2019/06/08 - 2019/06/09
11位(同エリア409件中)
ローマ人さん
妻が伊豆稲取で開催されるキンメマラソンに参加するので、応援と観光を兼ねて1泊2日で出かけてきました。
折角の機会ですので、少し足を延ばして、あじさい祭り開催中の下田も久しぶりに観光します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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小田急線、JR南武線を乗り継ぎ、川崎市のJR武蔵小杉駅に到着。
JR南武線を降りて、駅構内を川崎駅方面に10分弱歩くとJR横須賀線やJR湘南新宿ラインが乗り入れているホームに到着します。
今日は、この駅から直通のJR特急で伊豆急下田駅に向かいます。 -
回送中の旧型の「踊り子号」が東京方面に向かって通過しました。
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この駅のホームの隣には東海道新幹線が並走していて、上下線ともに5分くらいの間隔で列車が通過します。
新幹線マニアの方にはベストのビュープレイスかもしれません。 -
成田空港行の成田エクスプレスも停車します。
乗っているお客はあまりいませんでした。 -
スーパービュー踊り子号。伊豆急下田駅行。
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乗車する特急「スーパービュー踊り子号」です。
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この電車は、列車名の頭に「スーパービュー」の名前が付いている通りに、窓が天井の一部まで広く大きくとってあり、展望がより楽しめるように作られています。
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この電車は10両編成(うち2両はグリーン車)で全席指定です。
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車両の1番前の席は、足元が広くて前の席の背もたれを気にしなくても良いという利点があります。
しかし、窓枠で視界が一部遮られるという弱点を見落としていました。 -
隣の車両には売店があり、アルコール、ソフトドリンクやおつまみなどを売っていました。
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関東甲信越は前日の7日(金)に梅雨入りし、この日、列車が出発する頃は、空はどんより曇った梅雨空でした。
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朝食です。
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朝食に武蔵小杉駅で買っておいた崎陽軒のシウマイ弁当を食べました。
いつ食べてもはずれが無いおいしさです。 -
JR横浜駅に停車。ここから乗車する人がたくさんいました。
ホームにも崎陽軒の売店があります。よく見ると奥に見えるホームにもあります。
横浜名物だけに流石ですね。 -
海が見えてきました。
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小田原を通過する頃には、空がすっきり晴れ渡ってきました。
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JR熱海駅に停車。
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熱海を過ぎていいよ伊豆へ。天気が良くて海がとてもきれいです。
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伊東のホテル「ハトヤ」が見えてきました。
年配の方にはお馴染みの♪伊東に行くならハトヤ。電話は4126(良い風呂)♪の歌のTVコマーシャルで有名な(だった?)ホテルです。 -
JR伊東駅に停車。
ここから伊豆急行線に入ります。
この写真は、売店がある車両の窓から撮ったものです。 -
伊豆高原駅に停車。
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土曜日の午前中ですが、帰り(であろう)の旅行客がたくさんいました。
伊豆急行線は単線ですので、ホームで上りの列車を待ちます。
やってきたのは「スーパービュー踊り子号」でした。 -
伊豆熱川駅に停車。
温泉と「熱川バナナワニ園」が有名です。 -
ここでは伊豆急「リゾート21」の黒船電車とすれ違いしました。
下田に来航した「黒船」をモチーフにして、電車が黒色で塗装されています。 -
ホームのすぐ脇に温泉の源泉があり、湯気を噴き出していました。
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天気が良く、伊豆七島の伊豆大島がはっきりと見えました。
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こちらは同じく利島です。
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稲取港が見えてきました。
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伊豆稲取駅に停車。
「キンメマラソン」会場の最寄り駅です。
一旦通過し、後でここに戻ってきます。 -
河津駅に停車。
ここ河津は、早咲きの河津桜で有名です。
駅の近くの火口から河津川沿いに約3キロメートルにわたって桜並木が続いていて眺めが見事です。
毎年2月10日前後から3月10日前後にかけて河津桜まつりが開催されています。 -
「THE ROYAL EXPRESS」とすれ違いしました。
「THE ROYAL EXPRESS」は、「美しさ、煌めく旅。」をコンセプトとして、乗った時から伊豆の魅力と旅の楽しさを感じてもらい、著名なシェフやデザイナーの監修による料理や飲み物とともに、ゆったりくつろげることを目的として作られた列車だそうです。
JR横浜駅 - 伊豆急下田駅間で運行しています。
ブルーの車体に金色の文字の塗装が、マチュピチュで見たペルーレイルの「ハイラム・ビンガム号」とそっくりで、中で食事ができることも併せて、意識して作られているのかなと思いました。 -
定時に伊豆急下田駅に到着。
