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閑静な高級住宅街 名古屋市瑞穂区山崎川近隣の台地に佇み、尾張の茶人たちに重宝されている公共貸茶席も兼ねる山荘です。1911(大正元)年から8年の歳月をかけて綿布商 伊東信一氏が築造した数寄屋風書院造の別荘であり、1936(昭和11)年に名古屋市に遺贈されました。<br />東山荘が佇む瑞穂区東部の丘陵は、樹木に包まれ、西にある名古屋台地から眺めると京都の東山連峰を彷彿とさせることから「名古屋の東山」と呼ばれていました。こうした立地の俗称も掛け合わせ、伊東家の山荘という意味も込めて信一氏が「東山荘(とうざんそう)」と命名しました。<br />1939(昭和14)年から市民に開放され、1943(昭和18)年以後は太平洋戦争の激化により公開が停止されたものの市長公舎として活用され、1968(昭和43)年に名古屋市の人口200万人突破記念事業として再び一般開放されました。国の登録有形文化財にも指定されています。<br /><br />名古屋市が東山荘を紹介しているサイトです。<br />http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000005705.html<br /><br />

芳葩爛漫 名古屋逍遥<前編>東山荘

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2019/04/04 - 2019/04/04

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

閑静な高級住宅街 名古屋市瑞穂区山崎川近隣の台地に佇み、尾張の茶人たちに重宝されている公共貸茶席も兼ねる山荘です。1911(大正元)年から8年の歳月をかけて綿布商 伊東信一氏が築造した数寄屋風書院造の別荘であり、1936(昭和11)年に名古屋市に遺贈されました。
東山荘が佇む瑞穂区東部の丘陵は、樹木に包まれ、西にある名古屋台地から眺めると京都の東山連峰を彷彿とさせることから「名古屋の東山」と呼ばれていました。こうした立地の俗称も掛け合わせ、伊東家の山荘という意味も込めて信一氏が「東山荘(とうざんそう)」と命名しました。
1939(昭和14)年から市民に開放され、1943(昭和18)年以後は太平洋戦争の激化により公開が停止されたものの市長公舎として活用され、1968(昭和43)年に名古屋市の人口200万人突破記念事業として再び一般開放されました。国の登録有形文化財にも指定されています。

名古屋市が東山荘を紹介しているサイトです。
http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000005705.html

旅行の満足度
5.0
観光
5.0

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  • 汐路桜ロード<br />桜も満開に近いとの情報があり、名古屋出張の際に早出して東山荘と山崎川を訪ねてみました。<br />山崎川へのアクセスは、地下鉄桜通線「瑞穂区役所」駅の①番出口からプロムナードとなる桜のトンネル「汐路桜ロード」を10分程歩きます。<br />目指す東山荘へは、山崎川に架かる石川大橋から5分強の距離になります。

    汐路桜ロード
    桜も満開に近いとの情報があり、名古屋出張の際に早出して東山荘と山崎川を訪ねてみました。
    山崎川へのアクセスは、地下鉄桜通線「瑞穂区役所」駅の①番出口からプロムナードとなる桜のトンネル「汐路桜ロード」を10分程歩きます。
    目指す東山荘へは、山崎川に架かる石川大橋から5分強の距離になります。

  • 汐路桜ロード<br />地下から上がると沿道は大混雑です。休日でもないのに早朝から「桜詣で」なのかと一瞬ビビりましたが、この行列は名古屋女子大学の入学式に向かう人たちのようです。沿道には夢と希望を抱いた「ピカピカの一年生」とそのお母さまたちが列をなしておられました。<br />日経新聞の記事によると、2016年春の大学入学者の保護者のうち、母親の67%、父親の29%が子供の入学式に出席したそうです。最近は入学式に合わせて保護者に就職活動の現状などを説明する大学が増えており、出席率が上昇する理由に挙げられています。入学と同時に卒業後のことを考える時代になっているのは、少々複雑な気持ちにさせられます。とは言え、子の将来を気にしているのは親だけなのでしょうね!「親の心子知らず」とは言い得て妙です。

    汐路桜ロード
    地下から上がると沿道は大混雑です。休日でもないのに早朝から「桜詣で」なのかと一瞬ビビりましたが、この行列は名古屋女子大学の入学式に向かう人たちのようです。沿道には夢と希望を抱いた「ピカピカの一年生」とそのお母さまたちが列をなしておられました。
    日経新聞の記事によると、2016年春の大学入学者の保護者のうち、母親の67%、父親の29%が子供の入学式に出席したそうです。最近は入学式に合わせて保護者に就職活動の現状などを説明する大学が増えており、出席率が上昇する理由に挙げられています。入学と同時に卒業後のことを考える時代になっているのは、少々複雑な気持ちにさせられます。とは言え、子の将来を気にしているのは親だけなのでしょうね!「親の心子知らず」とは言い得て妙です。

  • 汐路桜ロード<br />辿ってきた道を振り返ります。<br />「汐路桜ロード」は、1931(昭和6)年に南区瑞穂町の一部から成立した「汐路町」の一画に伸びています。町名は、当地を横切っていた「塩付街道」に因みます。町の中央を通る道路が区画整理によって塩付街道の替わりとして整備されたため、「塩」が「汐」に変わり、「街道」が「路」とされたものです。<br />塩付街道は、江戸時代に笠寺・星崎一帯で生産されていた「前浜塩」というブランド塩を足助を経由して長野方面に運搬するルートの一部として用いられていました。本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれています。

