2018/07/06 - 2018/07/06
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Wind99さん
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上京した後輩を都内に案内する2日目、上野のお山の歴史散歩に行って来た。
江戸時代初期、僧天海により、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺とする寛永寺をこの上野山に建立した。
「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とし、京都の文化取り入れた。
盛銅像-彰義隊の墓-清水観音堂-穴稲荷社-花園稲荷神社-上野大仏-上野東照宮-旧寛永寺五重塔-東京藝術大学 大学美術館(西郷どん展)-寛永寺根本中堂-霊廟勅額門-両大師堂-寛永寺旧本坊表門
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
-
西郷隆盛銅像
JR上野駅公園入口改札より出て、車坂を下り、上野公園に又入る。
天気は雨が降ったり止んだり。 -
彰義隊の墓
西郷さんの銅像の後ろにある。
慶応四年五月十五日朝、官軍は上野を総攻撃、彰義隊は同夕刻敗走した。
この時の大村益次郎の活躍が好きで、司馬遼太郎の花神を何度も読んだ。
大墓石は、明治十四年十二月に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立された。 -
清水観音堂
京都の清水寺と同じ舞台造りで、名所江戸百景にもなっている「月の松」がある。 -
月の松 歌川広重 名所江戸百景
丸い枝振りが見事。円の向こうには不忍の池があるが、樹木で見えない。 -
清水観音堂本堂
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舞台の様子。
京都に比べれば、かなり小さいが雰囲気は同じ。 -
下から舞台を見上げる。
京都清水寺よりかなり小振りだが、ニュアンスは伝わってくる。 -
花園稲荷神社の石鳥居
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石鳥居をくぐると、稲荷神社のいくつも連なる赤い鳥居が続く。
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花園稲荷神社
ここが穴稲荷の現社殿になる。
旧社殿は近くの奥にあった。 -
五條天神社
日本武尊が東征の際、上野の忍岡という地で薬祖神2柱に難を救われたことに感謝をし、これらの神をお祀りしたという言い伝えがあるという。
夏詣=日本の新しい習慣づくりがここでも行われていた模様。 -
来た道を戻る。
伏見稲荷のミニ版かな。 -
上野大仏
1631年に造営された大仏さまであったが、関東大震災で頭が落ちてしまい、その後この姿になった。
これ以上落ちないことから、受験の合格祈願のメッカとなる。
左右手前には水晶が飾られていた。 -
上野東照宮
寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。
現在の社殿は慶安4年(1651年)徳川家光が改築し、関東大震災や第二次世界大戦でも消失を免れている。 -
しばらく修復工事が行われていたが、平成26年(2014年)から新たに公開された。
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今回は有料見学には入らず、この門まで。
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旧寛永寺五重塔
何故か隣接する上野動物園内にある。 -
東京藝術大学 大学美術館
NHK大河ドラマの西郷どんの展示会があり、今楽しみに見ている番組なので、入場した。 -
寛永寺根本中堂
江戸期の根本中堂は、慶応四年(1868)彰義隊の戦争の際に焼失した。
現在のは、明治十二年に川越喜多院の本地堂を移築し再建されたもの。 -
かつての根本中堂の鬼瓦が境内に置かれていた。
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厳有院殿(徳川家綱)霊廟勅額門
この奥にある墓所には、徳川将軍の墓が確か15の半数近くあったはず。
但し予約での見学には8名?程度の団体のみの限定で、未だに行けていない。 -
輪王寺(寛永寺開山堂両大師堂)
通称の「両大師」。
この通称は天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を祀ることに由来する。 -
江戸時代、上野のお山はすべて東照宮の式であった!
このマップでそれがわかる。 -
寛永寺旧本坊表門
この寛永寺の本坊は、現在の東京国立博物館の敷地にあった。
慶応4年5月15日(1868年7月4日)の官軍と彰義隊との上野戦争で寛永寺は焼失したが、この旧本坊表門だけは奇跡的に残存し、輪王殿の前に残されていた。 -
これが、上野戦争当時の弾痕の跡だ。
寛永寺旧本坊表門には幾つも、大小の穴が開いていた。
トーハクの縄文も予定したが、帰路のエア便の時間が迫ってきた。
上野の山を一周したので、今回はここまで。
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