2019/06/23 - 2019/06/27
389位(同エリア1796件中)
あきちゃんさん
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- 旅行記22冊
- クチコミ11件
- Q&A回答1件
- 34,101アクセス
- フォロワー3人
H交通社の台湾ツアー3泊4日に参加して、台北~高雄~台南~台中と回ってきました。
大忙し、一日の走行距離も多いドライブ旅行でしたが、今まで台北と九分以外は未踏の私には、高雄・台南・台中各市の見どころにそれぞれ立ち寄ることができる旅だったと思います。
台湾は、古来多くの部族の先住民が暮らす島でしたが、1624年のオランダの支配、1662年の鄭成功(明)政権の樹立、1683年の清による制圧などを経て、1894年日清戦争の結果日本に割譲され、日本総督府による統治が始まりました。この時点で、台湾の居住者の大多数は台湾原住民でした。
(その後はご承知の通り、第2次世界大戦ののち中華民国台湾省となりますが、中国国内の国共内戦に敗れた蒋介石政権が政府機能を台湾へ移し、現在に至っています。)
ですから、台湾のいずれの地を訪ねても、日本統治時代からの光と影が漂い、深い日本との縁を感じる旅でした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
午前9時55分、セントレア発 ~ 12時05分(日本時間13時05分)、台湾桃園国際空港(たいわんとうえんこくさいくうこう)着。3時間10分のフライトです。
チャイナエアライン0151便で着いた台北は雨。雨雲が低く垂れ込めていました。 -
早速バスに乗り込んで、台北市内へ向かいます。
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台北市内のこの信号機には監視カメラが設置されていて、ポイ捨てなどを監視しています。
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午後2時30分、この日の第一番目の訪問先「忠烈祠」を訪ねました。
ここ「忠烈祠」は、中華民国建国に殉じた33万人の英霊が祀られています。
この場所には、日本の統治時代には「台湾護国神社」がありました。1966(昭和41)年、護国神社は取り壊され、1969(昭和44)年、その跡地に「忠烈祠」が建立されました。 -
表門の中央には、向かい合う2人の衛兵が! 微動だにしないその立ち姿…、まばたきもできるだけしないように訓練するのだとか。
この白い制服は台湾海軍兵士のもの(冬は黒服)。陸軍は深緑、空軍は青だとのことです。 -
門の内に入ったところで、傘をさしていても跳ね返りで足元がぴしょ濡れになるほどの降りです!
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正面、雨の向こうに「大殿」が煙っています。
石畳に5本の線が刻まれていますが、これは衛兵交代式で整然と歩く5人の衛兵が刻んだ足跡です。
今日は雨のため、衛兵の行進は見られないよう…。 -
中門が近づいてきました。
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階段を上がって、中門から奥の本殿を望んだところです。
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本殿の入り口には、やはり2名の衛兵が屹立しています。
この真ん中にいる人は先輩の衛兵で、立っている衛兵の立ち姿を注意指導したり、汗を拭いてあげたりするのだとか。 -
中門の左右の壁には、中華民国兵士の戦闘シーンが描かれています。
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向かい側の壁にも…。中国共産党軍との戦いか…と思ったのですが、後日解説を読むと、蒋介石政権のもとで建てられたこの祠(ほこら)の壁画は、抗日戦のシーンを描いたものであると知りました。
日本との様々なかかわりの中で、中国本土での日中戦や内乱のほか、日本統治時代には先住民による暴動などの不幸な出来事もあったことを知りました。(北埔事件(ほくふじけん)、霧社事件(むしゃじけん)など) -
庭園には、太いがじゅまるの木が…。
台湾建国の歴史を見守ってきたのでしょう。 -
午後4時、「十分(じゅうふん)」へ。
町が見えてくると、山間の空にいくつかの「天燈」が昇っていくのが見えました。 -
十分の天燈揚げの現場は、台湾鉄道平渓線(ローカル線で1時間に1本ほど)の線路の上です。列車が来ない間をぬって、天燈を上げます
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このあたりに数多くあるお店のいずれかで、100~200台湾ドル程度(日本円で約350~700円)を払って大きなビニル袋状の天燈を買います。
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袋の各面に自分の願いごとを書きます。
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書き終えると、お店の人に言って、天燈の下部にある着火部に点灯してもらいます。
膨らんできた天燈を離すと、見る見る大空へ…! -
僕のメッセージ、「エイジシュートをもう一度」も、大空へと舞い上がりました。
