2017/09/26 - 2017/09/26
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frau.himmelさん
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しばらくぶりの旅行記アップです。
5月末から6月中ごろまで3週間強、ヨーロッパ旅行に出ておりまして、先週戻ってまいりました。
シニア3人組の実に3度目の珍道中です。
あれやこれやの顛末もあり、早く旅行記をアップしたいところなのですが、昨年の夫との二人旅の後半の旅行記が継続中です。順番通りこれを先に仕上げて参ります。
旅行記はザールブリュッケンの続きから始めます。
**お詫び
ここで全く間抜けなことに気が付きました。
今回の旅は欧州6か国を周ったとばかり思っておりましたが、実は7か国だったことに気が付きました。
表題を全て「秋の欧州7か国の旅」に変更させていただきました。
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駅前で食事をして、バスでザールブリュッケン城までやってきました。
バスは旧市庁舎前に停まります。 -
昨日時間がなくて入れなかった歴史博物館が目的です。
案内板に「Schloss Historische Museen(城歴史博物館)」と併記して
「Platz des Unsichtbaren Mahnmals」ってあるけど、これって何? -
日本語訳にすると「目に見えない慰霊碑の広場」。
目の前に見える広場はシュロス広場なのですが・・・。 -
ここにその謂れを見つけました。
ーー2146個の人種差別に対する石・・・
って何だろう?
ことの始まりはザールラントの大学の学生たちのあるプロジェクトから。
彼らは、1933年前より存在している、ドイツ中のユダヤ人墓地から名前を集めた。その数2146人。
同時に彼らはまた、ザールブリュッケン城の前の敷石を密かに持ち帰り、その石に集めたユダヤ人の名前を彫っていった。
そして名前の彫られた面を下にして再びもとに戻した。
その間に代わりの石が置かれていたことは言うまでもありません。
https://de.wikipedia.org/wiki/Platz_des_Unsichtbaren_Mahnmals -
この広場に敷き詰められた石の数々、人々の目には見えないけれど、この石の裏側には2146人のユダヤ人の名前が彫られているのです。
この黒っぽく見える石がそうなのでしょうか?
1993年5月、この広場は正式に「2146個の石 - 人種差別主義に対する慰霊碑広場」と名付けられたそうです。 -
なぜにこの広場が選ばれたのか?
ヒトラーの第三帝国時代、ザールブリュッケン城にはナチスのゲシュタポの管理センターが置かれていたのです。
私もそれらの歴史を見たいと思い、ここザールラント州の歴史博物館にやってまいりました。
夫は、またナチス!ってちょっと嫌な顔をしましたが、ほかの歴史も見ることができるのですから、異論があるはずがありません。 -
お城に続くガラス張りの現代的な建物が、ザールラント州歴史博物館。
入場料は6ユーロのところシニア割引は半額。これはうれしい。
しかし内部撮影は禁止、がっかりです。
歳をとると、写真がないと、何を見たのかすぐ忘れてしまうのです。 -
今回の特別展は「ザールラント出身の有名な人」
その中で特に興味を惹いたのがホーネッカー。
東西分断時代、東ドイツの書記長として絶対的な権力を持っていたエーリッヒ・ホーネッカーはザールラント州のノインキルヒェンで生まれているのです。
上の写真はたまたま電車の中に展示されていた歴史博物館の広告を撮影したもの。
「ホーネッカーのミニバー」。なんだかわかりませんが、ホーネッカーが愛用していた鎧型のミニバーが実際にあるようでネットで見つけました(下)。 -
ホーネッカーといえば、ベルリンのイーストサイドギャラリーで有名な、ソ連のブレジネフ書記長とのキス。
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ナチスの抵抗運動で知られる「白バラ事件」のヴィリー・グラーフもザールブリュッケンの有名人です。
市庁舎で撮影したヴィリー・グラーフの胸像
その他に、歌手のNicoleのデビュー当時の白いいギターとか、ザールラント出身の宇宙飛行士の宇宙服とかも展示してありました。 -
常設展は年代別に分かれています。
ザールラント州は、独仏の間を何度も行き来した複雑な歴史を抱えています。
それらが詳しく展示されているのですが、いかんせん写真撮影禁止なので、何も頭に残っていません。 -
博物館を夫と二人でブラブラ見学していたら、一人の係員が近づいてきました。
「何かご説明しましょうか?」って。
親切にそう言葉をかけてもらっても、一体何を説明していただいたらいいのか?
