![浅間神社は多くの神様が祀られている神社で、主な神社は神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳祖(おおとしみおや)神社で、これらを総称して浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれ親しまれている。<br />この神社と家康公の関わりは古い。家康公が今川家の人質時代には、この神社で元服式(成人式)が行われた。浅間神社には、その時に家康公が使用した腹巻(静岡県文化財)が保存されている。武田信玄との戦争では、家康公は後日必ず社殿を再建する約束で自ら火を放ったが、天正期には約束どおり再建した。<br /><br />5カ国の大名となった家康公は、天正14年(1586)9月11日浜松城から駿府に移ると、浅間神社の造営や臨済寺の再興を行った。現在静岡市文化財資料館には、当時の再建に尽くした家康公の朱印状が展示されている。また神社には、天正時代の伽藍配置の古絵図も残され、本社、拝殿、末社、神宮寺に至る神域の様子を知ることができる。<br /><br />家康公の遺志を継いだ家光公は、莫大な巨費を投入し立派な社殿を寄進したが火災で焼失した。現在の社殿は、安永の火災で焼失したため文化年間以後60年の歳月をかけて再建されたものである。総漆塗りで極彩色の壮大な社殿は、江戸末期を代表する神社建築として全て国の重要文化財に指定されている。この神社は「お浅間さん」とよばれ、昔から大変市民に愛されていた神社である。<br />https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/study/13_07.htm#01<br />より引用<br /><br />元服(げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。 <br />「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。<br />おおよそ数え年で12 - 16歳の男子が式において、氏神の社前で大人の服に改め、総角(角髪(みずら))と呼ばれる子供の髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、冠親により冠をつける。 <br />武家の場合は烏帽子親(加冠)により烏帽子をつける。それまでの幼名を廃して元服名(諱)を新たに付ける。その際に烏帽子親の偏諱を受けることが多くなった。 <br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />大拝殿 (国指定重要文化財)<br />一層目は千鳥破風付き切妻屋根、二層目は入母屋屋根の三層二階建て楼閣造りで、一般に浅間造りとも呼ばれる。高さ25mで全国唯一無比の大建築として有名。<br /><br />静岡浅間神社 については・・<br />http://www.shizuokasengen.net/](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/42/10/650x_11421013.jpg?updated_at=1541685661)
2018/10/10 - 2018/10/10
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浅間神社は多くの神様が祀られている神社で、主な神社は神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳祖(おおとしみおや)神社で、これらを総称して浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれ親しまれている。
この神社と家康公の関わりは古い。家康公が今川家の人質時代には、この神社で元服式(成人式)が行われた。浅間神社には、その時に家康公が使用した腹巻(静岡県文化財)が保存されている。武田信玄との戦争では、家康公は後日必ず社殿を再建する約束で自ら火を放ったが、天正期には約束どおり再建した。
5カ国の大名となった家康公は、天正14年(1586)9月11日浜松城から駿府に移ると、浅間神社の造営や臨済寺の再興を行った。現在静岡市文化財資料館には、当時の再建に尽くした家康公の朱印状が展示されている。また神社には、天正時代の伽藍配置の古絵図も残され、本社、拝殿、末社、神宮寺に至る神域の様子を知ることができる。
家康公の遺志を継いだ家光公は、莫大な巨費を投入し立派な社殿を寄進したが火災で焼失した。現在の社殿は、安永の火災で焼失したため文化年間以後60年の歳月をかけて再建されたものである。総漆塗りで極彩色の壮大な社殿は、江戸末期を代表する神社建築として全て国の重要文化財に指定されている。この神社は「お浅間さん」とよばれ、昔から大変市民に愛されていた神社である。
https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/study/13_07.htm#01
より引用
元服(げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。
「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。
おおよそ数え年で12 - 16歳の男子が式において、氏神の社前で大人の服に改め、総角(角髪(みずら))と呼ばれる子供の髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、冠親により冠をつける。
武家の場合は烏帽子親(加冠)により烏帽子をつける。それまでの幼名を廃して元服名(諱)を新たに付ける。その際に烏帽子親の偏諱を受けることが多くなった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
大拝殿 (国指定重要文化財)
一層目は千鳥破風付き切妻屋根、二層目は入母屋屋根の三層二階建て楼閣造りで、一般に浅間造りとも呼ばれる。高さ25mで全国唯一無比の大建築として有名。
静岡浅間神社 については・・
http://www.shizuokasengen.net/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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