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12時半過ぎ、グリーングロット洞窟の見学を終え、11月半ばにお世話になったJOCVの先輩隊員をピックアップしてお昼を一緒に食べる。前回はプエルトセコ・ビーチ(Puerto Seco Beach)でシーフードを食べたが、今回は隣町のランアウェイベイ(Runaway Bay)のラスタファリアン(Rastafarian)のレストランで、アイタルフード(Ital Food)と呼ばれる自然食ランチを食べる。分かりやすく云えばヴェジタリアン料理。サワーソップのジュースと一緒に食べたのだが、これが失礼かもしれないが意外にうまかった。<br /><br />ラスタファリアニズム(Rastafarianism)は、1930年代にジャマイカで始まったアフリカ回帰を掲げる宗教的思想運動で、実践者をラスタファリアンなどと呼ぶ。この呼び方はエチオピア帝国(Ethiopian Empire)最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)の即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(Ras Tafari Makonnen)に由来している。ラスタファリアンで多分最も有名なのは亡くなったボブ・マーリー(Bob Marley)で、彼の音楽はラスタファリアニズムを背景としており、数多くの人々に多大な影響を与え、全世界に100万人のラスタファリアンがいると云われる。ジャマイカでは5%から10%がラスタファリアンで、ドレッドロックス(Dreadlocks)の髪型で、黒、赤、緑、金(黄)の4色の組み合わせのラスタカラーを身にまとった人々を見掛けることは珍しくない。ちなみにこの色はジャマイカ独立のために戦った黒人戦士の黒、戦いで流れた血の赤、ジャマイカの自然の緑、ジャマイカの国旗の金(もしくは黄=太陽の色)を表している。彼らは自然から採れるものを摂取しなければならないという教義に従ってアイタルフードを食べている。その一環として大麻(ジャマイカではガンジャ(Ganja)と呼ばれる)は神聖な植物であるとされ、ジャマイカの法律では違法であるが、使用しているラスタファリアンは多い。ラスタファリアニズムは詳しく書くと切りがないので、ここまでとする。<br /><br />昼食後、先輩隊員を彼の職場まで送る。年末で職員がいないので、亀の世話に行くとのこと。ついでに海にも入るそうで、本当に海が好きな人だと感心する。また、一緒に泳ぎたいものだ。土産にもらったスウィートサップは甘くて美味しかった。ありがとうございました!<br /><br />2時頃彼と別れ帰路に就くがちょっと寄り道。ディスカバリーベイから13㎞ほど内陸にあるブラウンズタウン(Brown&#39;s Town)へ。この町はセントアン(St. Ann)パリッシュの重要な内陸部の町で、大きな市場が立つことで知られているが、複数の教育機関が集まっている町でもある。町の名前は町の創始者、ハミルトン・ブラウン(Hamilton Brown)から来ているが、以前はハミルトンタウン(Hamilton Town)と呼ばれていた。1776年にアイルランドで生まれたブラウンはこの地に大きな農園を造り、1835年から1840年に掛けて多くの移民をアイルランドから受け入れた。19世紀後半にはアフリカの探検家としても有名なスコットランド人バプテスト(Baptist)派宣教師ジェームズ・ジョンストン(James Johnston)がこの町をベースとして9つの教会を造り宣教活動を行った。<br /><br />この日は土曜日で市が行われており、マーケットの周りは大混雑だった。マーケットのすぐ近くにはビクトリア朝のゴシック様式の聖マルコ聖公会教会(St Mark&#39;s Anglican Church)がある。この教会は元々は1805年にハミルトン・ブラウンの寄付で建てられた小さな教会だった。しかし、彼の死後荒廃し、現在の教会は1895年に建て直されたもの。石造りの外観はなかなか美しい。<br /><br />ハミルトン・ブラウンはバプテスト派を忌み嫌い、バプテスト教会や自由奴隷村(free slave village)に燃やそうとしたらしいが、聖マルコ聖公会教会の奥にはバプテスト教会(Brown&#39;s Town Baptist)が建っている。この教会も石壁が美しい。1834年に自由奴隷村も作ったジョン・クラーク(John Clarke)牧師によって建てられたもので、ブラウンが燃やそうとしたものなのか、前の教会が燃やされたあとに建てられたものかは分からない。<br /><br />時代は過ぎ、現在のジャマイカ(01年調査)はバプテスト派8.8%に対し、聖公会(Anglican)派は5.5%となっている。ちなみにチャーチオブゴッド(Church of God)派が21.2%でトップで、次いでセブンスデーアドベンチスト(Seventh-day Adventist)派が9.0%で、バプテスト派が3番目、聖公会派はペンテコステ(Pentecostal)派に次いで5番目。これらプロテスタント(Protestant)が全体の62%を占めており、ローマカソリックは2%で、新興勢力と併せてキリスト教が66%。なお、この調査ではラスタファリアンは1%強で、ラスタファリアニズムが宗教かどうかは議論があるが、キリスト教以外では唯一1%を越えている。ただし、無宗教と答えた人は21%いたそうだ。<br /><br />もう1か所寄り道はセントアンズベイ(St Ann&#39;s Bay)の少し西、A1国道から少し山側に入ったところにあるセビル・ヘリテージパーク(Seville Heritage Park)。この辺りはスペインが1509年にジャマイカの最初の植民地首都、セビージャラヌエバ(Sevilla la Nueva)を置いたところ。その後首都はビジャデラベガ(Villa de la Vega=現在のスパニッシュタウン(Spanish Town))に移され、1655年のイングランド(England)のジャマイカ侵攻(Invasion of Jamaica)後は陸軍士官リチャード・ヘミング(Richard Hemming)に与えられた。この土地は砂糖農園として開拓され、、1745年にヘミングの孫によって建てられたグレートハウスによって管理されていた。グレートハウスとは大農園主のお屋敷でジャマイカには何ヶ所か残っているが、ここも1830年前半の奴隷たちの反乱時に焼き払われることなく残り、残っている多くのグレートハウスは個人所有だが、ここは国の管理下となり重要歴史建造物として管理されている。<br /><br />屋敷の奥の山一帯に奴隷たちの居住地が置かれていた。また、A1国道の反対側の海側は今は乗馬場と林しかないが、当時は港町があり、砂糖を積み出していた。現在はグレートハウスは博物館として整備され、タイノ族(Taino)の家や奴隷の家や菜園も復元されている。また、ヘミング家の墓や1997年に再埋葬された奴隷たちの記念碑もある。博物館ではタイノ族の時代から植民地時代までの遺跡の歴史をガイドが説明してくれるそうだが、この日は年末の所為かクローズされていた。国道のすぐそばなので、また機会があれば寄ってみよう。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2553957934674215&amp;type=1&amp;l=a129469c54<br /><br /><br />以上