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乗車してきた「スーパービュー踊り子号」です。
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早速、アジサイが迎えてくれます。
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黒船をモチーフにした出口改札です。
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後ろから見ると「下田関所」の門。
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駅前広場には、黒船、サスケハナ号の模型が飾られていました。
下田と黒船の関係は、下田が日米和親条約により開港され、黒船が来航したことに始まります。その経緯は以下のとおりです。
鎖国状態にあった日本に、嘉永6年(1853年)6月、アメリカの東インド艦隊司令長官兼米使提督マシュー・ペリーは軍艦(防水のために船体が黒いタールで塗られていたため「黒船」と呼ばれた)4隻を率いて浦賀に来航、開国を要求するアメリカ大統領の国書を徳川幕府に受け取らせます。
これが、いわゆる「黒船来航」といわれるものです。
徳川幕府は、翌年まで回答を延期して一旦ペリーを退去させますが、嘉永7年(1854年)1月、ペリーが軍艦9隻を率いて江戸湾へ入港して条約締結を迫ると、ついに同年3月3日、日米和親条約を締結します。
条約の内容は
(1)アメリカ船に燃料や食料等、欠乏品を供給すること
(2)下田、箱館の2港を開き(下田は即時、箱館は1年の後)、下田への領事の駐在を認めること
(3)アメリカに一方的な最恵国待遇を与えること。
等の計12条でした。
そして、条約に基づき「ポーハタン号」を旗艦としたペリー艦隊7隻が嘉永7年(1854年)3月18日から21日にかけて、下田に順次来航し、同年6月1日帰国のため、下田港を出港したのだそうです。
ちなみに「サスケハナ号」は条約締結後に中国へ向かったために、実際は下田には来航していません。
また、下田では日米和親条約付録下田条約(後述します)の交渉、締結がされています。 -
メインの「マイマイ通り」を進んでいきます。
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目に飛び込んできたのは派手な看板です。
ここは宝福寺です。
「坂本龍馬」と「唐人お吉」で有名なようです。 -
文久3年(1983年)1月、この寺に滞在していた土佐藩主の山内容堂に勝海舟が謁見して、土佐藩を脱藩した坂本龍馬の罪の許しを請い、認められてその罪が許されたそうです。
このことが、その後の坂本龍馬の活躍に繋がったということで「飛翔之地」の石碑が立っているのだそうです。 -
説明文には、この寺に下田奉行所が置かれたこと、勝海舟が山内容堂に謁見したこと、安政の大地震で津波がこの寺の本堂の檀上まで押し寄せたことなどが書かれています。
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「坂本龍馬飛翔之地」の石碑の側面に、勝海舟が山内容堂に謁見したことが彫られています。
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宝福寺全景。
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境内に「坂本龍馬(みたい?)」の木彫りの大きな像がありました。
後ろに「唐人お吉記念館」の表示見えますが、同じ場所に「唐人お吉」のお墓もあります。
「唐人お吉」に関する悲しい話がありました。
「唐人お吉」は通称名で、本名を「斉藤きち」といい、下田で一番の売れっ子芸者でした。
彼女は当時17歳でしたが、アメリカから通商条約を結ぶために日本に来ていた領事のタウンゼント・ハリスが体調を崩すということがあり、選ばれてその「看護婦」となりました。
しかしながら、外国人、しかも異性であるハリスの看護を務めたことことや、相当の報酬を得た「きち」の羽振りがよくなると、周囲の人々はやっかんで、「あの女は、異人に体を売って大金を手に入れたけしからぬ奴」と、あることないことを言い始めました。
「唐人」という通称には、そういった意味が含まれているそうです。
「看護婦」を3か月ほど勤めた後に芸者に復帰しますが、一度立った風評がつきまとい何をやってもうまくいかず、だんだん酒に溺れ、荒れた生活を送るようになります。
そしてついに、明治23年(1890年)3月27日、51歳になっていた「きち」は川に身を投げて自殺してしまいます。亡くなった後も風評が災いし、遺体を引き取る人がいなくて3日間も野ざらしにされていたそうです。
そんな中で、唯一きちを哀れんだのが、この宝福寺の当時の住職で、この寺に埋葬したのだそうです。
風評被害の極端なもので、恐ろしいですね。 -
本堂です。
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下田奉行所が置かれていたとの看板。
ここに付けなくても良いような気がしないでもないです。 -
扁額です。
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「唐人お吉」にちなんだ「お吉桜」が植わっていました。
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ご朱印をいただきました。
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「マイマイ通り」をさらに進むと八幡神社があります。
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八幡神社の参道脇の「迎神の松」です。見事な枝振りです。
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八幡神社の隣にある市民文化会館前に、大砲と碇が飾ってあり「黒船ゆかりの地」の雰囲気を盛り上げていました。
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「マイマイ通り」から左折して進んだところが「ひもの横丁」になっていて、明治33年創業の干物専門店の小木曽商店本店がありました。
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古い民家が保存されています。
