2019/03/13 - 2019/03/20
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ママブー♪さん
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仕事で戦没遺児巡拝のために初めてフィリピンに行きました。
旅行記にするのは広く皆さんに戦没遺児の事業について理解して欲しく、私たちが知らない時代に戦争でお父上を亡くされた子供達の思いを亡き父の没した場所、そしてその仲間たちの方々への追悼の念を持って赴く大事な事業で、日本国民としての思いを戦後の私たちが受け継いでいかなければならない事なのだと知ってほしいと思い敢えて旅行記にしています。
私がツアーナースとして携わった記録としても、仕事に対する真面目な気持ちで自分も携わり、今後減っていくであろう遺族の方々へこういう国のサポートを得て行なっているということを知ってもらい、一人でも多くの方に参拝に行ってもらいたいと思い記録として残しました。
そんな私も初めてのフィリピンでのお仕事
中国での経験を活かすべくアイテム持参で色々と用意して行ったのに勢い虚しく・・・。
東南アジアの恐ろしさを改めて思い知る旅(お仕事)でした。
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本日もここからスタート
靖国神社で参拝をしてからバスで移動
前泊をここでします。
そして皆で夕食の幕の内弁当を食べて早寝をしました。成田東武ホテルエアポート 宿・ホテル
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成田空港からJALで一路マニラへ
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ボーイング737の機材は新しくなんとなくシートピッチも余裕があるようで楽でした。
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通路側になっていたのでお客様を見渡せるので仕事もしやすいです。
慣れない旅で体調不良になる方もおられます。
高齢の方々ばかりなので心配なのですが、実は戦後を生き抜いてきた方々は本当に丈夫で心配が要らないくらいです。ありがたいことです。
怪我だけは気をつけねばならないですが、今の所そういった経験はこの仕事ではありません。 -
機内食は・・・まぁどなたの監修でもあまり食べたいと思うものはありませんね。
ハーゲンダッツだけが癒しですね。 -
マニラに到着
バゲージクレームで荷物をピックアップしたら集合です。
各場所へ分かれますのでここまではみなさん一緒、この後6班に分かれ6人の看護師が同行しています。
フィリピン政府の保護のもとでの訪問、バゲージクレーム前にウェルカムレイをかけてくれます。 -
国の花ということで綺麗ないい匂いがするお花でした。
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病院や学校にも訪問します。 その為、遺族会で用意した車椅子や文具を寄付します。
そういったものも各班毎に持参です。添乗員さんは本当に大変です。 -
空港ロビーで各班に分かれて離島に行く班と別れます。8日間の旅の最終はマニラに集合して合同慰霊祭を行います。
それまでしばしのお別れです。 -
ETCがちゃんと動いているのね・・・
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空港のすぐ脇に高速道路が通っておりそこから市内に移動です。
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郊外の慰霊碑に花を手向け皆で手を合わせてきました。
軍の人たちが管理している場所で簡単には入れません。 -
現地の兵士の方々の墓地があります。
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そして本日から1Wお世話になるダイヤモンドホテルです。
元総理が滞在したホテルとか。
一時期はもう少し安価なホテルにしたこともあったそうですが、そこの近くで殺人事件が起きたとかという話でやはり治安を優先してここに戻ったそうです。Diamond Hotel ホテル
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フロントも広く、いつもスタッフが見ているので安心です。
ロビー入口はセキュリティが厳しく、毎回荷物検査とボディチェックがあります。
それだけ色々と心配な場所なのでしょうか?
