2019/08/08 - 2019/08/08
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T04さん
台湾で一番尊敬されているであろう日本人は八田與一さんだと思います。その八田さんが建設した烏山頭ダムをついに訪れることができました。セミ・ハイドロリックフィル工法を用いて建設した東洋一(アメリカのフーバーダムができるまでは世界一の規模ともいわれています)の大規模ダムの完成によって一大水利・灌漑施設である嘉南大圳が完成し、それまで不毛の地であった嘉南平原は台湾を代表する一大穀倉地帯になりました。ただ八田さんが神様のように尊敬されているのは、その技術者としての腕だけではありませんでした。今回の烏山頭ダム訪問で、それがよく分かりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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出発は台南駅。まだまだ工事中ですが、どうやら2階にはかつてのように高級ホテルが開業するようで、とても楽しみです。
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今日は莒光号(きょこうごう)に乗ります。
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台湾鉄道は車内の清潔さ、時間の正確さもあって、とても安心感があります。
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鉄道の目的地は隆田駅、そこから念願の烏山頭水庫へはタクシーで向かう予定です。
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隆田駅に到着、駅から出て写真を一枚。客待ちのタクシー運転手に「烏山頭」と書いたメモを見せると、分かったと言わんばかりにタクシーに案内されました。車内ではパウチされた案内があって、どうやら2時間900元とのことでした。比較的最近の旅行記などを見ると800元と書いてありましたが、値上がりしたのだと思います。烏山頭水庫を訪れる日本人も少なくないでしょうから、タクシー運転手も扱いに慣れているとは思いますが、一応、見に行きたいところを書いたメモを渡しました。
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烏山頭ダムを中心とした一帯は、嘉南農田水利会(水利組合)がダム資源を観光に活かすために烏山頭水庫風景区として整備しており、入場料が200元必要ですが、運転手の料金は無料のようでした。ちなみに隆田駅からこの入場ゲートまで約12分かかりました。
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ゲートをくぐり、まず最初に到着したのは…あっ!八田さんの像が見えました。
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入口に灯籠、赤いテープが張られていました。
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しっかり動線を管理してあり…
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像に近づけないようにしてあるのは、2017年、親中国派の男によって像の頭部が切断された事件の影響なのでしょう。
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さほど遠いところにあるあるわけではないので、少しズーム機能を使えば、まあ写真を撮るのに問題はありません。事件をおこした元台北市議のやり方は子供っぽくて残念ではありますが、それよりも八田さんを敬愛する良心的な人々の即応姿勢に敬服しました。なにせ中国共産党が批判声明を出したほどでしたから。
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正面からの写真だと分かりませんでしたが、その背後には八田さんと、戦後にダム放水口に身を投げた外代樹夫人のお墓がありました。
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その少し下には、八田夫妻が金沢生まれだからでしょう、徽軫灯籠が設置されていました。
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琴柱という字が用いてありますが、たしかに意味合いでいえば正解の文字ですよね。
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道路沿いには、八田像と灯籠の説明もありました。
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説明は、中国語と英語と日本語。多くの人に八田さんの業績を広めたいという意思が感じられます。
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私自身も知らないことがあり、改めて日本について教えられるのも、台湾ならではですね。
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すぐ近くにあった、この扉はなんでしょう?八田さんの何かをイメージしているのでしょうか?扉の向こう側にプレートがありました。
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このプレートにも八田さんについての説明書きがありましたが、書かれている文字が中国語と英語のみですし、見た目からも古そうなものでした。
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そのまま進むと大きな屋根の構造物。
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ここには蒸気機関車が保存されていました。
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とても綺麗な状態にしてありますが、この塗装は日本国内では見られません。
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1920~30年に烏山頭ダム・嘉南大圳建設時に使用されていたようです。もう100年前ですね。
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その奥にあるものは?
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水門の一部のようでした。こちらも綺麗に塗装し直されていました。
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そして屋根の手前にあった烏山頭水庫の地図で、現在位置を確認。このあとタクシーで移動しました。
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次に到着したのが八田與一紀念室ですが、解放されている時間のはずなのにドアが閉まっており見られませんでした。残念!
