2018/12/03 - 2018/12/03
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ペコちゃんさん
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師走の名物である秩父神社の「秩父夜祭」・・・京都の「祇園祭」、岐阜の「高山祭」と並んで日本三大曳山祭に数えられ、2016年には「秩父祭の屋台行事と神楽」を含む『山・鉾・屋台行事』33件が、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
毎年12月1日~6日までの期間、秩父神社では例大祭の様々な神事が執り行われますが、メインは2日の「宵宮」と3日の「大祭」。
豪華絢爛でダイナミックな秩父夜祭には、例年20万人を超える人が押しかけますが、そのイメージは ” 寒い・大混雑・帰りが大変 ” ・・・しかし今回は余り寒くなさそうなので、思い切って仲間7名で12月3日に出かけました。
当日は、昼前に小雨が降る生憎の天気でしたが、午後には回復し、笠鉾・屋台の曳き手の「ホーリャイ、ホーリャイ!」の掛け声が街中に響き渡ります。
夜になると、秩父の冬空に六千発の花火も打ち上げられ、祭りは最高潮!
県内外から訪れた23万2000人の観客を魅了しました。
写真は、夜の御神幸行列で、一番最初に曳き廻される「中近笠鉾」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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秩父夜祭が始まった時期は不詳ですが、江戸時代の寛文年間(1661~72)には行われていたという記録もあり、300年以上の歴史を誇ります。
かつて、秩父地方は桑の生育に適した土地で、養蚕や絹織が盛んだったため、祭の期間中(旧暦11月1日~6日)には秩父神社に絹市がたち、大いに賑わいました。
秩父夜祭は、この絹市が発展していったものと言われ、亭保年間(1716年~36年)の頃には屋台と笠鉾が例大祭に登場。
笠鉾2基と屋台4基の山車が勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、街中を曳き回され、夜は六千発の花火・・・それが秩父夜祭の醍醐味です。 -
14時過ぎに西武秩父駅に到着。
秩父には、秩父夜祭など300以上のお祭りがあり、駅右側の温泉施設は「祭」をデザインコンセプトとした「祭の湯」。 -
駅前ロータリーは、屋台と人でイッパイ。
秩父市の人口は約6万人ですが、 秩父夜祭を観に来る人は20~30万人で、屋台の出店数は約1000店! -
12月3日の大祭では、秩父神社から1kmほど離れた御旅所に向けて、18時半頃に御神幸行列が出発し、6台の笠鉾・屋台がそれに続きます。
御旅所下の急坂「団子坂」を、最大20トンの笠鉾・屋台が多くの曳き手によって曳き上げられる22時頃に、祭りは最高潮を迎えますが、今回そこまで見れるかどうか・・・ -
最初に、矢尾百貨店がある上町通りへ。
矢尾百貨店のルーツは、1749年に始めた酒造業。 -
通りは人と屋台でイッパイ。
たこ焼きにお好み焼き・・・美味しそう! -
近づいてきたのは「中町屋台」・・・曳き手の皆さん、イナセですね。
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4台の屋台の中で最も大きな中町屋台(高さ:6.7m、重さ:14トン)。
小雨が降ったため、屋根にビニールシートが掛けられていますが、日本神話を題材にした屋根の鬼板(彫り物)は見事です。 -
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられています。
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。 -
中町屋台の後幕は2種類あり、12月2日は恵比寿が描かれた幕、3日は鯛が描かれた幕と、異なる幕を見ることができます。
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重さが14トンの中町屋台。
道路の傾斜で、曳き子も右に寄ったり左に寄ったり、大変です。 -
1時間ほど経ったので、軽く腹ごしらえ。
秩父夜祭では、屋台の歩き食いだけでなく、テーブル・イスがある飲食スペースが何カ所もあります。 -
夕方になり、青空も見えてきました。
これは「本町屋台」(高さ:6.5m、重さ:12トン)。 -
屋台の彫刻や装飾は、緊迫押しの上に彩色をする贅を尽くした造りで、後幕には玩具を積んだ宝船の刺繍が施され、中央の大ダルマが特徴的。
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屋台・笠鉾の曳行時に演奏される秩父屋台囃子は、大太鼓1、小太鼓3~4、鉦1、笛1で構成されるのが一般的で、屋台囃子の演奏のために山車に20人前後が乗り込んで、交代で演奏を行います。
秩父っ子は小さい時から祭りに親しんでいるので、大人になっても伝統を大事にするのでしょう。 -
夕方になると、益々人が増えて、歩くのもままならない状態。
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街中の至る所で警察官が警備中。
1947年12月3日、秩父夜祭を見物に来ていた群衆が、祭の終了後に御花畑駅方面に殺到し、6人が圧死する惨事が起きたのを機に、警察の雑踏警備が厳重になりました。
その後は、大きな事故は起こっていません。 -
混雑をかき分けて、秩父神社へ。
秩父夜祭の開催日は曜日に関係なく、毎年12月2日(宵宮)・12月3日(大祭)と決まっています。