    汐路桜ロード
    辿ってきた道を振り返ります。
    「汐路桜ロード」は、1931(昭和6)年に南区瑞穂町の一部から成立した「汐路町」の一画に伸びています。町名は、当地を横切っていた「塩付街道」に因みます。町の中央を通る道路が区画整理によって塩付街道の替わりとして整備されたため、「塩」が「汐」に変わり、「街道」が「路」とされたものです。
    塩付街道は、江戸時代に笠寺・星崎一帯で生産されていた「前浜塩」というブランド塩を足助を経由して長野方面に運搬するルートの一部として用いられていました。本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれています。

  • 石川大橋<br />山崎川は名古屋の3大桜名所のひとつとして知られる存在です。<br />山崎川の「桜レポ」は後編でお届けいたします。

    石川大橋
    山崎川は名古屋の3大桜名所のひとつとして知られる存在です。
    山崎川の「桜レポ」は後編でお届けいたします。

  • 山崎川 石川大橋<br />下流に架けられた鼎橋(かなえはし)を望みます。

    山崎川 石川大橋
    下流に架けられた鼎橋(かなえはし)を望みます。

  • 山崎川 石川大橋<br />上流に架けられた向田橋(むかえだはし)方面を望みます。

    山崎川 石川大橋
    上流に架けられた向田橋(むかえだはし)方面を望みます。

  • 山崎川 石川大橋<br />山崎川は、かつて増水時には上流部の東部丘陵地帯(八事丘陵)の幾筋もの開析谷などから土砂や礫などが運ばれてきた経緯から「石川」と称されていました。<br />これが「石川大橋」やその上流の「石川橋」の名前の由来となっています。

    山崎川 石川大橋
    山崎川は、かつて増水時には上流部の東部丘陵地帯(八事丘陵)の幾筋もの開析谷などから土砂や礫などが運ばれてきた経緯から「石川」と称されていました。
    これが「石川大橋」やその上流の「石川橋」の名前の由来となっています。

  • 山崎川 石川大橋<br />水面に迫り出すように咲き誇る姿が風情を湛えます。<br />

    山崎川 石川大橋
    水面に迫り出すように咲き誇る姿が風情を湛えます。

  • 山崎川 石川大橋<br />全般的には7分咲きでしたが、一部は満開の箇所もありました。<br />今年は全国的に開花宣言以降の寒の戻りが長かったことから、花の中心部の色が咲き始めの緑黄色ものから散り始めの赤色のものまで、お互いに寄り添ってる姿がけなげです。

    山崎川 石川大橋
    全般的には7分咲きでしたが、一部は満開の箇所もありました。
    今年は全国的に開花宣言以降の寒の戻りが長かったことから、花の中心部の色が咲き始めの緑黄色ものから散り始めの赤色のものまで、お互いに寄り添ってる姿がけなげです。

  • 平松邸<br />石川大橋を渡って高台へ登って行くと、左手に黒塀のあるお屋敷が見えてきます。<br />東山荘に対峙するように段々になった雰囲気のある黒塀があるのは、栄・三越(オリエンタルビル株式会社)オーナーの平松氏の豪邸です。

    平松邸
    石川大橋を渡って高台へ登って行くと、左手に黒塀のあるお屋敷が見えてきます。
    東山荘に対峙するように段々になった雰囲気のある黒塀があるのは、栄・三越(オリエンタルビル株式会社)オーナーの平松氏の豪邸です。

  • 平松邸<br />オリエンタルビル株式会社を創業者したのは、往時は珍しい女性経営者 平松さわさんでした。夫が営む商店は鶏の飼料を販売していましたが、夫の死去によりさわさんが切り盛りすることになりました。そして、飼料の輸入先を中国や朝鮮から満州に替えるなどで事業規模を拡大しました。しかし、軍の要請で大量に食料品を調達した矢先、引き渡し前に終戦を迎えて代金が回収できず、在庫を抱えました。それでも苦境をもろともせず、在庫のニシンやスルメ等を使って佃煮を販売しました。また、鶏の卵も取扱い、大当たりをして財をなしました。 <br />次に着目したのが空襲で焼け野原となった名古屋の「土地」でした。栄町の一等地を手にしたのが昭和21年、そこに2階建の洋館「ヤマトホテル」を建てました。部屋数は40室程と小規模なホテルでしたが、往時唯一のホテルであった名古屋観光ホテルが米軍に接収されていた経緯もあり繁盛したようです。その後も紆余曲折を経て、昭和27年にオリエンタルビル株式会社の設立登記を行いました。<br />因みに、社名の由来は、「これからはカタカナがかっこいい、オリエンタルと付けて潰れた会社はない」という発想からで、深い意味はないそうです。<br />当方が愛知県に住んでいた頃は、「オリエンタル中村」という百貨店の屋上遊園地にお世話になりました。