初めての経験でした。 -
お部屋は広い40平米あるくらいのツインルームでした。 一人で使用したのですが、後半に他の班が戻ってきたら2名で利用することになるとのことでした。
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洗面所もそこそこ広いのですが、シャワーは固定式
あまり快適ではありませんね。。。 -
お部屋からの景色はとてもよくマニラ湾が一望できます。
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廊下も本当に広くて・・・フィリピンの街のイメージはあまりに劣悪だったのでこの落差に驚きました。
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フィリピンのお金はペソですが、初めて使うお金で両替は悩んだ挙句、手数料がバカ高いホテルのATMで2千円分だけ両替しました。ちょっと馬鹿らしいくらいの手数料で、それならバスのガイドにお願いすればよかったと後悔。。。1万円しか両替できないのかと思ったら言ってくれれば少額でもやってあげましたよ・・と言ってくれたのでしくじり君です。
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今夜の夕飯は・・・ということでガイドが案内するバスでワールドバフェのレストランに行くそうです。
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道は普通だけどゴミが結構散乱していて・・・汚いし臭いです。
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カマヤンというブュッフェのお店です。
カマヤン 地元の料理
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入口には花売りの子供達が群れており、バスから降りると皆のところに寄ってきました。初日だからなんとかかわして店内に。
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店内はとにかく広く、物凄く種類がありました。
エリアごとに和食、中華、郷土料理、西洋料理などに分かれ選り取り見取りです。 -
子豚の丸焼きなどもあります。どれを取ろうか悩むほど。
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煮込み料理なんかもありました。
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養殖はイギリス?ビッグ・ベンのミニチュアが・・笑
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中華も豊富
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中華料理は種類がたくさんあってよかったです。全種類なんて到底取れないし見て回って選んだけれど食べられないものですねぇ・・・2回行ったけどお腹パンパン
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和食エリアには兜と日本人形!?
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とりあえずふた皿色々取ってみたけどなんだか茶色ばっかり・・・笑
スイカジュースは有料でした。 -
デザートエリアもまたすごくて・・・
なのでアイスクリームをメインで少し甘いものも。ケーキは食べられないほど甘くて無理ーーーーー -
拡大するとこれ。
ゼリーとかもあったけどアイスくらいしかおいしくなかったかな。
日本人の口には合わないというか、私は甘いものをあまり好んで取らないからかな。 -
遊びではないからと言いながらもテーブルに歌の演奏をしにきた人たちにチップをあげて少しだけ楽しみました。
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お部屋からの景色は夜はネオンがキラキラしていてプールの明かりも入り綺麗でした。
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翌朝はホテルレストランでオレンジジュースとパンを選び、焼きそばなど色々なご飯をチョイス
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ヨーグルトがいかにもマンゴーな色で・・・でも甘くて美味しかった。
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エスプラネーションフェリーターミナルにきました。
今日はここからコレヒドール島に渡り慰霊祭をします。 -
桟橋の向こうに船が停泊しているけどまさかあれ???
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実際にはもっと大きな船でした。
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祭壇に捧げるお花を用意してもらい、持参していきます。私は花を持っていく係を頼まれました。
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離島に行くにはそこそこの大きさのジェットホイールですね。
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船内は揺れるかと思ったけれどそこまでではありませんでした。
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到着するとウェルカムティーでおもてなし。。。これは飲んではいけないサイン!なんてこと無いでしょうが口にしませんでした。
