2018/11/04 - 2018/11/05
21位(同エリア125件中)
Donkyさん
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信州松本ぶら歩きの旅二日目は 東側の美ヶ原高原にある美ヶ原温泉 「旬彩 月の静香」泊
「美と健康」がテーマの旬彩「月の静香」の料理は地元で採れた新鮮食材にこだわりながら、山の幸だけでなく、海の幸とのハーモニーを楽しめる創作料理です。美観をとても考えていましたね。
市内散策:繩手通り商店街や大名町通り
3日間の散策のうちに 国宝天守を持つ松本城へは日曜と平日に2度も訪れました。
松本城は天守が国宝指定された5城のうちの一つです。(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)歴代藩主リストと大名通りの古本屋さんを見てこの町の文化水準の高さが理解できました。
注)記事中 各地の紹介はフリー百科「ウイキペディア」および宿と現地公式サイトから抜粋引用したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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二日目の宿は美ヶ原温泉 「旬彩 月の静香」です。1300年の歴史の「美ヶ原温泉」は、無色透明の弱アルカリ単純泉で泉温は43度前後、大変に肌にやさしく湯冷めし難い温泉として、地元の温泉好きにも人気があります。 効能は神経痛、リウマチ、ストレス解消などに絶大な効果があるそうです。
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250年の歴史ある古民家を移築した別館や、全室桧の温泉風呂付き現代数奇屋作りの新館 など日本情緒を大切にした風情ある宿です。
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全室桧の温泉風呂付き現代数奇屋作りの新館
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「旬彩 月の静香」チェックイン
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信州・松本、美ヶ原温泉「旬彩・月の静香」は美と健康をテーマにエステ・マッサージルームも完備、ケアの仕上げは天然温泉 で身体をほぐしくつろげます。
【全室Wi-Fi完備】
(写真は宿のパンフをスキャンしたものです。) -
宿のパンフもロマンチックなデザインで
(写真は宿のパンフをスキャンしたものです。) -
早速「旬彩 月の静香」夕食です。
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「旬彩 月の静香」霜月の献立表
(写真は宿の献立表をスキャンしたものです。) -
「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
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「旬彩 月の静香」霜月の献立
ハートのりんご! -
「旬彩 月の静香」にて
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「旬彩 月の静香」にて
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「旬彩 月の静香」朝食
ビッフェスタイルでコーヒー・パン・サラダ・果物・ヨーグルト 等
お好きなだけどうぞ! -
「旬彩 月の静香」にて
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「旬彩 月の静香」外観
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「旬彩 月の静香」にて
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松本駅を降りて東側正面に見えるひときわ高い山が、美ヶ原高原です。夏は、放牧の牛たちがのんびりと草を食み、可憐な花たちが風に揺れます。標高2000mに広がる高原からは、北アルプスはもちろん浅間山、南アルプス連邦、富士山も見渡せる360度のパノラマが広がります。
(写真は美ヶ原高原のパンフをスキャンしたものです。) -
大名町通りにて 安曇野の大王わさび店発見
ここのわさびはやはり安曇野の大王わさびなんですね。 -
四柱神社(よはしらじんじゃ)
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四柱神社(よはしらじんじゃ)は長野県松本市大手に鎮座する神社です。また地元では四柱を「しはしら」と誤読される傾向にあるようです。
名称は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神とし、4柱の神を祀ることによります。 -
明治5年(1872年)に筑摩県松本に設置された神道中教院で、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことに始まります。
明治12年(1879年)に現在地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座。明治21年(1888年)の松本大火で社殿を焼失し、大正13年(1924年)に再建されました。 -
地元では、10月の例祭「神道祭」から「しんとう(神道)さん」と呼ばれています。
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四柱神社の近くでBakery&Cafeのお店発見
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四柱神社の近くの Bakery&Cafeのお店 BAKESHOP
本店はシアトル -
ちょっとコーヒーブレーク
クルミの焼き菓子とモンブランタルト -
コーヒーブレーク モンブラン・パフェ (ハーフサイズ)
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繩手通り商店街は、松本城から歩いて近いこと、商店街内が歩行者天国であることなどから、松本を訪れる観光客の楽しんで歩ける街です。
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繩手通りは、松本城から歩いて5分、松本駅から歩いて10分のところにあり、個性的なお店が長屋風に軒を並べる商店街です。女鳥羽川の土手から始まった通りで、「縄のように長い土手」から「縄手」と呼ばれるようになりました。
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通りの中程には「カエル大明神」を奉り、パワースポットとして多くの参拝があります
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街のところどこにカエルの石像もあります
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繩手と蛙その昔、女鳥羽川には清流にしか生息しない「カジカガエル」がいっぱいいました。
残念ながら現在はその姿が見れませんが、その復活と街おこしをかけて、なわて通りは「カエルの街」としています。 -
大名町通りにて 大手門井戸
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大名町通りにて 旧名 大名町石碑 現在このあたりの大名屋敷跡を発掘中です。
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松本城は戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
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1582年(天正10年)、武田氏滅亡により城代馬場昌房から織田長益に明け渡された後、織田信長によって木曾義昌に安堵されたが、本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱において、同年6月には越後の上杉景勝に擁立され、小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還しました。さらに徳川家康の麾下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名しました。
