クロムニェジーシュ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
車で、チェコのプラハ、チェスキー・クルムロフ以外のマイナーな世界遺産を巡る旅。総走行距離1823.9km。<br /><br />本旅行記はその⑥、クロムニェジーシュ(Kroměříž)。<br />世界遺産「クロムニェジーシュの庭園と城」を訪問しています。<br /><br /><大日程><br />5/25 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ①前編<br />   クトナー・ホラ泊<br />5/26 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ②後編<br />   ゼレナー・ホラ(Zelené hoře) ③<br />   テルチ(Telč) ④<br />   オロモウツ(Olomouc) 泊<br />5/27 オロモウツ(Olomouc) ⑤<br />   クロムニェジーシュ(Kroměříž) ⑥<br />   チェスケー・ブジェヨビツェ(České Budějovice) 泊⑦<br />5/28 フルボカー・ナド・ヴルタヴォウ城(Státní zámek Hluboká) ⑦<br />   ホラショヴィツェ(Holašovice) ⑧<br /><br />------------------<br />チェコの世界遺産(Wikiより) 2019年現在。<br />プラハ歴史地区 - (1992年)<br />チェスキー・クルムロフ歴史地区 - (1992年)<br />テルチ歴史地区 - (1992年)<br />ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 - (1994年)<br />クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂 - (1995年)<br />レドニツェとヴァルティツェの文化的景観 - (1996年)<br />クロムニェジーシュの庭園と城 - (1998年)<br />ホラショヴィツェ歴史地区 - (1998年)<br />リトミシュル城 - (1999年)<br />オロモウツの聖三位一体柱 - (2000年)<br />ブルノのトゥーゲントハット邸 - (2001年)<br />トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ - (2003年)<br />エルツ山地(クルスナホリ)鉱業地域 -(2019年 / ドイツと共有)<br />クラドルビ・ナト・ラベム(英語版)の儀礼用馬車馬の繁殖・訓練の景観 -(2019年)

チェコ周遊⑥ クロムニェジーシュ(Kroměříž)

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2017/05/27 - 2017/05/27

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車で、チェコのプラハ、チェスキー・クルムロフ以外のマイナーな世界遺産を巡る旅。総走行距離1823.9km。

本旅行記はその⑥、クロムニェジーシュ(Kroměříž)。
世界遺産「クロムニェジーシュの庭園と城」を訪問しています。

<大日程>
5/25 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ①前編
   クトナー・ホラ泊
5/26 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ②後編
   ゼレナー・ホラ(Zelené hoře) ③
   テルチ(Telč) ④
   オロモウツ(Olomouc) 泊
5/27 オロモウツ(Olomouc) ⑤
   クロムニェジーシュ(Kroměříž) ⑥
   チェスケー・ブジェヨビツェ(České Budějovice) 泊⑦
5/28 フルボカー・ナド・ヴルタヴォウ城(Státní zámek Hluboká) ⑦
   ホラショヴィツェ(Holašovice) ⑧

------------------
チェコの世界遺産(Wikiより) 2019年現在。
プラハ歴史地区 - (1992年)
チェスキー・クルムロフ歴史地区 - (1992年)
テルチ歴史地区 - (1992年)
ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 - (1994年)
クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂 - (1995年)
レドニツェとヴァルティツェの文化的景観 - (1996年)
クロムニェジーシュの庭園と城 - (1998年)
ホラショヴィツェ歴史地区 - (1998年)
リトミシュル城 - (1999年)
オロモウツの聖三位一体柱 - (2000年)
ブルノのトゥーゲントハット邸 - (2001年)
トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ - (2003年)
エルツ山地(クルスナホリ)鉱業地域 -(2019年 / ドイツと共有)
クラドルビ・ナト・ラベム(英語版)の儀礼用馬車馬の繁殖・訓練の景観 -(2019年)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • クロムニェジーシュ(Kroměříž)<br /><br />クロムニェジーシュ(Kroměříž)に到着も、駐車場を探して彷徨い、ようやく、無料で路駐できるスポットを発見。広場と城を目指して歩きます。<br />ところでこの町の名前、うしろ4つのアルファベットの上にマークが連続して4つついています。つまり、ドイツ語のウムラウト、日本語の濁音同様、この音はなんらか変化させないといけないのですが、もちろん、どう発音するのが正しいか分かるはずもなく、ましてや、どのカタカナ表記が正しいかなんて無駄な議論。<br />グーグルマップでは、クロミェルジーシュ、クロメルジーシュなんてものがありますが、4トラに合わせて、「クロムニェジーシュ」とします。地球の歩き方も同じですね。<br />

