2019/05/11 - 2019/05/11
468位(同エリア1406件中)
鳳梨さん
この旅行記のスケジュール
2019/05/11
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船での移動
12:30発 猿島航路で猿島へ
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猿島島内を約2時間ウォーキング・散策
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船での移動
14:45発猿島航路で三笠桟橋に戻りました。
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徒歩での移動
徒歩5分もかからない場所にあるマーケットへ移動
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この旅行記スケジュールを元に
10年くらい前に猿島のことを知り、行きたいと何度か計画を立てたけれど、天候に泣かされて島に渡ることが出来ずにいました。行ける時に行かねばならない!と、今回は猿島に上陸すること、島内をウォーキングすることを第一に、旅に出ました。
天候に恵まれ、ガイドさんにも恵まれ、約二時間の上陸でしたが、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 自家用車
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お昼過ぎ、三笠公園に到着しました。
快晴の空の下、世界三大記念艦「三笠」の勇姿です。
見学をしたいところですが、今日の目的は【猿島】。
12:30のフェリーに乗るため、乗船口に並びます。
この「三笠」の船首は皇居の方角を向いているそうです。
世界三大記念艦・・・じゃああと二つは?ガイドさんへの最初の質問はこれ!
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世界三大記念艦の意味
自国(三笠の場合は日本)の独立を守るための重要な海戦で活躍・勝利をおさめた軍艦のこと
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三笠が活躍したのは明治38年、対戦したのはロシアのバルチック艦隊です。
あとの二つは
イギリスの独立を守るためにフランス・スペインとトラファルガーの海戦で戦った、ヴィクトリー
米英戦争で、劣勢だったアメリカ海軍にあって、イギリス艦を撃破したコンスティチューション三笠公園 公園・植物園
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【猿島】に渡る船の定員は240名。私たちが乗るころはすでに多くの人が乗っていました。
当然のように空席はなく、2階甲板に上がり、操舵室横のポジションを確保。三笠桟橋 乗り物
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猿島へのフェリーは戦艦三笠の真横に停泊。
三笠の大きさ(133メートル)が良くわかります。
早く家を出発して、周辺も観光できるようにすればよかったなと、早くも計画を反省。
そんな中、船の出向時間となりました。 -
乗船時間は約10分とのことでしたが、あっという間に【猿島】が大きくなってきました。
猿島 自然・景勝地
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念願の【猿島】に上陸です。
猿島桟橋の看板には猿のシルエットが!
でも・・・猿は島には生息していません。では何故?猿島という名前??
それはあとでガイドさんの説明でわかりました。
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鎌倉時代に、日蓮上人が房総半島から鎌倉へ海路向かう途中、東京湾で嵐にあい、今の猿島に避難したところ、白い猿が現れ、島の安全な場所に案内したという言い伝えから、猿島と呼ばれるようになった。
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猿島桟橋の右側は夏季限定の海水浴場になるそうです。まだ海開き前、波打ち際で波と遊ぶ人や、砂浜でバーベキューを楽しむ多くの人がいらっしゃいました。
GWから夏にかけては多くの人が訪れる【猿島】です。 -
桟橋を渡り、猿島公園専門ガイド協会のガイドさんと合流して、いざ猿島見学!
