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ボロブドゥールやアンコールワットにはすでに訪問していたから、ミャンマーのパガンに行けば、世界三大仏教遺跡のすべてを見たことになるし、それに、当時親交のあったカナダ人が、マンダレーのあやつり人形を絶賛していたこともあって、旅行先をミャンマーに決めた。<br /><br />この旅行は1人旅で、「キースエンタープライズ」にアレンジしてもらい、訪れた三都市でそれぞれガイドをつけ観光地をめぐった。ガイドと2人での行動となったので、様々なことを語り合えたことも旅の思い出だ。※総費用165000円<br />

パガン・マンダレー・ヤンゴン【ミャンマー2001年7/22~29】

6いいね!

2001/07/22 - 2001/07/29

818位(同エリア1017件中)

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スタリモスト

スタリモストさん

ボロブドゥールやアンコールワットにはすでに訪問していたから、ミャンマーのパガンに行けば、世界三大仏教遺跡のすべてを見たことになるし、それに、当時親交のあったカナダ人が、マンダレーのあやつり人形を絶賛していたこともあって、旅行先をミャンマーに決めた。

この旅行は1人旅で、「キースエンタープライズ」にアレンジしてもらい、訪れた三都市でそれぞれガイドをつけ観光地をめぐった。ガイドと2人での行動となったので、様々なことを語り合えたことも旅の思い出だ。※総費用165000円

  • TG623便は関空を11:45に飛び立ち、5時間後の15:35にバンコク・ドムアン空港に着き、TG305便に乗り換えて、18:50にヤンゴンに到着した。<br />沖止めの飛行機からターミナルビルまでは、東京で使われていた「都バス」の中古に乗った。「お降りの方はボタンを押してください」のシールはそのままだった。 <br />パッケージツアービザを取得していたので、イミグレーションを問題なくスルーできたが、フリーの旅行では200ドルの強制兌換が強制された。<br /><br />ターミナルを出た所で、「MTBツアーズ」のガイド、ティーダが出迎えてくれた。28歳の小柄なディーダは、僧院で日本語を勉強しガイドの資格を取ったという。

    TG623便は関空を11:45に飛び立ち、5時間後の15:35にバンコク・ドムアン空港に着き、TG305便に乗り換えて、18:50にヤンゴンに到着した。
    沖止めの飛行機からターミナルビルまでは、東京で使われていた「都バス」の中古に乗った。「お降りの方はボタンを押してください」のシールはそのままだった。 
    パッケージツアービザを取得していたので、イミグレーションを問題なくスルーできたが、フリーの旅行では200ドルの強制兌換が強制された。

    ターミナルを出た所で、「MTBツアーズ」のガイド、ティーダが出迎えてくれた。28歳の小柄なディーダは、僧院で日本語を勉強しガイドの資格を取ったという。

  • 市内の東のはずれにあるホテルに向かった。道行く自動車の多くは中古の日本車で、中には経年劣化も激しい素性の知れない日本のトラックも走っていた。<br />ティーダがミャンマーの通貨チャット(K)を用意してくれていたので、50$を両替した。27500K戻ってきたので、1$=550K、1円=4.3Kのレートととなった。<br />ティーダの父は公務員で月5500チャットの給料。これでは家計は大変苦しく生活出来ないという。ティーダのガイドの手当は1日5$。ハイクラスのガイドだと25$という。 <br />

    市内の東のはずれにあるホテルに向かった。道行く自動車の多くは中古の日本車で、中には経年劣化も激しい素性の知れない日本のトラックも走っていた。
    ティーダがミャンマーの通貨チャット(K)を用意してくれていたので、50$を両替した。27500K戻ってきたので、1$=550K、1円=4.3Kのレートととなった。
    ティーダの父は公務員で月5500チャットの給料。これでは家計は大変苦しく生活出来ないという。ティーダのガイドの手当は1日5$。ハイクラスのガイドだと25$という。

  • 利用した「Eastern Hotel」は1泊2000円程度のホテル。バスタブはあったし、広さも申し分ないのだけど、エアコンの振動と音が気になって寝付けられない。エアコンを切りたかったが、リモコンスイッチを押しても反応しなかったので、エアコンへの電力供給スイッチを切って停止させた。切ってもそんなに室温は上がらず、静けさの中ですぐに寝入った。<br /><br />

    利用した「Eastern Hotel」は1泊2000円程度のホテル。バスタブはあったし、広さも申し分ないのだけど、エアコンの振動と音が気になって寝付けられない。エアコンを切りたかったが、リモコンスイッチを押しても反応しなかったので、エアコンへの電力供給スイッチを切って停止させた。切ってもそんなに室温は上がらず、静けさの中ですぐに寝入った。

  • ■2日目(7/23)<br /><br />ヤンゴンからパガンへ移動する。<br />飛行機のスケジュールの関係で、4時に起きた。ホテルのRestaurantはとても薄暗く他に客ははいない。<br />5時過ぎにティーダが迎えにきてくれた。<br />空港まで20分程で着く。またヤンゴンに戻った時には、彼女がガイドしてくれることになっている。しばしの別れだ。<br /><br />エアーチケットとパスポートを見せ、YANGON AIRWAYSのカウンターにチェックインした。素性の知れない係員風の男が手続きを代行しようとしたが、無視して自分でした。<br />搭乗した双発機HK005は6:30に離陸開始、その時はかなりのGを受けたし、飛行中は振動とプロペラ音がダイレクトに体に感じられて、なかなか乗り応えがあった。<br />

    ■2日目(7/23)

    ヤンゴンからパガンへ移動する。
    飛行機のスケジュールの関係で、4時に起きた。ホテルのRestaurantはとても薄暗く他に客ははいない。
    5時過ぎにティーダが迎えにきてくれた。
    空港まで20分程で着く。またヤンゴンに戻った時には、彼女がガイドしてくれることになっている。しばしの別れだ。

    エアーチケットとパスポートを見せ、YANGON AIRWAYSのカウンターにチェックインした。素性の知れない係員風の男が手続きを代行しようとしたが、無視して自分でした。
    搭乗した双発機HK005は6:30に離陸開始、その時はかなりのGを受けたし、飛行中は振動とプロペラ音がダイレクトに体に感じられて、なかなか乗り応えがあった。

  • 1時間後、着陸態勢に入る。エーヤワディー川のほとりに小さくバゴタが見えてきた。着陸直後、ほんの少し機体が横にすべった。そのままズリっといけば・・・、と恐怖心が頭をもたげたが、なんとかスピードダウンしてくれた。<br /><br />パガンで案内をしてくれる ザーニ(40歳)が迎えてくれて、入域料の10$も彼が支払いを済ませてくれた。気温は体感で30度もないような気がした。雨期のパガンは日本の夏よりもよほどしのぎやすい。<br />

    1時間後、着陸態勢に入る。エーヤワディー川のほとりに小さくバゴタが見えてきた。着陸直後、ほんの少し機体が横にすべった。そのままズリっといけば・・・、と恐怖心が頭をもたげたが、なんとかスピードダウンしてくれた。

    パガンで案内をしてくれる ザーニ(40歳)が迎えてくれて、入域料の10$も彼が支払いを済ませてくれた。気温は体感で30度もないような気がした。雨期のパガンは日本の夏よりもよほどしのぎやすい。

  • 利用する「トーホーホテル」はニューパガンの外れに位置していた。チェックインの際、フロントにいた従業員の視線がとても熱かったが、その理由はあとでわかった。<br />部屋に荷物を置き、少し休んでから観光にスタートした。<br /><br />

    利用する「トーホーホテル」はニューパガンの外れに位置していた。チェックインの際、フロントにいた従業員の視線がとても熱かったが、その理由はあとでわかった。
    部屋に荷物を置き、少し休んでから観光にスタートした。

  • まず、ガイドのザーニのお気に入りのスポット、オールドパガンの「ヒュアハウンジ寺院」に行った。オレンジの袈裟を着た柔和な仏像が安置してあった。<br />

    まず、ガイドのザーニのお気に入りのスポット、オールドパガンの「ヒュアハウンジ寺院」に行った。オレンジの袈裟を着た柔和な仏像が安置してあった。

  • 寺にいた少女が、薄暗く狭い階段を懐中電灯で、足下を照らしてくれて、テラスに上がった。<br />見渡す限り緑の草木が広がり、その中に仏塔と寺院が点在している。「アーナンダ寺院」や「ダビィニュ寺院」も遠望できる。<br />静謐感が漂うピースフルな景色だ。心地よい風が吹き抜ける。夢の中にいるようだ。近代や現代が遠ざかりいにしえの13世紀が目に前にあった。<br /><br />ザーニは、3年前にジャイカの支援で来日しホテル業務を学びながら収入も得た。その年ミャンマー全体で6人が選ばれて来日し、パガン・マンダレー地域を代表して彼一人が選ばれた。選考試験に突破するだけの能力がある人なのだろう。来日で手に入れた6000$で、帰国後セコハンの日本車を買ったという。<br /><br />

    寺にいた少女が、薄暗く狭い階段を懐中電灯で、足下を照らしてくれて、テラスに上がった。
    見渡す限り緑の草木が広がり、その中に仏塔と寺院が点在している。「アーナンダ寺院」や「ダビィニュ寺院」も遠望できる。
    静謐感が漂うピースフルな景色だ。心地よい風が吹き抜ける。夢の中にいるようだ。近代や現代が遠ざかりいにしえの13世紀が目に前にあった。

    ザーニは、3年前にジャイカの支援で来日しホテル業務を学びながら収入も得た。その年ミャンマー全体で6人が選ばれて来日し、パガン・マンダレー地域を代表して彼一人が選ばれた。選考試験に突破するだけの能力がある人なのだろう。来日で手に入れた6000$で、帰国後セコハンの日本車を買ったという。

  • パガン最大の市場ニァゥンウー市場を歩いた。板の上に解体した豚が部位ごとに並び、鶏はかごの中で買い主を待っていた。さまざま食材、衣料品、日用品・・何でもそろっている。<br /><br /><br />