    クロムニェジーシュ(Kroměříž)

    クロムニェジーシュ(Kroměříž)に到着も、駐車場を探して彷徨い、ようやく、無料で路駐できるスポットを発見。広場と城を目指して歩きます。
    ところでこの町の名前、うしろ4つのアルファベットの上にマークが連続して4つついています。つまり、ドイツ語のウムラウト、日本語の濁音同様、この音はなんらか変化させないといけないのですが、もちろん、どう発音するのが正しいか分かるはずもなく、ましてや、どのカタカナ表記が正しいかなんて無駄な議論。
    グーグルマップでは、クロミェルジーシュ、クロメルジーシュなんてものがありますが、4トラに合わせて、「クロムニェジーシュ」とします。地球の歩き方も同じですね。

    ヴェルケー広場 広場・公園

  • Městský úřad Kroměříž<br />市役所<br />ヴェルケー広場の一角にある市役所。

    Městský úřad Kroměříž
    市役所
    ヴェルケー広場の一角にある市役所。

    ヴェルケー広場 広場・公園

  • ヴェルケー広場<br />さて目指すのは、市役所とは対角にあるクロムニェジーシュ宮殿。

    ヴェルケー広場
    さて目指すのは、市役所とは対角にあるクロムニェジーシュ宮殿。

    ヴェルケー広場 広場・公園

  • クロムニェジーシュ宮殿と噴水。

    クロムニェジーシュ宮殿と噴水。

    ヴェルケー広場 広場・公園

  • ヴェルケー広場<br />何の塔かは分からない。。。

    ヴェルケー広場
    何の塔かは分からない。。。

    ヴェルケー広場 広場・公園

  • ヴェルケー広場

    ヴェルケー広場

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    大司教の城 城・宮殿

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br />入り口

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)
    入り口

    大司教の城 城・宮殿

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br />中庭。<br />以下、Wikiより。<br /> この地の最初の邸宅は、1497年にオロモウツ司教となったスタニスラス・トゥルツォによって建てられた。建物は後期ゴシック様式を基本にしつつ、最新のルネサンス様式を一部に取り入れていた。三十年戦争の間の1643年、城はスウェーデン軍によって略奪にあった。<br /> 権力のあるリヒテンシュタイン家が宮殿をバロック様式に改装するよう建築家フィリベルト・ルッケーゼ(Filibert Luches)に依頼してから、1664年までは司教のものではなかった。ルッケーゼの仕事の注目すべき作品は、城正面の娯楽用庭園である。1666年のルッケーゼの死によって、後任のジョヴァンニ・ピエトロ・テンカッラ(Giovanni P. Tencally)が公式庭園としてルッケーゼの作品を完成させ、テンカッラが属していたトリノ派を偲ばせる手法で宮殿を再建した。<br /> 1752年3月の大火で宮殿がすっかり焼けてしまうと、2人のオーストリア皇室お抱え芸術家フランツ・アントン・マウルベルトシュ(F. A. Maulbertsch)とヨーゼフ・スターン(Josef Stern)が宮殿ホールの装飾を自分たちの作品でするために到着した。彼らの絵画が加わり、宮殿は芸術コレクションを収蔵し、国でも優れた絵画を収めた場所とされた。ティツィアーノの最後の神話から題材を得た作品、The Flaying of Marsyasが含まれている。収集品の大部分は1673年にケルンで、司教カレルが買い求めた物である。宮殿には顕著な音楽の業績と33,000冊もの蔵書を持つ図書館がある。<br /> 宮殿内のインテリアは広範囲で、映画『アマデウス』においてウィーンのホーフブルク宮殿のシーンを撮影するのに使われた。この作品はヴォルフガング・モーツァルトの生涯を元としているが、彼自身がクロムニェジーシュを訪れたことはない(ただし、モーツァルトが1781年ごろに作曲した二台のピアノのための「ラルゲットとアレグロ(ケッヘル番号なし、未完)」が1960年に図書館で発見されている)。観客席は、映画『不滅の恋/ベートーヴェン』でのピアノ・コンチェルトのシーンに使用された。また、2014年放送のドラマ『エカテリーナ』(ロシアテレビ)のロケ地としても使用された。<br /> 1998年に宮殿の建物と庭園は、「花の庭園」(Květná zahrada)と合わせて「クロムニェジーシュの庭園と城」としてユネスコの世界遺産に登録された。<br />

