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 仕事の合間で、今回は常総市地区の神社を回ってみました。常総市と言っても縦に長く非常に大きな市です。北部から南下してくるようなルートで、回ってきました。珍しい名前の神社も有り、茨城と言う土地柄も有り、山の中や町の中、いろいろ散策でき大満足で帰路につきました。<br />

常総市の神社を散策【大生郷天満宮・水海道八幡宮・水海道天満宮・一言主神社】

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2018/06/29 - 2018/06/29

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しゅいぐー

しゅいぐーさん

 仕事の合間で、今回は常総市地区の神社を回ってみました。常総市と言っても縦に長く非常に大きな市です。北部から南下してくるようなルートで、回ってきました。珍しい名前の神社も有り、茨城と言う土地柄も有り、山の中や町の中、いろいろ散策でき大満足で帰路につきました。

  • まずは、大生郷天満宮へ行ってきました。

    まずは、大生郷天満宮へ行ってきました。

    大生郷天満宮初天神祭 祭り・イベント

  • 大生郷天満宮の由緒<br />社伝によりますと、菅原道真公の三男景行(かげゆき)公は、父の安否を尋ね九州大宰府を訪れました時、道真公自ら自分の姿を描き与え「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」と言われ、延喜三年(九〇三)二月二十五日に亡くなられました。

    大生郷天満宮の由緒
    社伝によりますと、菅原道真公の三男景行(かげゆき)公は、父の安否を尋ね九州大宰府を訪れました時、道真公自ら自分の姿を描き与え「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」と言われ、延喜三年(九〇三)二月二十五日に亡くなられました。

  • 景行公は、遺言どおり遺骨を奉持し、家臣数人と共に諸国を巡ること二十有余年が過ぎ、常陸介(地方長官)として常陸国(茨城県)にやってきました景行公は、延長四年(九二六)に現在の真壁町羽鳥(はとり)に塚を築き、この地方の豪族源護・平良兼等と共に遺骨を納め、一旦お祀りしましたが、三年後延長七年(九二九)当時飯沼湖畔に浮かぶ島(現在地)を道真公が永遠にお鎮まりになる奥都城(墓)と定め、社殿を建て、弟等と共に羽鳥より遺骨を遷し、お祀りされたのが当天満宮です日本各地に道真公を祀る神社が一万余社あるといわれる中で、関東から東北にかけては最古の天満宮といわれ、又遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは当天満宮だけであることなどから日本三天神の一社に数えられ、御廟天神ともいわれています。

    景行公は、遺言どおり遺骨を奉持し、家臣数人と共に諸国を巡ること二十有余年が過ぎ、常陸介(地方長官)として常陸国(茨城県)にやってきました景行公は、延長四年(九二六)に現在の真壁町羽鳥(はとり)に塚を築き、この地方の豪族源護・平良兼等と共に遺骨を納め、一旦お祀りしましたが、三年後延長七年(九二九)当時飯沼湖畔に浮かぶ島(現在地)を道真公が永遠にお鎮まりになる奥都城(墓)と定め、社殿を建て、弟等と共に羽鳥より遺骨を遷し、お祀りされたのが当天満宮です日本各地に道真公を祀る神社が一万余社あるといわれる中で、関東から東北にかけては最古の天満宮といわれ、又遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは当天満宮だけであることなどから日本三天神の一社に数えられ、御廟天神ともいわれています。

  • 社殿の少し離れた裏には、こんな庭園も有りました。

    社殿の少し離れた裏には、こんな庭園も有りました。

  • 池も綺麗です。

    池も綺麗です。

  • 拝殿

    拝殿

  • さざれ石も有ります。

    さざれ石も有ります。

  • さざれ石の説明

    さざれ石の説明

  • 大生郷天満宮のご朱印

    大生郷天満宮のご朱印

  • 次は、水海道八幡神社です。

    次は、水海道八幡神社です。

  • 水海道八幡神社の由来:<br />八幡神社は、戦国時代に当地の城主田村弾正の守護神として祀られていたが、天正5(1577)年に戦死した後、次第に荒廃し、水海道村名主秋葉権左衛門や村民五木田弥次兵衛が再興のため奔走し、延宝5(1677)年に御城(字八幡畑)から現在の地に移して祀ったと伝えられる。

    水海道八幡神社の由来:
    八幡神社は、戦国時代に当地の城主田村弾正の守護神として祀られていたが、天正5(1577)年に戦死した後、次第に荒廃し、水海道村名主秋葉権左衛門や村民五木田弥次兵衛が再興のため奔走し、延宝5(1677)年に御城(字八幡畑)から現在の地に移して祀ったと伝えられる。

  • 一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、柿葺(こけらぶき)で、棟札より延宝5年の造営と知られる。幕末か明治初期に建てられたと思われる覆屋(おおいや)に納められたため、比較的良く保存されており、龍の丸彫、天岩戸(あめのいわと)神話図、唐風の人物図、脇障子上の牡丹(ぼたん)などの彫刻はいずれも粋を凝らした見事なものである。

