2019/01/12 - 2019/01/12
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Donkyさん
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1月12日(土)今年も東久留米の新年の風物詩である東久留米七福神めぐり(スタンプラリー)が開催されました。
西武池袋線東久留米駅西口下車、徒歩3分の西口公園から出発します。
改札を出て西口方向に降りると今年も地元有志ボランティアによる自慢の和太鼓による応援が雰囲気を盛り上げます。
受付:9時半から11時半。東久留米駅から徒歩3分の西口公園。
途中の大圓寺近く、れんげ公園では「ぬくぬくパーク」でお楽しみ。これもいつも通り。
ラリー参加者には お馴染みとなった先着2500名に「かりんとう」サービスは今年も健在。
午後からの初雪を避けるように午前中のうちに滞りなく開催されました。
注)ブログ記事のうち各訪問先の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』およびそれぞれの公式サイトから抜粋・加筆したものです。
- 交通手段
- 徒歩
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ポスターのデザインが昨年のものと全く同じデザイン。
七福神(しちふくじん)とは、ご存じのように福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神です。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンズー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っています。 -
七福神めぐりは、新年のご利益はもちろん、沿道に広がる川沿いの自然を満喫できます。なんとこのデザインも昨年と全く同じ(マップだから当たり前)
七福神はグローバルな神々の集合体ですが、このうち福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす恵比寿は唯一日本由来の神です。 -
改札を出て西口に向かうと 階段下に 和太鼓演奏の応援隊 これも例年通り
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東口久留米駅西口
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駅構内では応援の和太鼓ボランティア演奏も景気づけに
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東久留米七福神(ひがしくるめしちふくじん)は東京都東久留米市の5社の寺院にある七神の総称です。久留米の地名の由来となった黒目川とその支流落合川に囲まれた地域にある寺院で構成されます。なお、大圓寺には全七福神7体の本尊も祀られています。 今年はゴールが市役所内市民プラザです。
東久留米七福神の一覧
大圓寺‐恵比寿、福禄寿、寿老人
米津寺‐布袋尊
多聞寺‐毘沙門天
浄牧院‐大黒天
宝泉寺‐弁財天 -
応援の和太鼓ボランティア演奏が雰囲気を盛り上げます。
いざスタート!! -
駅西口景観 この日は曇りでしたが 晴れていればこんな感じ
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駅西口徒歩3分の西口公園
ここで「七福神めぐりラリー参加者」を登録します。(参加費 100円) -
落合川に沿ってラリー開始
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順路でみかけた季節を代表する南天はもとは中国原産。日本では西日本、四国、九州に自生していますが、古くに渡来した栽培種が野生化したものだとされています。東北、中部、東日本でもみられます。南天の花は、仲夏の季語。実は三冬の季語となっています。 さあまずは 多門寺へ
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多聞寺:石神井公園の三宝寺の末寺です。
"開山貞和5年に開山。本尊は不動木の立像、境内は古樹蒼鬱として古寺なること知るべし、本堂、左に毘沙門堂がある"と新編武蔵風土記稿に記されています。 -
皇国地誌では康元元年(1256年)に創建とされ、3度の大火にあって延喜3年(1945年)に再建され、現在の本堂は1975年(昭和50年)6月に鉄筋コンクリートで建替えられました。
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多聞寺の毘沙門天。 薬師堂堂内には薬師如来はじめ、木造の地蔵菩薩、弁財天などが保存されていました。もとは毘沙門堂でした。
◇毘沙門天は仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされます。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があります。 -
米津寺は、東京都東久留米市にある臨済宗妙心寺の寺院です。
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米津寺は、萬治2年(1659年)、開山を大愚(だいぐ)和尚、開基を二代目・米津田盛(たもり)とし、米津家の菩提寺として建立されました。禅宗臨済派京都妙心寺の末寺でもあります。
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この寺は米津家一氏のみが檀家となった寺であり、米津家初代・田政(たまさ)の子、二代目・田盛(たもり)、四代目・政矩(まさのり)、六代目・政崇(まさたか)、八代目・政懿(まさよし)の墓地があります。慶長8年(1603年)、徳川家康の江戸入府に伴い、三河の家臣団が江戸に移住してきた折、その中に米津(よねきつ)氏がいました。
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米津氏は寛文6年(1666年)以降、一万石余の大名に昇格しており、小さな大名とはいえ東久留米市域とは深いつながりを持っていました。
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米津寺 布袋尊
◇布袋尊は、七福神の中で唯一中国(唐の時代)に実在した禅僧です。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身とも言われています。
長丁子と号した唐代末期の禅僧・契此をはじめ、宋の僧了明、棗陽の張氏の男など、四人が布袋和尚として伝えられています。彼らはいずれも額が広く、巨大な太鼓腹に、体躯は肥って背低く、いつも半裸という風体。杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。食べ物を施されると、少しだけ食べて残りは袋の中にしまっておくのが常だったといいます。 -
七福神めぐりの道すがら ゆるキャラ?(ボランティアのヌイグルミですね)の応援に遭遇
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次は 大圓寺です。
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天台宗普門山 大圓寺へ
天台宗寺院の大圓寺は、普門山三皇院と号します。 -
大圓寺には 恵比寿、福禄寿、寿老人の三尊があります。
◇恵比寿はイザナミ・イザナギの間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)もしくは大国主の息子である「事代主」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神です。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となりました。この中で唯一日本由来の神です。
◇福禄寿は道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人です。寿老人と同一神とされることもあります。長寿と福禄をもたらします。
◇寿老人は道教の神で南極星の化身の南極老人です。日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもあります。
以上 出典はフリー百科 ウイキペディア -
大圓寺の創建年代は不詳ですが、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。
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途中の大圓寺近く、小山れんげ公園では「ぬくぬくパーク」でお楽しみ。
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宝泉寺
宝泉寺の由来については明らかではなく明治28年の社寺調書に「承和5年慈覚大師の開基と伝う」とあるだけです。 -
宝泉寺弁財天尊
◇弁財天はインド神話で、河川の女神です。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰されました。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶(びわ)を弾く天女の姿で表されます。また、日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰されています。(出典 小学館)
市の文化財に指定されている板絵弁財天は村内の別の場所から明治の神仏分離で本尊だけ宝泉寺に移されたものです。 -
浄牧院: 創建年代は不詳ですが、文安元年(1444)八王子城主北条安祝が開基となり創建したと伝えられます。曹洞宗寺院の浄牧院は、神護山と号します。
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天正19年(1591)寺領30石の朱印状を拝領、前沢村・神山村・当村(大門村)に寺領を有していました。
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東久留米七福神の大黒天尊、関東百八地蔵107番です。
◇大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたものです。 -
ゴールは市民プラザです。 獅子舞やら地元ボランティアによるバンドがお出迎え
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当日配布のスタンプ6個(各寺院+ゴール)で先着2500名に市の名産品「柳久保かりんとう」プレゼント。
去年は先着3000名だったような気もしますが・・。
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