    パガン最大の市場ニァゥンウー市場を歩いた。板の上に解体した豚が部位ごとに並び、鶏はかごの中で買い主を待っていた。さまざま食材、衣料品、日用品・・何でもそろっている。


  • 巻きスカートのロンジーを買った。ミャンマーの人たちのロンジーの着用率はほぼ100%と言って良い。筒状になっているので、しっかり結べばずり落ちることもない。<br />布代と縫製代とで1200チャット(300円程)だった。旅行中も何度か穿いた。風を通して涼しい。<br />

    巻きスカートのロンジーを買った。ミャンマーの人たちのロンジーの着用率はほぼ100%と言って良い。筒状になっているので、しっかり結べばずり落ちることもない。
    布代と縫製代とで1200チャット(300円程)だった。旅行中も何度か穿いた。風を通して涼しい。

  • この国の女性の顔には、高い確率で土が乾いたような跡が見られた。タナカ(thanaka)という木を、水を混ぜてすりつぶし、ペースト状にして顔に塗っているのだ。日焼け止めや美肌効果があるようだけど、ふざけあって泥をなすりつけ合ったあとのように見えてしまう。<br />日本人の美意識からすれば、違和感を持つが、世界は多様性に溢れ、国によって文化や風習に違いがあるという、当たり前のことを教えてくれる。<br /><br />

    この国の女性の顔には、高い確率で土が乾いたような跡が見られた。タナカ(thanaka)という木を、水を混ぜてすりつぶし、ペースト状にして顔に塗っているのだ。日焼け止めや美肌効果があるようだけど、ふざけあって泥をなすりつけ合ったあとのように見えてしまう。
    日本人の美意識からすれば、違和感を持つが、世界は多様性に溢れ、国によって文化や風習に違いがあるという、当たり前のことを教えてくれる。

  • 「ジュエズィーゴォンパゴダ」<br /><br />アーナンダ寺院と並びパガンを代表するパゴダだ。11世紀、アーノヤータ王が建立に着手し、次代の王チャンシッターが完成させた。三層の基部と金色に輝く釣り鐘状のドームからなる様式は、事後のパゴダの範になったという。<br />それにしても絢爛豪華、言葉もない。境内には僧侶の読経が響き、多くの参拝者があった。

    「ジュエズィーゴォンパゴダ」

    アーナンダ寺院と並びパガンを代表するパゴダだ。11世紀、アーノヤータ王が建立に着手し、次代の王チャンシッターが完成させた。三層の基部と金色に輝く釣り鐘状のドームからなる様式は、事後のパゴダの範になったという。
    それにしても絢爛豪華、言葉もない。境内には僧侶の読経が響き、多くの参拝者があった。

  • 熱心に祈りをささげている。

    熱心に祈りをささげている。

  • 土着信仰のナッ神だろうか・・。このような彫刻にそこかしこで出会う。

    土着信仰のナッ神だろうか・・。このような彫刻にそこかしこで出会う。

  • 「チァンスィッター窟院」<br /><br />モンゴルとの抗争の歴史をとどめる建物だが、窟内は、真っ暗で瞑想の部屋が沢山うがたれていた。<br />

    「チァンスィッター窟院」

    モンゴルとの抗争の歴史をとどめる建物だが、窟内は、真っ暗で瞑想の部屋が沢山うがたれていた。

  • MYAYADANAでランチをとった。チキンや豚のカレー(ご飯にかける食べ方がカレーと言うなら・・)をメインにしたもので、とても油っぽく、辛かった。<br />まずくはないが、美味しいとは言い難い。ただ発酵させた茶の葉のラペッ・トウッは、冷えたミャンマービールとの相性は良かった。料理の油っこさにはこの旅行の最後まで慣れなかった。<br />このレストランは、ガイドブックにも載っている有名店で、「いつも混み合う人気レストラン。ミャンマー料理は要予約。」と書いてあったものの、ランチタイムの客は私たちだけであった。<br />

    MYAYADANAでランチをとった。チキンや豚のカレー(ご飯にかける食べ方がカレーと言うなら・・)をメインにしたもので、とても油っぽく、辛かった。
    まずくはないが、美味しいとは言い難い。ただ発酵させた茶の葉のラペッ・トウッは、冷えたミャンマービールとの相性は良かった。料理の油っこさにはこの旅行の最後まで慣れなかった。
    このレストランは、ガイドブックにも載っている有名店で、「いつも混み合う人気レストラン。ミャンマー料理は要予約。」と書いてあったものの、ランチタイムの客は私たちだけであった。

  • 昼寝タイムの後、15時半に再び観光に出る。<br /><br />「漆器工房MOE MOE」<br />透けるまで薄く削いだ竹を編み込んだ土台に、何回も漆を重ねていた。高級品には馬のしっぽも練り込むようだ。乾燥させた後に細かいカービングを施していく。下書きなしで一気に形を彫り込む作業は見事だった。

    昼寝タイムの後、15時半に再び観光に出る。

    「漆器工房MOE MOE」
    透けるまで薄く削いだ竹を編み込んだ土台に、何回も漆を重ねていた。高級品には馬のしっぽも練り込むようだ。乾燥させた後に細かいカービングを施していく。下書きなしで一気に形を彫り込む作業は見事だった。

  • 「セィンニェ・アマ寺院」と「ニェ・ニィーマパゴダ」<br />煉瓦の赤がひときわ美しく、バゴタと寺院の形の対比も絶妙であった。<br />二つの建物が11世紀の建立より悠久の時を刻んで静かに語らっているようにも思えた。<br /><br />

    「セィンニェ・アマ寺院」と「ニェ・ニィーマパゴダ」
    煉瓦の赤がひときわ美しく、バゴタと寺院の形の対比も絶妙であった。
    二つの建物が11世紀の建立より悠久の時を刻んで静かに語らっているようにも思えた。

  • 「ナンパヤー寺院」<br />院内の石彫レリーフ・ブラフマーに目をひきつけられた。1.5mほどの石彫がアンコールワットに刻まれたものに酷似している。<br />パガンには他にこのような石彫レリーフはないとの事だが、クメール人がこの地でノミを振ったのではないだろうか?。 <br />

    「ナンパヤー寺院」
    院内の石彫レリーフ・ブラフマーに目をひきつけられた。1.5mほどの石彫がアンコールワットに刻まれたものに酷似している。
    パガンには他にこのような石彫レリーフはないとの事だが、クメール人がこの地でノミを振ったのではないだろうか?。 

  • 「マヌーハ寺院」は仏像を彫った後に、それをかぶせるように寺院を建てたそうだ。中には四体の仏像が院内の空間を埋めるように安置されていた。三体の座像は「生」が囚われの身のように不自由なものであること、涅槃像は死してこそ生の苦しみから解放されるのだという事を示しているという。<br /><br />マヌーハ寺院境内で、パガンの絵を売っていた。彼の兄が描いたという。タビィニュ寺院の水彩画を1枚記念に買った。<br />

    「マヌーハ寺院」は仏像を彫った後に、それをかぶせるように寺院を建てたそうだ。中には四体の仏像が院内の空間を埋めるように安置されていた。三体の座像は「生」が囚われの身のように不自由なものであること、涅槃像は死してこそ生の苦しみから解放されるのだという事を示しているという。

    マヌーハ寺院境内で、パガンの絵を売っていた。彼の兄が描いたという。タビィニュ寺院の水彩画を1枚記念に買った。

  • 「ミンガラーゼディパゴダ」は、1274年建立されたパガン王朝最後のバゴダだ。<br />ここのテラスからの眺望も見事だった。2人の若い僧が並んで座り、何やら語らっていた。ヤンゴンから来て観光している1人の僧もいた。彼の手から、英語文字が並ぶ洒落たショッピングバック下がっていた。僧の袈裟のエンジ、褐色の肌、それがバゴダの赤と解け合う。<br />ここも静けさが漂う。<br />

    「ミンガラーゼディパゴダ」は、1274年建立されたパガン王朝最後のバゴダだ。
    ここのテラスからの眺望も見事だった。2人の若い僧が並んで座り、何やら語らっていた。ヤンゴンから来て観光している1人の僧もいた。彼の手から、英語文字が並ぶ洒落たショッピングバック下がっていた。僧の袈裟のエンジ、褐色の肌、それがバゴダの赤と解け合う。
    ここも静けさが漂う。

  • 「アーナンダ寺院」は、1090年チャンスィター王が建立した、パガンの代表格の寺院だ。<br />一辺53mの基壇とその上に立つ塔との色彩や形のバランスが実に見事だ。<br />塔の形も下部のしまり具合がなんとも言えず魅力的だった。<br />

    「アーナンダ寺院」は、1090年チャンスィター王が建立した、パガンの代表格の寺院だ。
    一辺53mの基壇とその上に立つ塔との色彩や形のバランスが実に見事だ。
    塔の形も下部のしまり具合がなんとも言えず魅力的だった。

  • 寺院には、黄金に輝く高さ10mの巨大な仏像が4体安置されている。うち2体は後世の手になるものだが、全体の形はシンプルで日本の仏像とはスタイルが違う。

    寺院には、黄金に輝く高さ10mの巨大な仏像が4体安置されている。うち2体は後世の手になるものだが、全体の形はシンプルで日本の仏像とはスタイルが違う。

  • 馬車に乗り、9世紀に建てられた城壁の跡をとどめる「タラバー門」、一見ゴシックの雰囲気も漂う「タビィニュ寺院」を間近で見て、「シュエサンドーパゴダ」に至った。<br /><br />

    馬車に乗り、9世紀に建てられた城壁の跡をとどめる「タラバー門」、一見ゴシックの雰囲気も漂う「タビィニュ寺院」を間近で見て、「シュエサンドーパゴダ」に至った。

  • 「シュエサンドーパゴダ」のテラスで、パガン平原の夕焼けを見ることとなった。パガンに観光に来た外国人の多くが、集まっていたが、それでも総勢20人程度だろうか。昨年訪れたアンコールワットのサンセットビューポイントでは、優に100人を超える観光客がいて、座る場所の確保も難しかったが・・・。<br />