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この紀念室は烏山頭ダムの旧放水口に隣接して建てられています。そう夫人が身を投げた場所になります。
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この場所から…なのでしょうね。
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ここは、また映画KANOの撮影にも使われた場所です。
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大きな物語を感じる場所です。
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心の中で合掌しながら見学しました。
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尽力されておられる日本人の方にも感謝です。
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次にタクシーが停車したのが天壇。私が渡したメモにはなかった場所ですが、運転手の頭の中にある見学コースに含まれているのでしょう。今回のテーマから外れている建物ですので、あまり興味はないのですが…
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一応パチリ
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すぐ近くには吊り橋。
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この吊り橋、造りからしては当時のものではないですね。
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やはり架け直されたもののようでしたが、おそらく当時のイメージを大切にしていると思います。
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そして少しだけ移動して、ついにダム湖です。
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もちろん日本語の案内もあります。
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右手の風景です。ダムによって人工的に作られた湖とはにわかに信じられないほど、雄大で美しい姿です。
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正面です。1920年から1930年まで10年がかりの大工事、多くの方々の犠牲の上での完成であることも忘れてはいけないですね。
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左手、観光船も運行されているようでした。
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そして少し移動、ダムの姿が見られる場所です。
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もう足元がダムです。
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ダムです。コンクリートをほとんど使用しないセミ・ハイドロリックフィル工法を用いてあるためダムっぽく見えません。コンクリートの塊のダムしか見たことのない私にとっては、この光景だけで驚きです。
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左手、遠くまでダムが続いていることが分かります。
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そのダムの上には道路が走っています。
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少しダムっぽく見えますか?まるで砂洲のようでもありますね。
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私が行きたい場所を書いたメモをタクシー運転手に渡したことは書きましたが、その場所の中で、唯一タクシー運転手が「ここにも行くのか?」と確認して来たのが殉工碑でした。この場所に行く人は多くないのかもしれません。私自身も何かがあると思って書いたわけではなく、「地球の歩き方」の地図にもあったのでメモしただけでした。さて49段の階段(数えました)を上ると…
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殉工碑がありました。
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この殉工碑、烏山頭水庫の記事の中でも取り上げられることは少ないのですが、そのプレートには「ダム建設の工事中、取水口トンネル落盤事故の犠牲者や、病気で名なった従業員及びその家族134名のために建てられました。殉工碑の正面には八田技師が書いた慰霊文があり、その他の三面には八田技師の強い主張により台湾人、日本人を一切差別することなく、亡くなった順に一人一人の名前が刻まれています。」とありました。
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その殉工碑に向かいます。
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プレートにあったように、この正面下部には…
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八田さんによる慰霊文。
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実際の文章を読んで、初めて八田さんの人格に直に触れられた気がしました。
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そして亡くなった方々の名簿が3面に刻まれていました。
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たしかに、日本人の台湾人もなく、亡くなった順に名前が刻まれています。ここが欧米の植民地との大きな違いですね。関東大震災の影響で従業員の解雇が必要となったときも、台湾人だからといって解雇対象にするのではなく、有能な者は再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もしたこと。作業員の福利厚生のため家族と共に生活できる宿舎、そのための学校や病院なども建設したことなど、台日の差別をすることなく人々を遇した八田さんだからこそ、今も台湾の人々に敬愛されているのですね。殉工碑、来て良かったというより、来なければいけない場所でした。
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そして最後に訪れたのが、こちら八田與一紀念園區です。
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広い土地が美しく整備されていますが、工事関係者の住宅が立ち並んでいた場所のようです。
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紀念園區に入って、すぐ左手にあったのが…
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防空洞(防空壕)跡ですね。
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右手向こうには池が作られていました。
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道に沿って進んでいくと…
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マルチメディア展示室、ここは新たに設置された施設なのか、ネットでも情報を見たことがありませんでした。
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この辺りはシラヤ族の土地であったようです。
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入口です。
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さて館内に入りました。もちろん日本語のパンフレットがあります。
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館内はセンスの良いデザインです。
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最初の記事から、八田さんの技術者としての腕と、部下に対する公平な態度についての畏敬の念があらわされています。
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各所に設置されたモニターでは八田さんや夫人についてのビデオが放映されていました。
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記事を読みながら進んで行くと、八田さんのことが分かるようになっています。
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八田與一さんだけでなく、外代樹夫人も台湾の方に愛されているようです。
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同じ写真であっても、こうして少しだけ工夫して掲示するだけで、受ける印象はまったく違いますね。
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そうか、16歳か。この頃の時代背景といったものも改めて感じさせられました。
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八田家の持ち物ではありませんが、当時を彷彿とさせる展示物です。
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いよいよ佳境です。八田さんの行いの素晴らしさが綿々と綴られていて、台湾の方々の気持ちが伝わってきました。
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公平な方であったのですね。
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マルチメディア資料室を出ると、すぐ裏手が八田宅でした。
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現在4棟の住宅が復元されており、日によって公開される住宅が違うようですが、この日は八田宅が公開されていました。
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まずは解説文です。
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復元された建物ですから新しさを感じはしますが、この時代らしい造りです。
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玄関を入って正面、ここからの景色だけで立派なお屋敷だと分かります。
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玄関左手は客間ですね。天井も格天井風の豪華さです。この奥には…
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昇進にしたがって建て増しされた洋間部分があり、書斎として使われていました。
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このような場所でお仕事をされていたのですね。
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机の上には設計図という演出がなされていました。
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玄関奥は居間、その向こうには美しい庭です。
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その庭の池は台湾の形、奥に見える灯籠は当時からのものだそうです。
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書斎に小型のものがありましたが、庭には外代樹夫人の大きな像がありました。
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戦争に翻弄された人生でしたね。
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一応、他の住宅も一通り見てきました。こちらは市川及び田中宅です。
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解説です。
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赤堀宅は和菓子屋として営業中でした。
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解説です。
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こちらは阿部宅です。
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解説です。
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この阿部宅も玄関が開いていたので、お邪魔して見ました。
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つい先ほどまで茶会でも開かれていたような風情でした。
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こんなに備品がたくさんあるのに、扉が開いて人の気配がない。こんな無用心さも当時の日本のようでした(笑)。タクシーとの契約時間を考えると、これでタイムアップです。殉工碑やマルチメディア展示室での展示から、八田さんが敬愛されている理由が今まで以上に理解できました。また日本の黄金時代でもあった大正から昭和にかけての雰囲気を感じることができたのも幸せでした。また来てみたいな。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Elliott-7さん 2019/12/12 15:33:43
- 烏山頭水庫見せて頂きました
- 最近、台湾で巨大なダムを建設された日本人技師八田さんのことを耳にするようになり検索していたら貴殿の旅行記に出会いました。丁寧な解説に感服しました。一度現地へ行ってみたいものと考えております。大変参考になる旅行記でした。ありがとうございます。
Elliott-7 より
- T04さん からの返信 2019/12/18 00:43:33
- ご返信が遅れてすみません
- 拙い旅行記をお読みくださり、ありがとうございます。戦前・戦中に外地で活躍した日本人について知らないことは恥ずかしいことだと思い、実際に見てきました。ご参考になれば幸いです。
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