だけどお客さんの一人がこれが原因だと言っていましたがおそらく違うでしょう。
だけどお腹を下しておまけに島の中のトイレがあまりに劣悪すぎてトイレをするのを我慢したそうで・・・辛かったんだヨォ・・・と帰国してから再会した時に聞きました。 -
なぜお会いしたかというと私の職場のすぐそばに住んでいる方だったのです。
それで帰国後連絡するねとお客様に言われましたが、本当に帰国して二ヶ月くらい経った時に私が写っている写真を焼いてくださり、職場まで持って来てくれました。 -
バスに乗り込みどんどん進んで山を登っていきます。
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防空壕などが途中ありスペイン領地だったこのコレヒドール島を米軍が奪い、日本軍が奪い、そして米軍が奪い返すという。
フィリピンの現地の人たちはただ巻き込まれただけなのにそれでも私たちを黙って迎えてくれる。 -
海外旅行が好きな自分にとってはどの国もいろんな歴史があり、今があるのはわかるけれど、なんだか辛い過去を聞くと日本軍が戦った場所に観光~って気持ちでいけないのが知ってしまうと・・・という感じでした。
なので私はサイパンも一度行ったきりで行けないです。 -
慰霊碑がある公園はきれいに整備され、戦争の名残が残る大砲などがありました。
コレヒドール島 ビーチ
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国のために戦った方々の慰霊のために炎天下の中でもここでやりたいと木陰を推奨しましたが、遺族の方がどうしてもということでここで慰霊祭を行いました。
先が長いので心配しましたが、今となってはここでした事は遺族の気持ちを考えれば妥当だったのではないかと思いました。
木陰で涼しい中でやることも大事でしょうが、やはり目的は皆同じ。 こんな離れた場所で死んでいった日本人の人たちのことを考えると炎天下などなんて事はないという気持ちになりました。武蔵記念碑 モニュメント・記念碑
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この海で亡くなったのかと遠くを眺めながら悲しい気持ちに。
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あの位置から日本軍が上陸したんだと説明がありました。
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ぐるっと島を周り、本日の昼食場所です。
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小麦粉を溶いたポタージュスープとお肉。。。お腹いっぱいになりました。
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マリンタトンネルは米軍の防空壕になっており病院や通信などの司令室もかねていました。
中では大きな音とともに映像などが映し出されるのですが、トンネルのドアを閉めるとなんだか独特な感覚に陥り・・・私はNGでした。
不思議なことが多々ある自分なので変な感覚はちょっとその場にいてはいけないような気持ちになり、外で待っていました。マリンタ トンネル 建造物
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コレヒドール島の地図を見ながら待っているとフィリピンの人がジェスチャーで椅子に座って待っていたら?みたいな合図をしてくれました。
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暑くて暑くて・・外にいて日陰でも辛いほどの天気でした。
3月の陽気はベストシーズンらしいのでそこまで湿度はないようですが、海の上なので十分湿度を感じ、辛かったです。 -
島から戻るときにマッカーサーが「I shall return.」と言ったとか。
そんな話を聞きながらバスから降りて写真を撮る人達。 -
コレヒドール島から戻り本日の夕食はスペイン料理のお店だそうです。
立派なビルの中にある場所でした。
夕日が綺麗に映っており皆で写真を撮ったりして和みました。 -
https://alba.com.ph
フィリピン内に何店舗かある店のようですが、とても美味しかったです。アルバ その他の料理
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皆、美味しいと喜んで召し上がっており、マンゴージュースやスイカジュースを飲んだり一部はビールを飲んで盛り上がっていました。
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翌朝は朝早くからレストランでお客様の様子を確認しながら朝食会場に行きました。
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広いレストラン内に一人でゆったり座って朝食がとれる幸せは格別です。
この仕事で嬉しいことは上げ膳据え膳ということですね。
今頃家にいたら夕食を作ることを考えないといけないとか、朝ごはんはどうしようとか考えないといけません。それが朝からコーヒーを淹れてもらってのんびりご飯が食べられる・・・なんて幸せなんだ。 -
徐々に朝食を食べに来たお客様に声をかける。
血圧のお薬を飲んでいる方、血圧測定は希望するか聞くとご本人達から心配ないということで出かけてきているのだからそんなことをしなくてもいいと言われました。
確かにそうだよな・・・と思うので、体調不良を感じるようでしたら声をかけてくださいねと話し離れました。
私の班の方々はきちんとこの会の参加の主旨をよく理解され、自分ですべてできるということが前提での旅です。
他の班では足が不安だからと最初から車椅子利用を希望したり、血圧測定をパフォーマンスのようにしている班。。。正直私には理解できないことでした。
確かに急な怪我等で必要なら仕方がない車椅子利用に対してもせっかく看護師がいるんだから使ってやれ・・・的な考えを平気で発言する方。 パフォーマンスとしてアピールをして看護師の必要性を見せろという話もちらほら。