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)
    中庭。
    以下、Wikiより。
     この地の最初の邸宅は、1497年にオロモウツ司教となったスタニスラス・トゥルツォによって建てられた。建物は後期ゴシック様式を基本にしつつ、最新のルネサンス様式を一部に取り入れていた。三十年戦争の間の1643年、城はスウェーデン軍によって略奪にあった。
     権力のあるリヒテンシュタイン家が宮殿をバロック様式に改装するよう建築家フィリベルト・ルッケーゼ(Filibert Luches)に依頼してから、1664年までは司教のものではなかった。ルッケーゼの仕事の注目すべき作品は、城正面の娯楽用庭園である。1666年のルッケーゼの死によって、後任のジョヴァンニ・ピエトロ・テンカッラ(Giovanni P. Tencally)が公式庭園としてルッケーゼの作品を完成させ、テンカッラが属していたトリノ派を偲ばせる手法で宮殿を再建した。
     1752年3月の大火で宮殿がすっかり焼けてしまうと、2人のオーストリア皇室お抱え芸術家フランツ・アントン・マウルベルトシュ(F. A. Maulbertsch)とヨーゼフ・スターン(Josef Stern)が宮殿ホールの装飾を自分たちの作品でするために到着した。彼らの絵画が加わり、宮殿は芸術コレクションを収蔵し、国でも優れた絵画を収めた場所とされた。ティツィアーノの最後の神話から題材を得た作品、The Flaying of Marsyasが含まれている。収集品の大部分は1673年にケルンで、司教カレルが買い求めた物である。宮殿には顕著な音楽の業績と33,000冊もの蔵書を持つ図書館がある。
     宮殿内のインテリアは広範囲で、映画『アマデウス』においてウィーンのホーフブルク宮殿のシーンを撮影するのに使われた。この作品はヴォルフガング・モーツァルトの生涯を元としているが、彼自身がクロムニェジーシュを訪れたことはない(ただし、モーツァルトが1781年ごろに作曲した二台のピアノのための「ラルゲットとアレグロ(ケッヘル番号なし、未完)」が1960年に図書館で発見されている)。観客席は、映画『不滅の恋/ベートーヴェン』でのピアノ・コンチェルトのシーンに使用された。また、2014年放送のドラマ『エカテリーナ』(ロシアテレビ)のロケ地としても使用された。
     1998年に宮殿の建物と庭園は、「花の庭園」(Květná zahrada)と合わせて「クロムニェジーシュの庭園と城」としてユネスコの世界遺産に登録された。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />(公式WEBから抜粋)<br />There was a redoubt standing apparently as early as the period of the Great Moravian Empirical at the place of the present manor. Its fate was determined by the fact that in about 1110 the market town of Kroměříž became the property of the Olomouc bishops, the richest feudal lords in Moravia. In the second half of the 13th century bishop Bruno of Schaumburk elevated the status of the town to that of a city and built a Gothic castle here.<br /> At the start of the 16th century it was refashioned in the Renaissance style and became the residential seat of the Olomouc bishops. In 1643 the city and castle were damaged by the Swedes and not until the time of bishop Karel Liechtenstein-Kastelkorn (1664 - 1695) was the manor rebuilt. Its construction had lasted for 12 years and was executed according to projects of the significant architects Filibert Luches and Giovanni P. Tencally. The manor is dominated by an 84 meter tower. Behind the structure is a magnificent Under palace Garden, which is still topped by a slightly more distant Flowery Garden with extraordinarily valuable garden architecture.<br /> The representation and residential premises of the Kroměříž manor belong among the most valuable manor interiors of Central Europe. The Hunting, Advisory, and Throne Halls, the Rose and Czar&#39;s Rooms are areas, that might adorn any historical monument. The Vassal Hall with its ceiling fresco by F. A. Maulbertsch, the manor library with its ceiling painting by the Brno painter Josef Stern, who is also designer of the fresco in the manor chapel, and the Parliamentary Hall with three ceiling oil paintings by F. Adolf of Freenthal are all outstanding for their decoration and furnishings of extraordinary artistic value. All the aforementioned paintings date back to between 1759 - 1772. The area of the Parliamentary Hall alone (with 22 crystal chandeliers) covers 400 square meters. <br /> On the second floor of the manor is located the palace picture gallery, being the second most significant in the Czech Republic after the Prague gallery. Within its ten halls visitors can behold paintings of which several are world renowned. Various artists are represented in the gallery, for instance, Lucas Cranach Sr., Hans von Aachen, Jacob Basano, Veronese, Tizian (the work entitled &quot;Apollon and Marsyas&quot;), Jan Brueghel senior, Ant. van Dyck, and Johann H. Schönfeld.