    「シュエサンドーパゴダ」のテラスで、パガン平原の夕焼けを見ることとなった。パガンに観光に来た外国人の多くが、集まっていたが、それでも総勢20人程度だろうか。昨年訪れたアンコールワットのサンセットビューポイントでは、優に100人を超える観光客がいて、座る場所の確保も難しかったが・・・。

  • 残念ながら、太陽は地平線にとどく少し前で、雲に隠れてしまった。<br />乾期のおりには平原が赤く染まり、寺院やパゴダが燃え立つという。<br />※買い求めた絵葉書

    残念ながら、太陽は地平線にとどく少し前で、雲に隠れてしまった。
    乾期のおりには平原が赤く染まり、寺院やパゴダが燃え立つという。
    ※買い求めた絵葉書

  • その後、エーヤワディー川横に立つ「ブーバヤーパゴダ」に寄り、そこのベンチに座って、川面に映る残照を眺めながら、1日の観光を終えた。<br /><br />夕食は、TOHOホテルで。出された料理は、昼のランチと似ていて、しかも油っ濃い。<br />ダイニングルームは満席ならば50人は座れそうな広さだったが、ゲストは私1人だった。<br />給仕のスタッフに聞いてみた。「今日、このホテルの客は私一人なのか?」と・・・答えは「イエス」。「明日も1人」という。雨期だったから、オフシーズンであるとはいえ絶句!!。ホテルに着いた時の、スタッフたちの熱い目線の意味がわかった。注目を集めるはずだ。他に関心の持ちようがないのだから。私がいなければ、ロビーにエアコンをつける必要もなかったのだし、愛想笑いもする必要もない。<br />「トーホーホテル」のスタンダードルームには、エアコンが付いていて、バスタブもある。内装もアジアンティストで感じが良い。提携している旅行会社の関係などもあるのだろうか??。こんな経験は滅多に出来るものでない。ホテルを独占してしまった。<br /><br /><br />

    その後、エーヤワディー川横に立つ「ブーバヤーパゴダ」に寄り、そこのベンチに座って、川面に映る残照を眺めながら、1日の観光を終えた。

    夕食は、TOHOホテルで。出された料理は、昼のランチと似ていて、しかも油っ濃い。
    ダイニングルームは満席ならば50人は座れそうな広さだったが、ゲストは私1人だった。
    給仕のスタッフに聞いてみた。「今日、このホテルの客は私一人なのか?」と・・・答えは「イエス」。「明日も1人」という。雨期だったから、オフシーズンであるとはいえ絶句!!。ホテルに着いた時の、スタッフたちの熱い目線の意味がわかった。注目を集めるはずだ。他に関心の持ちようがないのだから。私がいなければ、ロビーにエアコンをつける必要もなかったのだし、愛想笑いもする必要もない。
    「トーホーホテル」のスタンダードルームには、エアコンが付いていて、バスタブもある。内装もアジアンティストで感じが良い。提携している旅行会社の関係などもあるのだろうか??。こんな経験は滅多に出来るものでない。ホテルを独占してしまった。


  • ■3日目(7/24)<br /><br /> 今日はパガンから50kmほどの所にあるポッパ山に行く。ミャンマーには、土着民間信仰である「ナッ信仰」が小乗仏教とともに定着している。ポッパ山はミンマハーギリという家を火災から守るナッの聖地だ。この山は標高1518mだが、中腹にポコッと突起した岩の塔「タウン・カラッ」がこの地を有名な観光地にしている。<br /><br />8:30にホテルをスタート。今日もザーニがお供してくれる。<br />「ダマヤッズィカパゴダ」に立ち寄った。この国の実力者が浄財を寄進し整備が進められているという。敷地内は煉瓦がしきつめられベンチも置かれている。公園のような感じだ。<br />

    ■3日目(7/24)

     今日はパガンから50kmほどの所にあるポッパ山に行く。ミャンマーには、土着民間信仰である「ナッ信仰」が小乗仏教とともに定着している。ポッパ山はミンマハーギリという家を火災から守るナッの聖地だ。この山は標高1518mだが、中腹にポコッと突起した岩の塔「タウン・カラッ」がこの地を有名な観光地にしている。

    8:30にホテルをスタート。今日もザーニがお供してくれる。
    「ダマヤッズィカパゴダ」に立ち寄った。この国の実力者が浄財を寄進し整備が進められているという。敷地内は煉瓦がしきつめられベンチも置かれている。公園のような感じだ。

  • テラスに登って下を見ていると、トラックバスにてんこ盛り乗った人たちが入ってきた。「村人が宝くじにあたり、参拝の費用のすべてを持ってくれている。」と、ザーニが聞き出してくれた。<br /><br />

    テラスに登って下を見ていると、トラックバスにてんこ盛り乗った人たちが入ってきた。「村人が宝くじにあたり、参拝の費用のすべてを持ってくれている。」と、ザーニが聞き出してくれた。

  • 「ミンナントゥ村」の小学校に案内してくれた。<br />100人程の生徒たちを先生2人が見ていた。国語の書き順の学習を低学年の子らがしていた。

    「ミンナントゥ村」の小学校に案内してくれた。
    100人程の生徒たちを先生2人が見ていた。国語の書き順の学習を低学年の子らがしていた。

  • 先生が書き順をしめす。先生が発音し、その後生徒たちが繰り返し発音するのだが、息を吸うたびに一斉に肩があがる様子を見ていて、感動してしまった。先生が回ってくるまで、他の生徒たちは静かに行儀よく待っている。この国では、先生は絶対であり父母も絶対であり尊敬と敬愛が寄せられている。<br /><br />村の水くみの女性たちとも話した。僧院の跡にも寄った。・・・静けさの漂うミンナントゥ村の朝だった。<br />

    先生が書き順をしめす。先生が発音し、その後生徒たちが繰り返し発音するのだが、息を吸うたびに一斉に肩があがる様子を見ていて、感動してしまった。先生が回ってくるまで、他の生徒たちは静かに行儀よく待っている。この国では、先生は絶対であり父母も絶対であり尊敬と敬愛が寄せられている。

    村の水くみの女性たちとも話した。僧院の跡にも寄った。・・・静けさの漂うミンナントゥ村の朝だった。

  • 車を走らせている沿道には、椰子の木が続いている。途中、椰子砂糖を作っている店で休憩した。そこの親父さんが、やおら刀をロンジーに差し込み、椰子の木に登って樹液を採取した。掘っ建て小屋の中では、樹液を煮詰め、黒砂糖を作っている。やしの樹液は時間を置くと椰子酒にもなる。

    車を走らせている沿道には、椰子の木が続いている。途中、椰子砂糖を作っている店で休憩した。そこの親父さんが、やおら刀をロンジーに差し込み、椰子の木に登って樹液を採取した。掘っ建て小屋の中では、樹液を煮詰め、黒砂糖を作っている。やしの樹液は時間を置くと椰子酒にもなる。

  • ベンチに腰かけ、この酒を試飲しながら、茶の葉を発酵させたラペッ・トウッを食べた。揚げた豆と一緒に食べるのだが、独特の苦みはくせになりそうだった。椰子酒が進み、少し頭がボーっとなってきた。<br />

    ベンチに腰かけ、この酒を試飲しながら、茶の葉を発酵させたラペッ・トウッを食べた。揚げた豆と一緒に食べるのだが、独特の苦みはくせになりそうだった。椰子酒が進み、少し頭がボーっとなってきた。

  • 車の振動と椰子酒がまどろみに誘ってくれた。エアコンがきられ、窓があけられていたのだろう、外からの風が顔に当たり目を覚ました。<br />前方を見ると雄大なポッパ山が見えた。あいにく山頂は雲に隠れて見えなかったが、右前方に奇岩タウン・カラッが顔を出していた。<br /><br />ふもとの門前町で車を降り、改めてタウン・カラッを見上げる。それにしても、何とも奇妙な岩塔だ。どのような力が働いて、こうしたものができあがったのか。説によると死火山のポッパ山の火口のえぐれた形がタウン・カラッと同じという。噴火のおり、吹き飛ばされたとでも言うのだろうか・・・。<br /><br />ザーニが「ちょっと失礼」・・と道脇にそれ、しゃがむ。ご当地で放尿はしゃがんで男性もするようだ。<br />

    車の振動と椰子酒がまどろみに誘ってくれた。エアコンがきられ、窓があけられていたのだろう、外からの風が顔に当たり目を覚ました。
    前方を見ると雄大なポッパ山が見えた。あいにく山頂は雲に隠れて見えなかったが、右前方に奇岩タウン・カラッが顔を出していた。

    ふもとの門前町で車を降り、改めてタウン・カラッを見上げる。それにしても、何とも奇妙な岩塔だ。どのような力が働いて、こうしたものができあがったのか。説によると死火山のポッパ山の火口のえぐれた形がタウン・カラッと同じという。噴火のおり、吹き飛ばされたとでも言うのだろうか・・・。

    ザーニが「ちょっと失礼」・・と道脇にそれ、しゃがむ。ご当地で放尿はしゃがんで男性もするようだ。

  • (聖域であるので)裸足になってタウン・カラッのトップをめざして階段を登った。参道には土産物屋が続く。

    (聖域であるので)裸足になってタウン・カラッのトップをめざして階段を登った。参道には土産物屋が続く。

  • 猿がたくさんいた。略奪のような蛮行におよぶことはなかったが、彼らの落とし物を踏まないように、足下には注意を払った。<br />途中で休憩。降りてくる若い日本人カップルに出会った。男は東南アジアを周遊し、カンボジアからミャンマーに入ったとのこと。女の子は今回はミャンマーだけ・・。つまりこのミャンマーで偶然知り合い、残りの何日かを一緒しようとなったようだ・・・。若いっていいなあ・・。<br />

    猿がたくさんいた。略奪のような蛮行におよぶことはなかったが、彼らの落とし物を踏まないように、足下には注意を払った。
    途中で休憩。降りてくる若い日本人カップルに出会った。男は東南アジアを周遊し、カンボジアからミャンマーに入ったとのこと。女の子は今回はミャンマーだけ・・。つまりこのミャンマーで偶然知り合い、残りの何日かを一緒しようとなったようだ・・・。若いっていいなあ・・。