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写真は「松本旅館」です。
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こちらにも「なまこ壁」の民家が。
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古い民家の案内図がありました。
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下田市は、レトロな景観を守ることに力を入れているようです。
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磯料理店「昇竜」が港の近くにありました。
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特産「金目鯛」の姿をした大きな看板が目立ちます。
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下田港に到着。
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下田港全景です。
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アップにした「寝姿山」です。
伊豆急下田駅の近くからロープウェイで上ることができます。 -
港の道路沿いに「別れの汽船のりば跡」の案内板がありました。
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川端康成の小説「伊豆の踊り子」の中で、主人公の一高の学生が伊豆の湯ヶ島で出会った「踊り子」と下田まで一緒に旅をして、別れて汽船に乗って帰る主人公を「踊り子」が見送る場面がありますが、それがこの場所なのだそうです。
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12:00になり、鰻屋の「小川家」でお昼にします。
港の近くにあり、伊豆急下田駅からは歩いて15分くらいです。 -
伊豆急下田駅に着いたときに、12時に予約を入れていました。
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ご夫婦二人でやっているお店のようです。
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生簀の中には、生きたウナギがたくさんいました。
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1階には、土間に4人掛けのテーブル席が2つ、他にお座敷がありました。
他に2・3階にも座敷があります。 -
事前に予約していたので、入店して間を置かず、うな重が出てきました。
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うな重は「竹」の1種類のみ。
鰻が1匹分入っています。
鰻の香ばしい匂いとあまり甘くないタレでとてもおいしかったです。 -
メニューです。
肝煮も食べたかったのですが、売り切れとのことでした。 -
食後は、「あじさい祭り」開催中の下田公園に行きます。
「小川家」からは歩いて10分もかからない場所にあります。
途中で見つけた、地元の酒屋の土藤(つちふじ)商店です。
創業120年だそうです。 -
昔懐かしいホーロー製の看板がたくさんありました。
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反対側の建物の中にも・・・。
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こんものや・・・。
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あんあものが・・・。
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レトロなお宝がたくさんあります。
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先に進むと、銭湯のレトロな建物がありました。
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間もなく「ペリーロード」に到着。
黒船来航当時の大砲が飾られています。 -
「ペリーロード」とは、下田港に停泊した黒船から了仙寺まで、ペリー提督が海兵隊を率いて日米下田条約締結の為に行進した道で、沿って流れる平滑川をはさむ約700メートルの石畳の道沿いには幕末から大正時代に作られた洋館や古民家が並び、ギャラリーや雑貨店、カフェなどに利用されています。
ここは下田公園の後に歩いてみる予定です。 -
「ペリーロード」側の入口から下田公園に入ります。
東京ドーム7個分の敷地を持つ園内には、アジサイが約15万株300万輪、100種以上植えられていて、株数では日本一だそうです。
開花の最盛期には園内をアジサイの花が埋め尽くすのだそうです。
ちなみに入園料は無料です。
ちょうどこの時期は、6月1日から6月30日まで「あじさい祭り」が開催されていました。
それでは見に行ってみましょう。 -
この公園は、小高い山が下田湾に張り出した地形になっていて、かつては山頂に下田城が建っていたようです。
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遊歩道の階段を登っていきます。
杖が用意させていますが、それほど険しい場所なのでしょうか・・・。 -
「ペリーロード」を振り返って見た風景です。
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階段を登ります。
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更に急な階段を登って行きます。
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途中、開けた場所があり、日本初の写真師「下岡蓮杖」の石碑と銅像がありました。
下田奉行所の役人をしていた時にアメリカ領事ハリスの通訳をしていたオランダ人のヒュースケンから写真技術の手ほどきを受け、その後横浜などで写真館を開いた人だそうです。 -
アジサイが見えてきました。
「寝姿山」や下田港を背景にしてとてもきれいです。 -