しかし、祭りに参加する市民も、仕事を休んで祭りに参加することが難しくなってきており、曜日によっても人出に大きな差があるので、週末開催を求める声も出ましたが、秩父神社側が「神事と切り離せないものであり、別の日に譲ることはできない」と反対して終り。 -
秩父三社(宝登山神社、三峰神社)の一つである秩父神社は、秩父市内のほぼ中央に鎮座しています。
縁起書によると、秩父神社の創立は第十代・崇神天皇の御代(BC97~30年)に、知知夫国の初代国造に任ぜられた知知夫彦命が、祖神である八意思兼命(オモイカネ:知恵を司る神)をお祀りしたことが始まりと伝えられ、2014年には創建2100年を迎えました。 -
左側の神楽殿では、御神楽を上演中。
神楽殿の先に見えるのは、平成殿・社務所。 -
祭りの最中でも、スマホは手放せない!
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境内には、左に「宮地屋台」右に「中近笠鉾」。
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宮地屋台は、秩父祭屋台の中で最も古く、端正な姿を留めています。
高さ:6.5m、重さ:12トン。 -
後幕には、想像上の霊獣・猩々(しょうじょう)が3匹描かれ、水引幕には飛鶴の刺繍が施されています。
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中近笠鉾は、御神幸祭の一番最初に曳き廻される笠鉾。
高さ:6.7m、重さ:14トン。 -
中近笠鉾は全体が黒漆で、鬼板・懸魚・妻飾りなどに極彩色の彫刻を彫った宮殿風の構えをした屋台です。
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宮地屋台の前では、巾着やシールなどを販売中。
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神門を通って本殿へ。
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神門を入った所に置かれた神輿。
御霊が遷されたこの神輿は、御神幸行列の先方で担がれます。 -
秩父神社の社殿は、1569年に戦火で焼失し、現在の建物は1592年に徳川家康が寄進したもの。
当時の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。 -
曳き手の皆さんも、しっかりお詣り。
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神社を再建した家康が「寅の年・寅の日・寅の刻」生まれであった事から、拝殿の正面には左甚五郎の作と言われる「子宝・子育ての虎」の彫刻があります。
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拝殿の右側にあるのが「つなぎの龍」。
東方を守護する青龍で、この彫刻も左甚五郎作と言われています。
その昔、秩父十五番・少林寺近くに「天ヶ池」という池があり、その池に棲みついた龍が暴れた際には、この龍の彫刻の下に水たまりができていたことから、彫刻の龍を鎖でつなぎとめると、龍は現れなくなったという不思議な伝説があります。
今にも飛び出してきそうな龍ですが、しっかりと鎖につながれています。 -
本殿北側中央に彫刻された「北辰の梟(ふくろう)」。
体は本殿(南)を向いているのに、顔だけ180度逆の方向(北)を向いており、祭神である妙見菩薩を守っていると言われます。 -
本殿の西面には「お元気三猿」の彫刻が。
徳川家康を祀る日光東照宮の三猿は、古来の庚申信仰に因んだ「見ざる・聞かざる・言わざる」ですが、秩父神社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、日光とは表情も違う ” お元気三猿 ” として親しまれています。 -
おみくじを縛る場所は、ハートが立体化されたようなオブジェ。
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秩父神社から「秩父まつり会館」へ。
ここは1984年に開館し、笠鉾・屋台や秩父の祭に関する資料が展示されています。 -
それから秩父鉄道・秩父駅が入る「秩父地場産センター」へ。
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秩父駅前通りの夕景。
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「武甲酒造」に立ち寄り。
秩父路の銘酒・武甲正宗の醸造元・柳田総本店は宝暦3年(1753)に創業し、現在の蔵元で13代目、250年以上もの歴史がある秩父の老舗酒蔵です。
現在の建物は江戸後期に建てられ、2004年には国指定の登録有形文化財に登録されました。 -
店内の中央には階段がありますが、上ることは出来ません。
敷地内には「武甲山伏流水」が湧き出る井戸があり、武甲酒造ではこの水を仕込み水として使用しています。
<武甲山伏流水> 武甲山に降った雨水が地中に深くに浸み込み、長い期間をかけて自然にろ過され伏流水として秩父市内に湧き出した水 -
店内に飾られたミニチュア屋台。
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親子三代で提灯を作っている「浅賀提燈店」。
秩父夜祭の笠鉾・屋台を飾る祭提灯をはじめ、各種提灯や羽子板・破魔弓・お雛様・五月人形などを製造・販売しています。 -
再び秩父神社へ。
秩父方面にはトレッキングで毎月のように来ていますが、こんな素晴らしい祭りの文化と歴史や街並みがあるとは想定外でした。 -
境内は、人・人・人!