  • トップからの眺望はなかなかのものだった。体から吹き出た汗を吹く風がやさしくぬぐってくれた。<br />

    トップからの眺望はなかなかのものだった。体から吹き出た汗を吹く風がやさしくぬぐってくれた。

  • そこかしこにナッ神が祀られていたが、そのスタイルが、どうも見せ物小屋の張りぼてのようで、中にはヤクザの親分風、拳闘士風などもあって、宗教観の違いは感じた。<br />

    そこかしこにナッ神が祀られていたが、そのスタイルが、どうも見せ物小屋の張りぼてのようで、中にはヤクザの親分風、拳闘士風などもあって、宗教観の違いは感じた。

  • この神様は、そのときつとめていた職場の同僚にそっくり。帰国後「あなたが、ミャンマーでは紙になっていましたよ。」と写真を見せた。<br />

    この神様は、そのときつとめていた職場の同僚にそっくり。帰国後「あなたが、ミャンマーでは紙になっていましたよ。」と写真を見せた。

  • 昼食は、「Popa Mountain Resort」でとった。タウンカラッを眺望できるリゾートホテルだ。テラスにテーブルを出してもらい、ミャンマービールを傾けた。シーズン中はランチでも、予約をいれないとベストの席はとれないようだ。しかし今日は3組の客しかいなかった。<br /><br />※ホテルテラスよりタウンカラッを見る<br /><br />

    昼食は、「Popa Mountain Resort」でとった。タウンカラッを眺望できるリゾートホテルだ。テラスにテーブルを出してもらい、ミャンマービールを傾けた。シーズン中はランチでも、予約をいれないとベストの席はとれないようだ。しかし今日は3組の客しかいなかった。

    ※ホテルテラスよりタウンカラッを見る

  • 一路パガンにもどりホテルでくつろいで、17時半にサンセットクルーズに出かけた。<br />エーヤワディー川をボートで周遊し、落日までの時間を過ごす趣向だ。昨日市場で買ったロンジーをはいてみた。これは抜群にいい。涼しいし綿の感触がいい。ホテルの人たちもグッドを連発してくれた。<br /><br /> 川のほとりにで、女性たちが洗濯をし、子どもたちは水遊びをし、男たちは体を洗っていた。チャーターしたボートは20人乗りほどの大きさだったけれど、私1人の貸し切り。<br />ザーニが日本語ミャンマー語辞典を持ってきていた。暮れゆく時間、私は日本語の先生となった。

    一路パガンにもどりホテルでくつろいで、17時半にサンセットクルーズに出かけた。
    エーヤワディー川をボートで周遊し、落日までの時間を過ごす趣向だ。昨日市場で買ったロンジーをはいてみた。これは抜群にいい。涼しいし綿の感触がいい。ホテルの人たちもグッドを連発してくれた。

    川のほとりにで、女性たちが洗濯をし、子どもたちは水遊びをし、男たちは体を洗っていた。チャーターしたボートは20人乗りほどの大きさだったけれど、私1人の貸し切り。
    ザーニが日本語ミャンマー語辞典を持ってきていた。暮れゆく時間、私は日本語の先生となった。

  • 夕日が赤く燃え立ち始めた。

    夕日が赤く燃え立ち始めた。

  • あと1時間ほど航行すると聞いていたが、急遽、昨日のビューポイント、シュエサンドーパゴダに行ってくれるように頼んだ。高見から寺院やパゴダをもう一度見たいと思ったのだ。太陽は雲間に隠れて夕焼けの平原は臨めなかったが、あたりがほの暗くなるまで、目の前に広がる雄大な景色を目に焼き付けた。<br /><br />

    あと1時間ほど航行すると聞いていたが、急遽、昨日のビューポイント、シュエサンドーパゴダに行ってくれるように頼んだ。高見から寺院やパゴダをもう一度見たいと思ったのだ。太陽は雲間に隠れて夕焼けの平原は臨めなかったが、あたりがほの暗くなるまで、目の前に広がる雄大な景色を目に焼き付けた。

  • 夕食はホテルでとったが、昨日と同じでゲストは私1人。食材を調達する必要があったのだろうか、夕食の開始は1時間後と言われた。<br />オーダーした草魚の料理は、独特の触感と舌触りも楽しめてgoodだった。相変わらず油っ濃いが・・・。<br />ホテルのマネージャーのソーナインティーから、日本語を教えてほしいと請われた。<br />彼は28歳で、3年前に結婚して子供が2人いる。日本語を勉強中で、すでにガイドの免許もとったと言う。時計を見れば20時半。まだまだ寝るのには早い。ソーナンティーの日本語のチェックを引き受けた。<br />すぐに私の部屋に来ると思っていたが、息せき切って30分後に部屋に現れた。手には辞書やガイドのための本があった。これを寮に取りに帰っていたようだ。<br />彼は、パガンの有名寺院の説明をすべて日本語で出来る実力があった。日本語文にミャンマー語のルビを振り、繰りかえし読んで覚えたという。なかなかの努力家だ。<br />しかしそれがどういう意味かわからない所がたくさんあるという。おかしな日本語を修正したり、必要のない箇所を削除したり、彼の質問に答えていたら、あっという間に23時を回っていた。<br />

    夕食はホテルでとったが、昨日と同じでゲストは私1人。食材を調達する必要があったのだろうか、夕食の開始は1時間後と言われた。
    オーダーした草魚の料理は、独特の触感と舌触りも楽しめてgoodだった。相変わらず油っ濃いが・・・。
    ホテルのマネージャーのソーナインティーから、日本語を教えてほしいと請われた。
    彼は28歳で、3年前に結婚して子供が2人いる。日本語を勉強中で、すでにガイドの免許もとったと言う。時計を見れば20時半。まだまだ寝るのには早い。ソーナンティーの日本語のチェックを引き受けた。
    すぐに私の部屋に来ると思っていたが、息せき切って30分後に部屋に現れた。手には辞書やガイドのための本があった。これを寮に取りに帰っていたようだ。
    彼は、パガンの有名寺院の説明をすべて日本語で出来る実力があった。日本語文にミャンマー語のルビを振り、繰りかえし読んで覚えたという。なかなかの努力家だ。
    しかしそれがどういう意味かわからない所がたくさんあるという。おかしな日本語を修正したり、必要のない箇所を削除したり、彼の質問に答えていたら、あっという間に23時を回っていた。

  • ■4日目(7/25)<br /><br />今日はマンダレーに移動する日だ。<br /> 朝、トーホーホテルの車寄せの椅子に座っていると、犬が三匹すり寄ってくる。しっぽをふり、愛想を振りまき、かまって欲しそうにする。しっかりした肉付きの中型犬だったが、首や頭をなぜてやるとうっとりしていた。<br />ソーナンティーが屋上に案内してくれた。アーナンダ寺院も遠望できる。パガンの見おさめの時となった。パガンは心に染みた。いいところだった。 <br />ザーニが迎えにきてくれた。ザーニと語り合った時間も思い出深い。きつく握手し別れた。<br /><br />ミャンマーエヤーウェーズにチェックインした。搭乗するのはヤンゴンからパガンに来た時と同じHK005便で、パガンのあとマンダレーに向かい、ヤンゴンに戻る。<br />1時間程度のフライトで8:30にマンダレーに着いた。着陸した機内に「シェルブールの雨傘」が流れる、ちょっとミスマッチのような感じがした。エアポートビルは2年ほど前に立てられていて、ヤンゴン空港よりも数段立派だった。<br /><br />ガイドのTunTun(トントン)が迎えに来てくれていた。彼は英語オンリーのガイドで、日本語は話せないが、聞く方は簡単な日本語だと理解は出来るということだった。

    ■4日目(7/25)

    今日はマンダレーに移動する日だ。
    朝、トーホーホテルの車寄せの椅子に座っていると、犬が三匹すり寄ってくる。しっぽをふり、愛想を振りまき、かまって欲しそうにする。しっかりした肉付きの中型犬だったが、首や頭をなぜてやるとうっとりしていた。
    ソーナンティーが屋上に案内してくれた。アーナンダ寺院も遠望できる。パガンの見おさめの時となった。パガンは心に染みた。いいところだった。
    ザーニが迎えにきてくれた。ザーニと語り合った時間も思い出深い。きつく握手し別れた。

    ミャンマーエヤーウェーズにチェックインした。搭乗するのはヤンゴンからパガンに来た時と同じHK005便で、パガンのあとマンダレーに向かい、ヤンゴンに戻る。
    1時間程度のフライトで8:30にマンダレーに着いた。着陸した機内に「シェルブールの雨傘」が流れる、ちょっとミスマッチのような感じがした。エアポートビルは2年ほど前に立てられていて、ヤンゴン空港よりも数段立派だった。

    ガイドのTunTun(トントン)が迎えに来てくれていた。彼は英語オンリーのガイドで、日本語は話せないが、聞く方は簡単な日本語だと理解は出来るということだった。

  • マンダレーの近郊にある「アマラプラのウー・ベイン橋」に立ち寄った。<br />タウンタマン湖に架かる200年前に建造されたチーク材の橋で、全長1.2kmある。橋桁は上から下まで3mほど。200年前の木造の橋が現役で使用されているのだ。乾期の際には水が引き、川床で畑が作られるという。トントンに「泳ごうよ」と冗談を言ったが、橋の界隈は50cm程度しか水位がないらしい。<br />

    マンダレーの近郊にある「アマラプラのウー・ベイン橋」に立ち寄った。
    タウンタマン湖に架かる200年前に建造されたチーク材の橋で、全長1.2kmある。橋桁は上から下まで3mほど。200年前の木造の橋が現役で使用されているのだ。乾期の際には水が引き、川床で畑が作られるという。トントンに「泳ごうよ」と冗談を言ったが、橋の界隈は50cm程度しか水位がないらしい。

