2018/10/19 - 2018/10/19
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Pontakaiさん
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旅行日程の全体は10月17日~23日までの6泊7日で、釜山、大邱に滞在しました。釜山は初日宿泊だけと帰国日前日に滞在宿泊し、4泊は大邱市内に宿泊しました。本レポートは19日大邱郊外にある金忠善将軍の墓と鹿洞書院のある友鹿一里を訪れたものです。
金忠善将軍は日本人名は沙也可と言い、文禄・慶長の役(壬辰・丙子戦争)時に小西行長、加藤清正の下で朝鮮に侵攻したものの、現地の人々の生活を見て逆に朝鮮に帰化し、日本軍と戦い、またその後も多くの功績をあげて将軍にまでなった人物ということです。
著名な歴史文章家、司馬遼太郎が初めて彼の姿を紹介して以来、日本人に知られる存在となっているということです。
ここでは大邱市内からの行き方を含め、お墓や韓日友好館の役割を果たしている歴史資料館の内部などを報告してみます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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最初に金忠善将軍についての紹介をしておきます。達城韓日友好館鹿洞書院の案内書にあるものです。写真をクリックするとより鮮明に文字を読むことができるかと思います。
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19日(金)朝、宿泊先の伝統式韓屋を出てまず、バス停のある(はずの)大邱駅に行きました。ところが金忠善将軍のお墓のある友鹿へ行くバス停が見つかりません。(単に言葉ができないから聞けなかっただけ)そこで、駅前の観光案内所に行って英語で尋ねると乗換をしながら行く方法を教えてくれました。
そこで乗り換えて行くバス停に行ったらちょうどその時バスが出るところでした。「ああ!待ってくれ!!」と手を振り声を上げたのに、ああ無情!案内所でもらった時刻表に拠れば地下鉄隣駅の七星市場駅へ行って、そこから直行バスに乗る方が早いと判断したので、また地下鉄へ乗って移動することになりました。
ところが上の写真に撮った七星市場駅にあるバス停がまたすぐには分からず困ったことに……尋ねても知らなかったり、変なところを教えられたりと15分くらいあっちうろうろこっちうろうろ状態。
そうしているうちにとびきり美人で英語を話せる女性が助けてくれて、バスが来るまでフォローしてくれるという「救い」に……大いに助かりました。化粧品店にお勤めの方ということでした。道理できれいだったこと……まぁ、過去の経験からいっても、こういうのが自前旅行の愉しみでもあるのですが…… -
青色表示の直下のカチャム2というオレンジ色のバスに乗り、終点近くまで行きます。運賃は一律1300ウォンでした。
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大邱駅の案内所で2回目の乗り換えバス停と言われたところです。初めてのバス路線への乗車の場合、言葉ができないとバス停での乗り換えは非常に難しい(気を張っていないといけない)ので、七星市場から乗ったのは正解でした。
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こんなところも通過してバスは行きます。
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約一時間ほど乗ると立派な韓国式の書院、両班造り風の建物が見えるところに来ましたので、ここだなぁと判断してバスを降りました。
写真は達城韓日友好館鹿洞書院という資料館への入り口にある招福猫です。ちょっと場違いな感じですが、友好的な雰囲気を願う象徴として好意的に見ましょう。(笑) -
館内では金忠善将軍の末裔に当たる方が日本人と分かると日本語で説明をしてくださいます。
館内には諸資料が展示されていますが、それは後ほど写真で示します。 -
いったん館外に出て、主目的の金忠善将軍のお墓を訪ねてみます。お墓は建物の後方のある小高い山の中腹にあるとのことです。明確な標識がありますのでそれに沿って行きます。
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山を登りますのでこうした階段が続きます。かなり整備されていますので、普通に歩けますが、靴は底の厚めのスニーカーなどでないと歩きにくいかと思われます。
また、雨天後は普通の靴では厳しいだろうなという感じでした。
では登って行きます。 -
こんな松や欅などの林の中を歩いて行きます。道そのものは整備されています。雨が降らない限りは普通に歩けます。
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振り返ると友鹿の里が見えます。日本にもよくあるようなのどかな秋の里山の景色です。
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木漏れ日の中をゆっくり登って行きます。距離は約300mということですが、木立の中では道の全体が見えないので結構長く感じます。10分くらい歩き登りました。
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金忠善将軍のお墓がひな壇状の一番上にありました。
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墓碑銘です。
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別角度からの写真、墓碑。
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韓日友好館の山道からの全貌です。改めて中へ入ってみます。
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司馬遼太郎によってはじめて彼の存在が日本に紹介された旨が記されている案内です。写真をクリックするとより鮮明に見ることができると思います。
日本でも朝鮮史の専門家の間ではその存在は学術的に究明されていたことと思いますが、啓蒙的なレベルで一般に広く知らしめた司馬遼太郎の功績は大きいと思います。またその後NHKでも取り扱われたことも大きな影響力を持っているようです。
加藤清正の右先鋒将であったということですから優れた軍人であったことは確かでしょう。また単に勇猛な軍人ということでなく、人倫に思いを派す優れた文人でもあったようです。そうしたことが軍功だけによるのではなく、高宗王からの信任を得て、高名を得るに至ったようです。 -
その後彼に関心を抱く人が増え、彼に関する著作が出ていることを示しています。
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展示資料 『慕夏堂文集』には金忠善将軍の思想やエピソードなどが書き綴られています。その文集は木版印刷となって韓国では広く読まれることとなったということです。
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彼の考えなどを示した『慕夏堂文集』からの抜き書きが掲示されていますが、それらの中にあったものの一つです。国籍を超えた普遍性のある言辞だと思います。
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壬辰・丙子戦争時に使われた当時の木造戦艦の模型です。有名な亀甲船のほかに特徴ある船の形などについて分かりやすい解説がなされていました。
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韓日友好を謳っている館ですので、将軍の事績に関するものだけでなく、日本の風俗・慣習等に関する資料やモデルなども少しですが紹介されています。
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韓国内でも金忠善将軍については歴史の授業などで触れているようで、この日は小学生たちが団体バスに乗って学校単位で訪れていました。
当時の日本による侵略戦争という恩讐を越えて今日では日韓友好の一拠点となっており、両国の友好関係を維持発展させて行こうという志は大切なものだと思います。 -
資料館のある一角には鹿洞書院という金忠善将軍の位牌を祀った建物が1794年に建てられたということです。
現在の建物は1972年に場所を変えて再建されたものということです。 -
鹿洞書院などの建物と並んで里山の頂から徐々に紅葉が広がっている様を見ることのできる穏やかなきれいな里の景色でした。
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小学生たちが記念写真を撮っていた鹿洞書院です。こういうところから日韓両国の相互理解が深まり友好関係を発展させて行く土台ができるのだと思います。
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来た時には気が付かなかったのですが、バス停の向かいにはこんな友鹿を象徴するような像が立っていました。
もっと観光地、歴史古跡の地として知られて良い場所と感じましたので独立したレポートとしてみました。
帰りは単純に来た経路を大邱駅までバスで戻り、駅近くの市場で目の前で蕎麦を打ってくれる屋台での麺食を楽しみました。
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