とっさに私、「ここにゲシュタポがあったのですよね?」って。 -
そうなんですよ、こちらにいらっしてください。
係員にこの部屋に連れてこられました。
(この部屋はたぶんゲシュタポの牢獄だったと思います。写真はネットより借用しました。)
「この2.5m×2.5mの狭い部屋に24名詰め込まれたのです」と。
そして第二次世界大戦のこと、ナチスなどの話。
その中にはヒトラーよりプレゼントされた州立歌劇場のことも話題にでました。
その係員は長い時間私たちにつきっきりで説明してくれました。
夫はそれなりに受け答えしていましたが、私は理解力が伴わなくて「ちょっとトイレに・・・」とその場を離脱(笑)。 -
ザールブリュッケン城近くで見かけた案内板。
Gedenkstaette Gestapo-Lager。
ザールブリュッケン近郊には宮殿のゲシュタポ本部とは別に、ゲシュタポが管理する捕虜収容所もあったのです。 -
ノイエ・ブレム捕虜収容所(写真はwikiより借用)。
宮殿にあるゲシュタポ本部の収容所が過密超過のため、1940年よりNeue Bremmにあった兵舎が収容所として使われました。
現在ここは、当時の悲惨な収容者の状況を伝える博物館として、二度と繰り返してはならない負の歴史を伝えています。
旅行前に調べて、ここも訪れたいと思っていましたが、残念ながら行けませんでした。 -
歴史博物館を後にして、バスでいったんホテルまで戻ってまいりました
ホテルに入る前に、近くなのにまだ一度も入っていないヨハネス教会に入ります。 -
入り口
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マルティン・ルターの青い像・・。
と言うことはこの教会はプロテスタント。 -
教会の中は質素です。
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はっきりとした色使いのステンドグラスがちょっとだけ華やかさを演出しています。
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これはたしか、ルターのバラ!
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聖人たち
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パイプオルガン
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ホテルに戻ってきました。
ホテルの部屋の窓から見えるヨハネス教会。
大きな教会だと思ったけど意外と小さな教会でした。 -
少しホテルで休憩して・・・。
7時過ぎました。さあそろそろでかけましょうか。
夕暮れにたたずむホテルの前のヨハネス教会。
これから市庁舎でグロッケンシュピールを見て(聞いて)、ラーツケラーで食事をしたいと思います。 -
ホテルのすぐ近くにあるラートハウス、立派な市庁舎です。
バタバタしていてゆっくり眺めていませんでした。
どこかに似ていると思ったら、ミュンヘンの新市庁舎にどことなく・・・。
やっぱりそうでした。
ミュンヘンの新市庁舎を造ったゲオルク・フォン・ハウベリッサー(1841-1922)によって建設されたものだとか。
ミュンヘンお市庁舎と言い、ここの市庁舎と言い、最もドイツらしい市庁舎。 -
当時のザールブリュッケンは独仏と変遷し、フランスの影響も多く受けていました。
そんなどっちつかずの歴史の中で、市民の心の中には強くドイツへの帰属の念が根付いていたのでしょうね。 -
塔の上には高さ2,3メートルの騎士の像が街を見守っています。
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市庁舎の正面にはザールブリュッケンの産業を表す6体の銅像。
写真では4体しか見えませんが、
鉱山労働者、鋳造工、農夫、ビール醸造者、商人、製革工の銅像があります。 -
左)鉱山労働者、右)鋳造工
ザールブリュッケンを州都とするザールラント地方は、鉄鋼資源で栄えた地方、まずは彼らでしょうね。 -
左)農夫、右)ビール製造者
