で起こした謀略・戦闘行為です。
日本人僧侶が中国人に襲撃されて死亡した事件が発端ですが、後に、関東軍が中国人を買収して襲撃させたことが判明しています。
何て酷いことを・・・ -
尹奉吉(ユン-ボンギル)という朝鮮独立運動家の写真です。
20歳で中国に渡り,上海で独立運動家金九に傾倒していきます。
当時の天皇誕生日1932年4月29日、上海虹口公園で開催された日本の天長節祝賀会に投弾、多くの日本の陸海軍将校らを死傷させます。 -
天長節祝賀会の動画が流されていました。
投弾による大混乱の模様が分かります。
この事件で自爆し損ねた尹奉吉は捕らえられ、同年12月、金沢で処刑されました。 -
尹奉吉の宣誓文です。
大韓帝国再興の為とはいえ、爆弾を用いた行動・活動をどう評価するのか・・・
伊藤博文を暗殺した安重根が韓国では英雄なのに対し、日本ではテロリスト扱いです。
では、大老井伊直弼を暗殺した水戸浪士は英雄なのか?
坂本龍馬暗殺はどうなのか?
史実は事実ですが評価は後世の人達の都合で語られます。
国が違えばイデオロギーも異なります。 -
日韓併合により消滅した大韓帝国ですが、反対派の人々が中国大陸に移り、独立運動をしていたのですね。
そう言えば、以前2012年に浙江省の嘉興を旅行した時に、臨時亡命政府史跡が有りました。
金久避難処という観光名所になっていましたが、訪れた時間が遅く、閉館していたことを思い出しました。
日本軍の中華侵略に伴い、中国の臨時政府は武漢から重慶に移りました。
大韓帝国の臨時亡命政府も、同じように重慶に移っていたのですね。 -
日本軍による重慶大爆撃についての展示です。
ちょうど一年前、始めて重慶を訪れた際、重慶大轟炸惨案遺跡(六・五遂道惨案旧跡)に行き、多くのショッキングな写真を見ました。
この時、重慶大爆撃について、我家の無知さを思い知らされました。
そして今回、ここ重慶大韓民国臨時政府旧址陳列館の展示では、市街無差別爆撃の動画を目の当たりにし、絶句です・・・ -
炎に包まれる重慶市街地です。
黒焦げになった人間の写真など、見るに堪えませんでした。
私達日本人は、連合軍(米軍)による東京大空襲や広島・長崎原爆投下については詳しく学び、叩き込まれてきました。
一方で、私達日本の先人達が中国大陸で何をしていたのか? 日本の教育では殆ど語られていません。 -
日本の敗戦を告げる当時の資料や写真です。
亡国の憂目にあった大韓帝国にとって、8月15日は光復節となり、奪われた主権を取り戻した記念日となっています。
国家間の条約・約束の反故はいけませんが、侵略された側の心情を理解するのも大人の対応なのかな・・・そんな目で韓国を見ている己に気付きました。 -
さあ、次の暢游先に向かうべく、軌道1号線の較場口站から移動開始です。
重慶は起伏が激しい地形の為、路線バスよりも地下鉄(軌道線)の方が時間が読めて安心かな!!
1区間先の小什字站で軌道6号線に乗り換え、紅土地站で降車です(3元)。 -
紅土地站で降車、興盛大道を北進します。
やがて、龍頭寺への参道入口を示す道標に遭遇です。
たった300mですが、丘の上へと続く急な階段を登ることになります。
最終日に最後の鞭打ちです。 -
龍頭寺を参拝します。
明朝時代からの悠々の歴史を誇ります。
観光地というよりは地元民の御祈りの場ですね。 -
重慶市は特別行政都市に指定されています。
人口は3,000万人超で世界最大の都市です。
莫大な人口を抱える為か、高層マンションが乱立状態です。
何だか肩身の狭い龍頭寺でした~! -
さあ、最後の暢游ポイントの龍頭寺を離れ、重慶江北国際空港直結の軌道10号線龍頭寺公園站に向かいます。
え~~~~~!!!
まさか、閉鎖???
聞いてないよ~(o_o)
大パニッ~ク!!発生か~~~!! -
冷静に周りを見渡します。
軌道10号線が運行されているのは明確です。
初日にも乗車しました。
龍頭寺公園站だけが閉鎖なのか?
先程の出入口だけが閉鎖なのか?
近くの新既大道沿いに別の入口を発見~~~ここから降ります!!! -
先程の閉鎖されていた降り口に続くと思われる通路です。
まったく驚かせよって~~~<`~´> -
先程迄の焦りは何処へやら!
軌道10号線に乗ってしまえば、らくらく空港移動が保証されています。
龍頭寺公園站から重慶江北国際空港第3ターミナル站まで31分(5元)でした~!! -
重慶江北国際空港第3ターミナルに到着です。
我家の中国暢游が終わろうとしています。
愉しかったよ四川省!
旨しかったよ巴国領!!
嬉しかったよ蜀漢国!!! -
春秋航空カウンターに並びます。
無事に平常運行されており安堵です。 -
出国後、唯一の食事処で最後の昼餐です。
牛紅牛肺麺を注文、最後まで辛くて!痺れて!!多汗です!!! -
三国志聖地成都古城・洛帯古鎮・金龍長城 四川省 史跡・旧跡巡りの旅・・如何でしたか?
気付けば、あっという間の5日間の旅でした~
本当に中国って奥が深いですネ!!
さあ!!明日から仕事と遊びを頑張って、そして、何度も何度も中国に行くぞ~!!行くぞ~!!!絶対行くぞ~!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- メイリンさん 2019/11/11 22:27:49
- 切符に座席番号がない
- 尖椒土豆絲さん、こんばんは
先月北京に行った時に、私も予約した高鉄チケットに座席番号がありませんでした((+_+))
新空港行のチケットだから特別なのかなと思っていたけど、尖椒土豆絲さんのチケットにもなかったということはある程度新しい路線の高鉄には書かれていないのかな?と思いました。
尖椒土豆絲さんはwechatとかやってますか?
スキャン機能でチケットのQRコードを読み込むと座席番号が出る…はずです(多分)。
ガラケー使いの方だったらすみませんm(_ _)m
- 尖椒土豆絲さん からの返信 2019/11/13 21:24:26
- Re: 切符に座席番号がない
- メイリンさん、こんばんわ!
早速、持ち帰った切符のQRコードをwechatでスキャンしてみました。
見事に座席情報が表示されました。
情報、有難うございます。
そういえば、この前、日本人観光客もアリペイが使えるようになるというニュースを見ました。
次回、中国旅行に行く前に調べてみようと思います。
いよいよ現金主義から卒業できるかな・・・(^○^)
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