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それぞれの願いを乗せて…。
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午後5時、「九分」に着いて夕食ののち、提灯の点る街へ繰り出しました。
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雨は相変わらず降り続いています。
でも、雨にビビッていては、この時期の台湾は旅できません(笑)。 -
有名な「阿妹茶屋」、千と千尋の世界です。
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九分は山の斜面に開けた町。家々に明かりが階段状に光って、やがて海へと落ちていきます。
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降りしきる雨を避けて、しばしお茶の時間。淹れ方や飲み方など、店員さんが教えてくれます。
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まだまだ降り続く雨の中、急な石段をひしめき合って歩きました。
午後8時30分ごろ、桃園市内へ戻りホテルへ。
第1日目が終わりました。 -
第2日目。午前7時20分、ホテルを出発して、同35分、台湾新幹線「桃園駅」に到着。
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改札口です。
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8時10分発に、乗車。
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列車は南へ…。
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座席はエコノミーで、一列は左2席、右3席。
車内販売もあります。 -
少し空が明るくなってきました。
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桃園を出てから最初の停車駅。先端科学の企業が多い「新竹」です。
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ここから南へは、広い平野(台中平野~台南平野)が広がっています。
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高層ビル群が見えてきました。最近、高雄を抜いて、台湾第二位の人口(280万人)になった「台中」です。
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向いのホームには上りの列車が停車しています。
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台湾の穀倉地帯、台南平野の水田はすでに色づき始めています。
このあたりでは水稲の二期作が行われています。さらに南の地方では三期作も可能だそうです。 -
大きな町が見えてきました。高雄ですね。
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工場地帯も…。高雄は台湾随一の工業生産額を誇る、大工業都市です。
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新幹線の休憩場(車庫)ですね。
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午前9時45分、定刻通りに「佐瑩駅(高雄)」に到着しました。
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ここからはまたバス…!
高雄は都会です。 -
由緒ある建物の風情ですが、何であるかは判りません。
ガイドくんの説明もなし?。 -
これも由緒ある建物の風情ですが…?
ガイドくんの説明もなし②。 -
由緒ある建物の風情ですが…?
ガイドくんの説明もなし③。 -
郵便車、緑色です。
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高雄の町を走るライトレール。高雄市中心部をぐるりと回る路面電車です。
シャッターチャンスを逃がしてパンフレットより! -
路面駐車場。車もパイクも整然と…。
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午前10時15分、 蓮池潭に着きました。龍虎塔が見えています。
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前に回ってみると、龍と虎が口を開けて待っていました。
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「龍虎塔」訪問の前に、道路を挟んで向かい側にある「慈済宮」へ参拝します。
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ご祭神は、保生大帝というお医者さんです。
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だから、ここのおみくじは、処方箋なんですって!