ビール製造者は樽ではなく大きなジョッキを抱えているのが面白い。 -
左)商人、右)皮革製造者
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壁の隅には、ヨーロッパでよく見かける聖ゲオルクが竜(悪)を退治している像。
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大時計。
私たちが写真を撮っていると、近くに日本人の若者が何人も集まっている。
挨拶をしてお話を伺う。
こちらの大学に留学している人たちで、今日は仲間の一人が日本に帰国するので、送別会をやるとのこと。
これからグロッケンシュピールが鳴るのよね?って聞くと、えっという表情。
そして現地人の仲間の一人に聞いたら、彼も知らないそうです。 -
そこで、この碑文を見せたら、え~~っ、知らなかった~~って驚いていました。
現地の人が知らなくて、旅人の私たちが知っているなんて・・って大笑い。
碑文にはなんて書いてあるのか読めませんが、
ここでは毎日10時10分、13時13分、16時16分、19時19分の5回、グロッケンシュピールの音楽が演奏されます。 -
グロッケンシュピール
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19時19分、白い人形が出てきて鐘をならし始めます。
ただそれだけのことです。
同じ建築家に造られたミュンヘン市庁舎のグロッケンシュピールとは雲泥の差、非常に単純な動作です。 -
流れている曲は今は「ブラームスの子守歌」(やっと思いだしました・笑)。
なんだかとても懐かしい音色です。
このほかにも民謡やバッハ、ベートーヴェンなどの曲が演奏されます。 -
広場にいる人は一斉にカメラやスマホを構えます。
留学中の学生さんたちはメンバーがみんな揃ったので、私たちにさよならをして別れました。 -
私たちも今夜は市庁舎の地下にあるラーツケラーで食事です。
重厚な造りの地下空間。 -
中もゆったりとして、いい感じ。
客はまだちらほら。 -
夫はいつものようにビール。
私は昨夜は地ビールだったので、今夜は白ワイン。 -
食事は、夫はシュヴァイネハクセ、がっつり肉系。
お肉にナイフが突き刺さって運ばれます。 -
私は昨夜に引き続きザールラント名物、肉入りクヌーデル。
付け合わせのザワークラウトの量が半端ない。 -
食事を終えラーツケラーを出るころには、昼の長いヨーロッパもすっかり日が暮れていました。
市庁舎のライトアップ。 -
ホテルのお隣「レストランHASHIMOTO」。
さきほど、ホテルのフロントにいたオーナーらしい男性にこう言われたのでした。
「オレの友達のハシモトが隣でレストランをやっている。とても美味しいよ。
Sushiもあるし、今夜のレストランが決まっていなかったら行ってくれないか」と。
ちょっと心惹かれたけど、外国に来たら極力その地の料理を食べたい私たちです。ごめんなさい。 -
明日は移動の日。
部屋で荷物をまとめて・・・。
さて今夜も、ヨハネス教会の鐘の音が子守歌になるのでしょうか。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- ベームさん 2018/06/25 13:11:35
- もうお帰りですか。
- himmelさん、
お元気ですか。5月下旬に出発なさると聞いていましたがもうお帰りですか。日の経つのは早いものです。失礼ですがお三方ともご高齢ですのに23日間も海外旅行とは驚きです。さらにhimmelさんは7月もドイツですか。おそらく実年齢より肉体年齢がお若いのでしょうね。
他人事ながら、去年、今年と3回の旅行記をかかえて大変なことになると、今から心配しております。
ザールブリュッケンの旅行記もそうですが、ナチとナチに抵抗した人たちの痕跡を見逃さないhimmelさんの一貫した姿勢に敬意を表します。唯の旅行記と違う所以です。
話を聞くだけで十分で過去の暗いものからあえて目を背ける私が卑怯に思えます。
では7月もお元気で行ってらっしゃい。 ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2018/06/26 20:51:15
