2018/07/05 - 2018/07/05
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まめ猫さん
幕末から明治にかけて幕臣として活躍し、坂本龍馬の師でもあった勝海舟は、23歳で結婚し赤坂田町に移り住み、36歳の時には赤坂本氷川坂下へ引越し、45歳で一旦静岡へ移ったが、4年後再び上京し、亡くなる77歳まで赤坂氷川町で暮らしていたそうです。
晩年に住んでいた屋敷跡地には、案内板の横にぽつんと史跡碑が立っており、その前には勝海舟と坂本龍馬の師弟像が設置されています。
またその近くにある赤坂氷川神社の境内には、勝海舟が名付けた四合稲荷(しあわせいなり)があります。
そんな勝海舟が愛した赤坂の氷川神社周辺を歴史を感じながら歩いてみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
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東京メトロ千代田線の赤坂駅5b出口から100メートルほど歩くとバラの花壇が広がる氷川公園がある。
明治41(1908)年に東京市氷川尋常小学校が開校したが、昭和4(1929)年に火災により校舎類焼したことから、勝海舟邸跡地に移転し、その後公園となったそうだ。 -
駅から約8分程の所にある赤坂氷川神社は、境内にたくさんの木が生い茂る緑豊かな神社。
東京のど真ん中にいることを忘れてしまう。 -
今年の関東甲信は、観測史上最も早い6月29日に梅雨明けしたが、この日は梅雨に戻ってしまったかのように雨が降ったり止んだり。
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2014年から浅草神社が提唱した「夏詣」。
過ぎし半年の罪穢れを祓い清め、来たる「残り半年のはじまりの日」として、その節目を大切に想う新しい風習という事で、赤坂氷川神社も賛同した神社の1社。
今年入ってもう半年が経ってしまったとは…早い早い。 -
安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れ、江戸時代当時のままの姿を残す社殿は、東京都重要文化財に指定されている。
雨に濡れた参道は情緒がある。 -
享保15(1730)年、8代将軍徳川吉宗により建立。
社殿の格天井には、日本画家 長華崖(ちょうかがい)の「花鳥」、壁間には宮部衆芳による「鳳凰」が描かれているという。
【御祭神】
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
大己貴命(オオナムヂノミコト)
【御神徳】
厄除・良縁・家内安全・商売繁盛 -
期間限定で頒布されていた「星合い参り(ほしあいまいり)」御朱印を拝受。
星合い(七夕)に短冊を笹竹につるす風習は、宮中の貴族が「梶の葉」に和歌や願いをしたため、それが天の川を渡る船の舵(梶)となり、星に願いが届くようにと祈りをささげたことがはじまりとなっているという。
そんな短冊の由来に因んでつくられた御朱印は、古くから神聖な木とされてきた梶の葉を挟んだ和紙が使用されている。とっても素敵♪ -
明治15年に奉納された獅子山の狛犬。
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緑が多くて心が落ち着く神社。
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東側の鳥居。
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石段を下りていくと…
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周辺にあった古呂故(ころこ)稲荷、地頭(じぬし)稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の四社を合祀した稲荷神社がある。
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こちらは勝海舟の名付けた「四合稲荷(しあわせいなり)」。
幸福の「しあわせ」と「志を合わせる」をかけたという素敵な名前の小さな稲荷神社。
後に鈴降稲荷、縁起稲荷、明徳稲荷も合祀されたので現在は「七合稲荷」?