その名も「薬籤」といい、病気の今後の状況や治し方のアドバイスが得られたり、病気がどうなるかを推測することができるのだとか。 -
さて、道路を渡って「龍虎塔」へ向かいます。
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虎穴に入らずんば…と意気込んで行ってみると
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まず龍の口から入るのが順序だと教えてもらいました。
中国では、龍は縁起の良い動物(登龍…などと言いますよね)、逆に虎は最も縁起の悪い動物なのだそうです。
肉食の虎の口に入るのは厳禁だとも(笑)! -
龍口から入ると左右の壁に、二十四孝(中国で古来有名な孝子二十四人の故事を元の郭居敬が選定したもの)それぞれの場面が描かれています。
例えば、この「行傭供母」は、『後漢の人「江革」は幼いころに父を失い、母一人子一人で住んでいた。天下が乱れ、多くの盗賊に襲われるが、「老母を自分が養わなければならない」と懇願すると、賊たちはそのたびに彼を赦し、戦乱の間、二人は揃って難を逃れることができた。…、彼は懸命に働き、母に不自由させることは決してなかった【以上概略】』との物語です。 -
壁面の後部には閻魔大王が描かれていて、そのうしろには血の池や針の山などの地獄の光景が展開されています。
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龍の後部から出て、龍虎の間から前方を見ると、先ほど参拝した「慈済宮」が正面に見えていました。
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後ろを振り返ると、蓮池潭の湖面の向こうに、高雄のビル群が並んでいました。
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虎の尾から入り、虎の口から出てきました。
11時50分、文字通り、虎口を逃れて、蓮池潭をあとにしました。 -
バスは高雄市の背後に立つ寿山の細い登り道を上がり、寿山公園にやって来ました。
ここには「高雄忠烈祠」があります。 -
「高雄忠烈祠」は、高雄で中華民国建国及び国共内戦・抗日戦争等で戦没した烈士(英霊)700余名を祀っています。 らふ
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寿山公園(標高60~80m)からは、高雄港や高雄の市街が一望されます。
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高雄港は、17世紀前半オランダ東インド会社によって開かれ、その後、オランダ、明(鄭 成功)、清の統治時代を経て、1858年アロー戦争の敗戦によって英・仏に開放。日清戦争に敗れた1895年には日本へ譲渡しました。
日本の台湾総督府は高雄港を本格的に整備しましたが、第二次世界大戦 のとき米軍の大爆撃を受けました。
戦後、中華民国に受け継がれた高雄港は、東アジアの交通の要衝に位置して発展し、アジア第1位の取扱量を誇る大貿易港へとなりましたが、現今は中国経済の発展に伴い、上海港(取扱貨物量、2016年世界第1位)や広州港にその地位を譲っています。(高雄港は同34位) -
高雄のビル群! 中央の高層ビルは「高雄85」(地上85階地下5階。1997年に開業。高さは地上347m)
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午後3時30分、台南市の「赤かん楼(せきかんろう)」に着きました。
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赤かん(かんは、山カンムリに、左に甘、右に欠)とは、赤レンガのこと。
「赤かん楼」とは、赤レンガの館という意味です。
写真中央が、創建当時に積まれた赤レンガ壁。オランダ統治時代、漢人による暴動が多発し、オランダは統治府を守るために141mに及ぶレンガの壁を構築したのです。 -
現在の床面に残る、大小2種類のレンガ。創建当時のものは大きく、現存する壁は小さいものが使われています。
鄭成功によるオランダ支配の打破、また明・清そして日本へと統治が転じていく中、「赤かん楼」は弾薬庫や食料倉庫にされたりして、レンガ壁の多くは壊されましたが、近年、中華民国政府の手によって修復・再建され、歴史博物館としての役割もになっています。 -
館を下からパチリ!