はとバスツアーの方など、多くの方と一緒に上陸したので見学ポイントは大混雑。
まずは【海軍碑】を横目に、発電所を左手に黙々と坂を上ります。ああ、ここ写真で見た風景が~と思うも、ガイドさんの「あとから説明しますので先を急ぎましょう」の声でどんどん奥に進みます。
【海軍碑】・・・明治10年、明治政府により猿島が海軍省の管轄となり、海軍港の範囲が決められたことを示すものです。 -
猿島に上陸して、ウォーキング開始すぐに見えてくる建物が、電気燈機関舎です。
明治28年に竣工した石炭を燃料にした発電所で、関東大震災でも倒壊しなかった頑丈なつくりだそうです。
あとで説明をしますと言いつつ、ガイドさん、忘れてしまったのか時間がなかったのか、説明もなく終わってしまいました。
自宅に戻り、いただいたパンフレットを見ていたら、この建物は、フランス積みとは違うレンガの積み方がされていたりと、なかなか見るポイントがあった建物だったようで、残念。 -
旧要塞が立ち並ぶ切通し、向かって右側には兵舎や弾薬庫がありますが、その前には見学者がいっぱい。
ということで、向かって左側の方を見学。
手前にある穴、これなんだと思いますか?と聞かれて・・・
なんと!昔のトイレだったそうです。
明治時代、日本は列強に見くびられないようにと一生懸命頑張っていました。トイレ一つとっても、丁寧に。こういうところにも矜持がみえるようです。
でもどうやって使ったのだろうか?想像が膨らみます。
ちなみにトイレの後ろ、レンガの建物の内部は弾薬庫になっているそうです。 -
これもトイレ。
トイレをじっくり見学しつつ、トンネルを目指して歩きます。 -
日本で最古の総レンガ造りのトンネルです。
長さ90メートルもあり、トンネルの中には兵舎や弾薬庫が造られていて、その全貌は不明な点もあるとのこと。トンネル壁面の入り口からは中に入ることは出来ませんが、格子扉越しに二階建てになっていることがわかります。
今では「愛のトンネル」と呼ばれる必見スポットだそうで、この日も勇者やお姫様、悪魔に扮した皆様が撮影会をされていました。 -
トンネルはすべてレンガ積みで出来ています。
このレンガの積み方がフランス式です。明治の開国直後の日本は、フランスの影響が強く、猿島の軍事施設はそのフランスの影響が強い頃に建設が始まったため、フランス式の積み方になっているそうです。
時代が下がるにつれ、イギリスの影響が強くなり、レンガの積み方もイギリス式だったり、ドイツ式だったりと、変化していきます。そのため、日本に現存するフランス式レンガ積みの建物は4つしかないそうです。その一つが、この猿島の旧要塞施設です。
使われたレンガの色がバラバラなのも、当時は製品の質を均一にそろえることが難しく、産地によって色のばらつきが出てしまったことの表れだそうです。今になってみると、その色のばらつきがある種の美しさをこの建築物に与えていますね。
このトンネルは、要塞の特徴をしっかりそなえていて、敵が侵入してきた際に
出口がわからないように、傾斜がついています。そうなると普通は壁を覆うレンガも地面の傾斜に沿って斜めに積まれていくものですが、そこはこだわりなのか、斜頸を計算して水平に積まれているそうです。 -
人の手が長い間入っていなかったからこそこうして明治・昭和の痕跡が色濃く残っているとはいえ、至るところで風化は進んでいます。
日本の近代史については、つい最近のことと思いがちですが、意外と知られていない、大切にされていない=記録されていないことが多いのだと改めて思いました。 -
猿島の最高地点、標高メートルのところにある、頂上広場に立ちます。
目の前に見えるのは、横須賀米軍基地の建物群。
天気の良い澄んだ空気の時は富士山もみることが出来るそうです。 -
高台にはこうした砲台跡がいくつかあります。
江戸末期から、明治・昭和と、猿島が、東京湾要塞の一角を担っていたのだという証です。
猿島の砲台が実戦に使われたのは、終戦直前の横須賀空襲の時、ただ一度だけだったとのこと。多くの砲が時代遅れの性能になっていても、それでも敵から日本を守ろうとここで任務についていた人がいたのだと思うと感じることがあります。 -
切通し・レンガ造りのトンネルのところは、明治の建築物。明治時代の丁寧な建築技術をみてきました。
頂上広場の先にある砲台跡は、第二次世界大戦末期に作られたもの。
セメントに砂を混ぜてつくるコンクリートの中に、貝殻がたくさん混ざっています。