    一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、柿葺(こけらぶき)で、棟札より延宝5年の造営と知られる。幕末か明治初期に建てられたと思われる覆屋(おおいや)に納められたため、比較的良く保存されており、龍の丸彫、天岩戸(あめのいわと)神話図、唐風の人物図、脇障子上の牡丹(ぼたん)などの彫刻はいずれも粋を凝らした見事なものである。

  • 昭和30(1955)年には、彩色の手直しや基礎を1メートル程あげる修理が行われた。桁行1.8メートル、梁間1.6メートル。

    昭和30(1955)年には、彩色の手直しや基礎を1メートル程あげる修理が行われた。桁行1.8メートル、梁間1.6メートル。

  • 平日は、社務所(お隣)自宅ですので、そちらの呼び鈴を押してください。

    平日は、社務所(お隣)自宅ですので、そちらの呼び鈴を押してください。

  • 水海道 八幡神社のご朱印

    水海道 八幡神社のご朱印

  • 次は、すぐそばの水海道天満宮へ行きました。

    次は、すぐそばの水海道天満宮へ行きました。

  • 「菅原道真公を御祭神とし、後村上天皇の御代(1339~1367)に創祀されたと伝えられる。水海道城主・田村弾正一族の氏神として崇拝されてきたが、現存する市指定重要文化財の本殿は、永禄9年(1566)当地の豪族に手により再建されたもので、随所に安土桃山時代の建築様式が残されている。

    「菅原道真公を御祭神とし、後村上天皇の御代(1339~1367)に創祀されたと伝えられる。水海道城主・田村弾正一族の氏神として崇拝されてきたが、現存する市指定重要文化財の本殿は、永禄9年(1566)当地の豪族に手により再建されたもので、随所に安土桃山時代の建築様式が残されている。

  • 本殿南側に「一六神社」が祀られている。寛永の末期になると「一の日」と「六の日」の六日間と日を定めた市が開かれ、これを「六斎市」と名付けた。この市場の守護神とされたのが一六神社である。横曽根から始まった神社は市場の発展により台町、横町を経て現在地に遷宮された。(抜粋)」とあります。

    本殿南側に「一六神社」が祀られている。寛永の末期になると「一の日」と「六の日」の六日間と日を定めた市が開かれ、これを「六斎市」と名付けた。この市場の守護神とされたのが一六神社である。横曽根から始まった神社は市場の発展により台町、横町を経て現在地に遷宮された。(抜粋)」とあります。

  • 水海道天満宮のご朱印

    水海道天満宮のご朱印

  • 最後に一言主神社へ行きました。

    最後に一言主神社へ行きました。

    一言主神社 寺・神社・教会

  • 一言主大神を篤く信仰していた下総国守谷城主相馬弾正胤広侯(平将門の後裔)の寄進によって長禄三年(西暦1459年)に再建されました。

    一言主大神を篤く信仰していた下総国守谷城主相馬弾正胤広侯(平将門の後裔)の寄進によって長禄三年(西暦1459年)に再建されました。

  • 祭神の一言主神は、言行一致の神様とされ、何事も道理をわきまえ、良いことにつけ、良からぬことにつけ、よく聞き分けて人々の幸福のために直ちに御利益を授け、一言の願い事でも疎かにせず願いを叶えてくださるといわれています。

    祭神の一言主神は、言行一致の神様とされ、何事も道理をわきまえ、良いことにつけ、良からぬことにつけ、よく聞き分けて人々の幸福のために直ちに御利益を授け、一言の願い事でも疎かにせず願いを叶えてくださるといわれています。

  • 《一言主大神》<br />大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子神で「国譲り神話」で有名な事代主命(コトシロヌシノミコト)と同一神であるとされています。

    《一言主大神》
    大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子神で「国譲り神話」で有名な事代主命(コトシロヌシノミコト)と同一神であるとされています。

  • 一言主大神に関する伝承は、『古事記』『日本書紀』の雄略天皇の条にみることができます。 雄略天皇が葛城山に狩猟に行き、そこで「面貌容儀、天皇に相似」の一言主大神に出会い、一緒に狩りをされたと伝えています。

    一言主大神に関する伝承は、『古事記』『日本書紀』の雄略天皇の条にみることができます。 雄略天皇が葛城山に狩猟に行き、そこで「面貌容儀、天皇に相似」の一言主大神に出会い、一緒に狩りをされたと伝えています。

  • そのなかで一言主大神は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とおっしゃられたことから“託宣(タクセン)神”“言霊(コトダマ)の神”として古くから信仰されてきました。

    そのなかで一言主大神は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とおっしゃられたことから“託宣(タクセン)神”“言霊(コトダマ)の神”として古くから信仰されてきました。

  • また「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難等)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」と云われ、“万能神”としての信仰を広く集めています。

    また「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難等)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」と云われ、“万能神”としての信仰を広く集めています。

  • 一言主神社のご朱印

    一言主神社のご朱印

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