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「赤かん楼」に掲げられている「鄭成功(ていせいこう)」の肖像画。
鄭成功は、日本の平戸で父・鄭芝龍と日本人の母・田川マツの間に生まれました(幼名「福松」)。7歳のとき、父について中国福建省へ戻りました。
成人してのち、鄭成功は清に滅ぼされようとしている明を擁護して抵抗運動を続け、台湾に渡って当時統治していたオランダを一掃して、鄭氏政権の祖となりました。
様々な功績から明の国姓である「朱」と称することを許されたので、国姓爺(こくせんや)とも呼ばれています。台湾・中国では民族的英雄として描かれており、特に台湾ではオランダ軍を討ち払ったことから、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
日本では江戸時代、近松門左衛門の作により、和藤内(鄭成功)が異母姉の夫・甘輝との同盟を結んで活躍する歌舞伎「国姓爺合戦」が有名です。 -
ここ「赤かん楼」は、現在は台南市立歴史博物館となり、1983年には国定古跡に指定されました。今も、発掘調査が続けられています。
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夕刻、台中市に入り、夕食を取ったのち、「宮原眼科」へ…。
でも眼科と言えども今は病院ではなく、土産物店、レストラン、有名なアイスクリームを売るコーナーなどがあります。
上の写真は、宮原眼科の前の通り脇を流れる河川にしつらえられたネオンの階段。家族連れが階段に座ったり、子どもたちが水辺で遊んだりしていました。 -
「宮原眼科」は、戦前、鹿児島県出身の宮原武熊医師が1927年に開業した、当時台中で最大規模の眼科医院でした。
宮原医師は台湾総督府立台中病院の院長や州会議員など、各分野において活躍していましたが、戦後の退去命令で日本へ帰国。建物は政府資産となり「台中市衛生院」として利用されました。しかし病院が3年後に新庁舎に移転した後は、40年間もの間放置されてきました。 -
その建物を生かして再生させたのが、元祖「土鳳梨酥」のパイナップルケーキで有名な台中の日出グループでした。残っている部分を生かしてリフォームし、新旧を融合させたハイカラなデザインで、『宮原眼科』を新しく生まれ変わらせたのです。
写真のように、建物前のア-ケードもとてもオシャレでしょう。 -
台中市衛生病院時代の病院名のペンキが残っています。
「第一性病病院」と書かれていたそう(ガイドくんの説明)。 -
なんともお洒落な店内です。
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ヨーロッパの図書館を彷彿とさせる店内、何だか感動するゴージャスな空間です。
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2階はレストラン。
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ここで売っている台湾土産の第一位パイナップルケーキは、経営が台湾でのトップメーカー「日出グループ」の経営ですから、味は確かです。しかも、包装もオシャレで、お土産には超おススメです。
1階のコーナーで売っているアイスクリームも、美味しいと評判ですよ。 -
午後8時、ホテルへ着いて荷物を置いたあと、「逢甲夜市」へ繰り出しました。
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逢甲大学前の正門前商店街として始まったこの夜市、学生や若者が多いのは当然ですが、今では家族連れや国内旅行の団体さん、外国人ツアーなど様々な人々であふれかえっています。今は台湾一大きな夜市だそうです。
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『台湾の食べ物の流行は、「逢甲夜市」から始まる。最高に熱くて何を食べても美味い、進化し続けている夜市』…なんてキャッチフレーズに誘われて、食べ物の屋台を覗いてみました。
「大腸包小腸」って、何だろう? -
大腸の中に小腸が詰まっている食べ物って…と思ったのですが、ジャンボフランクフルトの丸かじりのようなものでした。
これはこれで美味しそうでしたが、かじる勇気が出なくて、パスさせてもらいました(苦笑)。 -
次は、美味しそうな焼肉屋さん!
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ブタくんの丸焼き! 一頭食べて、お腹いっぱい!!
…って 嘘々! このブタくんは、店のシンボルで非売品です。 -
屋台だけでなく、通りの店はみんな営業中です。
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あれっ、看板に見たことのある顔が…。元AKBの板野友美ちゃん。
日本じゃあまり見なくなったけど、台湾で稼いでいたのか!
安心した。 -
ちょっと喉が渇いたので「タピオカジュース」を飲みました。
腹の奥が『ピーッ』と鳴ったような。
まだまだ人出は増える一方…。
でも僕たちは、明日に備えて、10時30分ごろにホテルへ帰りました。 -
第3日目、ホテルにて朝食ののち、7時30分出発。
お母さんも、ちびちゃんをスクーターの前に乗せて出動です。
保育園に送っていくのかな。 -
ガソリンスタンド。 台湾では、近年ガソリン価格が上昇していると聞きましたが、それでもレギュラーガソリン1Lは約100円(日本では150円)と表示されています。
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とがった山頂が連なる山々ですね。
台湾には3000m以上の山が253座もあります(日本は21座)。
いちばん高い山は、太平洋戦争開戦の暗号『ニイタカヤマノボレ』になった「新高山 3952m」。現在この山は「玉山(ぎょくざん)」と呼ばれています。
(このバスの車窓から見えたこの山々の中に玉山はありません。もっと南です) -
なんか、カラフルな地区へ来ました。
彩虹眷村(さいこうけんそん)、あるいはレインボー・ビレッジと呼ばれる地区です。 -
この一帯は再開発のため取り壊される予定だったそうですが、居住していた退役軍人の黄永阜さんによる壁画アートが注目を集めたため、この地区を公園として保存することがが決まったそうです。
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現在は90歳を超える黄永阜さんは、当時、ひとりで家々のペインティグを始めたそうで、今も村にただ一軒だけ住み続け、このお店の店頭に座ってみえます。
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近年、香港、澳門、シンガポール、マレーシア、韓国、日本、中国などから20以上のテレビ局が報道するなどして、年間来訪者数が2016年には125万人、2017年には200万人に達する、台湾有数の観光地となったとか。
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保育園? 集会所?