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    (公式WEBから抜粋)
    There was a redoubt standing apparently as early as the period of the Great Moravian Empirical at the place of the present manor. Its fate was determined by the fact that in about 1110 the market town of Kroměříž became the property of the Olomouc bishops, the richest feudal lords in Moravia. In the second half of the 13th century bishop Bruno of Schaumburk elevated the status of the town to that of a city and built a Gothic castle here.
    At the start of the 16th century it was refashioned in the Renaissance style and became the residential seat of the Olomouc bishops. In 1643 the city and castle were damaged by the Swedes and not until the time of bishop Karel Liechtenstein-Kastelkorn (1664 - 1695) was the manor rebuilt. Its construction had lasted for 12 years and was executed according to projects of the significant architects Filibert Luches and Giovanni P. Tencally. The manor is dominated by an 84 meter tower. Behind the structure is a magnificent Under palace Garden, which is still topped by a slightly more distant Flowery Garden with extraordinarily valuable garden architecture.
    The representation and residential premises of the Kroměříž manor belong among the most valuable manor interiors of Central Europe. The Hunting, Advisory, and Throne Halls, the Rose and Czar's Rooms are areas, that might adorn any historical monument. The Vassal Hall with its ceiling fresco by F. A. Maulbertsch, the manor library with its ceiling painting by the Brno painter Josef Stern, who is also designer of the fresco in the manor chapel, and the Parliamentary Hall with three ceiling oil paintings by F. Adolf of Freenthal are all outstanding for their decoration and furnishings of extraordinary artistic value. All the aforementioned paintings date back to between 1759 - 1772. The area of the Parliamentary Hall alone (with 22 crystal chandeliers) covers 400 square meters.
    On the second floor of the manor is located the palace picture gallery, being the second most significant in the Czech Republic after the Prague gallery. Within its ten halls visitors can behold paintings of which several are world renowned. Various artists are represented in the gallery, for instance, Lucas Cranach Sr., Hans von Aachen, Jacob Basano, Veronese, Tizian (the work entitled "Apollon and Marsyas"), Jan Brueghel senior, Ant. van Dyck, and Johann H. Schönfeld.

    クロムニェジーシュの庭園群と城 城・宮殿

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />内部の撮影は基本禁止ですが、この議会ホールだけOKとのこと。天井画やシャンデリアと空間全てにおいて豪華ですが、特に驚きなのは天井が高いこと。火災に見舞われるまではここは2・3階に分かれていたのですが、内部が焼け天井が落ちてしまったことにより、そのまま全ての部分が一つの部屋となったとのこと。<br />

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    内部の撮影は基本禁止ですが、この議会ホールだけOKとのこと。天井画やシャンデリアと空間全てにおいて豪華ですが、特に驚きなのは天井が高いこと。火災に見舞われるまではここは2・3階に分かれていたのですが、内部が焼け天井が落ちてしまったことにより、そのまま全ての部分が一つの部屋となったとのこと。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。ヴェルケー広場。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。ヴェルケー広場。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。2つの尖塔をもつ聖モジツ教会(Kostel sv. Mořice)

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。2つの尖塔をもつ聖モジツ教会(Kostel sv. Mořice)

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。中庭。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。中庭。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)<br /><br />塔からの眺め。ヴェルケー広場。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    クロムニェジーシュ宮殿(大司教の城)

    塔からの眺め。ヴェルケー広場。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />庭園<br /><br />さて城内から庭園を散策します。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    庭園

    さて城内から庭園を散策します。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />広い。。。。さて、どこに向かって歩くのが正解が分からずにとりあえず、歩きだす。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    広い。。。。さて、どこに向かって歩くのが正解が分からずにとりあえず、歩きだす。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />宮殿に面した広々した芝生の広場。気持ちいい。<br /><br />(意訳)宮殿の庭園は、1509年以降に建造され、数世紀にわたり、その時代に合わせて変更がなされてきた。もともとは果樹園、食卓に供給する料理用の菜園であったが、その後、17世紀には英国式庭園に変わり、さらに、1850年には64ヘクタールという広大な広さにまで拡張した。200種類を超える木や低木がヨーロッパ、アメリカ、アジアから集められたとのこと。<br />Chateau Garden<br />The Chateau Garden was established after 1509 and over the centuries it was modified several times, reflecting the changing historical styles and fashions. From a kitchen garden with fruit orchard it was converted to a grand-scale English landscape garden in the 17th century, before being enlarged to the impressive size of 64 hectares in 1850. There are over 200 different species of trees and shrubs from all over Europe, America, and Asia.