きれいなアジサイです。
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右に進むと「あじさい園」です。
あじさいの群生地で、公園内でもっともアジサイの密度が濃い所だそうです。 -
階段を登って行きます。
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すると、下の方にたくさんのアジサイが見えてきました。
ここが「あじさい園」のようです。 -
いろいろな色のアジサイが隙間なく植わっていて、とてもきれいです。
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赤いアジサイ。
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遊歩道を登っていきます。
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遊歩道の両側がアジサイで一杯です。
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大きなアジサイ。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。ここは特にきれい。
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この場所からは、三角形をした美しい「下田富士」を背景にした下田市街や下田港を一望することができます。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイの群生です。
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アジサイの群生が見事です。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。
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アジサイがさらに続きます。
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かなり上まで登ってきました。
眼下に下田港も見えます。 -
「あじさい園」の表示です。
こちらは反対方向からの順路に向けた表示のようです。 -
アジサイがさらに続きます。
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さらに登ったところに幟がありました。
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ここが「下田城(鵜嶋城)」の主郭があった天守台跡だそうです。
それほど広い場所ではありません。 -
天守台跡からは、アジサイの群生を見下ろすことができます。
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びっしりと斜面を埋め尽くす色とりどりのアジサイがとてもきれいです。
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天守台跡から、遊歩道は下りになります。
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天守台跡の下には、下田城についての謂れが書かれた案内板がありました。
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下田城は、天正16年(1588年)、小田原北条氏が豊臣秀吉の小田原征伐に備えて、陸の拠点拠点である箱根の山中城ととともに、海の防衛拠点として大改築した伊豆半島最大規模の城だったそうです。
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「鵜島城」の石碑があります。
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遊歩道のなだらかな坂を下っていきます。
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ここにもアジサイがたくさん咲いています。
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大きな花がきれいです。
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額アジサイです。
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紫のアジサイ。
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紫のアジサイ。
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水色のアジサイ。
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2色のアジサイがきれいです。
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紫のアジサイ。
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遊歩道をずっと下っていったところに、「開国記念碑」があります。
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階段の上にあるのが「開国記念碑」です。
昭和28年(1953年)5月、下田開港100年を記念して建立されたのだそうです。
「開国記念碑」の下にある石碑には「日米修好の基礎は下田に於て築かれた」と刻まれています。 -
「開国記念碑」です。
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「開国記念碑」です。
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「開国記念碑」全景です。
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記念碑には、ペリー提督とハリス領事の言葉とレリーフが刻まれています。
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平和の象徴の鳩?。
