2019/04/01 - 2019/04/01
71位(同エリア156件中)
愛吉さん
午前に続き成城の街歩きです。
午後は崖線の下迄足を延ばし、古社寺を中心に世田谷の文化遺産を回ります。
昭和の始めまで、ここら近辺は成城を含めて砧村字喜多見と呼ばれ、畑が広がり養蚕が盛んな処でした、ただ成城地区だけは不毛の地として雑木林のまま放置されていました。
午後はこの農村として早くから開けた地区を中心に巡ります。
表紙の写真は喜多見慶元寺の三重塔
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昼食を済ませ桜並木を駅方向に進みます。
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駅前通りに出て来ました。
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行く手に3本のヒマラヤ杉が見えます。
当初成城の街は1軒の敷地が平均で300坪あり、住民組合の申合せで建坪は敷地の25%以内、塀は生垣、庭の整備等が申し合わされました。
その時、西洋館を建てた場合は庭に3本のヒマラヤ杉を植える事も決められたそうです。
年と共にヒマラヤ杉は高木となり、敷地を大きく占有します、現在3本残っているのはここ位になりました。 -
ちょっと覗いて見ましょう。
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門の横にこんな看板が。
庭の一部を市民緑地として開放しているようです。
では中に入って見ましょう。 -
家の前には桜が。
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崖線を不動坂より下ります。
下り切った処に湧水が出て居り、湧き口に注連縄が張ってあります。 -
横に階段があり、崖線を中腹迄登ると喜多見不動堂が鎮座。
近隣では滝不動と呼ばれる社です。 -
野川を渡ります。
向うに見えるのは次大夫堀公園、帰途に立寄ります。 -
しばらく歩くと氷川神社の鳥居が見えて来ます。
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氷川神社は成城地区を含む昔の砧村の総鎮守。
740年の創建、1570年江戸氏により再建、神料5石を寄進しています。
この鳥居は1654年江戸氏改め喜多見氏より寄進、世田谷区の有形文化財です。 -
社殿が見えて来ました。
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社殿は1988年焼失、1990年の再建です。
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神社に隣接して慶元寺があります。
慶元寺は1186年、当時江戸を支配していた江戸氏により現在の皇居付近に創建されましたが、室町時代太田道灌に追われ、この地に隠棲した江戸氏に従いここに移転して来ました。 -
長い参道の奥に山門。
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山門の前に江戸太郎の銅像。
慶元寺を創建した時の江戸氏の棟梁。 -
墓地には江戸氏一族の墓所があります。
江戸時代になると徳川幕府に遠慮して喜多見氏と名を改めます。 -
櫻と三重塔。
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慶元寺と畑を挟んで向合のは稲荷塚古墳、7世紀初頭の円形墳。
有力族長の墓と推定されます。 -
稲荷塚古墳から眺める慶元寺三重塔。
世田谷100景に選ばれた風景です。 -
続いて第六天塚古墳、こちらは5世紀末に造られた円墳。
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先に進むと須賀神社。
1652年に喜多見氏が自邸内に勧進したのが始まり、地元では天王様と呼ばれます。
8月2日の例大祭の折、湯を沸かし笹の葉で周りの人に湯を掛ける湯花神事は区の無形文化財に指定されます。 -
次大夫堀公園に到着。
昭和30年代の砧地区の風情を残した公園で区民に親しまれています。 -
散策にはもってこい処です。
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ちょっとした広場が何ヶ所か設けられています。
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又公園の中には民家園もあります。
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名主の家、 横には高札場。
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客用玄関
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客間
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板の間には織機が。
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囲炉裏には火が。
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一般の農家、家の前では野菜を栽培。
昭和30年代初頭の世田谷砧風景を再現したものです。 -
広場に面してはお休み所が。
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半鐘も建っています。
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村の鍛冶屋もあります。
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公園の散策路、流れるのが次大夫堀。
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5月に入ると前の空地は水が張られ田圃に変わります。
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成城の駅に向かう途中、東宝砧撮影所に立寄ります。
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入口ではゴジラがお出迎え。
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見上げると壁一面に七人の侍の画像が。
ここ砧の撮影所で撮影された2大代表作です。 -
こちらは壁面全体に書かれた等身大のゴジラ、見送られて駅に向います。
これで成城散歩は終了です。
終
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