2018/01/22 - 2018/01/22
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経堂薫さん
東京では春先に大雪の降ることがよくあります。
例えば幕末、江戸幕府の大老井伊直弼が現在の霞ヶ関近辺で暗殺された「桜田門外の変」が起こったのは安政7年3月3日…西暦にすると1860年3月24日のことでした。
また、陸軍の反乱部隊が都心で起こしたクーデター未遂「二・二六事件」が起こったのも昭和11(1936)年2月26日。
そして今年の大雪は1月22日のことでした。
この好機を逃さず、青梅にある武蔵御嶽神社に行ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東京駅、1番ホーム。
空を見上げると、どんどん雪が降ってきます。
どこまで積もるのか?東京駅 駅
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快速列車から青梅で各駅停車に乗り換え、御嶽駅に到着。
こちらの期待通り、どんどん雪は降り積もり続けてます。
ここでさえこんな降雪、標高929mでは一体どんな状態?御嶽駅 駅
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駅前からバスに乗り、揺られること10分。
御岳登山鉄道ケーブルカーの滝本駅に到着。御岳山ケーブルカー 乗り物
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当然というかなんというか乗客の姿は、ほぼゼロ。
駅構内にある土産物の売店も閑散としております。御岳山ケーブルカー 乗り物
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発車時間が迫り、ホームへ。
独特の形状をしたケーブルカーの車両がお待ちかね。御岳山ケーブルカー 乗り物
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発車前、ホームの先端に立ち、レールの先を眺めます。
まるで雪国の山岳鉄道みたいな雰囲気。御岳山ケーブルカー 乗り物
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車内は乗客ゼロ。
貸切状態で雪景色を満喫です。御岳山ケーブルカー 乗り物
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ケーブルカーならではの対向車すれ違い。
標高が高まるごとに雪の勢いが強まっているように感じます。御岳山ケーブルカー 乗り物
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6分ほどで御岳山駅に到着。
意外とアッという間でした。
大雪で遅延とかいう危機的状態まで至っていなかったのが幸いしました。
ちなみに御岳山駅は御岳山の8合目に相当するそうです。御岳山駅 駅
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駅構内の売店には土産物が目白押し!
好天時の休日には大勢のお客さんで賑わうことでしょう。御岳山駅売店 グルメ・レストラン
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御嶽凸驛…もとい、御岳山駅前に出てみます。
例えば箱根登山鉄道の強羅駅みたいな山岳鉄道の駅では決してないのですが。
しかし、こうして雪景色の中にあると雰囲気ピッタリ!
これも、大雪の日ならではの醍醐味です。御岳山駅 駅
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対角線上の位置に移動し、駅前広場越しに駅舎周囲全体を俯瞰します。
なんか…雪原状態!
ただ、まだ雪が降り出してから宵の口なんですけどね。御岳山駅 駅
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御岳山駅からリフトが運行されています。
ですが、この日は当然のごとくお休み。御岳山駅 駅
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リフトが登り切った先に何があるかというと、御岳登山鉄道が展望食堂を運営しています。
でも、さすがにこの大雪じゃ営業なんてやってっこありません…多分(未確認)。御岳山駅 駅
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というわけで展望食堂には目もくれず? 武蔵御嶽神社の参道へ。
御岳山 自然・景勝地
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道の奥に朱塗りの鳥居が姿を現しました。
白い視界の中でクッキリと映える朱色は、なかなかに美しい。
ちなみにこれは「三の鳥居」。
「二の鳥居」はケーブルカー滝本駅の裏手にある表参道の入り口に。
「一の鳥居」はさらに麓の多摩川沿い、都道45号線と同201号線の交差点にあります。御岳山 自然・景勝地
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参道から谷底を覗くと修験僧にでもなった気分です。
御岳山 自然・景勝地
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御岳ビジターセンターに到着。
ここは御岳山の自然や文化を体験できる施設。
ですが、当然ながらクローズ。
というか、通りかかったら職員が入り口に鍵をかけて帰っていくところでした。御岳ビジターセンター 名所・史跡
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参道沿いには宿坊が幾つも立ち並んでいます。
この一帯は江戸時代の昔から「御師集落」と呼ばれ、参拝者の世話をする「御師(おし)」が暮らしてきたところ。
このため、宿坊の家に生まれた男性は御師になるべく16歳になると修行に入り、武蔵御嶽神社の神主になったそうです。 -
細い参道を奥へ進むと茅葺屋根の立派な和風建築物が目に飛び込んできました。
「馬場家御師住宅」という東京都の指定有形文化財。
馬場家は代々にわたり武蔵御嶽神社の御師(神職)を世襲している家柄。
この建物は10代目当主が幕末の慶応2(1866)年に建てたもの。
その後も部分的に修理や改造が施されて現在に至るそう。
ここは現在「東馬場」という宿坊になっているらしく、実際に泊まれるそう…ですが。
ホントに泊まれるかどうかは分かりません。馬場家御師住宅 名所・史跡
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雪が降りしきる中、細い坂道を登り続けるのですが。
もはや普通の靴ではまともに歩けないほどの積雪っぷり。