  • この橋の近くの「マハーガンダーヨン僧院」。<br />仏教経典の他、基礎的な学習をしている。大きな規模の僧院で、運営資金を得るために観光客に解放して義援金を募っていて、パネルには寄進した日本人の名も沢山並んでいた。<br />10時の食事時間が近づいてきて、若い僧たちが、列をつくりダイニングルームに集まってきた。鐘がなって、列が進み、それぞれの櫃にご飯とおかずが配られていく。

    この橋の近くの「マハーガンダーヨン僧院」。
    仏教経典の他、基礎的な学習をしている。大きな規模の僧院で、運営資金を得るために観光客に解放して義援金を募っていて、パネルには寄進した日本人の名も沢山並んでいた。
    10時の食事時間が近づいてきて、若い僧たちが、列をつくりダイニングルームに集まってきた。鐘がなって、列が進み、それぞれの櫃にご飯とおかずが配られていく。

  • 1日2回の食事なので、ご飯の量はとても多い。食事中はしゃべってはいけないようで、咀嚼する音だけが聞こえていた。<br /><br />

    1日2回の食事なので、ご飯の量はとても多い。食事中はしゃべってはいけないようで、咀嚼する音だけが聞こえていた。

  • マンダレーの市内に入る。<br />マンダレーはビルマ族コンバウン王朝があった古都。ミャンマーのほぼ中央に位置し、ヤンゴンに次ぐ第2の都市だ。大英帝国はインドを拠点にアジアの植民地化を進めていたが、隆盛期のミンドン王が逝去した後、1885年にティーボー王を捕らえてマンダレーを手中にした。王都としてはわずか25年で幕を閉じた。<br /> <br />「マハニムバゴダ」には、有名なマハニム仏が安置されていた。<br />この仏像は、マンダレーの中で最も大きく高さ4mもある。創建は1784年で、パガンの寺院群と比べるとそんなに古いものではない。参拝者が金箔をこの仏に貼り、願をかけている。そのため随分着ぶくれ状態が進んでいる。仏が安置されている内陣は女人禁制になっており、仏に触れることはできない。<br />この境内には、アンコールワットから略奪されたブロンズの像が安置されていた。その経過をたどると、当時の勢力争いの一端がうかがえる。1400年代にタイの軍勢が当地から略奪をして後、モン族がこれを略取しバゴーに移す。その後も転々とし、このバゴダに納められたのだ。<br /><br />

    マンダレーの市内に入る。
    マンダレーはビルマ族コンバウン王朝があった古都。ミャンマーのほぼ中央に位置し、ヤンゴンに次ぐ第2の都市だ。大英帝国はインドを拠点にアジアの植民地化を進めていたが、隆盛期のミンドン王が逝去した後、1885年にティーボー王を捕らえてマンダレーを手中にした。王都としてはわずか25年で幕を閉じた。
     
    「マハニムバゴダ」には、有名なマハニム仏が安置されていた。
    この仏像は、マンダレーの中で最も大きく高さ4mもある。創建は1784年で、パガンの寺院群と比べるとそんなに古いものではない。参拝者が金箔をこの仏に貼り、願をかけている。そのため随分着ぶくれ状態が進んでいる。仏が安置されている内陣は女人禁制になっており、仏に触れることはできない。
    この境内には、アンコールワットから略奪されたブロンズの像が安置されていた。その経過をたどると、当時の勢力争いの一端がうかがえる。1400年代にタイの軍勢が当地から略奪をして後、モン族がこれを略取しバゴーに移す。その後も転々とし、このバゴダに納められたのだ。

  • 木彫と刺繍の工房見学した。沢山の職人が分業して木を刻み、あやつり人形などを作っていた。彫った後は、風や雨にさらし、アンティーク風に仕上げる。素朴な顔立ちに刺繍をほどしたコスチュームを着せる。薄暗い店一杯に所狭しと人形たちが並び、買い手を待っていた。<br /><br />ランチは、「MYAT MINGALAR」で。2階のエアコンが完備された特別室に案内されたが、道路に面したバルコニーに食事を運んでもらった。飛んでいるハエを追っ払うために、食事のあいだ中、中学生ぐらいの子がうちわであおいでくれる。 料理はここも油ッ濃い。さっとゆでたキャベツが出たがこれは独り占めした。一緒に食べていたトントンが、唐辛子をやたらご飯にかけていたので、そんなものかと試してみたが、口の中が燃えるように辛かった。むせかえり涙を流してしまい、うちわ担当の子に笑われた。<br />

    木彫と刺繍の工房見学した。沢山の職人が分業して木を刻み、あやつり人形などを作っていた。彫った後は、風や雨にさらし、アンティーク風に仕上げる。素朴な顔立ちに刺繍をほどしたコスチュームを着せる。薄暗い店一杯に所狭しと人形たちが並び、買い手を待っていた。

    ランチは、「MYAT MINGALAR」で。2階のエアコンが完備された特別室に案内されたが、道路に面したバルコニーに食事を運んでもらった。飛んでいるハエを追っ払うために、食事のあいだ中、中学生ぐらいの子がうちわであおいでくれる。 料理はここも油ッ濃い。さっとゆでたキャベツが出たがこれは独り占めした。一緒に食べていたトントンが、唐辛子をやたらご飯にかけていたので、そんなものかと試してみたが、口の中が燃えるように辛かった。むせかえり涙を流してしまい、うちわ担当の子に笑われた。

  • ランチの後、「エアポートプリンスホテル」にチェックインした。ここのホテルはトーホーやイースタンよりも設備がよかった。ウエルカムフルーツが置かれ、バスルームも大きく、調度の質も格が上だった。シャワーを浴びてベットに横になり、ガイドブックを読んでウトウトし始めたが、そこで停電。ちょうどよい具合に眠りに落ちた。 <br /><br />15時頃よりロンジーを腰に巻き午後の観光のスタート。 <br />「旧王宮」を見学した。軍事施設の中にあるため、検問をうけなくてはならなかった。それにしても巨大な敷地だ。一辺3㎞で幅70mの堀に囲まれている。ミンドン王が1857年より4年の歳月をかけて築いた王宮だ。<br />

    ランチの後、「エアポートプリンスホテル」にチェックインした。ここのホテルはトーホーやイースタンよりも設備がよかった。ウエルカムフルーツが置かれ、バスルームも大きく、調度の質も格が上だった。シャワーを浴びてベットに横になり、ガイドブックを読んでウトウトし始めたが、そこで停電。ちょうどよい具合に眠りに落ちた。 

    15時頃よりロンジーを腰に巻き午後の観光のスタート。 
    「旧王宮」を見学した。軍事施設の中にあるため、検問をうけなくてはならなかった。それにしても巨大な敷地だ。一辺3㎞で幅70mの堀に囲まれている。ミンドン王が1857年より4年の歳月をかけて築いた王宮だ。

  • 1887年マンダレーを攻め落とした大英帝国は、ここを軍の施設としたが、その後1942年には日本が占領、1945年の戦火で建物のすべてが消失した。現在見られるのは再建されたものだが、王たちの歴史が幕を閉じ、主人を持たない王宮には、無常感が漂っていた。

    1887年マンダレーを攻め落とした大英帝国は、ここを軍の施設としたが、その後1942年には日本が占領、1945年の戦火で建物のすべてが消失した。現在見られるのは再建されたものだが、王たちの歴史が幕を閉じ、主人を持たない王宮には、無常感が漂っていた。

  • 「クヴードォバゴダ」<br />境内に4m四方の小さな白いバゴダが、730も林立している。なんとも不思議な光景だ。ミンドン王が世界最大の経典をつくろうと2400名もの僧を集め、1m四方の大理石に経文を刻ませこれをバゴダに納めた。<br /> 境内は静けさに満ち、スターツリーの巨木が小さな星形の可憐な花びらを、まわりに落としていた。 <br />

    「クヴードォバゴダ」
    境内に4m四方の小さな白いバゴダが、730も林立している。なんとも不思議な光景だ。ミンドン王が世界最大の経典をつくろうと2400名もの僧を集め、1m四方の大理石に経文を刻ませこれをバゴダに納めた。
     境内は静けさに満ち、スターツリーの巨木が小さな星形の可憐な花びらを、まわりに落としていた。 

  • エーヤワディー川に出て、船上生活者が船を寄せて生活している場所にいった。彼らの生業は、竹や木の運搬のようで、トントンは、彼らは大変貧しい人たちだ。と言っていた。<br />近くの広場のような所で、若者が輪になってが竹で編んだボールを蹴っていた。アイスクリーム屋が鈴をならして通り過ぎて行った。10歳くらいの女の子が、乳児を抱いて私につきまとう。<br />

    エーヤワディー川に出て、船上生活者が船を寄せて生活している場所にいった。彼らの生業は、竹や木の運搬のようで、トントンは、彼らは大変貧しい人たちだ。と言っていた。
    近くの広場のような所で、若者が輪になってが竹で編んだボールを蹴っていた。アイスクリーム屋が鈴をならして通り過ぎて行った。10歳くらいの女の子が、乳児を抱いて私につきまとう。

  • マンダレーヒル」に上がる。10年程前のトヨタ車は、急坂にあえぐ。<br /> 丘の頂上には、小さなガラスをはめこんだモスクのようなパゴダが建っていた。眼下にマンダレーの市街が望まれ、後に回ると畑と山々が広がっている。日本の田舎を思い起こすような景色だ。<br /> サンセットを見るために多くの外国人たちが集まってきた。英語・中国語・フランス語・イタリア語・韓国語・日本語が聞こえる。<br /><br />日本人の6人グループの人たちは写真撮影が趣味であるらしく、見るからに高級なカメラでサンセット方向にシャッターを切っていた。かたや、私のカメラはエラーメッセージが続出して、その都度バッテリーを抜いてリセットしなくてはならなかった。<br />しかし、美しい日の入りは見ることがかなわなかった。訪れていた雨期に、期待するのが間違いだろう。でも落胆はなかった。ロンジーをはき、風に吹かれているひとときはとても心地よい。<br /><br />のどが渇いたので夕食前にトントンの薦めで、「Beer Station Myanmar Lion」 に行く。地元の人たち御用達の屋外ビアガーデンだ。つまみは焼き鳥。入り口で何本かの串を選び焼いてもらう。そして、席に着いて生ビールを頼む。<br />トントンは英語で話しまくる。・・「今度はぜひ僕の家に泊まってください。奥さんや息子さんを連れて・・。あなたのことを気に入った。」と、実にフレンドリーなことを言ってくれる。2人で「中」を6杯ほど飲んだろうか。支払いは半々でと提案してきたが、これはゲストの私がガイドの労に報いるためにも勘定を持つのは当然。1300チャット・・300円程度だった、安い!!。<br />ディナーは、「Eternal」で中華料理だった。油っこい料理に辟易していたので、これはうれしかった。<br />