セントアンその他 (Brown's Town & Seville Heritage Park, St. Ann, Jamaica)

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2018/12/29 - 2018/12/29

33位(同エリア59件中)

旅行記グループ ジャマイカ 007映画ロケ地他

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ちふゆ

ちふゆさん

12時半過ぎ、グリーングロット洞窟の見学を終え、11月半ばにお世話になったJOCVの先輩隊員をピックアップしてお昼を一緒に食べる。前回はプエルトセコ・ビーチ(Puerto Seco Beach)でシーフードを食べたが、今回は隣町のランアウェイベイ(Runaway Bay)のラスタファリアン(Rastafarian)のレストランで、アイタルフード(Ital Food)と呼ばれる自然食ランチを食べる。分かりやすく云えばヴェジタリアン料理。サワーソップのジュースと一緒に食べたのだが、これが失礼かもしれないが意外にうまかった。

ラスタファリアニズム(Rastafarianism)は、1930年代にジャマイカで始まったアフリカ回帰を掲げる宗教的思想運動で、実践者をラスタファリアンなどと呼ぶ。この呼び方はエチオピア帝国(Ethiopian Empire)最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)の即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(Ras Tafari Makonnen)に由来している。ラスタファリアンで多分最も有名なのは亡くなったボブ・マーリー(Bob Marley)で、彼の音楽はラスタファリアニズムを背景としており、数多くの人々に多大な影響を与え、全世界に100万人のラスタファリアンがいると云われる。ジャマイカでは5%から10%がラスタファリアンで、ドレッドロックス(Dreadlocks)の髪型で、黒、赤、緑、金(黄)の4色の組み合わせのラスタカラーを身にまとった人々を見掛けることは珍しくない。ちなみにこの色はジャマイカ独立のために戦った黒人戦士の黒、戦いで流れた血の赤、ジャマイカの自然の緑、ジャマイカの国旗の金(もしくは黄=太陽の色)を表している。彼らは自然から採れるものを摂取しなければならないという教義に従ってアイタルフードを食べている。その一環として大麻(ジャマイカではガンジャ(Ganja)と呼ばれる)は神聖な植物であるとされ、ジャマイカの法律では違法であるが、使用しているラスタファリアンは多い。ラスタファリアニズムは詳しく書くと切りがないので、ここまでとする。

昼食後、先輩隊員を彼の職場まで送る。年末で職員がいないので、亀の世話に行くとのこと。ついでに海にも入るそうで、本当に海が好きな人だと感心する。また、一緒に泳ぎたいものだ。土産にもらったスウィートサップは甘くて美味しかった。ありがとうございました!