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「彩虹眷村」のすぐ横にあるこの施設、何だと思いますか?
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そう、ゴルフの打ちっぱなし練習場なんです。
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午前10時、「日月潭」に到着です。
日月潭文武廟 寺院・教会
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日月潭は、今から約2000年前に発見された台湾最大の淡水湖とあります。(が、2000年前に発見されたという記録は…? 当時、文字は無かっただろうし…と思うのですが)。【地図は交通社パンフレットから】
湖の右側が太陽(日輪)の形、左側が三日月の形をしていることから「日月潭」と呼ばれていますが、日本統治時代の1918年に台湾の工業発展を企図して日月潭水力発電工事を計画、その後、16年の年月を経て1934年に竣工し、この工事で台湾最長の濁水渓という川から水を引いた結果、水位が上昇して現在の形になったとのことです。
この発電所は、戦後1948年7月に「大観水力発電所」に受け継がれ、現在、発電量は台湾の水力発電全体の半分以上を占めています。 -
湖面を、白い遊覧船が滑るように進んでいきます。
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湖岸にたたずむ「文武廟」を訪れました。
ここは「文」の神様である文昌帝君と、「武」の神様である関羽と岳飛が祀られています。 -
山門を入ると、左右に巨大な狛犬ならぬ狛獅子(台湾の廟だとこれは「石獅」とよばれる獅子)が睨みを利かせています。
この石獅は、向かって左側のもの。(日本式に言えば、右大臣ですね。) -
これが右側。高さは6mもある、大迫力です。
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ここから「拝殿」、「式聖殿(正殿)」、「大成殿(後殿)」と3つのお社が続きます。
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まず、「拝殿」。御堂の前には大きな常香炉が置かれています。
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「拝殿」の両脇にも、獅子が見張っています。
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柱には、龍の彫り物が!
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向かって右の壁にも、龍の彫り物。
こちらが入口ですね。 -
向かって左の壁には、虎。
こちらが出口です。 -
「拝殿」から「式聖殿(正殿)」を望みます。
ここ「拝殿」は、大切な行事などが行われる場所です。 -
「拝殿」の天井には、見事な装飾が施されていました。
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「式聖殿(正殿)」へ昇ります。
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階段の横には、何頭かの龍が…。
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「式聖殿(正殿)」です。
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「式聖殿(正殿)」正面。
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「式聖殿(正殿)」には武帝2神(三国志で有名な関羽、武勇中国随一と伝えられる岳飛)が祀られています。
文帝(文昌大帝)を祭る「大成殿(後殿)」は、ここからさらに366段の石段を登った奥にあります。…と聞いて、ここから拝礼!
文昌大帝 は、文化と学問の神様です。 中国では「北孔子と南文昌」という言い習わしがあるそうです。 -
「拝殿」前から、日月潭の湖面が望まれます。
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ここ日月潭周辺は台湾原住民のサオ族の居住地であり、日月潭に浮かぶラル(拉魯)島はサオ族の祖霊が宿る場所(聖地)とされています。(現在、台湾には16の部族が先住民として認定されています。)
お昼前、日月潭をあとにして、近くのレストランで昼食を取りました。 -
食事を済ませてのち、台北市へ向かいます。
バスの車窓から見たこの風景…、何だと思いますか?