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前述の通り戦国時代、松本は信濃守護小笠原氏の支配下に置かれていましたが、
江戸幕府の藩祖は、徳川家康に仕えた「三河の旗頭」の一人・石川数正10万石です。(戸田氏は戸田松平氏。) -
●松本藩の藩祖は、徳川家康に仕えた「三河の旗頭」の一人・石川数正です。秀吉は数正を家臣として迎え、和泉に8万石を与えました。天正18年(1590年)、家康が関東に加増移封されると、その後を受けて信濃松本10万石に加増移封。
●石川家改易後の慶長18年(1613年)11月、飯田藩より小笠原秀政が8万石で入部。
●1617年上野高崎藩5万石より戸田松平康長が2万石加増の7万石で入封。 -
●1633年結城秀康(家康の次男)の3男・松平直政が越前国大野藩より7万石で入部。
●徳川家光のもとで老中を務めていた堀田正盛は寛永15年(1638年)3月、武蔵川越藩3万5000石から6万5000石加増の10万石で入部。
●1642年堀田正盛の後は三河吉田藩より水野忠清が7万石で入封。 -
水野家改易後の1725年10月、しばらくは幕府が直接松本を治めました。
1726年かつて松本藩主であった松平康長の系統を継いでいた志摩鳥羽藩主の松平光慈が6万石で入部。再び戸田氏が松本城の城主となり、1868年明治維新をむかえるまでの約140年間城主をつとめました。 -
太鼓門(1999年3月復元)
天守へ上がろうにも 日曜日はこんな感じです。待ち時間は30分。
平日はこれほど混みません。 -
観覧料金
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松本城(まつもとじょう)は、安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されています。
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松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といったそうです。
市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれていますが、文献上には烏城という表記は一切存在しません。 -
天守が国宝指定された5城のうちの一つです。(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)
なお天守の建造年には、いくつかの説があります。 「天正19年(1591年)説」、「文禄3年(1594年)説」、「慶長2年(1597年)説」、「慶長5年・6年(1600年 - 1601年)説」、「慶長20年(1615年)説」でする。いずれも、主に大天守の建造年を示したものです。 -
典型的な平城で本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されています。
南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りです。これらは全て水堀により隔てられています。 -
これらは全て水堀(内堀)により隔てられています。
現存12天守の中では唯一の平城でもあります。 -
5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守です。大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は、2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けています。
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松本城「史跡の指定面積は9.27ha」
南側と西側の外堀の一部は、大正から昭和にかけて埋め立てられて民有地となったものを、松本市はこの外堀の復元をめざし、用地買収を推進中。2012年にはこの旧外堀該当地0.9ha(住宅・店舗80棟)のうち、土地権利者の同意を得た0.7ha(約60棟分)について、文化庁に国の史跡への追加指定を申請。2013年3月に当該部分が「史跡松本城」に追加指定され、史跡指定面積は従前の8.4haが9.1haに。旧外堀については2014年3月、2015年3月にも史跡の追加指定が行われ、指定面積は9.27haとなっています。 -
太鼓門 太鼓門枡形の一の門をいいます。江戸時代は倉庫として使用されていました。明治初年に破却されましたが、平成3年から発掘調査、同4年に石垣の復元を完了し、同11年に土台石の形に合わせて柱を削り、太鼓門が復元されました。
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「太鼓門枡形解説」 樹齢400年の檜、梁は140年の松を使用しています。
門の東側床に石落がついています。当時は通常朝6時に開け、夕方6時に閉めていました。 -
太鼓門の建設年代は明確ではありませんが、石川氏の時代には完成していたと考えられています。門台南石垣の西土中から金箔瓦が発見され、市立博物館に展示されています。
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平日は待ち時間なしで天守に上がりました。
姫路城もそうでしたが、天守内階段は 非常に急なものでした。
好天に恵まれ天守からの眺望も鮮やかに -
大天守から市街を見ると・・・天守からの景色(北)
好天に恵まれ眺望も鮮やかな紅葉が映えて -
天守からの景色(東)
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場内にあった 「守護神二十六夜社勧請の謂れ」以下原文のまま
天守六階小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは元和4(1618)年である。
其の年の正月、月令二十六夜の月が東の空に昇る頃二十六夜様が、天守番の藩士、川井八郎三郎の前に美婦となって現われ神告があった。「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合三勺の餅を搗いて斎き、藩士全部にそれを分ち与えよ、さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊なるぞ」。翌朝このことを藩主に言上し、翌二月二十六日に社を勧請し、以来明治維新に至るまで其のお告げを実行してきた。
お陰で松本城天守は多くの危難をのり超えて無事今日に至っている。 -
城内の記念撮影には武者姿とお姫様がサポート 外国人観光客には大受け。
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秋深し 今を盛りの菊華展示
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国宝指定書(建第40号)
松本城天守 五棟
天 守 五重六階 本瓦葺
乾小天守 三重四階 本瓦葺
渡 櫓 二重二階 本瓦葺
辰 巳 櫓 二重二階 本瓦葺
月 見 櫓 一重 地下一階附 本瓦葺
右を国宝に指定する
昭和27年3月29日 文化財保護委員会 -
本丸内側より。
右から乾小天守、渡櫓、大天守、辰巳附櫓、その手前に月見櫓以上のすべてが国宝に。 -
ナナカマド 秋深し街路樹の紅葉も見事に
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国宝松本城を後にして大名町通りを松本駅向かいます。古本店「青翰堂」発見
駅に辿り着く前に、もう一つの松本城を見ることができます。古本店「青翰堂」です。観光客がこの建物を見に、年間1万人は来ているとか、メディアにも取り上げられ、観光客からの知名度も高いのだとか。
でも 古本屋さんが繁盛しているとしたらこの町の文化水準はかなり高いのがわかります。そういえば小田原城下で見かけた同じ店構えは ういろう屋さん。もともと薬局だったそうで。 -
松本駅到着
特急 スーパーあずさ18号 新宿行は13:02発 -
スーパーあずさ18号新宿行で帰路に
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今回は天候もそこそこ 最終日は好天に恵まれて のんびりと信州松本の秋を楽しめました。了
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