    平松邸
    オリエンタルビル株式会社を創業者したのは、往時は珍しい女性経営者 平松さわさんでした。夫が営む商店は鶏の飼料を販売していましたが、夫の死去によりさわさんが切り盛りすることになりました。そして、飼料の輸入先を中国や朝鮮から満州に替えるなどで事業規模を拡大しました。しかし、軍の要請で大量に食料品を調達した矢先、引き渡し前に終戦を迎えて代金が回収できず、在庫を抱えました。それでも苦境をもろともせず、在庫のニシンやスルメ等を使って佃煮を販売しました。また、鶏の卵も取扱い、大当たりをして財をなしました。
    次に着目したのが空襲で焼け野原となった名古屋の「土地」でした。栄町の一等地を手にしたのが昭和21年、そこに2階建の洋館「ヤマトホテル」を建てました。部屋数は40室程と小規模なホテルでしたが、往時唯一のホテルであった名古屋観光ホテルが米軍に接収されていた経緯もあり繁盛したようです。その後も紆余曲折を経て、昭和27年にオリエンタルビル株式会社の設立登記を行いました。
    因みに、社名の由来は、「これからはカタカナがかっこいい、オリエンタルと付けて潰れた会社はない」という発想からで、深い意味はないそうです。
    当方が愛知県に住んでいた頃は、「オリエンタル中村」という百貨店の屋上遊園地にお世話になりました。

  • 東山荘 正門<br />敷地面積3600坪と言う広大な山荘ですが、建物や庭園、周囲の自然林も含め、敷地一帯が創建時のまま残されている貴重な遺産です。茅葺門を潜ると、広大な自然樹林の敷地を借景に風雅な数寄屋風書院造の建物がたおやかな景観を呈します。庭園は、自然回遊式林泉庭園の形式を持ち、玄関前庭、書院庭園、仰西庵露地、東丘庵露地の4庭とそれらを囲む自然樹林からなります。

    東山荘 正門
    敷地面積3600坪と言う広大な山荘ですが、建物や庭園、周囲の自然林も含め、敷地一帯が創建時のまま残されている貴重な遺産です。茅葺門を潜ると、広大な自然樹林の敷地を借景に風雅な数寄屋風書院造の建物がたおやかな景観を呈します。庭園は、自然回遊式林泉庭園の形式を持ち、玄関前庭、書院庭園、仰西庵露地、東丘庵露地の4庭とそれらを囲む自然樹林からなります。

  • 東山荘 正門<br />重厚な入母屋茅葺屋根を載せた四阿風の門構えと銅板葺屋根を持つ両翼の塀が、風情を湛えています。<br />一見、裏千家の門構を彷彿とさせます。

    東山荘 正門
    重厚な入母屋茅葺屋根を載せた四阿風の門構えと銅板葺屋根を持つ両翼の塀が、風情を湛えています。
    一見、裏千家の門構を彷彿とさせます。

  • 東山荘 正門<br />扁額には「東山荘」とあります。<br />左右に伸びる塀は、腰高に拉竹(ひしきだけ)を詰張りしています。

    東山荘 正門
    扁額には「東山荘」とあります。
    左右に伸びる塀は、腰高に拉竹(ひしきだけ)を詰張りしています。

  • 東山荘 塀<br />漆喰塗の小壁に横長の窓を透かしています。

    東山荘 塀
    漆喰塗の小壁に横長の窓を透かしています。

  • 東山荘 正門<br />門扉には名栗の角材を詰め打ちしており、野趣に溢れています。

    東山荘 正門
    門扉には名栗の角材を詰め打ちしており、野趣に溢れています。

  • 東山荘 正門<br />門扉の欄間には、伊東家の家紋「五三桐紋」を刻んでいます。

    東山荘 正門
    門扉の欄間には、伊東家の家紋「五三桐紋」を刻んでいます。

  • 東山荘 正門<br />本柱と控柱に節付の北山小丸太を用い、丸太垂木を扇形に配し、間垂木は白竹とするなど小粋です。その上には葦を詰め打ちし、天井は矢羽根網代で仕上げています。

    東山荘 正門
    本柱と控柱に節付の北山小丸太を用い、丸太垂木を扇形に配し、間垂木は白竹とするなど小粋です。その上には葦を詰め打ちし、天井は矢羽根網代で仕上げています。

  • 東山荘 正門<br />正門までのアプローチは切石ですが、門下は荒々しい天然石を敷いています。<br />

    東山荘 正門
    正門までのアプローチは切石ですが、門下は荒々しい天然石を敷いています。

  • 東山荘 正門<br />本日は野点の市民茶会が催されるようで、その準備が行われています。<br />

    東山荘 正門
    本日は野点の市民茶会が催されるようで、その準備が行われています。

  • 東山荘 <br />リーフレットにあるマップです。

    東山荘
    リーフレットにあるマップです。

  • 東山荘 <br />建物の位置関係が判り易いように間取図を添えておきます。<br />上のマップとは方位が異なり、正門があるのは下方になります。<br /><br />この間取図は次のサイトから引用いたしました。<br />http://www.mc.ccnw.ne.jp/nagoya-taikan/image/touzansou/mitorizu.gif

    東山荘
    建物の位置関係が判り易いように間取図を添えておきます。
    上のマップとは方位が異なり、正門があるのは下方になります。

    この間取図は次のサイトから引用いたしました。
    http://www.mc.ccnw.ne.jp/nagoya-taikan/image/touzansou/mitorizu.gif