だけど本来そういうことをしないと必要ないと判断するのであれば、看護師同行は不要で良いんじゃないかと私は思います。
必要なのはいざという時の看護判断、そして受診等の必要性など。緊急を要するのかどうか。 そういうことが大事なわけです。
経験から学ぶいろんな疾患や想定出来る諸々をどれだけ早く的確に判断できるか。それを伝え、オーガナイザーと添乗員と連絡を密に取り、必要な事をする。
それが大事なんだという事を私は思っているので要らぬパフォーマンスはしません。 -
でも、それでは次の仕事にアピールできないと思う人も多いような事も聞きますが、それは緊急時に判断されるべき事だし、私はそういうアピールが下手ですが真摯に向き合って対処すれば良いと思うので。
だけど次の依頼ないなぁ・・・と思う事も時々感じるんだけど、それはまぁ思い過ごしという事で行きましょう。 実際他の仕事は入ってくるし同じ事を繰り返ししたいわけではないので修学旅行なども毎年行っている人もいますが、私はプライベートな旅行もちょいちょい挟むので日程がダブって続けて入れない事も多いので、あえてそこは気にせず、自分ができるときにツアーナースができれば良いなと思っています。
ただ、厚労省や日本遺族会の戦没遺児の巡拝にはとても意味があり、リピート出来たらありがたいとは思っていますが、縁なので今後はどうでしょうかね。 依頼があると良いなと思いますが。 -
この日は麺を入れずにスープだけもらう形で朝食を済ませました。
お腹に優しいしラーメンスープのようで美味しかったです。 -
部屋からの景色は今日は曇りからのスタートです。
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バスの車内から見える景色は初めてバンコクに行った時のような景色が飛び込んできて・・・
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今日は郊外の少し貧しい地域に行きました。
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途中でガソリンスタンドでトイレ休憩です・・・
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だけどこれが私にはNGでした。
中国は和式タイプなのでまたぐ事で劣悪とはいえなんとかうまく用を足せたのですが、フィリピンは洋式便器なんです・・・だけど水が流れていないどころか便座がない状態
とてもじゃないけれど女性が中腰で用を足すのは本当に試練です。
私は暮れに事故にあった事もあり、腰に痛みを抱えていた事もあり中腰がとてもきつかったのです。
マスクを着用。。。。除菌ウェットティッシュを持参、自分専用のトイレットペーパーももち・・・ズボンを中途に下ろすと中腰になるには足が開かない・・・本当にどうしたら良いの・・涙
年配の女性たちはそれでも上手に用を足してくる。
私はこれが非常に大変でフィリピンはきついわ・・・・という感想をまず持ちました。
山形から来た姉妹が上手にやり方をレクチャーしてくれたのですが、チビだし足の長さも無く本当に辛かったです。 -
バナナ売りのバイクもなんだか懐かしい風景に感じ・・
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街という感じの場所も微妙にレトロ感あり
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ワワという場所で慰霊祭です。
山肌に爆弾が当たった場所に木が生えていないと聞きました。 -
各慰霊祭の場所はその地元の元締めがいて、その人に許可を取り式典を終えると果物やお供え物を託してきます。
ここでは飴を個人的に持参していた方が子供達に声をかけて飴を配っていました。みるみる人だかり・・・すごい事です。
だけど貧しい子供達の屈託のない笑顔
見たことがないような大きなバスが入ってくると大人も子供も興味津々
ガンガン川沿いで音を出して騒いでいた人たちに、元締めから御達しがあり音楽が消え、みなさん神妙な面持ちで私たちを眺めている。
私はお線香を渡す係をしていたのですが、仏様がうちにいないこともあり線香をつけるのが慣れていない。
絶妙なタイミングで火をつけて黙祷が終わり、お焼香が始まると一人一人にお線香を配る。
だけど燃えすぎちゃって火傷するくらい短くなっちゃったり、なかなか付かなかったり・・・本当に絶妙なタイミングが大変でした。 -
今日のお昼は車内でお弁当です。
和食のお弁当で天ぷらとかあり美味しかったです。
だけどこの頃はまだ自分の体調が下り坂などということにはみじんも気づいていませんでした。
ですがこの日までに熱と下痢の人が数人出ており、早めの対応ということで看護バッグに入っている乳酸菌薬などを差し上げ、そこまで酷くなることなく皆さん過ごしていました。 -
次に行った場所は大きな川沿いの場所でここでお父上を亡くしたらしい・・・という場所に来ました。
青空で入道雲・・・朝は曇りだったのにすっかり夏の雲です。
ただ悲しいくらい劣悪な臭いの川の水にあまりの汚染に川の鯉も酸欠なのか?何百匹も口を川から出してパクパクと息を吸っていました。 -
こんな臭い川で、当時はどうだったのかはわかりませんが、日本人がここで亡くなったと考えると涙が自然と頬を伝いました。
皆で場所を決めて安定したところで慰霊祭をしようということで場所をガイドと探しながら添乗員さんが歩いて行きました。
私は最後尾で皆を見守りながら数人とこんな場所で・・・と絶句している他の方々ともポツリポツリと話をしながら歩いて行きました。
高齢の身内が心配と付き添いで来られた私と同じくらいの年代の方が3名おり、心強い限りでした。 -
こんな場所で・・・
地元の主にお供え物を預けてこの場を後にしました。
慰霊祭が終わるまで周りを気にしてくれ、見守ってくださいます。
ありがたいことです。 -
今日の夕飯は皆で力をつけましょうとなんと焼肉屋さんに向かいました。
