2019/05/03 - 2019/05/03
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trat baldさん
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あれから15年の月日が経って令和元年になりました、大昔には三河鉄道の海線と呼ばれ知立~蒲郡を結ぶ電化路線でした。
ちなみに山線と呼ばれた区間は西中金~知立で知立駅がスイッチバック配線化前は一体運行でした。
現在の碧南方面への名古屋鉄道(以後名鉄)三河線は碧南が終点となり、その先の吉良吉田までは名鉄(フレンド)バスが運行されていますがルートは旧鉄道路線とはいささか違っています。
衣浦海底トンネルを介してセントレアと三河南部を繋ぐために造られた県道衣浦岡崎線を完成させるために愛知県が21億円の費用を掛けて県道を跨ぐ高架鉄道橋を名鉄にプレゼントしたのは平成10年の事でした。
ところが名鉄は赤字を理由に平成12年に路線廃止届けを出し、平成16年に廃線としました、僅か6年で巨大建造物は遺物になってしまいましたが、実は三河鉄道時代には電化されていた路線が平成2年には経費圧縮のためにディーゼル気動車(多分キハ30型)1両運行になっていました。
廃止路線の住所地である西尾市の人口が現在約17万人で碧南市が7万3千人です、廃止になった区間の駅名を碧南側から羅列すると・玉津浦・棚尾・三河旭・中畑・三河平坂・三河楠・寺津・西一色・三河一色・松木島・の10駅です。
それでは表題の碧南駅ロータリーから15年の時の流れをご覧下さい。
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- 徒歩 バイク
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現在の終点駅「碧南」です、走る電車は全てが普通電車です。
Ps.一つ北の碧南中央駅は昔に新須磨駅(神戸の須磨を真似た)として現在地の50m南に位置して西に100mの海岸線はうっそうとした松林に囲まれた海水浴場+潮干狩りポイントでした碧南駅 駅
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元の駅より1m程かさ上げされたので身障者用スロープが出来るみたい。
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名鉄電車のローカル線はこんな電車です、奥に見える車両は明朝用のストックです、単線を15分間隔で知立までの30分掛かって走ります。
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待機電車を予備腺に格納です、200m北の踏み切りを閉鎖して保線区員が4両編成の反対側の運転室に移動するので開かずの踏み切りになります。
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冒頭に紹介した「フレンドバス」です、一律200円で乗れます。
*碧南市自身も無料の市内循環バスを運行しています。 -
碧南名物 無料駐輪場は数百台のキャパです、碧南中央駅はここの倍は置けます!
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2~3年前から始まった駅舎更新工事でトイレも出来ました。
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ここから私的には残念な景色が続きます、これは北向きに撮った写真です、格納電車がチラリ。
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優しい碧南市は煮え湯を飲ませてくれた名鉄さんから跡地を購入!数億分の1だけど僕の払った税金が原資かな?
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碧南市は名鉄電車の所有していた路線土地の全てを購入して公園としました、その後に道路整備がされたので路線の復活は無理ですけどね。
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数Kmに亘るウォーキング公園のスタートです、トイレや自販機、休憩ベンチや日陰も有って小さなお子さん連れも遊びに来ます。
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コレって名鉄さんのプレゼントかしら?