  • 東山荘 <br />紅白の幕が掛けられている所が内玄関で、その奥に事務所があります。<br />庭園の拝観は無料ですが、事務所に一声かけてから巡ります。

    東山荘
    紅白の幕が掛けられている所が内玄関で、その奥に事務所があります。
    庭園の拝観は無料ですが、事務所に一声かけてから巡ります。

  • 東山荘 正門 <br />正門を振り返ると、背丈の高い竹と枝ぶりの整った松を両脇に従えた堂々たる威容です。<br />正門から本玄関までは砂利敷きの広場になっており、かつては園遊会などに使われたそうです。

    東山荘 正門
    正門を振り返ると、背丈の高い竹と枝ぶりの整った松を両脇に従えた堂々たる威容です。
    正門から本玄関までは砂利敷きの広場になっており、かつては園遊会などに使われたそうです。

  • 東山荘 前館<br />このように妻の連なる複雑な屋根の造作は、和風建築の真骨頂と言えます。<br />

    東山荘 前館
    このように妻の連なる複雑な屋根の造作は、和風建築の真骨頂と言えます。

  • 東山荘 本玄関<br />格子戸に格子欄間の設えです。<br />

    東山荘 本玄関
    格子戸に格子欄間の設えです。

  • 東山荘 棟札<br />近年発見された棟札から、東山荘の棟梁は安井?太郎、 副棟梁は鈴木源四郎、左官は大岩勝太郎、 日雇頭は祖父江松次郎と判明したそうです。<br />棟梁の名前は、崩し文字のため「かねへんに表」なのか「鋳」なのか読み取れません。<br /><br />この画像については、名古屋市役所 文化振興室から提供していただきました。

    東山荘 棟札
    近年発見された棟札から、東山荘の棟梁は安井?太郎、 副棟梁は鈴木源四郎、左官は大岩勝太郎、 日雇頭は祖父江松次郎と判明したそうです。
    棟梁の名前は、崩し文字のため「かねへんに表」なのか「鋳」なのか読み取れません。

    この画像については、名古屋市役所 文化振興室から提供していただきました。

  • 東山荘 本玄関 鬼瓦<br />立体的な菊花が印象的です。<br />

    東山荘 本玄関 鬼瓦
    立体的な菊花が印象的です。

  • 東山荘 本玄関 隅瓦<br />大筋の意匠は鬼瓦と同じです。

    東山荘 本玄関 隅瓦
    大筋の意匠は鬼瓦と同じです。

  • 東山荘 前館<br />風呂場でしょうか、屋根に煙突が見られます。<br />明治~大正時代にかけ、各地に紡績工場や織物工場が稼働し、名古屋港では綿花を輸入し綿布を輸出する額が上位を占めていました。中区鉄砲町で綿布を取扱い財をなした伊東信一氏は、山崎川の河畔に12000㎡の山林を買い、地形を活かした自然回遊式林泉庭園や茶人の粋を凝らした160坪ある山荘を建てました。<br />因みに、信一氏は、名古屋綿糸布取引所の理事を務められた人物でもあります。

    東山荘 前館
    風呂場でしょうか、屋根に煙突が見られます。
    明治~大正時代にかけ、各地に紡績工場や織物工場が稼働し、名古屋港では綿花を輸入し綿布を輸出する額が上位を占めていました。中区鉄砲町で綿布を取扱い財をなした伊東信一氏は、山崎川の河畔に12000㎡の山林を買い、地形を活かした自然回遊式林泉庭園や茶人の粋を凝らした160坪ある山荘を建てました。
    因みに、信一氏は、名古屋綿糸布取引所の理事を務められた人物でもあります。

  • 東山荘 本玄関<br />玄関の手前に飾られている生け花です。

    東山荘 本玄関
    玄関の手前に飾られている生け花です。

  • 東山荘 本玄関 <br />白い花は「利休梅」といい、バラ科ヤナギザクラ属の落葉低木です。<br />中国の揚子江下流域を原産とし、明治時代末期に日本へ渡来しました。 渡来した時の和名は梅咲空木(ウメザキウツギ)でした。<br />花言葉は「控えめな美しさ」。

    東山荘 本玄関
    白い花は「利休梅」といい、バラ科ヤナギザクラ属の落葉低木です。
    中国の揚子江下流域を原産とし、明治時代末期に日本へ渡来しました。 渡来した時の和名は梅咲空木(ウメザキウツギ)でした。
    花言葉は「控えめな美しさ」。

  • 東山荘 庭門<br />母屋の南側(左側)に隣接して建ち、前庭と庭園を仕切り、庭園へのアプローチを演出しています。<br />飛石があるのは最初の7段だけであり、野趣溢れる庭園を自由に散策できます。

    東山荘 庭門
    母屋の南側(左側)に隣接して建ち、前庭と庭園を仕切り、庭園へのアプローチを演出しています。
    飛石があるのは最初の7段だけであり、野趣溢れる庭園を自由に散策できます。