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Korean Village Yakiniku Restaurant
という焼肉屋さんです。
マジー?肉・・・大丈夫?とちょっと心配になる私。 -
だけど美味しいのなんのって
一人でホルモンを結構食べました。 皆、ホルモンは・・・と手をつけていなかったんですね。 -
酢の物も美味しかった
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デザートも出て・・
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なんと!皆が食べたがっていた生のマンゴーを添乗員さんの計らいで出してくださいました。 とても美味しかったです。
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ホテルに戻って斜め前のコンビニでドリンクを買いながらちょっとしたお菓子を見つけて買いました。治安が悪いので外出は禁止なのですが目と鼻の先なのでガイドさんとお客さんが希望したので一緒に行ってきました。
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翌朝・・・この時はまだ自分の異変には感じていませんでした。
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本日も元気モリモリ朝食をとり・・・皆さまのお顔を拝見しながら声かけをしながら体調を見て行きます。
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するとひとりのお客さんから生のマンゴーを特別に持ってきてくれたので驚いていると、スタッフに言ったら食べたいのか?と言って切ってくれたからママブーさんにもと一個を剥いてきてくれました。
びっくり! 皆、マンゴーなんて出ていないのにどうして??と。さすが海外に慣れている方。英語はできないとおっしゃっていましたがそれなりに話せるのかな?
なので女性のうちの班のお客さんにもおすそ分けしました。ありがたいです。 -
今日はリサール公園で慰霊祭です
リサール公園 広場・公園
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ジャパニーズガーデンで行います。
日本庭園 広場・公園
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日本庭園らしく作ってあります。憩いの場所になっているのでしょう。嬉しいものです。現地の人に何で来たのか?と聞かれました、ガイドが答えておりそれを聞いて手を合わせてくれました。
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平坦な場所があったのでここで慰霊祭です。
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その後は水上生活者が居るような貧しい地区に。
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サインゲラという場所です
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教会がありました。セントメアリーアングリカーンメモリー
セント・メアリーズ・アングリカン・チャーチ 寺院・教会
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場所が狭すぎてバスがUターンするのも大変な場所でずっとバックで戻りました。
海に沈んだ方々への追悼のための場所を探していました。 -
バスの中から観ていてなんて貧しい場所なんだ・・・と思うような店や家が建っていました。 汚い川でとった?牡蠣を売っている店などもあり・・・。うーんこれは食べれないぞー。
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その川で亡くなったというお父上を思い献花です。
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魂よ、安らかに。
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そして地元のお巡りさんがここの管理者ということでお供えを託して帰ります。
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モンキーバナナを車内でお裾分けということで配ってもらいました。
甘くて美味しかったです。 -
遠くに立つ水上生活の様子を見ながら市内に戻りました。
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今日のランチはビストロレメディオイスというフィリピン料理のお店です。
ビストロ レメディオス 地元の料理
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店内は高級そうでした。
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入り口側でまたマリアッチの方が演奏していましたが今日は辞めてもらいましょうということでお断りして食事だけをすることに。
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いろんな種類の煮込み料理が出ました。
味はどれもSo soでしたが、楽しくワイワイと泣いた顔も笑顔になりながら皆でシェアして食べる食事の時間がこの旅の良さです。
家族のように別れを惜しむくらい仲が良くなり、皆で大変な道のりをお父上への想いを胸に出掛けてくるのですから。 -
夜はまたなんと! タナベという和食料理店でした。
なんとお刺身が!