    マンダレーヒル」に上がる。10年程前のトヨタ車は、急坂にあえぐ。
     丘の頂上には、小さなガラスをはめこんだモスクのようなパゴダが建っていた。眼下にマンダレーの市街が望まれ、後に回ると畑と山々が広がっている。日本の田舎を思い起こすような景色だ。
     サンセットを見るために多くの外国人たちが集まってきた。英語・中国語・フランス語・イタリア語・韓国語・日本語が聞こえる。

    日本人の6人グループの人たちは写真撮影が趣味であるらしく、見るからに高級なカメラでサンセット方向にシャッターを切っていた。かたや、私のカメラはエラーメッセージが続出して、その都度バッテリーを抜いてリセットしなくてはならなかった。
    しかし、美しい日の入りは見ることがかなわなかった。訪れていた雨期に、期待するのが間違いだろう。でも落胆はなかった。ロンジーをはき、風に吹かれているひとときはとても心地よい。

    のどが渇いたので夕食前にトントンの薦めで、「Beer Station Myanmar Lion」 に行く。地元の人たち御用達の屋外ビアガーデンだ。つまみは焼き鳥。入り口で何本かの串を選び焼いてもらう。そして、席に着いて生ビールを頼む。
    トントンは英語で話しまくる。・・「今度はぜひ僕の家に泊まってください。奥さんや息子さんを連れて・・。あなたのことを気に入った。」と、実にフレンドリーなことを言ってくれる。2人で「中」を6杯ほど飲んだろうか。支払いは半々でと提案してきたが、これはゲストの私がガイドの労に報いるためにも勘定を持つのは当然。1300チャット・・300円程度だった、安い!!。
    ディナーは、「Eternal」で中華料理だった。油っこい料理に辟易していたので、これはうれしかった。

  • 楽しみにしていた「操り人形劇」を見るために「Garden Villa Theater」行く。マンダレー観光の最大の楽しみがこれだった。横列6シート、縦10列程度の小さな劇場だった。竹で編んだ壁には、売り物の操り人形がたくさんぶら下がってた。<br />私を待っていたかのように着席と同時に場内が暗くなり、幕があがった。ラーマヤナ物語を脚色したような演目だったけれど、難しいストーリーではなかった。<br />前奏で、太鼓・笛・琴が絶妙なハーモニーとうねりを作り出し、いよいよ人形たちが登場だ。その一瞬から目が釘付けになった。動きに躍動感がある。力が一方に流れずバランスが良い。片方の手足が伸びたら、反対はこれを補っている。ぶらぶらせず、力のためがある。しっかり歩き、走り、飛び、舞う。人形だから可能なアクロバットもこなしていく。実に見事な舞台だ。人形が人間の大きさのように目が慣れてくると、時々見える人形遣いの手が、とても巨大に見える。その手が、まさに人形(人間)を操る神の手のように思えた。なんとも不思議で美しい舞台だった。第一級の芸術だと思った。<br />1時間の公演はあっという間にすぎた。席を立って拍車喝采を贈った。この舞台を見るためにだけでもマンダレーに来る価値がある。それほどの舞台だ。<br />中央に立ち、ひときわ見事な技を披露してくれたのは、マスターである「U Pan Aye氏」だ。胸には政府からもらったメダルが下がっていた。彼はいわば日本でいう人間国宝なのだ。トントンは、「彼はマンダレーでナンバー1でなく、ミャンマーでナンバー1だ。」と絶賛していた。76歳だと言うことだが、とてもFresh(トントンのほめ言葉)だった。シアターを出る時、彼と堅く握手し感謝した。そして演奏の生録テープを買った。<br />今日を良い一日にしてくれたトントンに心から感謝した。<br />

    楽しみにしていた「操り人形劇」を見るために「Garden Villa Theater」行く。マンダレー観光の最大の楽しみがこれだった。横列6シート、縦10列程度の小さな劇場だった。竹で編んだ壁には、売り物の操り人形がたくさんぶら下がってた。
    私を待っていたかのように着席と同時に場内が暗くなり、幕があがった。ラーマヤナ物語を脚色したような演目だったけれど、難しいストーリーではなかった。
    前奏で、太鼓・笛・琴が絶妙なハーモニーとうねりを作り出し、いよいよ人形たちが登場だ。その一瞬から目が釘付けになった。動きに躍動感がある。力が一方に流れずバランスが良い。片方の手足が伸びたら、反対はこれを補っている。ぶらぶらせず、力のためがある。しっかり歩き、走り、飛び、舞う。人形だから可能なアクロバットもこなしていく。実に見事な舞台だ。人形が人間の大きさのように目が慣れてくると、時々見える人形遣いの手が、とても巨大に見える。その手が、まさに人形(人間)を操る神の手のように思えた。なんとも不思議で美しい舞台だった。第一級の芸術だと思った。
    1時間の公演はあっという間にすぎた。席を立って拍車喝采を贈った。この舞台を見るためにだけでもマンダレーに来る価値がある。それほどの舞台だ。
    中央に立ち、ひときわ見事な技を披露してくれたのは、マスターである「U Pan Aye氏」だ。胸には政府からもらったメダルが下がっていた。彼はいわば日本でいう人間国宝なのだ。トントンは、「彼はマンダレーでナンバー1でなく、ミャンマーでナンバー1だ。」と絶賛していた。76歳だと言うことだが、とてもFresh(トントンのほめ言葉)だった。シアターを出る時、彼と堅く握手し感謝した。そして演奏の生録テープを買った。
    今日を良い一日にしてくれたトントンに心から感謝した。

  • ■5日目(7/26)<br /><br />ヤンゴンに戻る日、空港でトントンときつく握手をかわして別れた。さわやかで熱心なナイスなガイドだった。<br /><br />ヘイホー経由のミャンマーエアーウェーズHK006便に搭乗し、10時半にヤンゴンに戻った。 ガイドのティーダが笑顔で迎えてくれた。<br />彼女は、ヤンゴン最大の野菜市場である「ティリミンガラー市場」に案内してくれた。トウモロコシが人の高さ以上に山積みにされ、タバコの葉の山から人影が見える。狭い通路は人の行き来で体が触れ合うほど。日本では見かけない色とりどりの食材が所狭しと並んでいた。<br />

    ■5日目(7/26)

    ヤンゴンに戻る日、空港でトントンときつく握手をかわして別れた。さわやかで熱心なナイスなガイドだった。

    ヘイホー経由のミャンマーエアーウェーズHK006便に搭乗し、10時半にヤンゴンに戻った。 ガイドのティーダが笑顔で迎えてくれた。
    彼女は、ヤンゴン最大の野菜市場である「ティリミンガラー市場」に案内してくれた。トウモロコシが人の高さ以上に山積みにされ、タバコの葉の山から人影が見える。狭い通路は人の行き来で体が触れ合うほど。日本では見かけない色とりどりの食材が所狭しと並んでいた。

  •  「チァウッターヂーパゴダ」に行く。 ミャンマーで一番大きな寝釈迦仏が安置されている。その表情が何とも現世的で艶っぽい。1907年に造られ高さ17.7m、長さ65.8mの大きさだ。座って見上げていると、体を横たえて、うたた寝をしてみたい気持になった。<br />                                       <br />ランチは、高級中華レストラン「Shan Kan」。前菜の飲茶も、チャーハンもビーフンもおいしかった。満席で大盛況だった。<br />

    「チァウッターヂーパゴダ」に行く。 ミャンマーで一番大きな寝釈迦仏が安置されている。その表情が何とも現世的で艶っぽい。1907年に造られ高さ17.7m、長さ65.8mの大きさだ。座って見上げていると、体を横たえて、うたた寝をしてみたい気持になった。
     
    ランチは、高級中華レストラン「Shan Kan」。前菜の飲茶も、チャーハンもビーフンもおいしかった。満席で大盛況だった。

  • 昼からは「ボジョーアウサンマーケット」と「チャィナタウン」を散策した。<br />マーケットでは、流行っている音楽テープ店を、店員の薦めで買った。全部ミャンマー語表示なので歌手名も特定できない。映画館ではタイタニツクがかかっていたが、ディーダは「濡れ場はカットされているのよ。」と。<br />路上には、あらゆる種類の屋台が並んでいた。食物・衣服・道具類なんでもそろう。<br />冷水屋もあった。50㎝ほどの針金の3か所に輪があり、それに菱形の氷が付けられている。注文が入ると、水をコップに入れ一番上の氷にかけると、残り2つの氷の表面にも水が流れ、下で受けた時には冷えているという訳だ。美人系の売り子の所にやはり沢山の客がいた。<br />タバコはバラ売りが当たり前のようだ。1本買い、そこにぶら下がっているライターで火をつける。<br /><br />「クーン屋」(噛み煙草屋)もあちこちで店を出していた。<br />ビンロウの種と石灰をキンマの葉で包んで噛むと、口がしびれような清涼感がいいらしい。口の中を赤く染めて噛んでいる男が、道路のあちこちに吐き捨てるものだから、道路にも赤く染まる。試してみたくてディーダに「やってみたい。」と言ってみたら、絶対していだめ!!。と強く言われた。<br /> 街のそぞろ歩きはとても楽しい。気温もそれほど高くない30度程だろう。チャィナタウン界隈の活況はすごかった。インド系の男がルビーやいかがわしいクスリを買わないかとすり寄って来る。宝くじをやっていたが、1等賞品はセコハンパジェロだった。道路には車がひしめき、超満員の乗り合いバスやトラックが行き交っている。車の後ろにも5,6人がしがみついている。自転車の横にサイドカーを付けた「サイカー」も健在だ。<br /><br /><br />※これはホテル近くの街角の一枚<br />