  • 東山荘 庭門<br />塀は、正門と同様に腰高に拉竹を詰張りしています。<br />横長の透かし小窓の意匠も正門と統一されています。

    東山荘 庭門
    塀は、正門と同様に腰高に拉竹を詰張りしています。
    横長の透かし小窓の意匠も正門と統一されています。

  • 東山荘 庭門<br />庭園側から振り返った様子です。

    東山荘 庭門
    庭園側から振り返った様子です。

  • 東山荘 前館 第三和室<br />伊東信一氏が茶道の好みを活かして雁行形に造営した数奇屋風書院造です。<br />母屋は、前館と中館、後館からなり、和洋室並置、数寄屋風洋館など時代に先駆けた要素が窺え、また、随所に数寄屋風の意匠を駆使した茶室を設けています。大正期の創建ですが、明治期の住宅建築様式を配した箇所も見られ、安井棟梁の先取の気概が窺えます。

    東山荘 前館 第三和室
    伊東信一氏が茶道の好みを活かして雁行形に造営した数奇屋風書院造です。
    母屋は、前館と中館、後館からなり、和洋室並置、数寄屋風洋館など時代に先駆けた要素が窺え、また、随所に数寄屋風の意匠を駆使した茶室を設けています。大正期の創建ですが、明治期の住宅建築様式を配した箇所も見られ、安井棟梁の先取の気概が窺えます。

  • 東山荘 前館 第三和室 <br />欄間の意匠は櫛を彷彿とさせます。<br />庇の梁と柱は北山小丸太で味わいを添えています。<br />また、和室ながら下地窓を設え、縦横2本ずつ小枝を配しています。<br />この前館には数寄屋風の洋室もあり、内部は和・洋室共に充実した空間が広がっているそうです。

    東山荘 前館 第三和室
    欄間の意匠は櫛を彷彿とさせます。
    庇の梁と柱は北山小丸太で味わいを添えています。
    また、和室ながら下地窓を設え、縦横2本ずつ小枝を配しています。
    この前館には数寄屋風の洋室もあり、内部は和・洋室共に充実した空間が広がっているそうです。

  • 東山荘 前館 第三和室<br />化粧軒裏は3寸勾配、瓦屋根は4寸勾配とし、その勾配の差を巧みに処理した破風板の造作が見事です。

    東山荘 前館 第三和室
    化粧軒裏は3寸勾配、瓦屋根は4寸勾配とし、その勾配の差を巧みに処理した破風板の造作が見事です。

  • 東山荘 前館 第三和室 <br />ドウダンツツジは、まだ固い蕾の状態です。<br />間もなく白い可憐な花を咲かせることでしょう。<br />

    東山荘 前館 第三和室
    ドウダンツツジは、まだ固い蕾の状態です。
    間もなく白い可憐な花を咲かせることでしょう。

  • 東山荘 中館(書院)<br />書院は第一和室と控室を備えています。<br />

    東山荘 中館(書院)
    書院は第一和室と控室を備えています。

  • 東山荘 書院前庭<br />書院の前庭には、樹木に隠れて大蹲踞が見られます。

    東山荘 書院前庭
    書院の前庭には、樹木に隠れて大蹲踞が見られます。

  • 東山荘 書院前庭 <br />樹木に隠れてしまっていますが、笠の背が高いのが蓮華寺型燈籠のユニークなところです。

    東山荘 書院前庭
    樹木に隠れてしまっていますが、笠の背が高いのが蓮華寺型燈籠のユニークなところです。

  • 東山荘 園路<br />園路の傍らに井戸らしきものが見られます。<br />面白いのは、石枠が「井」の字になっていることです。<br />

    東山荘 園路
    園路の傍らに井戸らしきものが見られます。
    面白いのは、石枠が「井」の字になっていることです。

  • 東山荘 書院前庭<br />一般公開されており、かつ庭園と併せて保存状態が良好な戦前の数寄屋風建築は、名古屋市内ではこの東山荘と千種区にある爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)しかないそうです。<br />

    東山荘 書院前庭
    一般公開されており、かつ庭園と併せて保存状態が良好な戦前の数寄屋風建築は、名古屋市内ではこの東山荘と千種区にある爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)しかないそうです。

  • 東山荘 <br />中園には巨大な春日燈籠があります。

    東山荘
    中園には巨大な春日燈籠があります。

  • 東山荘 書院<br />木立の隙間から書院を望みます。<br />書院の廊下の先には、枯山水の定番通りに白砂で砂紋も描かれています。

    東山荘 書院
    木立の隙間から書院を望みます。
    書院の廊下の先には、枯山水の定番通りに白砂で砂紋も描かれています。

  • 東山荘 <br />右が書院、左が2階建の後館です。

    東山荘
    右が書院、左が2階建の後館です。

  • 東山荘 書院前庭<br />笠の一部が欠けてしまっていますが、こちらも春日燈籠です。<br />中台には「もみじの葉」が浮き彫りされています。<br /><br />