だけどマグロは嫌いなので食べなかったのですが、イカ刺しの切り方が大きいなと思いながらも食べました。
そして天ぷら、煮物、茶碗蒸しや味噌汁、ご飯にお漬物。 皆数日ぶりの和食に喜んでいました。
ところがこの日の夜、夕食を終えてホテルに戻り1時間くらいしたところで・・・激しい胃痛に襲われました。タナベ 和食
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そして悪夢を見ました。 胃痛から始まり、最初はあのイカ刺しが原因か?アニサキスか???と思うような転がりたくなるほどの差し込む胃痛
アニサキスだったら抗ヒスタミン剤が効果があると調べており、持参していたセレスタミンを内服
すると少し収まったような気がしたのですが、そこから今度はトイレから出られないくらい激しい下痢が続き・・・悪夢のような一晩を過ごしました。
朝までほぼ一睡もできず胃痛が残る中、吐き気こそすれ嘔吐はなし。だけど出るものがなくなってもまだ渋り、粘液便が出るほどの激しい下痢。
明らかに何らかの食中毒だと思います。 急性胃腸炎だということで朝、起きて今日は合同慰霊祭の日。昨夜のうちに他の地域から戻ってきていた看護師達。
二人部屋になるところを申し訳ないと謝り部屋を一人で使わせてもらいました。
そりゃあこんな状態ではとてもじゃないですが、他の人に感染してしまったら大変です。
とりあえず、添乗員に状況を報告しました。
他のスタッフは知っていたようですが、お客様は知らずそして集合時間になり朝食も取らずに寝ていましたが、やはりバスでの長距離は無理だろうと判断して添乗員さんに今日は休ませてもらうことにしました。
この日は病院や学校に寄付をするということで訪問する予定でした。
そしてこの日はもう一人、班の方で熱があり下痢をしている人がいたのでその方も大事を取ってホテルのお部屋で休むことにしました。
正直休ませでもらってありがたかったです。
もうどうにも太刀打ち出来ない程の下痢と胃痛
そして気付くとなんと私は41.6度の高熱を出していました。 そりゃあ出掛けなくてよかった・・・・
なんらかの細菌性の食中毒だろうと思い、自分で持参していた薬をネットを調べながら抗生物質も服用しました。 -
夕方、この状況を訪室してくれた看護師に話し、明日の合同慰霊祭も不参加ということで本当に無念ではありましたが休ませてもらうことに。
正直帰国できるのかさえ不安になりましたが、誰一人としてこの状況でも病院受診を勧めてくれる人はいませんでした。
それはそうだろうと思いましたが、看護師だからって薬を持っているとは限らないし、本当に生死を彷徨うほどの重症でした。 水分だけは取らないとと、ポカリスウェットを倍くらいに薄めて一口飲むも、すぐに下痢してしまい体の中に水分が貯められないのを感じていました。
お弁当を渡されましたが、まさか食べられるどころではありません。
班の人で熱を出していた人は昼頃にはケロっとしており翌日から復活できたそうです。
私は何に当たり、どうしてこんなにひどくなったのか・・・思い当たることがほとんどなく、皆と同じものしか食べていないのですから不思議でなりませんでした。
だけど班の中で数人熱と下痢になった男性が3人ほどおり、その方の検温に行ってました。手洗いが不十分だったかといえばそんなことは無く、毎回手洗いをしてお客様の部屋には訪問していました。
唯一考えることとしては焼肉屋で4人席でホルモンを皆少しは食べたものの、私は最後までそれを食べており、最後に火を落とした後も余熱で焼いていたものが残っており、なんとなく勿体無いお化けが出て食べきったことを思い出し、考えられるとしたらこれかなぁ???と。となるとサルモネラ菌か腸炎ビブリオか・・・。
まぁどちらにせよ単なる腹下しではなかったです。
お客様には内緒であったようで、班の方には誰かの看護でグループから離れていたと思われていたようです。
一緒にホテルで休んでいた男性の方が黙っていてくださったようで、私は熱を測りにその方の部屋にも行けない程衰弱しており実は検温でも行けないのでと電話で話し、部屋に来てもらったくらいでした。
その様子に本当に心配してくださったのですが、黙っていてくれてありがたかったです。
仕事でこんなに体調を崩したのは初めてで、無いとは言えませんし添乗員さんも過去に経験があると言っていました。
だけど、この食中毒症状はそんな生温いものではありませんでした。 -
丸二日半寝込み帰国前日の夜に現地の大使館職員などを招き、晩餐会が開かれます。
私はこの日はなんとか復活せねばと頑張っていましたが、解熱剤で実際は熱が下がったようになっていただけで、油断するとすぐに熱が上がり始める状態でした。
でも下痢は完全に止まり水分を取っても3回に一回くらいしか緩い便が出る事は無くなっていました。
それでも恐ろしくて固形物は一切口にしませんでした。 -
打ち合わせもあり、ようやく外に出る元気も出たところで日に当たろうとホテルのプールサイドを散策してみました。
一番大事な合同慰霊祭に参加できなかった事や、仕事に穴を空けてしまったことにとても落ち込みました。 -
何よりもこの仕事を終えて帰国したら1日空けてすぐに今度は中国に行かねばならなかったので、早く回復しないとと焦りました。