そう、お墓だそうです。 -
高速道路に入って間もなく、サービスエリアへ立ち寄りました。
その規模の広大なことに、驚きました。 -
高速道路に入るときや出るときに、台湾では料金所がありません。
ガイドくんに「無料なの?」と聞くと、「先進技術大国の台湾では、日本などのETCを超えるe-TAGシステムを導入しています。自動車に貼り付けた小型ラベルを道路上の一定区間ごとに設置された自動読み取り機が確認し、あらかじめクレジットカードや銀行口座、コンビニなどからチャージしておいた口座から自動的に引き落とします」とのこと。
この写真の設備が、多分…その自動読み取り装置なのだろうと思うのですが? -
四方八方へ延びる高速道路です。
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台北市内へ入ってきました。
赤茶色の屋根は台北駅です。この駅へ入る線路は全て地下に埋設されていますから、周囲に線路や踏切はありません。 -
台北駅のすぐ南側、左のビルが「新光三越ビル」です。
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このビルは壁面に「張栄発文教基金会」と書いてあるのですが、『張英発』さんを知っていますか?
東日本大震災のとき、10億円を義援金として送ってくれた台湾の人です。彼は2016年1月に88才で亡くなりましたが、1968年に中古の貨物船1隻で海運業に参入し、会社を一代で世界的な企業に育て上げました。89年にはエバー(長栄)航空を立ち上げ、航空業にも進出。
義援金の10億円は将来の事業展開を見越してのことだとか、企業の急成長にはいろいろな噂があるなど、立志伝中の人物には毀誉褒貶相半ばするところがあることは避けられないことなのかも知れませんが、一方で日台友好に尽力してきたこともよく知られる通りです。 -
午後4時40分、中華民国初代総統である蒋介石の顕彰施設「中正記念堂」を訪ねました。 「中正」とは蒋介石の本名です。
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「大忠門」を敷地内から振り返りました。
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紀念本堂の面積は約1万5千m2で、建物の高さは70mにも及び、建物は西にある中国大陸を臨むように設計されているとのこと。
「大陸反攻」を至願としていた蒋介石と国民党の意思が表われていますね。 -
堂内の1階に「中正記念堂」全体のレプリカがありました。
私たちは、上部正面から入場してきたのですね。 -
2階メインフロアの奥には巨大な蒋介石の銅像が設置されています。
銅像の上部には蒋介石の基本政治理念であった「民族、民権、民生」という三民主義の本義が、像の土台には蒋介石の言葉がそれぞれ記されています。
「三民主義」は、1906年に『孫文』が発表した中国革命の基本理論です。これは中国国民党の基本綱領として採用され、中華民国憲法にその趣旨が記載されています。 -
蒋介石象の左右には、ここにも直立不動の衛兵が控えています。
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毎定時に衛兵の交代式が行われます。
その一糸乱れぬ行動は、台湾観光の定番、必見です。 -
遥かに見える「大忠門」へ戻ります。
ど、ここでにわかに黒い雲が沸き上がり、1階から正面に伸びる大道に出ようとしたら、バシャバシャと大粒の雨。でも、もう台湾の雨には慣れました。パンフレットを帽子代わりにして、「大忠門」の前で待つバスに乗り込みました。 -
バスの車窓から…。「中華民国総統府」です。中華民国の元首および首脳である中華民国総統が執務をおこなう官邸。
建物は、もちろん日本統治時代の1919年3月31日に完成した「台湾総統府」のものを改修して利用しています。 -
台北城(たいほくじょう)の南門(麗正門)跡です。
台北城は、日本の台湾出兵により、清が1879年に建設を計画、1882年に着工、1884年に完成しました。
完成した台北城は、1904年に台湾総督府により城壁の大部分が撤去され、この南門など僅かに4つの城門(北門、小南門、東門、南門)が残るのみとなっています。
戦後、残された城門は中華民国の一級古蹟に指定されました。 -