    東山荘 書院前庭
    笠の一部が欠けてしまっていますが、こちらも春日燈籠です。
    中台には「もみじの葉」が浮き彫りされています。

  • 東山荘 書院前庭<br />前庭が枯山水になっていることがよく判ります。<br />正面に見えるのが前館です。

    東山荘 書院前庭
    前庭が枯山水になっていることがよく判ります。
    正面に見えるのが前館です。

  • 東山荘 書院前庭<br />さきほどの蓮華寺型燈籠が樹木の陰からちらりと覗けます。<br />6角形をした急勾配で長めの笠が取り付けられているのが特徴的な燈籠です。請花の上に宝珠を載せ、笠は九段の葺地を表した瓦葺屋根式です。江戸時代の茶人に好かれた型の燈籠だったことから、書院の前庭に置かれたのでしょう。緑の中に佇む姿は、粋な風情を創りだしています。

    東山荘 書院前庭
    さきほどの蓮華寺型燈籠が樹木の陰からちらりと覗けます。
    6角形をした急勾配で長めの笠が取り付けられているのが特徴的な燈籠です。請花の上に宝珠を載せ、笠は九段の葺地を表した瓦葺屋根式です。江戸時代の茶人に好かれた型の燈籠だったことから、書院の前庭に置かれたのでしょう。緑の中に佇む姿は、粋な風情を創りだしています。

  • 東山荘 書院前庭<br />書院の近くにも大きな蹲踞の近くに背丈の低い織部燈籠(キリシタン燈籠)が見られます。鉢明かり用の燈籠でしょうか?<br />織部燈籠は桃山時代の茶人古田織部が考案したものだそうで、そこから織部型の名が出たとされます。織部型の竿を変型十字架、竿下方に彫ってある立像を宣教師像と見ることでキリシタンの信仰物として考案されたものだとも言われています。

    東山荘 書院前庭
    書院の近くにも大きな蹲踞の近くに背丈の低い織部燈籠(キリシタン燈籠)が見られます。鉢明かり用の燈籠でしょうか?
    織部燈籠は桃山時代の茶人古田織部が考案したものだそうで、そこから織部型の名が出たとされます。織部型の竿を変型十字架、竿下方に彫ってある立像を宣教師像と見ることでキリシタンの信仰物として考案されたものだとも言われています。

  • 東山荘 後館<br />後館は起伏のある敷地に建てられおり、ここだけ2階建になっており、高欄を廻らした回廊部には懸崖造風の柱や梁構造が見られます。

    東山荘 後館
    後館は起伏のある敷地に建てられおり、ここだけ2階建になっており、高欄を廻らした回廊部には懸崖造風の柱や梁構造が見られます。

  • 東山荘 後館 第二和室<br />高欄を付けた回廊越しに見る枯山水庭園は見事でしょうね?<br />

    東山荘 後館 第二和室
    高欄を付けた回廊越しに見る枯山水庭園は見事でしょうね?

  • 東山荘 後館 第二和室<br />回廊の直下は一段と低くなっており、池を模しているようです。

    東山荘 後館 第二和室
    回廊の直下は一段と低くなっており、池を模しているようです。

  • 東山荘 書院前庭<br />池へと流れ下る渓流を模した枯山水の造作です。<br />陰った様子が深山幽谷を彷彿とさせます。

    東山荘 書院前庭
    池へと流れ下る渓流を模した枯山水の造作です。
    陰った様子が深山幽谷を彷彿とさせます。

  • 東山荘 後館 <br />池泉には黒っぽい天然石の石橋が架けられています。

    東山荘 後館
    池泉には黒っぽい天然石の石橋が架けられています。

  • 東山荘 後館 仰西庵(こうさいあん)<br />石橋を渡ると茶室「仰西庵」の正面に至ります。<br />仰西庵の上に載るのが小間です。その右隣が第二和室です。

    東山荘 後館 仰西庵(こうさいあん)
    石橋を渡ると茶室「仰西庵」の正面に至ります。
    仰西庵の上に載るのが小間です。その右隣が第二和室です。

  • 東山荘 後館<br />仰西庵の背後に聳え立つのは、茶室とは場違いな洋館です。<br />実は、元号が大正から昭和へと変遷する中で洋風化しつつある建築様式の変遷も垣間見られるのが東山荘の醍醐味でもあります。<br />拘りの数寄屋空間が占める東山荘の中にあって赤瓦の洋館は異質の存在ですが、これは後世の増築です。

    東山荘 後館
    仰西庵の背後に聳え立つのは、茶室とは場違いな洋館です。
    実は、元号が大正から昭和へと変遷する中で洋風化しつつある建築様式の変遷も垣間見られるのが東山荘の醍醐味でもあります。
    拘りの数寄屋空間が占める東山荘の中にあって赤瓦の洋館は異質の存在ですが、これは後世の増築です。

  • 東山荘 後館<br />扁額「仰西庵」。<br />方角的に西を仰ぎ見ることから名付けられたのでしょうか?

    東山荘 後館
    扁額「仰西庵」。
    方角的に西を仰ぎ見ることから名付けられたのでしょうか?

  • 東山荘 後館 仰西庵露地<br />仰西庵の手前には蹲踞の鉢明りとして燈籠が佇みます。

    東山荘 後館 仰西庵露地
    仰西庵の手前には蹲踞の鉢明りとして燈籠が佇みます。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />待合いへの入口です。<br />欄間から明かりが漏れている所が茶室「仰西庵」です。<br />待合いへの入口の枠には湾曲した天然木が用いられ、侘び寂びの境地です。

    東山荘 後館 仰西庵
    待合いへの入口です。
    欄間から明かりが漏れている所が茶室「仰西庵」です。
    待合いへの入口の枠には湾曲した天然木が用いられ、侘び寂びの境地です。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />待合いへの導線は味のある飛石に近い、自然石を敷き詰めた「草の延段」です。

    東山荘 後館 仰西庵
    待合いへの導線は味のある飛石に近い、自然石を敷き詰めた「草の延段」です。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />待合いには、円窓と燈籠があります。<br />円窓は、水屋への明かり取りでしょうか?