    昼からは「ボジョーアウサンマーケット」と「チャィナタウン」を散策した。
    マーケットでは、流行っている音楽テープ店を、店員の薦めで買った。全部ミャンマー語表示なので歌手名も特定できない。映画館ではタイタニツクがかかっていたが、ディーダは「濡れ場はカットされているのよ。」と。
    路上には、あらゆる種類の屋台が並んでいた。食物・衣服・道具類なんでもそろう。
    冷水屋もあった。50㎝ほどの針金の3か所に輪があり、それに菱形の氷が付けられている。注文が入ると、水をコップに入れ一番上の氷にかけると、残り2つの氷の表面にも水が流れ、下で受けた時には冷えているという訳だ。美人系の売り子の所にやはり沢山の客がいた。
    タバコはバラ売りが当たり前のようだ。1本買い、そこにぶら下がっているライターで火をつける。

    「クーン屋」(噛み煙草屋)もあちこちで店を出していた。
    ビンロウの種と石灰をキンマの葉で包んで噛むと、口がしびれような清涼感がいいらしい。口の中を赤く染めて噛んでいる男が、道路のあちこちに吐き捨てるものだから、道路にも赤く染まる。試してみたくてディーダに「やってみたい。」と言ってみたら、絶対していだめ!!。と強く言われた。
     街のそぞろ歩きはとても楽しい。気温もそれほど高くない30度程だろう。チャィナタウン界隈の活況はすごかった。インド系の男がルビーやいかがわしいクスリを買わないかとすり寄って来る。宝くじをやっていたが、1等賞品はセコハンパジェロだった。道路には車がひしめき、超満員の乗り合いバスやトラックが行き交っている。車の後ろにも5,6人がしがみついている。自転車の横にサイドカーを付けた「サイカー」も健在だ。


    ※これはホテル近くの街角の一枚

  • シングッタヤの丘に立つミャンマー仏教の総本山「シュエダゴォンバゴダ」に行った。<br />黄金に輝くパゴダは高さ99.4mもあり、他のそれを圧倒する大きさだ。上部には6000個以上の宝石がちりばめられ、先端につけられたダイヤモンドは76カラットだと言う。境内の広さも半端じゃない。ミャンマーの人にとってもあこがれの地で、熱心に祈りを捧げる人たちがいた。

    シングッタヤの丘に立つミャンマー仏教の総本山「シュエダゴォンバゴダ」に行った。
    黄金に輝くパゴダは高さ99.4mもあり、他のそれを圧倒する大きさだ。上部には6000個以上の宝石がちりばめられ、先端につけられたダイヤモンドは76カラットだと言う。境内の広さも半端じゃない。ミャンマーの人にとってもあこがれの地で、熱心に祈りを捧げる人たちがいた。

  • 彼らは弁当持参で境内に入り、ゆったりした時間の中で瞑想し、祈りを捧げていた。昼寝をしている人たちもたくさんいた。ミャンマーでは、誕生した曜日が大変重要なよのうだ。私は月曜日、月曜日のシンボルは虎。ここの仏像に水を手向け、手を合わせた。<br />ホテルへの帰路、スレーバゴダ界隈も見ておいた。<br /><br />

    彼らは弁当持参で境内に入り、ゆったりした時間の中で瞑想し、祈りを捧げていた。昼寝をしている人たちもたくさんいた。ミャンマーでは、誕生した曜日が大変重要なよのうだ。私は月曜日、月曜日のシンボルは虎。ここの仏像に水を手向け、手を合わせた。
    ホテルへの帰路、スレーバゴダ界隈も見ておいた。

  • 夕食はレストラン「KARAEEIK PALACE」。カンドジー湖に作られたバイキング方式のレストランで、ミャンマーの舞踏やあやつり人形を見ながら食事した。<br />マンダレーヒルで出会った那須から来ていたカメラ愛好家たちと再会した。ツアーで回るコースはほぼ同じなので、日が同じだと立ち回り先で一緒になることはよくあることだ。<br />ホテルにもどる途中、ライトアップされたシュエダゴォンバゴダを見た。信者から寄進されたお金で毎夜ライトアップされているという。

    夕食はレストラン「KARAEEIK PALACE」。カンドジー湖に作られたバイキング方式のレストランで、ミャンマーの舞踏やあやつり人形を見ながら食事した。
    マンダレーヒルで出会った那須から来ていたカメラ愛好家たちと再会した。ツアーで回るコースはほぼ同じなので、日が同じだと立ち回り先で一緒になることはよくあることだ。
    ホテルにもどる途中、ライトアップされたシュエダゴォンバゴダを見た。信者から寄進されたお金で毎夜ライトアップされているという。

  • ■6日目(7/27)<br /><br />朝、下痢。ガイドブックには「下痢はミャンマーへの通過儀礼など」と書いてあったので、「とうとう私もミャンマーに受け入れられたんだ。」と軽く思い、臆することなく観光に出発した。<br />今日はティーダを伴ってヤンゴン鉄道に乗る。どこへ行くというのではなく環状線に乗り、人々をウォッチングし、3時間程度汽車に揺られヤンゴン駅にもどるという趣向だ。運賃は7チャットなのだがけれど外国人は1$だった。パスポートの提示も要求される。現地の人はフリーだが有名バゴダの入場も5$。そうして外貨をかせいでいる。<br /> <br />きちんとしたインフォメーションがあるわけでなく、電光掲示板があるわけでない。ホーム移動も線路に降りて行った。足下をみれば、色々と厄介なものが落ちている。踏まないように注意深く歩いた。<br />乗車した環状線の列車には木製の座席が、横一列に窓際に着いている。レールの整備が不良のせいか、少し横に滑る時もある。他の乗客が奇異な目で私を見る。庶民の足であるローカル路線に外国人が乗っている・・というのは確かに珍しいことかもしれない。回ってきた車掌は、身の安全のために警備の兵士がいる客車に移らないかと勧めてくれた。が、移動のためではく、ここに住む人たちの姿をウオッチングするのが目的だったので、このままいることにした。<br />車窓に広がる光景は、ビーンズ畑や外観がみすぼらしい何かの工場が目に入ってくる程度で、これと言った特徴的なものはなかった。トイレ事情を反映して、線路際の草むらにしゃがむこみ用を足す男たちも時々見かけた。<br /><br />※駅前<br />

    ■6日目(7/27)

    朝、下痢。ガイドブックには「下痢はミャンマーへの通過儀礼など」と書いてあったので、「とうとう私もミャンマーに受け入れられたんだ。」と軽く思い、臆することなく観光に出発した。
    今日はティーダを伴ってヤンゴン鉄道に乗る。どこへ行くというのではなく環状線に乗り、人々をウォッチングし、3時間程度汽車に揺られヤンゴン駅にもどるという趣向だ。運賃は7チャットなのだがけれど外国人は1$だった。パスポートの提示も要求される。現地の人はフリーだが有名バゴダの入場も5$。そうして外貨をかせいでいる。

    きちんとしたインフォメーションがあるわけでなく、電光掲示板があるわけでない。ホーム移動も線路に降りて行った。足下をみれば、色々と厄介なものが落ちている。踏まないように注意深く歩いた。
    乗車した環状線の列車には木製の座席が、横一列に窓際に着いている。レールの整備が不良のせいか、少し横に滑る時もある。他の乗客が奇異な目で私を見る。庶民の足であるローカル路線に外国人が乗っている・・というのは確かに珍しいことかもしれない。回ってきた車掌は、身の安全のために警備の兵士がいる客車に移らないかと勧めてくれた。が、移動のためではく、ここに住む人たちの姿をウオッチングするのが目的だったので、このままいることにした。
    車窓に広がる光景は、ビーンズ畑や外観がみすぼらしい何かの工場が目に入ってくる程度で、これと言った特徴的なものはなかった。トイレ事情を反映して、線路際の草むらにしゃがむこみ用を足す男たちも時々見かけた。

    ※駅前

  • 車内にはいろんな人たちが乗り込んでくる。<br />さまざまな物売りたちが、威勢良く声をかけて回ってくる。新聞・お菓子・教典・アクセサリー・おもちゃ・軽食が売買される。野菜や雑多な商品が積み込まれてくる。お金を恵んでくれと、子供が服を引っ張る。歌を披露して金を稼ぐ人たちも回ってきたが、その中の盲目の歌人の哀愁を帯びた歌にはずっと耳を傾けておきたかった。<br />乗客は何かを食べたり、タバコを吸ったり、コーンを噛んだり捨てたりしている。<br />子どもが父親に物をねだっている。その子どもに他の乗客が、鉄砲の形にした手を向けて撃つ真似をしてちょっかいを出す。<br /> <br />車内や車窓から外をながめながら、ティーダと3時間、よどみなくいろいろ話した。「ミャンマー人は父母をうやまう。年上の人に尊敬をはらう。妻は夫に従う」・・そんなミャンマー人の徳を紹介してくれた。日本でも大切にされてきた価値観だけど、社会変化の中で、ないがしろにされている一面があることを伝えた。生活基盤の拡充によって核家族化が進み、女性の自立と社会進出の中で、夫への妻の従属性は崩れていったことも申し添えて。<br />  彼女は実に勉強家だ。この車中にも日本語のテキストを持ち込んで、私にいろいろと質問する。日本大使館が主催する日本語検定で2級を取り、今1級を取得する準備を進めている。<br /> 日曜日も塾に通い、空いた時間も仲間とともに学習に充てている。ノートにはびっしり丁寧に書かれたひらがなや漢字が並んでいた。<br /> 持参して読み終えた「ビルマの竪琴」を渡した。末尾に荒城の月などの楽譜も入っていたので、喜んでくれた。わかりやすい文章だし難しい漢字にはルビがふってあったので、何とか読みこなすだろう。<br />あっという間の3時間だった。ランチはボジョーアウサンマーケット近くのファーストフードのようなチャーハン屋で。日本語をコーチしたお礼なのか、代金を払ってくれた。<br /><br /><br />