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    宮殿に面した広々した芝生の広場。気持ちいい。

    (意訳)宮殿の庭園は、1509年以降に建造され、数世紀にわたり、その時代に合わせて変更がなされてきた。もともとは果樹園、食卓に供給する料理用の菜園であったが、その後、17世紀には英国式庭園に変わり、さらに、1850年には64ヘクタールという広大な広さにまで拡張した。200種類を超える木や低木がヨーロッパ、アメリカ、アジアから集められたとのこと。
    Chateau Garden
    The Chateau Garden was established after 1509 and over the centuries it was modified several times, reflecting the changing historical styles and fashions. From a kitchen garden with fruit orchard it was converted to a grand-scale English landscape garden in the 17th century, before being enlarged to the impressive size of 64 hectares in 1850. There are over 200 different species of trees and shrubs from all over Europe, America, and Asia.

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />庭園というよりかはすでに森に近い。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    庭園というよりかはすでに森に近い。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />池もあったり。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    池もあったり。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />皆さん、芝生に寝転んでくつろいでいます。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    皆さん、芝生に寝転んでくつろいでいます。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />よく分からない建造物。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    よく分からない建造物。

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br />

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

  • Archbishop&#39;s Castle and Gardens Kromeriz<br />Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž<br />ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)<br /><br />さて、もうひとつのフラワー庭園に移動します。

    Archbishop's Castle and Gardens Kromeriz
    Arcibiskupský zámek a zahrady Kroměříž
    ポザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)

    さて、もうひとつのフラワー庭園に移動します。

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice<br /><br />その途中にある、さっき宮殿の上から見えた2つの尖塔をもつ聖モジツ教会。

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

    その途中にある、さっき宮殿の上から見えた2つの尖塔をもつ聖モジツ教会。

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice<br /><br />入り口を探して、反対側に回ってみるがここではない。<br />入り口は側面にあったりする。

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

    入り口を探して、反対側に回ってみるがここではない。
    入り口は側面にあったりする。

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice<br /><br />Antonín Cyril Stojan<br />Antonín Cyril Stojan (22 May 1851 ? 29 September 1923) was a Czech Roman Catholic prelate who served as the Archbishop of Olomouc from 1921 until his death. He was a politician prior to this and served in several political capacities while also serving as a pastor in several parishes where he strengthened social and charitable activities.<br />He was titled as Venerable on 14 June 2016 after Pope Francis confirmed his heroic virtue on the path to sainthood.<br /><br />誰だろうと調べたら、前世紀の大司教さまでした。

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

    Antonín Cyril Stojan
    Antonín Cyril Stojan (22 May 1851 ? 29 September 1923) was a Czech Roman Catholic prelate who served as the Archbishop of Olomouc from 1921 until his death. He was a politician prior to this and served in several political capacities while also serving as a pastor in several parishes where he strengthened social and charitable activities.
    He was titled as Venerable on 14 June 2016 after Pope Francis confirmed his heroic virtue on the path to sainthood.

    誰だろうと調べたら、前世紀の大司教さまでした。

  • 聖モジツ教会<br />Kostel sv. Mořice<br />

    聖モジツ教会
    Kostel sv. Mořice

  • Kostel svatého Jana Křtitele<br /><br />なんの教会かは分からないが、とりあえず、入ってみる。

    Kostel svatého Jana Křtitele

    なんの教会かは分からないが、とりあえず、入ってみる。

  • Kostel svatého Jana Křtitele<br /><br />さきの教会とはことなり、こちらは装飾がすごい。

    Kostel svatého Jana Křtitele

    さきの教会とはことなり、こちらは装飾がすごい。

  • Kostel svatého Jana Křtitele<br /><br />天井。

    Kostel svatého Jana Křtitele

    天井。

  • judicial Academy<br />Justiční akademie<br /><br />その隣の司法学校。その前にたつ、トマーシュ・ガリッグ・マサリクの銅像。<br /><br />トマーシュ・ガリッグ・マサリク(Tomáš Garrigue Masaryk, 1850年3月7日 - 1937年9月14日)は、チェコの社会学者・哲学者・政治家で、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領(在任:1918年 - 1935年)。<br /><br /> 1850年、モラヴィアのホドニーンの労働者階級の家庭に生まれた。当時モラヴィアはオーストリア帝国のオーストリア領内にあり、現在はチェコ共和国の領土となっている。父親のヨーゼフ・マサリクはオーストリア帝国のハンガリー領出身のスロバキア人であった。母テレーゼ・マサリコヴァ(旧姓クローパコヴァ)はモラヴィア出身である。<br /> マサリクは政治運動に参加し、オーストリア議会議員を1891年から1893年まで務めたが、1907年から1914年までオーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動を行い、第一次世界大戦勃発時には国家反逆罪で逮捕されることを避けるために国外へ逃亡しなければならなくなった。<br /> ジュネーヴ、イタリア、そしてイギリスへ行き、チェコの独立を世論に訴えた。小民族の問題について講義しながら、キングス・カレッジ・ロンドンでスラブ人研究所教授となった。1917年の2月革命の後に、オーストリアに対するスラブ人の抵抗運動を組織するためにロシアの支援を受けた。1918年10月18日にワシントンD.C.の国会議事堂に立ち、チェコスロバキアの独立を宣言した。<br /> 1918年、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊した。連合国はマサリクをチェコの代表者と認めた、そして1920年に初代チェコスロバキア大統領に選ばれ、以降2度の再選を果たした。1935年12月14日に健康の悪化を理由に辞職し、1937年に87歳で死亡した。<br />