    東山荘 後館 仰西庵
    待合いには、円窓と燈籠があります。
    円窓は、水屋への明かり取りでしょうか?

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />待合いにも粋な飛石が配され、その奥に躙口が開かれています。

    東山荘 後館 仰西庵
    待合いにも粋な飛石が配され、その奥に躙口が開かれています。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />瓦屋根の下に化粧軒裏を重ねています。<br />

    東山荘 後館 仰西庵
    瓦屋根の下に化粧軒裏を重ねています。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />3畳台目2畳(=4.5畳)の佇まいです。<br />正面に沓脱石があることから、ここからも直接出入りできるようです。<br />化粧軒裏には、北山小丸太を梁と柱に用いています。

    東山荘 後館 仰西庵
    3畳台目2畳(=4.5畳)の佇まいです。
    正面に沓脱石があることから、ここからも直接出入りできるようです。
    化粧軒裏には、北山小丸太を梁と柱に用いています。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />簡素な化粧軒裏ですが、竹や小枝を巧みに使っています。

    東山荘 後館 仰西庵
    簡素な化粧軒裏ですが、竹や小枝を巧みに使っています。

  • 東山荘 後館 仰西庵<br />待合いの窓には引き上げ戸が嵌め込まれ、待合いの上が第二洋室になります。

    東山荘 後館 仰西庵
    待合いの窓には引き上げ戸が嵌め込まれ、待合いの上が第二洋室になります。

  • 東山荘 後館 第二洋室<br />このように数寄屋の上に洋館を背負う改築を安井棟梁はどのような気持ちで受け止めていたことでしょう。<br />数寄屋に洋間を配した棟梁ですから、決してネガティブではなく、時代の魁とポジティブに受け止めて目を細めていたに違いありません。

    東山荘 後館 第二洋室
    このように数寄屋の上に洋館を背負う改築を安井棟梁はどのような気持ちで受け止めていたことでしょう。
    数寄屋に洋間を配した棟梁ですから、決してネガティブではなく、時代の魁とポジティブに受け止めて目を細めていたに違いありません。

  • 東山荘 後館 第二洋室<br />手前にある赤壁の平屋には下地窓が設えられています。<br />外観は茶室にしか見えないのですが、実はトイレです。

    東山荘 後館 第二洋室
    手前にある赤壁の平屋には下地窓が設えられています。
    外観は茶室にしか見えないのですが、実はトイレです。

  • 東山荘 後館 第二洋室<br />ここからでは判りませんが、洋館だけは赤瓦になっています。<br />書院の前庭から撮った写真には、黒瓦に混ざって赤瓦屋根が見られます。

    東山荘 後館 第二洋室
    ここからでは判りませんが、洋館だけは赤瓦になっています。
    書院の前庭から撮った写真には、黒瓦に混ざって赤瓦屋根が見られます。

  • 東山荘 後館 第二洋室<br />内部は、窓の上部に小粋なステンドグラスを嵌め込み、カーテンレールや漆喰塗の天井などに凝った造作が見られるそうです。

    東山荘 後館 第二洋室
    内部は、窓の上部に小粋なステンドグラスを嵌め込み、カーテンレールや漆喰塗の天井などに凝った造作が見られるそうです。

  • 東山荘 書院 第一和室<br />第一和室の裏手に設けられた下地窓の造作も凝っています。<br />隣接する各縦・横の小枝の数を違えて配しています。

    東山荘 書院 第一和室
    第一和室の裏手に設けられた下地窓の造作も凝っています。
    隣接する各縦・横の小枝の数を違えて配しています。

  • 東山荘 書院 東丘庵(とうきゅうあん)露地<br />東丘庵は書院に付属した茶室です。<br />内部は6畳間ですが、原叟床があるため実質5畳になります。<br />ここの露地にも、蹲踞とその鉢明かりとなる春日燈籠が配されています。

    東山荘 書院 東丘庵(とうきゅうあん)露地
    東丘庵は書院に付属した茶室です。
    内部は6畳間ですが、原叟床があるため実質5畳になります。
    ここの露地にも、蹲踞とその鉢明かりとなる春日燈籠が配されています。