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英文のハリス領事の言葉。
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ハリス領事の肖像。
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このハリス領事の言葉を撰んだのは、アメリカの外交官、ウイリアム・J・シーボルトだそうです。
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題字は、時の内閣総理大臣吉田茂の揮毫によるものです。
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このペリー提督の言葉を撰んだのは、当時日本を占領していた連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥だそうです。
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ペリー提督の肖像。
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英文のペリー提督の言葉。
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「開国記念碑」の前は、遊歩道を挟んで「開国広場」になっています。
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「開国広場」では、「あじさい祭」の期間中に「賑わいの露店街」が開催されていました。
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あじさいの苗木や地場産品を販売したり飲食できる露店が並んでいました。
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「開国広場」のアジサイもきれいでした。
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それでは下田公園を出て「ペリーロード」に向かいます。
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まだまだアジサイがあります。
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「ペリーロード」に到着。
ガス灯が異国情緒のレトロな雰囲気を醸し出しています。
この通りを散策しながら、了仙寺を目指します。 -
枝垂れ柳もアクセントになっています。
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下田公園入口の脇にある旧澤村邸です。
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旧澤村邸は、大正7年に建てられた「伊豆石造り」と呼ばれる建築様式で黒いナマコ壁が特徴の建物で、下田市歴史的建造物指定されているそうです。
館内の見学の料金は無料です。 -
「ペリーロード」を進んでいくと…。
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ブーゲンビリアの花が咲いている建物がありました。
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赤い小さな花弁が可愛いです。
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「ギャラリーアンドカフェ 草画房(そうがぼう)」です。
平滑川にかかる「逢坂橋(おおさかはし)」を渡ってすぐの場所にある古民家を改装したお店です。
大正3年に建てられた建物だそうです。 -
草画房の隣には「伊豆石造り」の建物があります。
手前のアジサイとレトロな建物とで絵になります。 -
いい雰囲気です。
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ここのアジサイもきれいです。
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赤い欄干の橋があります。
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「ペリーロード」の案内が所々にあります。
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割烹料理店の「志満田」です。
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枝垂れ柳が風情があります。
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橋を渡ったところに、明治時代の遊郭だった建物を改装した骨董店の「風待」があります。
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「ペリーロード」の一番奥が了仙寺です。
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了仙寺の山門です。
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歴史を感じさせる姿をしています。
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「日米条約締結之地」の石碑が建っています。
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「立正安国」の文字。日蓮上人ですね。
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了仙寺の本堂です。
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了仙寺は、寛永12年(1635年)創建の日蓮宗のお寺です。
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ここで、嘉永7年(1854)5月13日、徳川幕府とペリーとの間で、日米和親条約付録下田条約の交渉が開始されます。
