2019/06/14 - 2019/06/15
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ちびのぱぱさん
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ワシントンというのは観光的に見落とされがちな都市だけど、実は非常においしい観光地です。
アメリカ合衆国成立の過程が「缶詰」のようにつまっている。
歴史的な場所や美術品の鑑賞のみならず、そのスケールのでかい建築美を堪能するのも悪くない。
しかも、その多くを無料開放している。
ニューヨークでとことん金を搾り取られた人は、ここで安らぎと知的な時間を得られると思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
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核シェルターにもなるというワシントンの地下鉄に乗り、ホテルのあるボールストーン駅からロスリン駅に。
むかし、タイムトンネルというアメリカのSFドラマにこういうの出てました。
1960年代に放映されたドラマなのでちょっとわからないかも。 -
日本を出る前に「父親たちの星条旗」というクリントイーストウッドの映画を見ておきました。
渡辺謙さんの「硫黄島からの手紙」のほうはだいぶ前に見ました。
栗林大将の慧眼により島を要塞化して米軍を大いに苦しめた。
どちらも戦争がどれほどむごくて、英雄など存在しないという事を教えてくれる。 -
この銅像の元になったのは、ローゼンタールが硫黄島のすり鉢山で撮った写真。
ピューリッツア賞を撮り、最も有名な報道写真の一つとされています。
この写真、厭戦気分が高まり予算的に戦争継続が難しくなっていたアメリカの空気を一変させ、国民の士気を高めるために大いに活用されました。
しかし、この写真には隠された事実がいくつかあったようです。
実はこの写真、すり鉢山を攻略して命がけで山頂に登った兵士たちが旗を立てた時のものではなかった。
その星条旗は、「小さすぎて見えない!」という理由で別の大きなものに換えられる事になる。
それを立てる時の写真なのです。
さらに、写真に写っている6人はだれなのかという問題。
映画ではそのあたりの事情が良く描かれています。 -
この日たまたま訪れていた方です。
硫黄島の戦いに参加された方だろうか。
なら、もう90代以上。 -
銅像の近くに、制作の様子を示したボードがありました。
単なる銅像以上のもの…… -
ボードにはモデルがだれなのか記されていません。
6人のうちの生き残っただれかの顔だろうか。 -
再び地下鉄に乗ってマクファーソン駅に移動。
小さな駅ですが、日本人にはにわかに分からない偉人たちの肖像画が構内の壁に描かれている。 -
ここにも、例の写真と共にだれか退役軍人の絵が描かれていました。
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駅の裏手に回るとラファイエット公園の緑が鮮やかです。
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そしてすぐにホワイトハウスが見えます。
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大勢の人が集まってトランプ大統領の政策に異議を唱えていました。
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このおじさんは、差別的な政策に対して言いたい事があるのでしょう。
だいぶ生活感が出ています。 -
写真を撮って良いですかと言ったらこのポーズになりました。
「ノー」とは言われなかったのでシャッターを押しました。 -
ホワイトハウスの前にある公園でリス発見。
けっこうあっちこっちで見かけます。 -
さて、地下鉄でスミソニアン駅に移動。
ワシントン記念塔が見える。
着工は1848年と、江戸時代。
ペリーが来航する1853年よりも前だから、意外に早い。
完成が1884年。
途中南北戦争があったりして工事が中断した時期もあったらしい。
高さは169m。
1889年にエッフェル塔ができるまで世界一の建物だったそうです。 -
ナショナルモールと呼ばれている国会議事堂からこの記念塔にかけての公園を歩いて、ワシントン記念塔に近づいています。
14thストリート沿いに、ずらりと並んだ屋台。 -
どれも6~7ドルと値段高め設定。
バーガーやホットドッグ、ケバブやパレスチナ料理など多彩な料理が売られています。
このナショナルモールはレストランが少なく、スミソニアン系の博物館などに付属するカフェやレストランもけっこう値段高め。
サンドイッチが1000円したりして、アメリカの物価の高さに辟易します。
翌日は、ホテル前のセブンイレブンで昼食を買ってから出かけました。 -
ワシントン記念塔の近くに来ると、その大きさがよく分かります。
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ワシントン中心部にはサーキュレータという無料の循環バスが走っているのですが、来たり来なかったり。
あまり当てにしすぎない事です。
たまたま、タイミングよく来たものに乗ってリンカーン記念堂を目指します。
立派なドームが見えてきましたから、これだろうと思って降りました。 -
とちゅう、カナダ雁の群れが羽を休めている。
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雛もいますね。
ここで繁殖しているのかな。 -
我が子を温かい眼差しで見守る父?
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で、リンカーン記念堂に入ってゆくと……
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なぜかリンカーンが立っています。
「??リンカーンって立ってましたっけ。」
と義弟が首をひねっている。
何を言っている、これはトマス・ジェファーソンだよ、と初めから知っていたかの風を装ってその場を何とか乗り切りました。 -
で、またバス停に戻ってこんどこそリンカーン記念堂を目指す。
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まるでギリシャ神殿のよう。
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巨大すぎて、人がアリンコみたいに見える。
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背後にはワシントン記念塔と遙か彼方に国会議事堂。
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中も人でごった返している。
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順番を待ってこんな風に写真を撮っている。
ジョセフ彦こと浜田彦蔵の伝記を読んだ事があります。
吉村昭の「アメリカ彦蔵」という小説ですが、幕末に漂流した漁師の若者がアメリカで教育を受け、このリンカーン大統領とも会いました。
当然、リンカーン大統領に会った唯一の日本人ですね。
この人は開国を迫るアメリカの通訳として日本に戻り、維新後は日本で岸田吟香とともに新聞の発行に尽力し、「新聞の父」と称されるようになった。
歴史って、おもしろいなあ。 -
人が入らないように撮ればこうなる。
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マーティン・ルーサー・キング牧師か。
「アーイハブアドリーム。」
黒人奴隷解放に功績のあるアブラハム・リンカーンの記念堂一角にはこの言葉が刻まれています。
1955年に起きたローザ・パークス逮捕事件をきっかけに、公民権運動に身を投じてゆくキング。
「ローザ・パークス自伝」は読んだ事があります。
知的で美しい黒人女性である彼女は、バスで白人に席を譲らなかったというだけの理由で逮捕されました。
その当時、州によってはそんなとんでもない理不尽な法律が存在した訳ですね。
ふと、そんな法律に我慢できなくなったというのが理由。
アメリカの人種差別という黒歴史は、実は意外に最近まであったんですね。
そういえば、子供の頃に見たメキシコオリンピックで、アメリカの黒人選手が表彰台の上で、黒手袋をはめた拳を突き上げ頭を垂れる姿勢を取ったのを記憶しています。
子供心にショックでしたからね。
1968年でした。
マーティン・ルーサー・キング牧師らの運動が実を結んで、黒人を差別する法律を違憲とした連邦最高裁判所の判決が出されたのが1956年。
そして有名な「わたしには夢がある」という演説をこのリンカーン記念堂の前で行った「ワシントン大行進」が1963年。
その翌年の1964年に公民権法の制定として結実する。
マーティン・ルーサー・キングは1968年4月4日に暗殺されました。
リンカーン暗殺から100年ほど後の事になります。
あのメキシコオリンピックの年だったんだなあ。
半世紀も経って知る事実。
いやはや、アメリカもたいへんな国だなあ。
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