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晩餐会の時に2日ぶりに皆さんの前に顔を出した私は、班の方が仕事で大変だったわねぇ・・・と声をかけて下さる言葉にとても申し訳ない気持ちになりました。
それでも体調が悪いところを見せるわけにはいきません。
ジュースとスープだけは口にしてみようとあまりにも手を出さないのは不自然なのでひと口ポテトスープを口にしましたが。。。。胃痛で泣きそうになりました。
やはり水やポカリ以外はダメなのか・・・とがっかりしていると、班の方の付き添いの娘さんがダウンしてお部屋に戻ってしまわれました。
頭痛がひどいという事でしたが、炭酸が飲みたいというので添乗員に話し、お部屋に届けてもらうことにしました。
若い人たちの方が弱いのは私も含めて確実です。 やはり年配とはいえ苦しく貧しい食糧難の時代に、そして戦争中や戦後の劣悪な環境で育ってきた方々はとても強いしたくましいんだと思いました。 -
時々、その方の様子を見にいきながら晩餐会で演奏されたフィリピンの民族音楽やダンスを見学して楽しい夜を過ごすことが出来ました。
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素朴な演目でしたが心がほっこりする感じでした。
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初フィリピンは首都マニラだったのに、何らかの食中毒にかかり、仕事に穴を空けてすっかり信用ガタ落ちでした。
なんとなくこの時の看護師さん達とも溝ができたような気持ちになり、この後の中国ではそのうちの3人とまた出かけるのですが、情けなくなりました。 -
パッキングをして、お部屋に毎日多めにトイレットペーパーを運んでくれたスタッフさん。寝込んでいる私に気を使いながらお掃除をしてくれたり、水を持ってきてくれたりした方々。
手作りの折り紙に飴を入れて少ないですが最後のチップを置いてホテルを出ました。 -
空港に行くまでの時間に少しだけ観光を入れてくださいました。
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改めてリサール記念公園に来て、記念碑を見にきました。
ホセ リサール記念像 モニュメント・記念碑
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マニラはビルが立ち並ぶエリアを外れると途端にこんな景色が待っています
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車も馬もリクシャも色々な乗り物が入り混じってます。
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最後に訪れた場所は教会です。
サンアグスチン教会 (マニラ) 寺院・教会
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入り口で物売りがバナナの葉で作った帽子を売っていました。民芸品も売っており結構迫ってきていましたが、とりあえず皆で流して中に入ることに。
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石造りの教会の内部を案内してもらいながら見てきました。
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あちこちの装飾?彫刻?が綺麗でゆっくり歩いてみていたい気分になります。
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回廊が素敵でした。
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博物館の中には色々と飾られており、説明をいちいち読んでいたら結構時間がかかります。
サンアグスチン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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そしてもう一箇所訪れた場所は。。。
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マニラホテルです。
The Manila Hotel ホテル
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マッカーサーが滞在していた場所ということで有名ですね。
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マッカーサーの資料館などがあるようで、説明を受けながら立ち寄りました。
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へぇ・・・この人が。という程度しか私には興味がなかったのですが戦争という言葉に米国のマッカーサー元帥はあまりにも有名ですね。
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そしてフィリピン最後の食事です。