    judicial Academy
    Justiční akademie

    その隣の司法学校。その前にたつ、トマーシュ・ガリッグ・マサリクの銅像。

    トマーシュ・ガリッグ・マサリク(Tomáš Garrigue Masaryk, 1850年3月7日 - 1937年9月14日)は、チェコの社会学者・哲学者・政治家で、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領(在任:1918年 - 1935年)。

     1850年、モラヴィアのホドニーンの労働者階級の家庭に生まれた。当時モラヴィアはオーストリア帝国のオーストリア領内にあり、現在はチェコ共和国の領土となっている。父親のヨーゼフ・マサリクはオーストリア帝国のハンガリー領出身のスロバキア人であった。母テレーゼ・マサリコヴァ(旧姓クローパコヴァ)はモラヴィア出身である。
     マサリクは政治運動に参加し、オーストリア議会議員を1891年から1893年まで務めたが、1907年から1914年までオーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動を行い、第一次世界大戦勃発時には国家反逆罪で逮捕されることを避けるために国外へ逃亡しなければならなくなった。
     ジュネーヴ、イタリア、そしてイギリスへ行き、チェコの独立を世論に訴えた。小民族の問題について講義しながら、キングス・カレッジ・ロンドンでスラブ人研究所教授となった。1917年の2月革命の後に、オーストリアに対するスラブ人の抵抗運動を組織するためにロシアの支援を受けた。1918年10月18日にワシントンD.C.の国会議事堂に立ち、チェコスロバキアの独立を宣言した。
     1918年、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊した。連合国はマサリクをチェコの代表者と認めた、そして1920年に初代チェコスロバキア大統領に選ばれ、以降2度の再選を果たした。1935年12月14日に健康の悪化を理由に辞職し、1937年に87歳で死亡した。

  • チェック人(チェコ人)の居住するボヘミアとその東のスロヴァキアは、長くハプスブルク家領としてオーストリア=ハンガリー帝国に支配されていたが、第一次世界大戦後にチェコとスロヴァキアが合同して独立を実現、チェコスロヴァキア共和国が成立した。<br /><br /><歴史><br />西スラブ系のチェック人は、モラヴィア王国の支配から10世紀ごろに自立してボヘミア王国(ベーメン)を樹立し、形式的には神聖ローマ帝国の皇帝から王位を認められていた。その東部にいるスロヴァキア人は、マジャール人とその国家であるハンガリーの支配を長く受けていた。<br /> その後、ベーメン(ボヘミア)とハンガリーの王位はポーランド・ヤゲヴォ家が継承したが、ヤゲヴォ朝のラオシュ2世が1526年、オスマン帝国軍とのモハーチの戦いで戦死ししたため、両国の王位は王妃マリアの兄、ハプスブルク家のフェルディナンド1世(カール5世の弟)が継承し、ベーメンはハンガリーとともにハプスブルク領となった。フェルディナンド1世はオーストリア=ハプスブルク家としてスペイン=ハプスブルク家と分離し、神聖ローマ皇帝位をも継承することとなる。その結果、チェック人とスロヴァキア人はともにハプスブルク家領としてオーストリア帝国の一部を構成することとなった。<br /> ドイツ系の支配者に対するチェック人・スロヴァキア人の民族独立の要求は、ようやく18世紀末のフランス革命によって強まった。ウィーン体制の時代の終わりを示す「諸国民の春」と言われた1848年に、プラハを中心としたベーメン民族運動が昂揚しパラツキーらがスラヴ民族会議を結成したが、オーストリア軍に鎮圧されてしまった。<br /> 1866年、普墺戦争に敗れたオーストリアは、ハンガリーの形式的独立を認め、オーストリア=ハンガリー帝国となったが、チェック人・スロヴァキア人は依然としてその支配下にとどまっていた。  <br />20世紀の初頭、民族運動がチェック人の中にも高まると、プラハ大学の哲学教授であったマサリクはその指導者として活動するようになった。オーストリア=ハンガリー帝国内のスラブ系民族運動の激化から、第一次世界大戦が勃発すると、マサリクはパリに亡命しチェコ国民会議を組織し、共和国の樹立を目指した。<br /> 1918年、オーストリアが敗北するとマサリクを指導者としたチェコ国民会議は、ウィルソンの民族自決の原則に従って連合国によってチェコスロヴァキア共和国政府と認められた。1919年のサン=ジェルマン条約でその独立が国際的に承認されたこの共和国を「第一共和国」ともいう。一方、スロヴァキアはチェック人と同じ西スラブ人でモラヴィア王国の一部であったが、11世紀以降はハンガリーの支配を受け、ハンガリーがハプスブルク家領となってからはそれに組み込まれていた。ハンガリー人の支配には早くから抵抗していたが、ようやく第一次世界大戦後の1920年のトリアノン条約でハンガリーはスロヴァキアのチェコとの合同国家建設を承認した。同年、チェコスロヴァキア共和国は新憲法を制定し、初代大統領にマサリクを選出した。<br /><br />何故、チェコスロヴァキアという形で独立したか?かつて西スラブ系民族どおしで(1世紀にも満たない期間ではあるが)、モラヴィア王国を形成したことからか、もしくは、マサリク自身が、モラヴィア、スロヴァキアに両親にもつ為か。<br />今では両国はビロード離婚によりそれぞれ別の国になったが、このときは結果として国内に民族間で対立を生むことになり、ヒトラーがその隙をつき、侵略を開始する。