滑って転ばないようソロリソロリと慎重に歩きます。
坂を登り切った角を右に曲がると、そこは食堂や土産物店が軒を連ねる小さな商店街でした。
その名は「町場通り」。
しかしながら残念なことに全店休業。
開いている店は一軒もありません。宝亭 本店 グルメ・レストラン
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扉が硬く閉ざされた商店街を通り抜けると門前に出ました。
大鳥居と社号標。
奥に向かって長い石段が続いています。
ちなみに、この鳥居は「四の鳥居」ではなく、あくまでも「大鳥居」といいます。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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石段を登り切ると、そこには隋神門。
お寺でいうところの山門のようなものです。
違うのは両袖の内側は阿吽の像ではなく、神様の像が祀られているところです。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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隋神門に入ると降雪から逃れることができ、ようやく一息。
上着に積もった雪を払いつつ屋根を見上げると、扁額が掲げられていました。
武蔵御嶽神社の創建は第10代崇神天皇7(紀元前91)年。
武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)が東方十二道を平定の折、大己貴命と少彦名命を祀ったのが起源と伝わっています。
遥かに時代は下って奈良時代の天平8(736)年、僧の行基が東国鎮護を祈願して蔵王権現を勧請したのを契機に名声が広まったそう。
平安時代の『延喜式神名帳』には「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)」の神名で記されていました。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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隋神門を通り抜けると再び長大な石段。
でも、先ほどまでの細い参道に比べたら格段に歩きやすく助かります。
さて、武蔵御嶽神社は中世に入ると山岳信仰が隆盛を迎え、戦国時代にかけて東国の修験場の中心になります。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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雪を踏みしめつつ石段を一段ずつ登っていきます。
こんなに雪を踏みしめたのって、いつ以来だろう?
それにしても、それほど石段が急じゃなくてよかった。
石段の上には鳥居が聳立しています。
これも「五の鳥居」ではなく「銅鳥居」と呼ぶそうです。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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銅鳥居を過ぎたら、またしても石段!
その横に延々と並ぶのは「講」の記念碑です。
江戸時代、庶民の間ではお伊勢参りや大山詣でといった寺社詣でが大流行。
御岳山もまた、案内書が出版されるほどの人気スポットでした。
御岳山を信仰する人の集まりを「講」といい、年に一度、講の中から数名ずつ交代で参拝。
講のメンバー全員が回り終わると、その翌年に全員で盛大にお祝いするそう。
現在でも宿坊ごとに組織された講が相当数あり、つい最近の年月日が刻まれた記念碑も結構あります。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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ようやく社殿が視界に入ってきました。
これにて雪中行軍もおしまい。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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ついに武蔵御嶽神社の社殿へ到着!
標高929mに立つだけあって、雪も東京都内とは思えない降りっぷり。
武蔵御嶽神社の創建は第十代崇神天皇7年。
武渟川別命[たけぬなかわわけのみこと]が東方十二道を平定した折、大己貴命と少彦名命を祀ったのが起源と伝わっているそうです。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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入母屋造の幣拝殿は元禄13(1700)年、五代将軍綱吉の命により造営されたもの。
天保年間に修復され、明治中頃に屋根が檜皮から銅版に葺き替えられたそうです。
奈良時代の天平8(736)年、僧の行基が蔵王権現像を安置。
神仏習合の「金峰山御嶽蔵王権現[きんぷせんみたけざおうごんげん]」という社号で信仰を集めます。
中世になると山岳信仰が盛んになり、戦国時代にかけて修験道の中心地に。
鎌倉時代には有力な武将たちから篤く信仰されたそうです。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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拝殿の裏に回り本殿へ。
明治11(1878)年に造営された神明造の建物です。
御祭神は次の四神。
・櫛麻智命[くしまちのみこと]
・大己貴命
・少彦名命
・廣國押武金日命(安閑天皇)
それ以前の本殿は常盤堅盤社として保存されてます。
全国一之宮の祭神を祀っている摂社で、永正8(1511)年に建立されました。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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宝物殿の前に鎌倉初期の武将、畠山重忠の像が立ってました。
御嶽蔵王権現への帰依が篤く、鎧や鞍、太刀などを奉納したと伝わっています。
像の背後にある宝物殿には国宝
「赤糸威大鎧」[あかいとおどしのおおよろい](平安末期)
「金覆輪円文螺鈿鏡鞍」[きんぷくりんえんもんらでんのかがみくら](鎌倉期)
のほか、国や都の重要文化財が数多く収蔵されています。武蔵御嶽神社宝物殿 寺・神社・教会
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雪中行軍はおしまい…のハズだったけど。
帰り道があるの忘れてた~!