2時頃彼と別れ帰路に就くがちょっと寄り道。ディスカバリーベイから13㎞ほど内陸にあるブラウンズタウン(Brown's Town)へ。この町はセントアン(St. Ann)パリッシュの重要な内陸部の町で、大きな市場が立つことで知られているが、複数の教育機関が集まっている町でもある。町の名前は町の創始者、ハミルトン・ブラウン(Hamilton Brown)から来ているが、以前はハミルトンタウン(Hamilton Town)と呼ばれていた。1776年にアイルランドで生まれたブラウンはこの地に大きな農園を造り、1835年から1840年に掛けて多くの移民をアイルランドから受け入れた。19世紀後半にはアフリカの探検家としても有名なスコットランド人バプテスト(Baptist)派宣教師ジェームズ・ジョンストン(James Johnston)がこの町をベースとして9つの教会を造り宣教活動を行った。

この日は土曜日で市が行われており、マーケットの周りは大混雑だった。マーケットのすぐ近くにはビクトリア朝のゴシック様式の聖マルコ聖公会教会(St Mark's Anglican Church)がある。この教会は元々は1805年にハミルトン・ブラウンの寄付で建てられた小さな教会だった。しかし、彼の死後荒廃し、現在の教会は1895年に建て直されたもの。石造りの外観はなかなか美しい。

ハミルトン・ブラウンはバプテスト派を忌み嫌い、バプテスト教会や自由奴隷村(free slave village)に燃やそうとしたらしいが、聖マルコ聖公会教会の奥にはバプテスト教会(Brown's Town Baptist)が建っている。この教会も石壁が美しい。1834年に自由奴隷村も作ったジョン・クラーク(John Clarke)牧師によって建てられたもので、ブラウンが燃やそうとしたものなのか、前の教会が燃やされたあとに建てられたものかは分からない。

時代は過ぎ、現在のジャマイカ(01年調査)はバプテスト派8.8%に対し、聖公会(Anglican)派は5.5%となっている。ちなみにチャーチオブゴッド(Church of God)派が21.2%でトップで、次いでセブンスデーアドベンチスト(Seventh-day Adventist)派が9.0%で、バプテスト派が3番目、聖公会派はペンテコステ(Pentecostal)派に次いで5番目。これらプロテスタント(Protestant)が全体の62%を占めており、ローマカソリックは2%で、新興勢力と併せてキリスト教が66%。なお、この調査ではラスタファリアンは1%強で、ラスタファリアニズムが宗教かどうかは議論があるが、キリスト教以外では唯一1%を越えている。ただし、無宗教と答えた人は21%いたそうだ。

もう1か所寄り道はセントアンズベイ(St Ann's Bay)の少し西、A1国道から少し山側に入ったところにあるセビル・ヘリテージパーク(Seville Heritage Park)。この辺りはスペインが1509年にジャマイカの最初の植民地首都、セビージャラヌエバ(Sevilla la Nueva)を置いたところ。その後首都はビジャデラベガ(Villa de la Vega=現在のスパニッシュタウン(Spanish Town))に移され、1655年のイングランド(England)のジャマイカ侵攻(Invasion of Jamaica)後は陸軍士官リチャード・ヘミング(Richard Hemming)に与えられた。この土地は砂糖農園として開拓され、、1745年にヘミングの孫によって建てられたグレートハウスによって管理されていた。グレートハウスとは大農園主のお屋敷でジャマイカには何ヶ所か残っているが、ここも1830年前半の奴隷たちの反乱時に焼き払われることなく残り、残っている多くのグレートハウスは個人所有だが、ここは国の管理下となり重要歴史建造物として管理されている。

屋敷の奥の山一帯に奴隷たちの居住地が置かれていた。また、A1国道の反対側の海側は今は乗馬場と林しかないが、当時は港町があり、砂糖を積み出していた。現在はグレートハウスは博物館として整備され、タイノ族(Taino)の家や奴隷の家や菜園も復元されている。また、ヘミング家の墓や1997年に再埋葬された奴隷たちの記念碑もある。博物館ではタイノ族の時代から植民地時代までの遺跡の歴史をガイドが説明してくれるそうだが、この日は年末の所為かクローズされていた。国道のすぐそばなので、また機会があれば寄ってみよう。
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