    チェック人(チェコ人)の居住するボヘミアとその東のスロヴァキアは、長くハプスブルク家領としてオーストリア=ハンガリー帝国に支配されていたが、第一次世界大戦後にチェコとスロヴァキアが合同して独立を実現、チェコスロヴァキア共和国が成立した。

    <歴史>
    西スラブ系のチェック人は、モラヴィア王国の支配から10世紀ごろに自立してボヘミア王国(ベーメン)を樹立し、形式的には神聖ローマ帝国の皇帝から王位を認められていた。その東部にいるスロヴァキア人は、マジャール人とその国家であるハンガリーの支配を長く受けていた。
     その後、ベーメン(ボヘミア)とハンガリーの王位はポーランド・ヤゲヴォ家が継承したが、ヤゲヴォ朝のラオシュ2世が1526年、オスマン帝国軍とのモハーチの戦いで戦死ししたため、両国の王位は王妃マリアの兄、ハプスブルク家のフェルディナンド1世(カール5世の弟)が継承し、ベーメンはハンガリーとともにハプスブルク領となった。フェルディナンド1世はオーストリア=ハプスブルク家としてスペイン=ハプスブルク家と分離し、神聖ローマ皇帝位をも継承することとなる。その結果、チェック人とスロヴァキア人はともにハプスブルク家領としてオーストリア帝国の一部を構成することとなった。
     ドイツ系の支配者に対するチェック人・スロヴァキア人の民族独立の要求は、ようやく18世紀末のフランス革命によって強まった。ウィーン体制の時代の終わりを示す「諸国民の春」と言われた1848年に、プラハを中心としたベーメン民族運動が昂揚しパラツキーらがスラヴ民族会議を結成したが、オーストリア軍に鎮圧されてしまった。
     1866年、普墺戦争に敗れたオーストリアは、ハンガリーの形式的独立を認め、オーストリア=ハンガリー帝国となったが、チェック人・スロヴァキア人は依然としてその支配下にとどまっていた。  
    20世紀の初頭、民族運動がチェック人の中にも高まると、プラハ大学の哲学教授であったマサリクはその指導者として活動するようになった。オーストリア=ハンガリー帝国内のスラブ系民族運動の激化から、第一次世界大戦が勃発すると、マサリクはパリに亡命しチェコ国民会議を組織し、共和国の樹立を目指した。
     1918年、オーストリアが敗北するとマサリクを指導者としたチェコ国民会議は、ウィルソンの民族自決の原則に従って連合国によってチェコスロヴァキア共和国政府と認められた。1919年のサン=ジェルマン条約でその独立が国際的に承認されたこの共和国を「第一共和国」ともいう。一方、スロヴァキアはチェック人と同じ西スラブ人でモラヴィア王国の一部であったが、11世紀以降はハンガリーの支配を受け、ハンガリーがハプスブルク家領となってからはそれに組み込まれていた。ハンガリー人の支配には早くから抵抗していたが、ようやく第一次世界大戦後の1920年のトリアノン条約でハンガリーはスロヴァキアのチェコとの合同国家建設を承認した。同年、チェコスロヴァキア共和国は新憲法を制定し、初代大統領にマサリクを選出した。