そして5月22日、了仙寺本堂で条約が調印され、25日に条約書の交換が行われました。
この付録条約下田条約13ケ条の内容の中には、米船員の上陸場所(下田、柿崎その他)、欠乏品供給所、異人休息所(了仙寺、玉泉寺)、洗濯場、立入許可区域、鳥獣の捕獲禁止、商品取引の管理、死亡者の埋葬(玉泉寺)、港内水先案内人の設置等々の細目が決められました。 -
本堂正面。
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本堂正面の上部には、下田条約締結交渉に際し、ペリー提督が軍楽隊の演奏にのって銃剣を帯びた300人の水兵を率いて了仙寺まで行進した様子を描いた「安政元年(1854年)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」がかけられています。
これは了仙寺所蔵の石版画の複製で、原画はアメリカ海軍兵学校が所蔵しているそうです。
原画はアメリカ従軍画家のウィルハイム・ハイネという人が書いたのだそうです。
ペリー提督は、自国に有利な条約を結ぶために、この行進で強力な軍事力を誇示して幕府を威嚇したのでしょうね。
今のトランプ大統領を見ていると、アメリカの外国に対する交渉姿勢は、江戸の昔と少しも変っていないように思えます。 -
了仙寺の由緒書き。
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境内に隣接して、資料館「MoBS黒船ミュージアム」がありました。
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開国した際の黒船に関する歴史書やペリー提督が書いた公文書など関連資料が多数保存されているそうです。
時間がなくて、入館はパスしました。 -
了仙寺の入口です。
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ご朱印をいただきました。
お寺に住職が不在の時は、「MoBS黒船ミュージアム」で書置きがいただけます。 -
次は、「ペリー上陸記念公園」に来ました。
了仙寺からは下田公園方向に後戻りすることになります。 -
ここには、ペリー提督の胸像の「ペリー艦隊来航記念碑」とアメリカ海軍から寄贈されたという錨が飾られています。
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胸像の台座背面には「昭和41年10月28日建之」と刻まれていますが、当初は別の場所に建てられていて、2004年に公園として整備されたこの地に移されたようです。
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「ペリー艦隊来航記念碑」の横には、2004年3月31日に、日米交流150周年に寄せて、米43代アメリカ大統領の「ジョージ・ブッシュ」から贈られたメッセージが刻まれたプレートが飾られています。
その下のプレートには、「日米友好の灯」として、ペリーの生誕地のロードアイランド州ニューポートから贈られた火が燈されています。 -
「ペリー上陸の碑」の説明書き。
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記念碑がある場所からは、三角形の「下田富士」と「寝姿山」を背景に下田港と下田市街が見渡せます。
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長命寺の跡地に建つ「吉田松陰拘禁之跡」の石碑です。
禁制の海外渡航に失敗した「吉田松陰」が下田奉行所に捕えられ、当時、長命寺であったこの地でしばらく拘束され、その後江戸に送られたのだそうです。 -
「吉田松陰」は、江戸時代幕末の思想家・教育者で、後に私塾の「松下村塾」を主宰し、やがて明治維新に活躍することになる若い志士たちに思想上の大きな影響を与えたことで知られています。
嘉永7年3月、吉田松陰とその弟子の金子重輔は、当時禁じられていたアメリカへの渡航を図り、この下田に停泊していた黒船「ポーハタン号」に小舟で乗り込みます。
しかしながら、ペリー提督に渡航を拒否されて願いがかなわず、やむなく下田奉行所に自首したのだそうです。 -
これで下田観光を終わり、伊豆急下田駅に向かいます。
途中にもナマコ壁の古民家がありました。 -
伊豆急下田駅に戻って、伊豆稲取駅に向かいます。
写真は、伊豆急下田駅に停車していたJR東日本の観光列車「伊豆クレイル(IZU CRAILE)」です。
この電車は「食べて、飲んで、おしゃべりして過ごす。大人のリゾート列車。」をキャッチフレーズに、女性をターゲットにして作られているそうです。
JR小田原駅 - 伊豆急下田駅間で運行されています。 -
伊豆急「リゾート21」の黒船電車が普通列車として使われていました。
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この電車に乗って伊豆稲取駅まで行きます。
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両端の車両は階段状の展望席で、見晴らしが良くなっています。
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普通席は、通路を挟んで座席の配置が違っています。
右側が海側を向くので、右側だけが外向きの座席になっています。
窓も大きくとってあるので、海側の景色が見やすくなっています。 -
ドアのガラスにも操舵輪が描かれています。おしゃれですね。
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窓の上部には、ペリー提督や了仙寺など、黒船にちなんだ説明書きがありました。
ペリー。 -
了仙寺。
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黒船。
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伊豆急下田駅を発車してから20分くらいで伊豆稲取駅に到着。
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駅前の「ふるさと広場」には石の展示スペースがあります。
これは「築城石」というそうです。
伊豆稲取というと特産の「金目鯛」と伝統の風習の「雛のつるし飾り」が有名ですが、この「築城石」でも有名なのだそうです。