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駅舎の有った部分は同系列で半田市に本社が有るタクシー会社の営業所になったけど路線部分は公園です。
伊勢湾台風(S34年)以前の玉津浦は左手に砂浜が広がっていました。 -
公園のトイレがきれいで紙も常備されて管理が行き届いているのは碧南の自慢かもしれない、、、、、
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旧棚尾駅前も海が目の前と云うか江戸時代に掘られた現在の矢作川(一級河川)の汽水域が目の前でした。
白線はここにレールが敷いてあった名残でしょう。 -
名鉄電車碧南部分廃止路線駅の最終地三河旭駅跡です。
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レールパークと呼ばれる公園の終点に当時のレールが敷いて有ります、極端に上がっています。
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農業用水路旭川を渡るために+先に有る矢作川のためにこの先は高架だったんです、聞こえはいいけどレンガを積み上げて土盛りをしただけの危なっかしいものでした、、、、
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矢作川右岸堤防に上がってきました、河口から4Km地点に踏切が設置されコンクリート製の鉄道橋が掛けられたのは昭和の初期だったそうです。
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単線でも地面を10mの高さにかさ上げするのにこれ程の幅が要るのですね、現代の高架橋技術ってスゴイね。
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舗装がされて道路も少しコンモリしてるのが分かります?15年前は自動車は通行出来ませんでした、バイクや自転車または人間のみが渡れましたが遮断機や警報機はナシでした。
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左岸堤防から碧南側を眺めます、鉄道橋の痕跡は一切有りません、当時の建設省にお借りした国有地ですから完全撤去です。
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線路の跡地にはソーラー発電所が出来ました、この後に上がる写真からも碧南市、西尾市、名古屋鉄道の思惑が見えてきそうです。
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旧中畑駅跡地は自動車部品製造工場の駐車場になりました。
推定2~300台が駐車できます、Mapで確認しても一部は道路なんですけど、、、、
県道から売店脇を通ってプラットホームの先まで道路が有ったしね。 -
三河平坂駅の駅前売店はタバコを売っている貴重なお店だったなぁ!
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たぶん電車が踏みしめてくれた土地は地盤が良いから人気の造成地になるのかしら?
日本全体なら人口減少&空き家対策でしょうが西三河に限れば雨後の竹の子状態です。 -
新旧の県道を跨ぐために石組みの高架が有りましたが奥の方に痕跡がチラリ。
当時に電車路が狭く感じたけど充分に住宅が建つだけの幅が有るんですね。 -
送電線の脇が線路でした、正面の新道に高架が掛かっていたので一番奥の家は有りませんでしたしこの道路も巾3mでスレ替わりやっとでした。
位置情報は高架の有った部分です。 -
旧楠村町北荒子に有った三河楠駅跡地に至っては痕跡は全く見つかりません、上記の道路がほぼ線路脇でここまで続いています。
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21億円がこんな感じで片側2車線の道路を跨いでいます、概要で紹介した通りで1998年~2004年の短かい運命でした。
これが残っているお陰で未来世代は電車が走っていた事を認識してくれるでしょう。 -
県道41号と303号の重複路線が後から出来たために不幸が起きました。
よもや1時間に1本の1両編成気動車のための踏み切りは作れないでしょう、道路を地下や高架にする選択肢が無かったみたい、、、、、 -
高架から100m西です、国道247号線が正面から来て左(南)に曲がっていきます。
西に向かって平坂入り江高架橋&矢作川大橋を経由して衣浦海底トンネルに繋がります。
国と県の道路行政判断の違いが興味深い場所です。 -
高架橋技術ってスゴイですね、昔の線路部分が舗装の区切りで分かりますよね。
当時は運行しながらの工事でしたから。 -
おぼろげな記憶で高架を降りた辺りで電車が停まった様な、、、、、ジモティのおじさんが畑仕事をしていたので聞いてみました。
そりゃぁ北寺津の信号を東に行った突き当たりだよ!ありがとさん(^o^) -
駅舎の跡どころかプラートホームの痕跡すらありません、15年の月日は長いね。
僕より若い60代のジモティだったけど車社会の田舎だから仕方ないか、、、、 -
ここで諦めたら物語が完成しない、、、、幸いバイクでの探索でしたから駐車には不便しません、しかもココまで田舎なら路線跡地は殆ど残っています。
歩き抜いた感じだったけど後からMapを見たらすぐ近くじゃん! -
手付かずで広大な跡地が有れば割りにスムーズに探せます、旧西一色駅前跡地です。
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再開発の見込みは無さそうですね、一色高校の生徒はフレンドバス以外は自転車が頼りでしょう。
写真には写しませんでしたが15年前に改装したであろう小奇麗な食堂兼駅前売店が力尽きて閉店の張り紙を出していました、、、、 -
三河一色駅跡を探すのは随分苦労しました、旧幡豆郡一色町は中央に一色排水路が走り古い町並みは排水路や線路に平行したり直角する道路が有りません。
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西三河の農協さんって結構一等地を押さえているのね!今気が付いても遅いけど駅前近辺には必ず有るのよ。
ここはJA西三河一色中央です、電車時代をも知っているけど貨車が走っていたのは昭和40年代までだった様な気がする、、、、 -
廃止駅の最後は松木島です、当時にリニューアルされたばかりだったので今でも訪問看護ステーションとして使われています。
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駅舎が新品になっても油断しちゃあいけないね、数年後には三河高浜~碧南の廃線探訪を送るかも?衣浦臨海鉄道の憂き目も有る事だし、、、、
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矢作古川の左岸堤防から上流を眺めます、ここは鉄橋でしたが見事に完全撤去です。
やっぱ21億円の恨みが有るかしら? -
ここもソーラー発電所に様変わりですが民有地部分では再開発が無ければ昔を偲べます。
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法律的な知識が無いけど廃線となると国や県、市などの自治体管理地では撤去を命令されるのかしら?