なんか特徴のある建物が随所に見られるのですが、ガイドくんに「あれは何?」「これは何?」と次々に尋ねても、「ウ……!」と言っているうちに過ぎていきます。
先の「張栄発ビル」も「南門」も、あとで調べてわかったものです。
午後6時過ぎ、台北市内のレストランで夕食を取り、8時前にホテルに入りました。さすがに疲れていて、お風呂に入り、荷物をまとめて、バタンとベッドに倒れ込みました。
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第4日目。午前8時、ホテルを出発して、「故宮博物院」へ向かいます。
20分、正門前に着きました。バスはさらに門の横の登り道を上がり、1階の入り口の前まで連れて行ってくれました。 -
故宮博物院は、清朝が所蔵していた697,000個以上の古代中国依頼の人工品および美術品を保存展示しています。
清からそれらの品々を接収した中華民国政府は、日本の中国侵攻のもとでは北京~南京~重慶へと移転させ、戦後は国共内戦を受けて1948年秋から台湾へと移送されました。
よって、清朝の秘蔵品は、現在、ここ台北と中国の北京故宮博物院(一部は南京)に保存されています。 -
台北故宮博物院の秘宝「翠玉白菜(すいぎょくはくさい)」。清朝期の作、作者不詳。翡翠(ヒスイ)を原石の大きさ・色合いを生かして彫刻したものです。
翠玉白菜の大きさは高さ18.7センチメートル×幅9.1センチメートル×厚さ5.07センチメートルで、手のひらよりやや大きいぐらい。葉の上にはバッタとキリギリスが彫刻されています。
2016年から、故宮博物院ではフラッシュをたかないかぎり、展示物の写真撮影が許可されています。 さすが、故宮博物院! 太っ腹!! -
「肉形石(にくがたいし)」。清朝期の作、作者不詳。長さ5.3cm、幅6.6cm、高さ5.7cmの東坡肉(とんぽーろー;豚の角煮の一種)を模したとされる彫刻です。
この作品は、先の「翠玉白菜」、ならびに北京故宮博物院所蔵の「清明上河図」とともに故宮博物院の三大至宝と言われています。
清王朝の遺品を受け継ぐ際、中華民国の担当員がこの肉形石を保存記録に残すとき、あまりに豚肉にそっくりなため、「豚肉の化石」と記したというエピソードが残っているそうです。 -
でも、僕が今日一番見たかったのは、「殷周時代」の青銅器。
中国の青銅器時代は夏の晩期(約紀元前17世紀初)から始まり、殷・西周・東周を経て、前後一千五百年ほど続きました。【故宮博物院パンフレット 抜粋】
これは毛公鼎(もうこうてい)といい、権威を象徴する礼器として使用されていたものです。32行、500文字が胴内に鋳刻されていて、最も長文の銘文をもつ中国古銅器です。周王が毛公一族への功労を表した内容になっています。
獣に似せた3本足に楕円形のカメ型というのは西周晩期の青銅器の特徴だそうです。 -
当時、貴重な青銅器は貴族のみ、使うことができました青銅は貴族の身分と階級を象徴する最も重要な礼器だったのです。【故宮博物院パンフレット 抜粋】
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商(殷)周時代の青銅器の製作過程は大きく二つの工程、「冶煉(製錬)」と「鋳造」に分類されます。
「冶煉(製錬)」とは、鉱区から鉱石を掘り出し、極めて純度の高い鋳銅原料である銅、錫、鉛などを製錬していました。 そして「鋳造」は、現在私たちが目にするように、機能と美しさを兼ね備えた形を整えるものでした。 -
殷・周の時代(1600-221B.C.E)は、中華文化を確立する重要な時代で、政教一致により、礼教と人文意識に目覚めました。
物質面では、青銅鋳造の発達により、礼器・兵器用の新紀元が切り開かれ、また工芸技術の突破は、様々な産業の興隆を促しました。
精神面では、国の大事である「祀」と「戎」について、銅器の形を通して、神や祖先に対する畏敬の念と心霊との疎通を託しました。【故宮博物院パンフレット 抜粋】 -
青銅器が表わす中華文化の美は、この一つ一つの器物に刻まれています。
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今から3000年の昔、物質と精神の両面からこの形を整えた古代中国の人々の叡智に、目を見張る思いでした。
