2019/06/25 - 2019/06/25
156位(同エリア389件中)
杏仁豆腐さん
水道橋から鳩山会館まで歩き、鳩山会館の洋館と庭園を見学し、関口フランスパンでランチ。
後半は、東京カテドラル関口教会・永青文庫・肥後細川庭園を巡ります。
坂を上り、下り、江戸から変わらぬ道を歩きました。
最後は早稲田から都電に乗り、帰宅しました。
水道橋から早稲田まで歩いてみた①☆鳩山会館☆関口フランスパン☆2019/06/25
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11509894/
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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目白坂を上り、椿山荘。
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椿山荘の前には、カトリック関口教会。
東京カテドラル聖マリア大聖堂です。
丹下健三氏の設計によって1964年に建設されました。 -
カテドラルとは、“カテドラ”、つまり司教座のある教会をさす言葉で、東京大司教が公に儀式を司式し、教え指導する教会となっています。
カテドラルに入ると、鳴り響くパイプオルガンの音。荘厳な雰囲気です。 -
大聖堂の横にそびえ立つ、高さ61.68mの鐘塔。
鐘は西ドイツから輸入されたもので、日本的な音色を出すために日本各地の鐘の音を研究して制作されたそうです。
まっすぐ天に伸びているようです。 -
ジョセフィーヌの鐘。
この鐘はもともと大小対で、築地教会が明治10年献堂の際に、“日本近代法の父”と呼ばれるボアソナードが寄贈したものです。
司教座が築地教会から関口教会へ移される際に大きな鐘「アドレード・ジョセフィーヌ」もここに移されました。
もう一方の小さい鐘「ジャンヌ・ルイーズ」は今もなお築地教会に現存しています。 -
ジョセフィーヌの鐘
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ジョセフィーヌの鐘
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ルルドの洞窟
フランス郊外ルルドにある洞窟に聖母マリアが現れ、その湧き出た泉を飲むと病気が治ったという奇跡のエピソードから、そこが世界的巡礼地となり、世界各地でそれを模した洞窟を作り祈りの場となっています。 -
明治44年にフランス人宣教師の神父が、実物の洞窟を忠実に再現し建てたものです。
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多くの人がここで祈りを捧げてきたことでしょう。
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スピリチュアルなパワーをいただきました。
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受けとめるヨゼフ
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講談社野間記念館
休館日でした。
建物の老朽化に伴い、7月15日まで開催の夏季展「近代日本の美人画」をもって休館だそうです。今後、新たな文化施設を建設する予定。 -
永青文庫(えいせいぶんこ)に着きました。
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日本・東洋の古美術を中心とした美術館です。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の蒐集品などを収蔵し、展示、研究を行っています。
運営主体は公益財団法人永青文庫で、理事長は18代当主の細川護煕(元内閣総理大臣)。 -
江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。
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「生誕130年 漆芸作家 高野松山 今よみがえる究極の技」を開催していました。
熊本に生まれた高野松山(たかのしょうざん・1889~1976)は、幼少時より細工物を好んで熊本の工業徒弟学校で漆芸を学び、ついで京都市立美術工芸学校・東京美術学校に学びました。東京美術学校では、帝室技芸員の白山松哉(しらやましょうさい・1853~1923)から厳しい指導を受け、蒔絵(まきえ)の技術を習得します。のちに細川護立(ほそかわもりたつ・1883~1970)の援助を得、目白台の細川邸内に住み込んで「昼は殿様のボディーガード、夜間に制作」という生活を送ります。その後、帝展などへの出品をかさね、1955年には重要無形文化財「蒔絵」保持者に認定されました。
高野松山作品全12点を中心に素晴らしい作品が展示されていました。 -
永青文庫
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永青文庫
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肥後細川庭園とつながっています。
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永青文庫を出て、胸突坂(むなつきざか)を下ります。
目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。
坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。
ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人々の苦労がしのばれる。 -
胸突坂の脇には水神社。
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水神社の創建年代等は不詳ながら、神田上水が開かれて以来、関口水門の守護神として祀られてきたといいます。
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三猿
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胸突坂
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胸突坂を下から見ると。
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関口芭蕉庵
休園日でした。 -
神田川 駒塚橋からの風景
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肥後細川庭園に入ります。
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肥後細川庭園は、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。
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周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。
幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。 -
人も少なく、落ち着く風景です。
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紫陽花も咲いていました。
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日本らしい景色。
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松聲閣(しょうせいかく)です。
旧熊本藩細川家下屋敷のあったこの地で、細川家の学問所として使用されていたようで、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。
現在の建物は、歴史性を生かして保存・修復を行うとともに、耐震性を確保し、平成28年1月にリニューアルオープンしました。 -
松聲閣2階からみた景色。
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豊橋橋から見た神田川。
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都電早稲田駅に到着。都電で終点の三ノ輪橋まで行きます。
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三ノ輪橋に着いたら、いつものように「とりふじ」で帆立、焼き鳥を購入して帰宅しました。
いやー、歩き疲れました。 -
生誕130年 漆芸作家 高野松山
今よみがえる究極の技 -
生誕130年 漆芸作家 高野松山
今よみがえる究極の技
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