それだけ急ごしらえ、切羽詰まっていたのかなと思うと切なくなります。 -
スタート地点に戻ってきました。見学者が落ち着いてきているので、ゆっくりと兵舎・弾薬庫の見学をします。
今回猿島公園専門ガイド協会さんにガイドをお願いしました。
ガイドをお願いすると、普通は入れない兵舎と弾薬庫に入ることが出来ます。
兵舎前には、入り口の左右に窓が付けられています。(今は板でふさがれています)総レンガ造りで、内側は何重にも重ねられた漆喰で仕上げられています。このように漆喰を塗り重ねるのはとても高い技術を用し、現代では難しいのだそうです。 -
内部に入る時、ガイドさんから、「漆喰が厚く塗られているので、入る時洋服やカバンが触れると白くなるので注意してください」と声をかけられ、いざ中へ。
幅は5メートル、奥行きは15メートルほどで、ひんやりとした空間が広がっています。
この部屋にだいたい25名くらいの兵士が寝泊まりしていたそうで、同じような兵舎が4つあったことから、猿島には100名前後の兵士が常駐していたのではないかとのことでした。
漆喰の壁には至るところに落書きが・・・。
戦後、一般人に開放された頃に書かれたものだそうで、島の色々なところに恥ずかしい痕跡として残されています。(その当時人気の芸能人の名前などがあって、それもある意味時代を反映しているのかな?) -
塗られている漆喰の厚みと、その下に隠されているフランス積みレンガの構造がよくわかるところ。
(落書きもよくわかってしまう) -
兵舎と弾薬庫が置かれている切通しには、こうした階段が設けられていて、高台の砲台に上がることが出来ます。
平和な時だからこそ、宝島探検のようなワクワク感が感じられるけれど、江戸末期は、黒船来航、明治はロシア軍の脅威、そして昭和初期はアメリカ軍との本土決戦を想定と、ここにいた人は常に何かを守るために、生きてきたんだなと思わずにはいられません。 -
弾薬庫の中も見学することが出来ました。
弾薬庫は前後二つに分かれていて、それぞれ広さは20平方メートルほど。おかれていた弾薬は、一つが150kgくらいといわれました。
丁度大相撲夏場所が始まる時期、頭の中でお相撲さんの体重を想像しました。
ではこの弾薬庫に置かれた砲弾はどうやって、高台の砲台に持っていったのか?
その疑問に答えてくれる遺構が揚弾井(ようだんせい)です。
この写真は、揚弾井(ようだんせい)を下から仰ぎ見た写真です。
手前の弾薬庫のわきに作られ、井戸から水をくみ上げるように、滑車をつかい収納室に保管している砲弾を吊り上げるものです。
この弾薬庫の上には砲台が置かれていました。
150kgもの砲弾を人力で引き上げる、体力勝負です。 -
切通しを歩くと、レンガのところどころに銃弾の跡があります。
戦時中、猿島に敵兵が上陸して戦闘が発生したことはありません。
これは、終戦後、8月末に連合国軍(イギリス兵)による武装解除の一環で、猿島に上陸したイギリス兵が、隠れている日本兵がいないかどうか、確認するために発砲した痕跡だそうです。
良く見ると、無数の銃痕があります。 -
猿島は要塞と呼ばれるだけあって、見通しの悪い道の連続です。どこに兵士が隠れているのかわからない、イギリス人も用心に用心を重ねての上陸・武装解除だったのですね。
平和な時代とはいいますが、いまも地球のどこかでは戦闘が起こっています。
いま、こうして軍事遺産を見て、歩いて、追体験することで、平和の意味を改めて考えました。 -
あっという間の二時間、猿島ウォーキングでした。
本当はもっと見るべき場所もあったとは思いますが、今回はガイドさん任せの旅程。ガイドさんがいなかったらわからなかったこと、観られなかったこともありました。
満足して、猿島を後にしました。 -
次は季節を変えてこられたらいいなと思います。
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旅の〆は、こちらのジェラード
三笠桟橋から歩いていける、よこすかポートマーケット内にある横須賀ジェラードファクトリー。
フレーバーはパイナップル&ヨコスカチェリーチーズケーキ
チーズケーキのほのかな塩気とパイナップルの酸味が美味しかった^^よこすかポートマーケット お土産屋・直売所・特産品
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