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まだ16時半ですが、御神輿(おみこし)の準備をしています。
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神馬舎には、神輿と共に御神幸行列に加わる御神馬(ごしんめ)の2頭。
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神社に近い一角で、祭囃子が聞こえてきました。
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これが日本の祭りです。
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アユの塩焼きに焼きそば・・・他にもケバブやチュロス・たこ焼き等々。
屋台の数とメニューの豊富さには驚かされます。 -
金魚すくい・・・昔を思い出します。
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毎年7月19・20日に行われる秩父川瀬祭(祇園祭)で渡御する「東町神輿」・・・番場通りに展示されていました。
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17時になり、賑わいを見せる西武秩父駅前の屋台。
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次々に人が降りる秩父鉄道の「お花畑駅」。
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中心街にあるスーパー「ベルク 東町店」でも、駐車場を開放して祭囃子を演奏中。
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夕方になると、秩父神社と神社周辺に笠鉾・屋台が集まり、中近・下郷・宮地・上町・中町・本町の順に笠鉾・屋台が曳行され、大通りを経て西武秩父駅前の御旅所に向けて行列が進みます。
17時20分に秩父神社に戻ってみると、大鳥居前の道路に中近笠鉾(右側)と下郷笠鉾(左側)がスタンバイ。 -
周辺には警備にあたる大勢の警官がいて、勿論、神社境内には入れません。
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「下郷笠鉾」は6台の笠鉾・屋台の中で最も大きく、高さ:7m、重さ:20トン。
元々は、土台の上に3層の笠を立てた造りでしたが、明治44年に架設された電線の影響で、白木造りの2層屋根の形に姿を変えました。 -
大観衆で混雑する中、西武秩父駅に近い秩父地方庁舎付近で、御神幸行列を観ることにしました。
先頭部の列は、道をお払いしながら歩く「先導大麻」、田植祭で使用した「大榊」、道案内の神様「猿田彦」、歩きながら演奏する「楽人」、神社の象徴である「錦旗」、化粧道具を女性が持つ「御手箱」、御神刀である「太刀箱」と続き・・・ -
次に氏子町会の供物・高張提灯の長い列が続きます。
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高張提灯の一団が過ぎ、「大幣」の後に、御霊が遷された「神輿」が続きます。
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御神幸行列の最後は「神馬」。
秩父夜祭のもう一つの名物「花火大会」は19時半~22時までですが、暗くなった頃から既に打ち上げられています。 -
御神幸行列の後に続く笠鉾・屋台行列は、午後7時頃から秩父神社を順次出発。
最初に曳行されるのは、壮麗で美しい「中近笠鉾」。 -
提灯や雪洞(ぼんぼり)に灯がともった山車は、昼間とはまた違った華麗さと神秘性を感じさせます。
そして、曳き手からも沿道からも「ワッショイ、ワッショイ!」の掛け声で、大変な盛り上がり。 -
明治39年(1906)から始まった秩父夜祭の花火。
艶やかな山車と上空で炸裂する花火の取り合わせが、祭りを一段と華やかにします。 -
三脚を使わないと綺麗に撮るのは難しい花火ですが、夏の花火とは違って、澄んだ冬の夜空に咲く花火は、より美しく感じます。
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2番目は「下郷笠鉾」。
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3番目は「宮地屋台」。
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まだ3台の曳行しか見ていませんが、もう20時半近く。
帰りが心配なので、宮地屋台の後幕を観ながら西武秩父駅へ向かいましたが、駅手前の団子坂は全く通れず、遠回りの迂回路で駅まで辿り着き、電車にも座れて、ヤレヤレ。
初めての秩父夜祭体験でしたが、秩父歌舞伎や屋台芝居・屋台曳き踊りなど、まだまだ見どころがあり、また来てみたいと思いながら帰路に就きました。
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