  • 東山荘 玄関奥の間<br />玄関奥の間は3畳台目2畳で、北側の窓には高欄を付けた濡縁が設けられ、格調高い空間に仕上げています。<br />

    東山荘 玄関奥の間
    玄関奥の間は3畳台目2畳で、北側の窓には高欄を付けた濡縁が設けられ、格調高い空間に仕上げています。

  • 東山荘 玄関奥の間<br />この「狭き門」が庭園からの出口になり、門を潜った先が本玄関です。<br />しかし、池泉の滝組を見逃したため引き返します。

    東山荘 玄関奥の間
    この「狭き門」が庭園からの出口になり、門を潜った先が本玄関です。
    しかし、池泉の滝組を見逃したため引き返します。

  • 東山荘 中園<br />仰西庵の正面の坂を少し下ると、切石を用いた趣のある石橋が架けられています。

    東山荘 中園
    仰西庵の正面の坂を少し下ると、切石を用いた趣のある石橋が架けられています。

  • 東山荘 中園 大滝<br />ダイナミックな大滝の石組です。木杭は崩壊を防ぐためのものでしょうか?<br />高低差ある広大な山荘で、風雅な建物や自然豊かな庭園、枯山水の滝、池泉の石橋など飽きさせることがありません。

    東山荘 中園 大滝
    ダイナミックな大滝の石組です。木杭は崩壊を防ぐためのものでしょうか?
    高低差ある広大な山荘で、風雅な建物や自然豊かな庭園、枯山水の滝、池泉の石橋など飽きさせることがありません。

  • 東山荘 中園<br />築山の傍らには笠の広い雪見燈籠が佇みます。<br />熱田神宮の北神池の畔に佇む茶席「清雪庵」は、かつて東山荘の仰西庵の西側にある滝組の上部にあったものを1948(昭和23)年に移築したものです。<br />「仰西庵」も「東丘庵」も遊びの多い茶室のようですので、本格的な茶席は「清雪庵」で催されていたのかもしれません。<br />清雪庵の画像は、以下の熱田神宮のHPで見ることができます。<br />https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/facilities/chaseki.html

    東山荘 中園
    築山の傍らには笠の広い雪見燈籠が佇みます。
    熱田神宮の北神池の畔に佇む茶席「清雪庵」は、かつて東山荘の仰西庵の西側にある滝組の上部にあったものを1948(昭和23)年に移築したものです。
    「仰西庵」も「東丘庵」も遊びの多い茶室のようですので、本格的な茶席は「清雪庵」で催されていたのかもしれません。
    清雪庵の画像は、以下の熱田神宮のHPで見ることができます。
    https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/facilities/chaseki.html

  • 東山荘 中園<br />竿の部位が半分ほど埋もれてしまった春日燈籠です。<br />豪雨などにより、土砂が上部から流されてきているのかもしれません。<br />大事に至る前に、管理している公益財団法人名古屋市文化振興事業団には改修をお願いしたいものです。

    東山荘 中園
    竿の部位が半分ほど埋もれてしまった春日燈籠です。
    豪雨などにより、土砂が上部から流されてきているのかもしれません。
    大事に至る前に、管理している公益財団法人名古屋市文化振興事業団には改修をお願いしたいものです。

  • 東山荘 中園 石橋<br />こちらも切石を架けた石橋です。<br />竹製の手摺が風雅です。<br />

    東山荘 中園 石橋
    こちらも切石を架けた石橋です。
    竹製の手摺が風雅です。

  • 東山荘 中園<br />母屋の北側にある中園には石造の鳥居があります。<br />立入ることはできませんが、鳥居の奥には祠の跡らしき台座が見られます。

    東山荘 中園
    母屋の北側にある中園には石造の鳥居があります。
    立入ることはできませんが、鳥居の奥には祠の跡らしき台座が見られます。

  • 東山荘 利休梅<br />四阿に隣接する庭園では、利休梅が今を盛りと咲き誇っています。<br />藤棚は「白藤」だそうです。

    東山荘 利休梅
    四阿に隣接する庭園では、利休梅が今を盛りと咲き誇っています。
    藤棚は「白藤」だそうです。

  • 東山荘 利休梅<br />開花は4~6月で、主張し過ぎない清楚な花が茶人に好まれ、茶庭に使われることが多いそうです。<br />名前は侘茶の完成者 千利休に因んだ命名ですが、千利休は安土桃山時代の人物ですのでこの花を知る由もありません。名の由来は、この花が咲くのが利休の命日の頃だからです。<br />因みに、利休は1591年2月28日に豊臣秀吉の命により切腹したため、その1ヶ月後れを命日としています。そのため、表千家では3月27日、裏千家では3月28日に利休忌を行い、追善の茶会を行います。「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるようです。1591年は4で割り切れないので「うるう年」でもないのですが…。利休の肖像画も表千家では座像、裏千家では立像だそうです。<br /><br />この続きは、芳葩爛漫 名古屋逍遥<後編>山崎川でお届けいたします。

    東山荘 利休梅
    開花は4~6月で、主張し過ぎない清楚な花が茶人に好まれ、茶庭に使われることが多いそうです。
    名前は侘茶の完成者 千利休に因んだ命名ですが、千利休は安土桃山時代の人物ですのでこの花を知る由もありません。名の由来は、この花が咲くのが利休の命日の頃だからです。
    因みに、利休は1591年2月28日に豊臣秀吉の命により切腹したため、その1ヶ月後れを命日としています。そのため、表千家では3月27日、裏千家では3月28日に利休忌を行い、追善の茶会を行います。「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるようです。1591年は4で割り切れないので「うるう年」でもないのですが…。利休の肖像画も表千家では座像、裏千家では立像だそうです。

    この続きは、芳葩爛漫 名古屋逍遥<後編>山崎川でお届けいたします。

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