    車内にはいろんな人たちが乗り込んでくる。
    さまざまな物売りたちが、威勢良く声をかけて回ってくる。新聞・お菓子・教典・アクセサリー・おもちゃ・軽食が売買される。野菜や雑多な商品が積み込まれてくる。お金を恵んでくれと、子供が服を引っ張る。歌を披露して金を稼ぐ人たちも回ってきたが、その中の盲目の歌人の哀愁を帯びた歌にはずっと耳を傾けておきたかった。
    乗客は何かを食べたり、タバコを吸ったり、コーンを噛んだり捨てたりしている。
    子どもが父親に物をねだっている。その子どもに他の乗客が、鉄砲の形にした手を向けて撃つ真似をしてちょっかいを出す。

    車内や車窓から外をながめながら、ティーダと3時間、よどみなくいろいろ話した。「ミャンマー人は父母をうやまう。年上の人に尊敬をはらう。妻は夫に従う」・・そんなミャンマー人の徳を紹介してくれた。日本でも大切にされてきた価値観だけど、社会変化の中で、ないがしろにされている一面があることを伝えた。生活基盤の拡充によって核家族化が進み、女性の自立と社会進出の中で、夫への妻の従属性は崩れていったことも申し添えて。
    彼女は実に勉強家だ。この車中にも日本語のテキストを持ち込んで、私にいろいろと質問する。日本大使館が主催する日本語検定で2級を取り、今1級を取得する準備を進めている。
     日曜日も塾に通い、空いた時間も仲間とともに学習に充てている。ノートにはびっしり丁寧に書かれたひらがなや漢字が並んでいた。
     持参して読み終えた「ビルマの竪琴」を渡した。末尾に荒城の月などの楽譜も入っていたので、喜んでくれた。わかりやすい文章だし難しい漢字にはルビがふってあったので、何とか読みこなすだろう。
    あっという間の3時間だった。ランチはボジョーアウサンマーケット近くのファーストフードのようなチャーハン屋で。日本語をコーチしたお礼なのか、代金を払ってくれた。


  • 3時頃ホテルにもどった。熱っぽい。フロントで体温計を借りてはかってみたら、37.8度。ポンタールを持参していたので、すぐ飲んでベットに横になった。腹痛はないのだけれど、下痢がすさまじい。長い長い下痢症状の始まりだった。MTBTOURS社長のAUNG NAY HTOOさんも、正露丸を届けてくれたり、何かと気をもんでくれた。<br />夕食もとる気になれず、車を手配してもらって、スーパーマーケットに出かけ、口に合いそうな食料を買い込んだ。油っこい辛い食事はとうてい受け付けられない。パンやビスケットやリンゴなどで、翌日の昼まで食いつないだ。ビオフェルミンも持参していたので、飲んでみたが、全くきかない・・。ウトウトしているが、覚醒しているのか、夢の中なのかわからない状態が続いた。<br /><br />

    3時頃ホテルにもどった。熱っぽい。フロントで体温計を借りてはかってみたら、37.8度。ポンタールを持参していたので、すぐ飲んでベットに横になった。腹痛はないのだけれど、下痢がすさまじい。長い長い下痢症状の始まりだった。MTBTOURS社長のAUNG NAY HTOOさんも、正露丸を届けてくれたり、何かと気をもんでくれた。
    夕食もとる気になれず、車を手配してもらって、スーパーマーケットに出かけ、口に合いそうな食料を買い込んだ。油っこい辛い食事はとうてい受け付けられない。パンやビスケットやリンゴなどで、翌日の昼まで食いつないだ。ビオフェルミンも持参していたので、飲んでみたが、全くきかない・・。ウトウトしているが、覚醒しているのか、夢の中なのかわからない状態が続いた。

  • ■7日目(7/28)<br /><br />ミャンマー最後の日。そして夜の便で帰国となる。<br />予定では国立博物館等に出かけてみようと思っていたが、動ける状態ではない。ひっきりなしにトイレに駆け込む。油っこい食事が続いたので体が拒否反応を示したのか、アンサンマーケットで飲んだアイスコーヒーが良くなかったのか。・・・単なる食あたりではないのではないかも思った。<br />熱は下がってはいるが、ポンタールを飲み続けているからだろう。 ガイドブックを見たり、テレビを見たりしてすごす。 昨日が帰国の日だったら大変だったろう。下痢は改善されていないが、一日ゆっくりできたので長いフライトに何とか耐えられそうだ。<br /><br />夕刻の5時はすぐ来た。帰国の準備をして下に降りたら、心配そうにティーダがロビーにいた。<br /> すばらしい思い出を作ってくれたティーダに心から感謝した。<br />ミャンマーという国が、彼女によってぐっと近いものとなった。「あなたはまだ、バゴーやチャイティーヨを見ていないから、必ずもう一度来る必要がある」・・と言う。そうしたくなった。<br />空港で、最後の別れの挨拶をした。清楚で魅力的な女性であった。<br /><br />搭乗手続きを進めていたら、横に一人の30歳ぐらいの日本人女性がいた。出発ロビーでも一緒だったので話しかけた。ラオスを訪れたら東南アジアはすべて回ったと言うアジア好き。仙台からドムアン空港までチャーター機が夏だけ就航しているそうで、それで来たと言う。<br />彼女は看護師だそうで、強力な下痢止め剤ロベミンをくれた。近い将来、アジアのどこかの病院で看護婦として働く希望を持っている。バンコク・ドムアン空港まで同行したが、トランジットの時間が違うので着後すぐ別れた。<br />バンコク発TG622便は予定通り午前0時テイクオフした。5時間と少しで、関空着となる。<br />ロベミンがきいているのか、一回もそれのために立たなくて良かった。<br /><br />※ホテルの近くにて<br />

    ■7日目(7/28)

    ミャンマー最後の日。そして夜の便で帰国となる。
    予定では国立博物館等に出かけてみようと思っていたが、動ける状態ではない。ひっきりなしにトイレに駆け込む。油っこい食事が続いたので体が拒否反応を示したのか、アンサンマーケットで飲んだアイスコーヒーが良くなかったのか。・・・単なる食あたりではないのではないかも思った。
    熱は下がってはいるが、ポンタールを飲み続けているからだろう。 ガイドブックを見たり、テレビを見たりしてすごす。 昨日が帰国の日だったら大変だったろう。下痢は改善されていないが、一日ゆっくりできたので長いフライトに何とか耐えられそうだ。

    夕刻の5時はすぐ来た。帰国の準備をして下に降りたら、心配そうにティーダがロビーにいた。
    すばらしい思い出を作ってくれたティーダに心から感謝した。
    ミャンマーという国が、彼女によってぐっと近いものとなった。「あなたはまだ、バゴーやチャイティーヨを見ていないから、必ずもう一度来る必要がある」・・と言う。そうしたくなった。
    空港で、最後の別れの挨拶をした。清楚で魅力的な女性であった。

    搭乗手続きを進めていたら、横に一人の30歳ぐらいの日本人女性がいた。出発ロビーでも一緒だったので話しかけた。ラオスを訪れたら東南アジアはすべて回ったと言うアジア好き。仙台からドムアン空港までチャーター機が夏だけ就航しているそうで、それで来たと言う。
    彼女は看護師だそうで、強力な下痢止め剤ロベミンをくれた。近い将来、アジアのどこかの病院で看護婦として働く希望を持っている。バンコク・ドムアン空港まで同行したが、トランジットの時間が違うので着後すぐ別れた。
    バンコク発TG622便は予定通り午前0時テイクオフした。5時間と少しで、関空着となる。
    ロベミンがきいているのか、一回もそれのために立たなくて良かった。

    ※ホテルの近くにて

  • ■7/29(8日目)  <br /><br />関空に7時30分についた。発熱と下痢を経験したので正直に検疫所に届けた。96年にインドネシアに行ったおり、同行することとなった兵庫県の夫婦がエルトール小川型のコレラにかかったことが思い出された。みんなに迷惑がかからないよう、検査を受けておこうと思った。問診ののち、検便検査も受けた。検疫官のドクターは終始にこやかで、人当たりよく安心した。赤痢やコレラなど法定伝染病に罹患している場合は、4日以内に連絡するということだった。少々不安な数日を過ごしたが、電話は鳴らなかった。確認のためにこちらから電話したが、陰性ということであった。しかし下痢の症状は改善されない。かかりつけの医院に2回受診したが、最終的に下痢が止まったのは8月5日。なんと10日もかかってしまった。この間、見事に腸内の清掃がされたことと思う。今までは、外国に出るとどちらと言えば、逆に快腸になるほうだったが、今回初めて体調を崩した。ドクターの診断はウィルス性のものと言う。腸風邪ということか。<br /> それにしても、いい旅だった。咀嚼しきれないたくさんの思い出を作ってくれた。<br />良いものを見、良い人々に出会えた。  <br /><br />※ホテルの近くにて

    ■7/29(8日目)

    関空に7時30分についた。発熱と下痢を経験したので正直に検疫所に届けた。96年にインドネシアに行ったおり、同行することとなった兵庫県の夫婦がエルトール小川型のコレラにかかったことが思い出された。みんなに迷惑がかからないよう、検査を受けておこうと思った。問診ののち、検便検査も受けた。検疫官のドクターは終始にこやかで、人当たりよく安心した。赤痢やコレラなど法定伝染病に罹患している場合は、4日以内に連絡するということだった。少々不安な数日を過ごしたが、電話は鳴らなかった。確認のためにこちらから電話したが、陰性ということであった。しかし下痢の症状は改善されない。かかりつけの医院に2回受診したが、最終的に下痢が止まったのは8月5日。なんと10日もかかってしまった。この間、見事に腸内の清掃がされたことと思う。今までは、外国に出るとどちらと言えば、逆に快腸になるほうだったが、今回初めて体調を崩した。ドクターの診断はウィルス性のものと言う。腸風邪ということか。
    それにしても、いい旅だった。咀嚼しきれないたくさんの思い出を作ってくれた。
    良いものを見、良い人々に出会えた。

    ※ホテルの近くにて

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