    何故、チェコスロヴァキアという形で独立したか?かつて西スラブ系民族どおしで(1世紀にも満たない期間ではあるが)、モラヴィア王国を形成したことからか、もしくは、マサリク自身が、モラヴィア、スロヴァキアに両親にもつ為か。
    今では両国はビロード離婚によりそれぞれ別の国になったが、このときは結果として国内に民族間で対立を生むことになり、ヒトラーがその隙をつき、侵略を開始する。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />別名、フラワーガーデンは、以下、意訳、後期ルネッサンス調のイタリア式庭園からベルサイユ宮殿に見られるようなフランスバロック式の庭園の過渡期のものを代表しており、世界的にも重要なものです。<br />The Flower Garden of Kroměříž, known also as the Pleasure Garden or Lustgarten, is an exceptional historic garden unequalled in broader European and global context. The garden represents a transition between late renaissance Italian gardens and classical baroque gardens of the French type, such as the one in Versailles. The Flower Garden of Kroměříž nowadays belongs to the most important examples of garden art in the world.

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    別名、フラワーガーデンは、以下、意訳、後期ルネッサンス調のイタリア式庭園からベルサイユ宮殿に見られるようなフランスバロック式の庭園の過渡期のものを代表しており、世界的にも重要なものです。
    The Flower Garden of Kroměříž, known also as the Pleasure Garden or Lustgarten, is an exceptional historic garden unequalled in broader European and global context. The garden represents a transition between late renaissance Italian gardens and classical baroque gardens of the French type, such as the one in Versailles. The Flower Garden of Kroměříž nowadays belongs to the most important examples of garden art in the world.

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />噴水のある池には、蓮の花も咲いている。<br />

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    噴水のある池には、蓮の花も咲いている。

    フラワーガーデン (クヴィエトナー庭園) 広場・公園

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />中央にはロタンダRotundaがある。

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    中央にはロタンダRotundaがある。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />The Flower Garden is a rectangular axial concept established in 1665 with the dimensions of 300 x 485 metres, featuring impressive geometrical clipped hedges and floral ornaments. The sophisticated visual layout based on symmetry and perspective leads the visitor through the garden as through a mythical labyrinth, revealing original architecture, sculptures, mazes, water elements and garden art.

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    The Flower Garden is a rectangular axial concept established in 1665 with the dimensions of 300 x 485 metres, featuring impressive geometrical clipped hedges and floral ornaments. The sophisticated visual layout based on symmetry and perspective leads the visitor through the garden as through a mythical labyrinth, revealing original architecture, sculptures, mazes, water elements and garden art.

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />高く生い茂った緑の壁が迷路のよう。

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    高く生い茂った緑の壁が迷路のよう。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />長い回廊。こちらのギリシャ神話やローマ神話の神々の彫刻が飾られている。端から上に上がれます。<br />

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    長い回廊。こちらのギリシャ神話やローマ神話の神々の彫刻が飾られている。端から上に上がれます。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />フラワーガーデンということもありあちこちに花が栽培されて咲いています。

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    フラワーガーデンということもありあちこちに花が栽培されて咲いています。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />休憩はやはり、ビール(笑い)

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    休憩はやはり、ビール(笑い)

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />小高い山があるのですが、うさぎが顔を出しているのが見えますか?<br />そう、これはうさぎを飼っている山で、野生のうさぎは本来は巣穴を掘って生活する夜行性の動物なのです。よく、ウサギ小屋で穴掘ってますよね。なので、このスタイルは理にかなっています。

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    小高い山があるのですが、うさぎが顔を出しているのが見えますか?
    そう、これはうさぎを飼っている山で、野生のうさぎは本来は巣穴を掘って生活する夜行性の動物なのです。よく、ウサギ小屋で穴掘ってますよね。なので、このスタイルは理にかなっています。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    クヴィエトナー庭園
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  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />温室もあります。

    クヴィエトナー庭園
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    温室もあります。

  • クヴィエトナー庭園<br />Květná Zahrada - Zámek Kroměříž<br /><br />さて、今日の宿のチェスケー・ブジェヨビツェ(České Budějovice)に向けて出発。

    クヴィエトナー庭園
    Květná Zahrada - Zámek Kroměříž

    さて、今日の宿のチェスケー・ブジェヨビツェ(České Budějovice)に向けて出発。

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