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ちょっとひと休み…という方には、故宮博物院には別棟に「故宮晶華」なる大型高級レストラン(地下2階、地上3階建て)があります。
「故宮晶華」はそこそこの価格はするようですが、この建物の中の地下2階には「府城晶華」という予算一人約300元ぐらいからと、とてもリーズナブルに、台湾料理を食すことができるレストランがあるとか。
私は訪問したことがないので、詳しい情報は
https://www.taipeinavi.com/food/605/ を参照して見てください。 -
私は2階の入場券売り場の横にあるカフェで、ショートケーキとタピオカジュースをいただき、休憩しました。
「故宮晶華」で食事の方も、このカフェでお茶する方も、一旦故宮博物院の出入り口を出ますので、再入場するには、出入り口の係の人に言って、手の甲にスタンプ(透明です)を押してもらってください。これで本日中は何度でも出入り自由です。 -
さて、見学再開! 白磁の陶製枕です。
「潔素にして瑩然,甚だ心に適う」 これは、永楽帝自らが好む陶磁器(殊に白磁)を賛美した言葉です。 -
「青白磁(白青磁)」。白磁の陶土に、わずかに鉄分を含む透明の釉(うわぐすり)をかけた焼き上げた陶製品。模様部に釉がたまってほかの部分よりもほんのりと青く見えます。
より青色を加えた「青磁」陶器も有名です。特にここ故宮博物院には、宋代に汝窯(河南省)で焼成された青磁器の名品が取り揃えられています。 -
これは誰…? 陶製の「楊貴妃」ですって(ガイドくんの説明)。
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清朝最末期の権力者「西太后」の愛用品をご紹介しましょう。
故宮博物院 西太后の部屋より ? 赤珊瑚の彫り物です。 -
故宮博物院 西太后の部屋より ② 愛用の時計
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故宮博物院 西太后の部屋より ③ 香炉
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故宮博物院 西太后の部屋より ④ 豪華な花瓶
側面に踊る龍の爪は5本。中国では大昔から龍は皇帝の象徴だったので、臣民が龍を利用する(衣服の模様や家屋や調度品など)ことは禁じられていました。後にその禁制が緩和され、5本爪は皇帝のみ、貴族や高級官吏は4本爪、下級官吏や庶民は3本爪を使用するようになりました。 -
これは清朝の家具で、畳を敷いたちょっと広い目の縁台です。
「これこそ清朝を亡ぼした元凶…。みんなこの上でゴロゴロして、一日を無為に過ごしたのです」というガイドくんの説明に、珍しく納得しました。
なぜならば、僕も近頃はソファの上でテレビを見ながらゴロゴロと過ごすことが多くなっているからです。『人の振り見て、我が振り直せ』ですね。 -
感動の家具は、この翡翠細工の石板が嵌め込まれた衝立。向こう側から光を当てると、翡翠版が輝き、明かりが透けて差し込みます。
中国から日本が接収し、皇室にあったものを、昭和天皇が返還されました。 -
午前11時30分、故宮博物院をあとにして、昼食へ。
この写真は「丸山大飯店」。僕たちの昼食会場ではありません(苦笑)。 -
「金品茶楼」で何種類かの小籠包をつまみ、点心昼食を済ませたのち、バスは東林空港へ。
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午後2時40分。搭乗手続きは、搭乗券の発券も、機内預け入れ荷物の受付も、全て機械で自動的に行います。
セントレアでは搭乗券の発券は機械で行ないましたが、ここ東林空港では預ける荷物も機械に吸い込まれていく自動処理を前にして、世の中は進歩していると唖然たる思いでした。 -
「名古屋行き17時05分発チャイナエアライン0150機は、機材整備のため、出発が1時間少々遅れます」とアナウンス。
結局、1時間20分ほど遅れて、セントレアに着いたのは22時10分。
津行き高速船の最終便(22時発)に間に合わず、東横イン空港Ⅱに宿泊して、翌朝9時発の船に乗って、無事帰宅しました。
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