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西三河のワンダー吉良吉田駅に着きました、赤穂浪士の討ち入りでご存知でしょう吉良家の御領地が名前の由来です。
当時とは乗車システムが変わりましたが線路の構成は変わりません、西尾線・蒲郡線・廃線となった三河線を繋いでいました。吉良吉田駅 駅
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北に向かって伸びる線路が西尾線です、西尾から安城を経由して名鉄本線にアクセスしています。
GoogleMapでは蒲郡線も一体運行の様に描かれていますが吉良吉田駅が終着駅です。 -
その昔に蒲郡線と繋ぐために駅舎内の線路が北から東に直角カーブしています、そのためホームと電車は60cmほど離れてしまい幼児は自力で乗れません。
体重100Kgのおデブでもマジ落ちるよ! -
注意書きが有るけど脚が短いと跨いで乗れない!
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改札を抜けて左手に進むと西尾線です、柱の陰で見えないけど3番ホームが乗車位置になります。
*全て普通電車ですが西尾まで行けば日に1本の特急と30分おきの急行が有ります。 -
このオバサンは飛び乗らないと乗れない(^o^)
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見ての通りです、この駅で一旦降りて改札を抜けないと蒲郡方面には行けません。
各々が1時間に2本有って15分程度の余裕が乗り換え余裕が有ります。 -
これが2番線ホームです、前述で「昔は」としたのは蒲郡線は西尾線と同じく電化をしていますから1990年に三河線がディーゼル化(多分キハ30型)して電線を取っ払ったので2004年までは西尾線のホーム(推定4番)を使って乗降をしたはずです。
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1990年~2004年のディーゼル気動車(多分キハ30型)停車ホームはここでした、1990年以前は蒲郡発の電車は2番4番を交互に停車したかも?
三河線運行の蒲郡行きと西尾線運行の蒲郡行きがこの駅で繋がっていたかもね? -
なんか電車の発着解説みたいになっちゃったなぁ、、、、、
ついでにフレンドバスもいっちゃえ~!吉良吉田~碧南は早朝→夜まで概ね1時間1本、吉良高校へは行きが午前中のみで帰りは昼~夕方まで、碧南高校へは朝→夕方まで往復します(一色高校へも停車場有り)。 -
総人口21.3万人でも路線廃止は有ります、蒲郡線も2020年以降は未定です、豊田市でも近年は三河線の他に豊田線や愛知環状鉄道が有りますが昔には猿投~西中金が廃線の憂き目に遭っています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 一休さん 2019/05/08 05:35:46
- 思い出
- 僕が15歳の時集団就職で飯塚の田舎町から来たのが兄が働いていた碧南、あれから56年間今まで生きてこられたのは幸せ、ラッキーです。
ここでは働くだけで写真の碧南駅も知りません、行ったことなかったかも。
でも碧南と聞くだけで懐かしくなります。
trat baldさん、ありがとうございました。
一休
- trat baldさん からの返信 2019/05/08 08:16:51
- 怪我の功名?
以前のように一ヶ月単位でトラートに帰れないのは町内会長職を務めているからなんですけど結構フラストレーションが溜まるので自身の気晴らしでUPしてみました。
節約目的がメインですがAirAsiaを使ったり奥縄経由(ピーチ)を乗ったりで目先を変えて道中を楽しむように心がけています、10月のフライトは3月にセントレアに乗り入れたライオンエアーを使ってみます、去年の墜落事故で潰れない事を祈っています。
Ps.タァーオに一休さんのブログの見方を教えましたが一休さんの経済力に腰を抜かしたみたいでビビっています。
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