伊豆半島の東海岸では堅質の安山岩が採石できたので、伊豆稲取にも石丁場(石を切り出し成形する作業場)が多く営まれ、1606年から30年以上に渡り、月に2回ほど石船3000艘が江戸と伊豆東海岸を往復していたと伝えられているそうです。
運ばれずに残された石は「残念石」とも呼ばれているそうです。
写真の石に縦一列に掘られた小さな穴を「矢穴(やあな)」といい、先ずそこにカシの木で作ったクサビを打ち込みます。
そしてクサビに水をかけておくと、翌朝にはクサビが膨張して石が割れるという仕組みで石を割っていきます。
これを「矢割り」というそうです。 -
江戸時代が始まると、徳川家康は江戸城の拡張工事を行うため、西国の外様大名に築城用の石材採取を命じました(これを「天下普請」といいます)。
これは外様大名の資産を削り力を弱めるためで、領地の石高10万石あたりに定められた石材採取が命じられていたそうです。 -
石には、採取した大名を識別のために彫られた家紋が残されています。
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石を運ぶ様子が再現されています。
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矢割して整形された石は海岸へと運ばれていき、「修羅曳き」といって、枕木のうえに石をおいて数百人の人夫がひっぱり転がしていったそうです。
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石積み船。
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修羅曳き。
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石丁場。
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伊豆稲取の石が、現存する江戸城の「富士見櫓」の「築城石」に使われたと記述されています。
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宿泊する「はまべ荘」です。
4階建ての建物です。 -
駅から10分くらい歩いて到着。
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後ろ(海側)から見た「はまべ荘」の姿は、こんな感じです。
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入口を入ってすぐにソファがありました。
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「雛のつるし飾り」が横一列に飾ってありました。
1つ1つの姿かたちが違っていて、とても可愛いです。 -
帳場です。
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部屋は8畳の一間、バストイレ付です。
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反対側の障子です。
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広縁もついています。
2階ですので外の眺めは良くありません。 -
夕食です。
1階の「食事処」で提供されます。
「地物づくしプラン」で、まぐろ・かつお・甘海老の刺身、地物の金目鯛の甘辛煮付け、エビと野菜の天婦羅、茶碗蒸、ズワイ蟹、有頭エビのマヨネーズ焼き、酢の物、ごはん、渡り蟹が入った味噌汁、季節のフルーツをいただきましたが、量がちょうど良く、食材が新鮮で味も良く満足しました。 -
最上階の4階にあるお風呂です。
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温泉の源泉かけ流しです。(写真は翌朝に撮ったものです)
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泉温が高いので、最初に湯船に入るときは良くかき混ぜてから入ります。
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4階で遮る建物がありませんから、すぐ前の稲取港が見渡せ、見晴は抜群です。
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設備は古いですが、浴槽も洗い場も清掃がゆきとどいていて、気持ち良く入浴できます。
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目の前に港が見えます。
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今日の天気は、現時点では、強い雨と風でマラソンのコンデションとしては最悪だと思います。
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マラソンのゴール地点に、誘導用の赤いコーンが並べられているのが見えました。
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朝食です。
夕食と同じ場所でいただきます。
鯵の干物がおいしかったです。 -
伊豆稲取駅前まで来ました。
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マラソンのスタート地点は、山の上にありマラソンコースは一部を除いてほとんどが下り坂になっています。
スタート地点に行くのに駅前からシャトルバスが出ています。 -
当日の列車で到着した参加者を乗せて満員のバスは、急坂を10分くらい登ってスタート地点に到着しました。
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ここがスタート地点です。
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10:00に号砲が鳴り、ハーフマラソン種目がスタート。
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「伊豆稲取キンメマラソン」のアンバサダーのLiLiCoさんがスターターを務め、スタートした出走者とハイタッチをしていました。
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ハーフマラソンはスタート直後はクロスカントリコースを走っていきます。
