2018/08/17 - 2018/08/17
309位(同エリア346件中)
むしころさん
旅行4日目
松江から電車で安来へ
安来駅の観光案内所でバスの時間を聞いたら
今の時期だけ無料のシャトルバスがでているという!!!
なんてツイてるんだろう
今回の旅はこの月山富田城をみたくて決めたといっても過言ではない
実際行ってみて、、ふふ、良かったです。。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
松江からJRで安来駅へ
帰りの電車、ちょうどいい時間は、、16:39かな
もし乗り遅れても
駅は観光案内所と物販やさんが併設されていて
軽く飲食できるスペースもあり(木製のいすと机が温かみがあってよかったです)
無料Wifiもあるから一時間くらいは余裕で待てる感じでした -
少し時間があったのでお土産やさんで梨を買って(地元産だったのでせっかくだから)あと鹿助タオルとか買ってバスを待つ
・・・それらしきバスが遠くに止まったので駆け寄って乗りこみました
車内でメモ帳、頂きました!!!無料な上になんということだ!
安来町のみなさまこれからもがんばってくださ~い!応援してます! -
自分のほかに一組ご夫婦が乗車
足立美術館に行くらしい
経由する安来節伝来館の隣が美術館なんだそうだ
伝来館に停車した時にバスのおじさんが「あそこに木がぽつぽつ見えるのが月山冨田城だよっ」て教えてくださいました
おおおおお~~ここから見えるのか! -
月山前の道の駅のところでバスは終点
下車してまずは道の駅の隣にある資料館を見学
勉強してから行くぞっと
1フロアだけだったけど縄張り図とか見られたのでよかったです
富田城は西の飯梨川(富田川)と大きな谷(新宮谷・菅谷・塩谷)に囲まれ、標高190mの月山に築かれているとのこと。
あと古代になるのですがこの辺りでみられる四隅突出型墳丘墓っていうのが形とか珍しくて興味深かったです
それから奈良時代の島根の地理や国の名前が知れて勉強になりました(島根郡・意宇郡とか)
今はつながっている砂洲の部分が離れていて島になっていたりするのも勉強になりました -
いざ登城
-
太鼓壇って案内板がある付近なのだが
ちょっとよくわかりません -
千畳平
尼子時代の勢揃い場
かつて数箇所櫓があったそうです -
尼子神社
主祭神は尼子三代(経久・晴久・義久)と山中鹿助幸盛 他諸勇士
昭和の時代につくられた模様 -
北東にある馬乗馬場
-
山中鹿助幸盛祈月像
-
鹿助の像がある付近は奥書院があった場所でした
左側に見える石は戦没者慰霊碑です -
あの上に本丸などがある
なんだかわくわくする! -
途中の
花ノ壇ってところ
復元建物の中に写真スポットが 笑
花が沢山植えられていたからこの名前がついたそうです
この先にある山中御殿との連絡が容易なので指導力のある武将が暮らしていたのではと考えられているそうです -
花の段の南
山中御殿
下には池もあった -
ここにお手洗いがありました
きれいだった
駐車場がここの近くにあるようでこの辺りから登ってくる人がちらほら -
花の段→堀切→トイレのある場所→現在地
山中御殿の虎口部分 -
広い
柱の跡とかも残っていました -
さらに本丸へ向かって南に登る
登り始めてすぐのところに 親子観音 がありました
宝篋印塔の側面に慶長13年12月5日と彫られているので
江戸時代のものです
堀尾家尾家騒動の首謀者とされて処罰された一人の堀尾勘解由のお墓の可能性があるそうです -
かなり整備されているな。。。
-
山吹井戸?
-
これだった
もはや井戸という感じではなかったです -
かっこいい石垣
三の丸下の石垣です -
三の丸!
この先に神社もあるようです -
二の丸と本丸の間の堀切
-
北側の景色
安木町とかがよく見渡せます -
本丸
山中幸盛って掘られた石碑があった -
本丸のさらに南側にある神社
勝日高守神社だそうです -
そして引き返す
三の丸下の石垣 -
さらに降りて山中御殿にあった
雑用井戸 だって -
花の段の南側にあった彫りきり
-
堀尾吉晴の墓に行ってみようと
途中から西側の道へそれて進む
それらしき細い道を登るとお寺にでました
巌倉寺です -
まずは本堂をお参りしましょう!