- RE: もうお帰りですか。
- ベームさん、ご無沙汰しています。
はい、ちょっと前に帰っていたのですが、疲れてグダグダしておりました。
私の方こそ、ベームさん、たぶん私と同年代のはずなのに、お一人でヨーロッパの結構マイナーなところにもご旅行にいらっして、すごいなーと思っておりました。
でも今回は年齢のことをつくづく思い知らされました。
やっぱりは齢ですね。3週間強はさすがに疲れました〜。
齢のことを考えて、今回は大名旅行を計画したつもりだったのですが、現地に行きますと、計画したところは周りたいという欲が出ましてつい頑張ってしまいました。
ベームさん、私の旅行記のことまで心配してくださって・・・。
実は一番の心配はそれ。
A型人間の私ですから、し残したところが気になって気になって、重い鉛のようにのしかかっています。
私が旅行をしている間にベームさんは昔のお仲間と京都・奈良にお出かけになって、超大作旅行記が6篇も仕上がっていますね。そのスピード、私に分けてください(笑)。
でもゆっくり読ませていただく楽しみが増えました。
himmel
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- ベームさん 2018/06/25 12:43:42
- もうお帰りですか。
- himmelさん、
-
- ペコリーノさん 2018/06/24 12:24:55
- お帰りなさい!
- frau.himmelさん、こんにちは。
旅行から戻られたのですね。お帰りなさい。3人組の旅も楽しみなのですが、まだまだ昨年の秋の旅行もあの、嵐のベルリンがまだですからね、どちらも待ち遠しいです。
私は今年は旅行は無理そうなので、皆さんの旅行記を楽しみにしていたいと思います。
あ、その前に、サッカーワールドカップですからね。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2018/06/24 17:27:15
- RE: お帰りなさい!
- ただいまー。
なんて先々週になりますか、もうとっくに帰っておりましたが、なんだかグダグダしておりました。
時差も齢をとると、なかなか抜けませんね。
ふと我に返って、旅行記早く書かなければますます溜まる一方ではない?と危機感を抱きまして、やっと1冊仕上げました。
夫と二人旅の方は前半より後半の方がいろいろとドラマがあり、面白いのでできるだけ早くアップしたいなと思っています。
ペコリーノさんは今年はお忙しくてご旅行に行かれないとか。そんな年があるなんて珍しいのではありません?
さあ、今夜はセネガル戦ですね。ペコリーノさんほどではありませんが、私も眠れない夜になりそうです。
himmel
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- ぶどう畑さん 2018/06/24 12:18:17
- お帰りなさい!
- himmelさん
ぶどう畑です。
シニア3人旅からお帰りなさい!今回は3週間強も行ってらっしゃったんですね。確か、プラハにも。
2017年は7日カ国だったんですか。
ドイツからオーストリアに行って、スイス、フランス、またドイツ。このあと、3カ国の足を伸ばすのかな?
今は半分くらい?頑張って~!
- frau.himmelさん からの返信 2018/06/24 17:19:11
- RE: お帰りなさい!
- ぶどう畑さん、ご無沙汰しています。
ただいま〜。もう随分前になるのですが、グダグダしておりまして。
そうなんです、7か国だったのです。ほんとにおマヌケ。
まだ旅行記は4か国、まだまだ先が長いですね。
齢をとると年々旅行記アップの間隔も長くなりますね。
シニア3人旅の方もやはり23日間は長すぎました。疲れました。
3人とも2年前より2歳は年を取っているのですから、そこを考慮すべきでした。
来月また12日間のドイツ旅行が控えていますので、今体調を整えているところです。
ぶどう畑さんの旅行記も随分ご無沙汰しています。
ゆっくりお邪魔させてくださいね。
himmel
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