【御祭神】
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
【御神徳】
五穀豊穣・商売繁盛 -
おててのしわとしわを合わせて、しあわせ。
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左側には西行(さいぎょう)稲荷が鎮座。
別名「火伏の稲荷」ともいい、火災除けの御神徳があるといわれている。 -
緑の中の細い石段。
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シダが生える岩場の途中に小さなお狐さまがたくさん置かれた狐穴とその横に布袋様。
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顔がなくなっているがたぶん狛犬。このような狛犬がいくつかあり、お水が供えられ、大切にされている。
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とても神聖な場所。綺麗な空気が流れている。
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蝉の抜け殻。今年は季節が早く流れている。
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勝海舟が何度も参拝していたのかと思うとワクワクする。
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今年の4月から拝受できるようになった四合稲荷の御朱印。
勝海舟の墨跡を用いた社名印が押されていて、また宝物が増えた。 -
坂の街、赤坂。坂の数は59もあるとか。
本氷川坂。
坂の途中にあった本氷川明神が坂の名になった。社は明治16年4月に氷川神社に合祀された。 -
坂を下っていくと勝海舟邸跡がある。
安政6年6月から明治元年まで赤坂本氷川坂下に住んでいた。
ここは勝海舟と坂本龍馬が初めて出会ったすごい場所でもある。
龍馬は幕府政事総裁職の松平春嶽から紹介状を受けて、勝の屋敷に訪れ、彼に世界情勢や日本がおかれている現状を聞かされ、感服して弟子になったという。 -
現在はマンションになっていて、ポツンと木標があるだけ。
司馬遼太郎の小説「龍馬がゆく」より
翌朝、竜馬は暗いうちに桶町を出て、かれが「日本一の智恵者」といっている勝 海舟のもとに行った。
赤坂元氷川下まできたときやっと町があかるくなった。
どの屋敷からも、塀ごしにつるべの音がしきりときこえてくる。路上で小者たちが立ち働き、門前を掃いたり、水を打ったりして、江戸の朝がはじまっている。
竜馬は勝の屋敷に入り、例によってその書斎に通された。
この辺りを龍馬が歩いたんだと思うと楽しくなってくる。 -
こちらはゆるやかな氷川坂。
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神社の近くにある「にっぽんの洋食 赤坂 津つ井」。
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以前から気になっていたので、ふらりと入ってみた。
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創業者の筒井厚惣(つついこうそう)さんが描かれた暖簾。
料亭のようなアプローチ。 -
お店の方が入口で傘袋を用意して出迎えてくれた。
照明をおとしたモダンなカウンター席。ランチタイムじゃないような雰囲気の中で。 -
イチオシ
ビフテキ丼が名物のようだが、この日に10食限定のサービスランチとなっていた有頭海老フライを注文。赤出しとお新香付き。
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20センチぐらいの大きな海老フライが3本も♪
ごはんもたっぷり入っていて大満足。 -
勝海舟が49歳から亡くなる76歳まで住んでいた屋敷の跡地。
氷川公園にあった氷川小学校がここに移転したが、現在は区立特別養護老人ホーム(サン・サン赤坂)及び子ども中高生プラザとして使用されていて、敷地内の角地に大きな史跡碑があるだけとなっている。
碑には「勝安芳邸址」、「勝海舟伯爵終幕の地なり」とかかれている。
明治維新後に安芳に改名、海舟は号。 -
赤坂子ども中高生プラザ(プラザ赤坂なんで~も)に跡地から出土された建物の基礎に用いられた煉瓦や日々の生活で使われた陶磁器が展示されている。
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過去を振り返って鋭く語った人物評・時局批判をまとめた「氷川清話」は、この地で語られたんですね。
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史跡碑の前に設置されている勝海舟・坂本龍馬の師弟像。
平成28年(2016)9月10日に地元の方々が寄付を呼びかけてつくられたもので、海外に目をむけた師弟の志を表現し、アメリカを望むように東向きに置かれているそうだ。 -
イチオシ
龍馬は「日本第一の人物」「天下無二の軍学者」の門人になり、ことの外かわいがられているとその喜びを姉の乙女宛ての手紙に書き、海舟も「なかなか鑑識のあるやつだよ」と龍馬の「人や物事を見る目」を評価したという。
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良く見ると刀の鞘に紐が縛りつけられている。
これは剣術の達人であるにもかかわらず、決して刀を抜かなかったと言われている2人の不戦の誓いを表現しているという。かっこいいな。 -
近くにあるホットケーキパーラーFru-Full(フルフル)。
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3品と飲み物がついたアフタヌーンティーを注文。
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イチオシ
フルーツサンドがでてきた。断面が美しく、フルーツが新鮮で美味しい。
なんとここは、惜しまれつつ閉店してしまった神田の老舗「万惣フルーツパーラー本店」で働いていた職人さんが始めたお店なんだとか。 -
バターを塗って、シロップをたっぷりかけて食べるあのホットケーキ。
ちょっとシロップをかけすぎて、甘くなっちゃった。 -
最後にでてきた夕張メロンのパフェ。
あ~、食べすぎてしまった。 -
勝海舟が3度も場所を変えて暮らした氷川神社付近は、緑が多く静かで落ち着く素敵な街。
今日の散歩は、「コレデオシマイ」。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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