おまけに積雪の量も増えてるし(T-T)武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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江戸時代「金峰山御嶽蔵王権現」は徳川幕府から「西の護り」として手厚く保護されました。
また、江戸時代中期に起こった「社寺詣で」ブームの中、御師[おし]の布教により講[こう]が組織され、御嶽信仰が関東一円に広がりました。
参道に幾つも軒を連ねていた宿坊と、参道脇に無数に建立された講の石碑が、いかに御嶽信仰の人気が高かったのかを物語っています。
明治時代に入ると政府の神仏判然令により神道に一本化。
明治7(1874)年には「御嶽蔵王権現」から「御嶽神社」に改称されます。
明治11年に本殿が新たに造営されたのも廃仏毀釈の影響でしょう。
戦後の昭和27(1957)年、「武蔵御嶽神社」に再改称され現在に至ります。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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「あーあ、雪を愛でながらアツアツのおでんを肴に熱燗で一杯やりたかったなー」
てなことを考えつつ。駒鳥売店 グルメ・レストラン
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武蔵御嶽神社の守り神は「おいぬ様」。
といっても犬ではなく、狼が真の姿です。
日本武尊が東征の折、御嶽山で道に迷ったところ白い狼が忽然と現れ、西北へ導いたそうです。
日本武尊は狼に「大口真神[おおぐちまがみ]」として御嶽山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と下命しました。
江戸時代の天保年間あたりから、大口真神は魔除け、盗難除けの神「おいぬ様」として広く親しまれるように。
「おいぬ様」は現在でも摂社「大口真神社」に祀られ、信仰は今もなお連綿と続いています。武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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何度か雪に足をとられて尻餅をつきながらも、なんとか御岳山駅に“生還”。
積もった雪の分厚さに「無事に麓まで帰還できるのだろうか?」と不安を増幅させます。御岳山駅 駅
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そんな心配も杞憂に終わり、ケーブルカーは滝本駅に向かって無事出発!
もちろん乗客は自分一人。
いや、他にムササビが天井に一匹。御岳山ケーブルカー 乗り物
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滝本駅に到着すると、恐るべき情報を耳打ちされました。
「御嶽駅行きの西東京バスは一つ先の琴沢橋までしか来ません」
つまり雪の中、滑りやすい坂道をソロリソロリと下って行かねばならなくなりました。御岳山ケーブルカー 乗り物
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駅舎を出て空を見上げれば、しんしんと雪が降り続いています。
ただ、来る時に比べれば降雪の勢いは若干弱まっているように感じます。御岳山ケーブルカー 乗り物
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ケーブル下から琴沢橋までは600~700mの距離です。
晴天時なら徒歩で10分程度。
ですが、こんな道路状況では……。御岳山ケーブルカー 乗り物
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コケそうになりながらも幸い無傷で琴沢橋に到着。
欄干の朱と雪の白が織りなすコントラストが美しい。
こうした光景が見られるのも年に1~2度ですからね。御岳山ケーブルカー 乗り物
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バス停に折り返しのバスが到着!
たとえ一区間歩かされても、バスが運行されているだけ奇跡!
停留所にバス…当たり前の光景が、こんなに尊いとは!
だがしかし、タイヤにチェーンを巻かなきゃいけないので少々待たされました。
あまりバスのチェーン装着作業なんて見ないので、逆に有り難かったですけど。御岳山ケーブルカー 乗り物
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さて、無事に御嶽駅へ到着し、青梅線で青梅駅へ。
青梅は「昭和の街」をキャッチフレーズにレトロで推してる街。
駅舎からしてレトロ推しマンマン!青梅駅 駅
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とはいえ、これだけの雪になるとレトロもへったくれもないわけで。
マトモに道を歩けるかどうか…そんな初歩的なことでさえ不安です。青梅駅 駅
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雪道に足をとられつつ市の中心街へ。
しかし、この雪では商店街も開店休業状態。
街の顔ともいうべき昭和レトロ商品博物館と青梅赤塚不二夫会館も、さすがに閉館です。昭和レトロ商品博物館 美術館・博物館
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人や車の往来が多い表通りから、ひっそりとした裏路地へ。
「雪の白いは七難隠す」と申しますが。
そのおかげか、東京都内とは思えない風情を醸し出しておりました。青梅駅 駅
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雪は相変わらず降り続けておりますが。
小降りになってきたので、そろそろ青梅を後にします。
大雪だけに交通機関が乱れてしまいますが。
半面、雪が降ったからこそ見ることのできた美しい風景もありました。
来年の大雪は、いつになるんだろう……今から楽しみです。青梅駅 駅
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