ここは毎年来る場所だと団長さんが言っていました。 -
ホテルレストランだったと思います。場所を忘れてしまいました。
全てとても美味しいそうですが、一切口にすることは出来なかったので写真で見て楽しみました。。。涙
次に私にフィリピンの話があったらリベンジしたいけれど、私には水に合っていないような気もしました。
呼んでいる場所に旅しているのが私流なので、仕事で不本意な場所に訪れたからこんなことになったのでしょうか? -
それにしても酷い目に遭いました。
発症してから10日以上不調でした。本来ならば菌の特定をしなければならないのだと思いますが、足止めを食らっても困るし、日本に戻る日には薬は飲んでいましたが熱は下がっており、全く下痢もしなくなって食べていないから便は出ませんでしたが、水分を摂っても大丈夫になりました。
もちろん機内食もほぼ手をつけず・・・しばらくはあの惨状が思い浮かび、恐怖になっていました。
おかげで帰国した時は体重が3.5Kgも落ちてしまっていました。
ダイエットー!なんて喜んでいる場合ではありませんが、体重だけはあの時のように落ちて欲しいです。笑パグス ラウンジ 空港ラウンジ
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帰国した翌日はお彼岸だったので墓参りに家族で行きました。
父にお土産に買ったバナナの皮で編んだ帽子がえらく気に入ったようで今年の夏はしばらく活躍しそうです。
この帽子、売り子が来て売っていたのですがリサール公園で一人が2個1000円で購入したのをきっかけに教会に行った時にいた売り子に交渉して1個400円で購入しました。
するとツワモノがいて最後には4個で1000円で購入した人がいて車内はこの話で盛り上がりました。
父には以前奄美大島に行った時に買った大島紬のハンチング38000円をプレゼントしたのですが、半年しないうちに飲みに行ってどこかの店に置いてきてしまい、それきりになったそうです。。。。全く・・・ 猫に小判だったと後悔したことをこの帽子を見るたびに思い出しそうです。
翌日は荷物を詰め替えて中国への仕事です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 働きマンさん 2019/08/13 17:46:01
- お疲れ様でした!!
- ママブーさん♪
こんにちわ!
大変なフィリピンでのお仕事でしたね。
読んでいるこっちがドキドキしました。
多分、プライベートな旅行でもどうしようどうしよう!?!?!?!と思うようなシーンだったかと思いますが、それがお仕事だったらなおさらですよね?きっと。
仕事・・・って。。大変ですよね。
それでもツアーナースっていうお仕事をママブーさんの旅行記で初めて知り、すごく勉強になります!
いつもいろんな方へのご質問に的確に答えることができるのは、このような経験があるからなんだろうなーーーって尊敬です。
次の中国へのお仕事は無事、行けたのでしょうか?
いつも的確な質問へのお答えや、お友達ととのプライベート旅行!そして、ツアーナースとしてのお仕事旅行!楽しく読ませて頂いております!
大変だと思いますが頑張ってくださいね♪
働きマン
- ママブー♪さん からの返信 2019/08/13 21:47:53
- Re: お疲れ様でした!!
- 働きマンさん、こんばんは。訪問、また書き込みをありがとうございます。
こんなちゃらんぽらんな私の旅行記にコメント頂き有難いです。 しかも私のQ&Aの回答なんて的確ではないんですよォ。
思ったことを書いてしまう辺りは公序良俗に反しない程度とはいえ、結構辛辣なことを書いてしまう辺りがダメダメですね。
だけど質問する前に調べりゃいいじゃん!とか聞いて本当にそこの店まで行くのかよ!と思うことが多々あり・・・例えば自分が滞在する側ならまだしもそんな離れている場所にオススメだからって行くんかーい?と思ってしまうとついつい言葉が強くなってしまうダメな私です。
でも、旅のヒントは本当に人それぞれ感じ方も違いますし、もっと便利だったり・・・・他にいい方法があったんだと教えてもらうことも沢山あるので、丸投げの質問投稿には些か承服し兼ねますが、(私の運営サイトではないので何様なんだよ!と言われそうだけど)答える人も親切なのはいいことだけどそこらへんを考えて回答したらいいのになと思ったりもしますが、私も懲りずに回答したり、質問したりしているのでそんな私のタワゴトは気にせず旅のヒントを得てくださいね。
そして健康に注意して海外で不測の事態に陥った時に困らないように海外旅行保険や緊急時の対応をどうするかは趣味レーションして楽しい旅をお互いに続けましょう。
ようやく中国編・・・ って3月の旅のお話です。
おヒマでしたらまた覗きに来てくださいませ。
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この旅行で行ったホテル
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Diamond Hotel
3.65 -
The Manila Hotel
3.95
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