-
小那姫の墓だそうです
誰なのかわからなかったので後で調べる -
こっちが堀尾吉晴のお墓
と
山中鹿介供養塔があるようだ -
堀尾吉晴公のお墓
尾張の国の人です
秀吉配下の武将でした
息子の忠氏に家督を譲ったのち関ヶ原の戦いで忠氏が戦功として出雲・隠岐24万石の領主になった際に共に富田城に入ったそうです
のち忠氏が急逝してしまい孫の忠晴の後見として政務をし、松江城の築城にも尽力したのは前述のとおりですが、
遺言により遺骸はこの地に葬られたと伝えられているそうです
この地が好きだったのかなあと。。しみじみ -
そして堀尾氏のお墓の後ろにひっそりと
山中鹿介幸盛公の供養塔がありました
堀尾吉晴公の奥方によって建てられたそうです -
そのまま西側の赤門方面から下山
-
次に安来町のマップに乗っていたスポットで気になるところいくつか行ってみることにしました
かつて広瀬藩があったときにはこの辺りに大手門があったらしい -
で、この先に広瀬藩邸があった
-
これは内堀の跡に違いない!
ところで飯梨川(富田川)は氾濫してかつて町が水没したらしい
そこで町ごと引っ越して今の広瀬町ができたそうです -
つぎは洞光寺
尼子経久・清貞公のお墓があります尼子経久の墓 名所・史跡
-
尼子旧史顕彰会による碑
-
ここから見える月山富田城・・・
やっぱりイイ・・・ -
旗があるからここなのかと思ったらもう少し上だった 笑
-
ありました!
合掌
右が尼子清定公
左が尼子経久公
寛永年間(1624~43)に月山の金尾の地にあったお寺がこちらに移ったときにお墓もこちらに来たそうです -
風化してしまい読解不能
-
次は品川大膳のお墓へ!
ちょっと見つけるのに手間取った
民家の間の細い道を入っていくとこの標識が出てきました -
この細い道を歩いていきます
-
まさに民家の裏手にありました!
こちらは品川大膳碑
山県有朋が揮毫 だそうです -
品川大膳は山中鹿介と一騎打ちをしたことで有名なお方だそうです
毛利元就が尼子攻略のため滝山(勝山)に本陣を構えたのですが
永禄8年(1565)に富田川堤を巡回していた山中鹿介に毛利方の品川大膳が一騎討ちを申し入れたそうです
川中島一騎討ちっていうらしい。長野の他にも川中島の戦いがあったのですね~ -
お墓より碑のほうが目立っているという・・・
-
品川様のことが書いてある
法学博士平田東助が撰で
毛利八弥さんが書
らしい -
少し南下して
一騎討ちの碑
実際は富田川中州で戦ったのですが度重なる洪水により地形が変わっていまい現在は形をとどめていないそうです -
月山富田城は大きなお城だったのだなあと
改めて感じました
そしてやっぱりイイ!
自然も沢山残っていてすばらしい
ずっと残ってほしいな・・・ -
バスの時間までもう少しあるので
新宮谷のほうの史跡もささっと見てみよう! -
まずは伝・毛利元秋公のお墓
-
こちらです
合掌
元秋公は元就公の五男です
現地の案内板によると、
永禄9年(1566)に尼子義久が毛利の軍門に下ったあとに2年間ほど毛利方の武将の天野隆重さんがお城に入ったのですが永禄12年(1569)に元秋公が入城しました
没年が天正13年(1585)。34歳でお亡くなりになりました... -
風化により解読不能!
-
次は山中屋敷跡
富田城のある山の東斜面にあたるのかなここは -
北上して
城安寺
臨済宗のお寺だそうです
正和年間(1312~1317)からあるらしい -
山門が閉ざされていてお参りできなかった!
ちなみにこの山門は広瀬松平家の九代藩主・松平直諒(あおあき)公の寄進だそうです
広瀬松平家は松江の松平さんからの系統のようです -
で、扁額も直諒公の書なのだそうです
-
お寺の北のほうに松平直諒公のお墓があるらしいが
あの小山の上にあるのがそうなのかな? -
そうだった
こちらが直諒公のお墓
寛永3年(1850)に父・直寛が死去したので家督を継ぎました
彼は製紙業や製油業などを奨励して経済産業の振興に取り組んだそうです
また文化芸術も奨励して領内の発展に尽力したそうです
文久元年(1861)にお亡くなりになりました。享年45歳 -
バスの時間だ!!と走って乗り場へ!
5分前くらいに着いたのですが
14:45過ぎてもこないし誰も待ってないし
まさか行っちゃったのか?!それともこの便今日はないとか?!
どきどきし始めたら 来た! 笑
無事バスに乗ってさらば広瀬の町よ -
駅に着いた
電車が来るまで買物したりのんびりしよ -
気になって買ってみた伯太番茶アイス
270円 -
さっぱりしていておいしかったぞ
今日ははこれにて終了~
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
安来・鷺の湯温泉(島根) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
68