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仮装の表彰があるようで、10キロ種目の出走者には仮装をした人が目立ちます。
こちらはヒマワリの仮装のようです。 -
特産の金目鯛の仮装をしている参加者もいました。
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出走前の参加者に、無料でジュース、コーヒーなどの飲み物の他、パンやクッキーが配られていました。
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妻が出走する10キロ種目が11:20にスタート。
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スタートを見送ってから、シャトルバスでゴール地点の稲取町役場に戻ってきました。
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写真上中央の山がマラソンのスタート地点で、港近くのゴール地点までかなり下ってきます。
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ゴール地点の様子。
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ゴール地点の様子。
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最後の走者がゴールして終了です。
LiLiCoさんが一緒にゴールしていました。 -
徳造丸の名前が入った金目鯛を模ったベンチがありました。
多くの人が座って記念撮影していました。 -
漁協直売所の「こらっしぇ」です。
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店の前には氷像が飾られていました。
大きくてとても手が込んだものです。 -
「こらっしぇ」の中には地元産の果物や野菜。
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海産物売場。
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海産物売場。サザエがあります。
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海産物売場。特産の金目鯛製品です。
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町役場隣の建物に飲食店や土産物店が出店していました。
ここでは毎週土・日に「港の朝市」が開かれているとのことです。 -
金目鯛の味噌汁ふるまいコーナーがありました。
金目鯛の身がしっかり入っています。
出汁が効いてとてもおいしかったです。 -
「伊豆稲取キンメマラソン」メインスポンサーの徳造丸が臨時で出店していました。
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金目鯛煮もあります。
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サザエ飯です。おいしそう。
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サザエのつぼ焼きです。
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サザエが大きくてお買い得でした。
もちろん味もとてもおいしかったです。 -
稲取名物の「金目鯛の味噌漬け」を売っていました。
稲取産の金目鯛は、他で獲れた金目鯛よりもかなり高価なようです。
それだけ稲取産のものがおいしいということでしょう。 -
金目鯛の釜めしがあったので、昼食にしました。
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先ず席を確保してから、注文してお金を払います。
1人前700円です。
釜飯を自分で受け取って席に持ってきます。
釜の下の火が消えたら食べごろだそうです。
味噌汁は自分で盛り、お箸とご飯を盛るお椀も用意します。 -
金目鯛の身がたくさん入っていて熱々でとてもおいしかったです。
今日だけでなく、常設の朝市でも食べることが出来るそうです。 -
宿に立ち寄り、お風呂に入り、預けていた荷物を受け取ってから伊豆稲取駅に向かいます。
途中、駅の近くに済広寺がありました。
別名「榧(かや)の寺」と呼ばれています。 -
立派な本堂です。
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境内に、別名の謂れとなる樹齢750年を超える榧の大木があります。
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本堂の左側にはビルマの仏鐘がありました。
銀杏の葉を逆さまにした板状の形をした珍しい鐘です。 -
本堂の地下には、災いを払ってくれる不動明王が祀られている秘密の「不動消災の道」があり、1人100円で入ることができます。
「不動消災の道」は、一寸先も見えない真っ暗闇で、壁を手探りで進んで行った先に不動明王が祀られています。
道の出口に近づき明るさが戻ってくると、目の見える喜びに感謝してしまう不思議な道です。 -
本堂向かって左側にある「赤不動明王」像です。
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右側の「黄不動明王」像です。
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ご朱印をいただきました。
ご朱印帳の見開きを使った大胆な構図のご朱印です。パワーがありますね。 -
伊豆稲取駅に到着。
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改札を抜けてホームに向かう途中の通路に、「発祥の地」のポスターと共に、「雛のつるし飾り」が飾ってありました。
この飾り方もいいですね。 -
帰りも「スーパービュー踊り子号」に乗車します。
武蔵小杉駅からJR南武線と小田急線を乗り継ぎ20:00頃に自宅に帰り着きました。
なかなか楽しい旅でした。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
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